これまでCEO一人体制の危険についてのべてきたが、もう一つ理由がある。それは、企業の機関としての取締役会を形骸化する危険である。
企業において、取締役会は法に基づく、オーナーたる株主の代表であり、あらゆる力を持つ。あらゆる先進工業国に取締役会に相当するものがある。しかし実際には、法が規定した取締役会が、くたびれた虚構程度のものに、傀儡になっている。
取締役会は、大企業において事実上無力化し、マネジメントに取って代わられている。社内のトップマネジメントのみによって構成され、月に一度前月の自分たちの活動を承認するだけの存在になっていることもある。
しかし企業には、取締役会だけが果たすことのできる現実の機能がある。誰かが、事業が何であり何でなければならないかについての、意思決定を承認する必要がある。誰かが、企業の設定した目標と基準を最終的に承認する必要がある。誰かが、企業の利益計画、投資方針、予算を批判的な目を持って点検する必要がある。
ということは、トップマネジメントが取締役会を支配してはならないということである。事実、取締役会は、その企業で働いたことのない人たちによって構成され、社外的な存在になっているほど強力に機能する。
取締役会を法律上の擬制ではなく真の機関とすること、卓越した人たちに取締役として貢献してもらうことは容易なことではない。しかしそれは、CEOチームが行うことのできる最も重要なことの一つであり、かつ、CEOチームが自らの仕事を立派に行ううえで重要な要件の一つである。
現在の日本の法律では、「会社法」に取締役会の規定があります。「会社法第362条」によると取締役会の職務は、①業務執行の決定、②取締役の職務の執行の監督、③代表取締役の選定および解職、とされています。
ドラッカーが本書で取締役会の役割としているものと、多少想定が違うところがありますが、主に論じられているのは、「会社法」でいう「②取締役の職務の執行の監督」のことだと思います。
重要な意思決定を承認したり、業務執行のチェック機関としての役割をきちんと果たしている取締役会が少なく、形骸化しているが、取締役会が成果をあげる機関として活動できるような企業であれば、企業自体の成長も促進されると述べています。
取締役の選任に関して、同じセクションで次のように述べています。
「大企業、中小企業に関わらず、取締役は、その経験、世界観、関心がトップマネジメントとは異なる人たちである必要がある。このことは、銀行、取引先、顧客の代表者を取締役にすることによっては実現されない。取締役会に必要とされているものは、トップマネジメントとは違った目で見、反対し、質問する人間、特にCEOのチームが無意識に行動の前提にしているものについて疑問を発する者である。」
CEOはチームで互いに協力し合って大量の仕事を行わなければなりませんが、正しい方向に進んでいるのかを絶えず確認するために、仲間ではない外部の人にチェックしてもらうという役割を取締役会に求めているということです。
2013/8/3