企業の規模にはもう一つの段階がある。もはやマネジメント不能なほど規模が大きな企業である。
すなわち、事業部長が企業全体のトップマネジメントと直接働くことができなくなり、手続きを踏まなければならなくなると、もはやマネジメントは不可能となる。社長代行としての何人もの執行副社長に加えて、何層もの事業担当副社長が必要になるほど規模が大きくなると、マネジメントは不可能となる。事業が分散して経営管理者の間に共同体意識を醸成できなくなったとき、共通の目標を持つことができななったとき、企業はマネジメントが不可能となる。
そしてついにはトップマネジメントが、多様な事業のそれぞれが何を必要としているか、あるいはそもそも自社の事業が何であるかさえ知りえず、理解しえないところまで来てしまう。さらには、一つの事業にとって必要な方針や目標が、他の事業を危うくするという事態まで生ずる。
巨大企業のトップマネジメントは、マネジメントが不可能な規模にどのくらい近づいているかを常に自問し、非常に近づいているという答えならば、自ら企業の分割方法を見つけることが株主、経営管理者、国民に対する責務となる。
巨大企業のさらに上の規模なのですから、それほどたくさんの数はないと思いますし、そのような企業のトップマネジメントにあったこともないので、よくわからない世界になってしまいます。
ただ、理論的にはドラッカーのいう通り、トップマネジメントチームと連邦型組織となっている各事業部の長とが、直接話をすることもできなくなっているとしたら、これはもう一つの企業として一緒にやっている意味がなくなっているというのも理解できます。
ドラッカーはそこまでいく前に、いろいろと方策もあると紹介しています。「経営管理者の仕事や企業そのものを適切に組織することによって、過度の大規模化を防止することができる。トップマネジメントの水ぶくれも、連邦型組織の導入やCEOチームの適切な組織化によって防ぐことができる。」
企業としての一体を分割するような事態になる前に、一体としての企業をいかに運営していくかに心を砕いて常に監視していることが必要なのだと言っているようです。
2013/8/26