シアーズの第二期は1920年代の中頃に始まった。第二期はロバート・E・ウッドによって形作られた。
ウッドがシアーズに加わった頃、シアーズの市場は急激に変換していた。農民はもはや孤立した存在ではなかった。自動車のおかげで、町で買い物ができるようになっていた。しかも同時に、25年前の農民と同じように、孤立し、商品の共有が行われていない巨大な都市市場が姿を現していた。
ウッドはシアーズの経営に参加する前にそのような分析を行っていた。彼は、自動車を持つ農民と都市人口を顧客とするべく、シアーズの事業の重点を通信販売から小売業に転換するという決定を行った。
この決定を実現するためには、再び一連のイノベーションが必要だった。商品を開発することと、それを大量に生産できるメーカーを育てることの二つが必要だった。
さらに小売りへの進出には、店舗を運営する店長が必要だった。第二次世界大戦までの間、最大の問題は店長と売り場主任の不足だった。
最初のイノベーションが1895〜1905年とされているので、その約20年後に第二期のイノベーションが行われているという分析です。
20年前には孤立した存在だった農民たちの生活水準が上がり、自動車に乗って都市に来るようになっていた。前回のイノベーションが成功する要因だった顧客の環境が、既に変わっていることの現実に目を向け、顧客の変化に適応して新たなイノベーションを手がけたということのようです。
1920年代の半ばに通信販売から小売業への転換という大きな意思決定をし、1930年代の初めにはそのために必要なイノベーションを次々と手がけたとのことですが、ここで最も注目しているのは、人材育成におけるイノベーションです。
全国各地に700の店舗を持ったシアーズは、店舗のマネジメント能力を持つ者を養成する必要に迫られました。店舗でものを売るために、分権化した組織構造とマネジメント、店長の業績の評価、企業としての一体性と店舗の自立性、店長に対する報奨制度など、あらたな方法を生み出していったそうです。
「人材の育成こそ最も体系的なイノベーションを必要とする分野だった。そして、1930年代におけるシアーズの人材育成は、その後、アメリカの産業界における経営管理者肉声に関わる発展の基礎となった。」
2013/5/24