ヘンリー・フォードのあとを継いだ孫のヘンリー・フォード二世が経営管理者抜きのマネジメントという祖父の方針を覆さなかったならば、戦後の好況下にあっても崩壊したことは間違いない。
ヘンリー・フォード二世は、父を失い、祖父が急速に衰えつつある中で責任が降りかかってきたときは、20代半ばだった。事業の経験はなかった。助けてくれたり教えてくれたりする経営管理者はほとんどいなかった。
しかし彼は、問題が何であるかを直ちに理解した。その彼がまず行ったことが、マネジメントをもつことを基本方針とすることだった。
フォードのマネジメントは、目標管理によるマネジメントになった。旧体制では経営管理者には何も知らされなかったのに対し、新体制では仕事に必要な情報とともに、会社全体についての情報も与えられた。恣意的な命令は目標と基準に基づくものへと変わった。
そして最大の変化、しかも最も目立つ変化が組織構造の変化だった。
かつてのフォードは完全な中央集権だった。対照的に今日のフォードは、それぞれが事業の遂行と業績に責任を持ち、目標達成のための意思決定の権限を持つ独立したマネジメントのもとにある15の事業部門に分権化されている。
フォードは瀕死の企業から成長する企業となった。それは奇跡だった。その奇跡は、経営管理者のマネジメントについての考え方の完全なる変革からもたらされた。
ヘンリー・フォード二世が社長に就任したのが1945年、祖父が亡くなったのが1947年ということです。事業の経験をもたない20代の若者が大企業をまかされても、祖父のようにすべてを一人でマネジメントできないのは当然で、周りに助けを求めたのはある意味自然だったのかもしれません。
フォード二世はそのマネジメントの考え方を、競争相手であるGMから人材とともに手に入れたそうです。しかも、そっくりそのまま導入したというのです。
社内には相当なショックがあったことが想像できます。「今までのやり方でも困らないし変わることだってできる」という組織内の抵抗にあっても変革を行うというのは相当な力仕事ですから。
フォード二世の場合は、祖父が経営管理者の能力のある者を追い出しておいたことが却って追い風だったのかもしれません。
私の想像は誤っているかもしれませんが、目標管理によるマネジメントの正しさが、フォードの復活によって証明されたということをドラッカーは述べているのです。
2013/7/4