自己管理によるマネジメントを実現するには、報告、手続き、書式を根本的に見直すことが必要である。報告と手続きは道具である。だが誤って使われるとき、道具ではなく支配者となる。
第一によく見られる誤りは、手続きを規範と見なすことである。手続きは完全に効率上の手段であり、迅速に行うための方法を規定する。行動の正しさは手続きとは関係なく、正しい行動は手続きによっては実現されない。
第二によく見られる誤りは、手続きを判断の代わりにすることである。しかし手続きが有効に働くのは、もはや判断が不要になっているときである。すでに判断を行い、その判断の正しさが検証されているという反復的な状況だけである。
第三に、最もよく見られる間違った使い方としては、報告と手続きを上からの管理の道具として使うことである。このことは、特にマネジメントの上層に情報を提供するための報告書や手続き、つまり日常の諸々の書式についていえる。単に管理上の目的のために依頼され要求されていることが、組織が何にもまして求めているものに思われ、自らの仕事の本質であるかのように錯覚する。そして彼の上司までもが誤って導かれることになる。
最後に、報告と手続きは記入するもの自身にとっての道具でなければならない。記入者を評価するための道具にしてはならない。
「ホウ・レン・ソウ」と言われる報告・連絡・相談は、組織の中で仕事をしていく上で必要なコミュニケーションを端的に表している言葉です。自己管理による目標管理といえども、全くの途中報告や他とのコミュニケーションがない状態で放置されるということはないでしょう。
しかし何らかのルールのようなものがないと、人によって「ホウ・レン・ソウ」の頻度や内容の深さに差が出てくるものです。そこで「全員一律に日報(週報)を作って提出する」というような報告のルールが作られます。
上記のように、このような報告に関するルールなどは、一人ひとりがそのタイミングや内容の深さについて考える必要を減らしてくれるメリットがある一方で、報告自体が目的化しいつの間にか報告書に支配されているという状態に陥ってしまう危険性もあります。
そのような危険性を認識していようとも、日常の業務を実行していく中でこれらの報告や手続きは増え続けていきます。そのためドラッカーは「あらゆる企業が、現在使っている報告と手続きのすべてについて、それらが本当に必要かどうか、少なくとも5年に一度はすべての書式について見直しを行わなければならない」としています。
自己目標管理の章の中では少し異質なセクションではありますが、自己目標管理を実現する上で、それだけ定型の報告書や手続きなどが邪魔をするということなのでしょう。
2013/7/13