行き詰った世界

兵士が一人行方不明になった、という知らせを受けて、イードは重い腰を上げた。またか。と深い溜息をつく。この前は四年前。随分と周期が短くなっている。誰もついてくるなと告げて、イードは一人、オウビスカ城の地下室へと向かった。懐には緋涙晶。代々伝わる杖と、いくつかの術の触媒を手にして。

二百年以上続く平和。緋涙晶に転じる程の強さを持った魂の持ち主は、殆どいなくなっていた。苦労して手にしたこれも、純度としては低い。これでは、四年どころか二年も持つかどうか。

側近の報告によれば、兵士を最後に見かけたのは地下室へと続く隠し扉の近く。そんな報告を受けなくても、どうなったかは予想がつく。魅せられたのだ。あれに。

隠し扉の封印は解けている。犯人はこの中にいる、化物だ。かつて世界を半壊させた喰世王と呼ばれた化物。黒い剣の中へと封印されて、そのまま眠り続けるはずだったのに。

重い鉄で出来た扉を開き、奥へと続く階段を降りる。閉まった扉はもう、押しても引いても開かなくなっていた。手のひらの小さな灯りを頼りに、下へ下へと降りるしかない。こうやって、近くを通りがかった誰かを誘い込み、喰らうのだ、こいつは。封印されているはずなのに、その小さな綻びから手を伸ばして。

どこまでも続くと思われる程の階段を降り、イードは入り口と同じ外見の、分厚い鉄で出来た扉の前に立った。部屋ごと封じてあるはずなのに、扉の隙間から禍々しい悪意が漏れ出てくる。頭の中で声がする。この化物が殺して食らってきた、幾人もの、数えきれない程の怨嗟と嘆きの声。その喧しい叫び声に隠れるように、この化物のか細い声がする。早く喰いたい、腹が減った、まだ喰い足りない、と。

イードは扉を押した。鍵はかかっていない。ギィ、と、ゆっくりと扉が開く。と同時に、目の前に、黒い剣の切っ先が迫っていた。この部屋に入る時はいつもこうだ。先代から教わった通りに防御壁を展開していなければ、部屋に入った途端に命を奪われてしまっていただろう。今代のイードがこの部屋にやってくるのはもう四度目だが、これにはいつまで経っても慣れそうに無い。

展開した防御壁を突き破ろうと、剣がめり込んで来る隙に、イードは懐から緋涙晶を取り出した。同時に触媒をばらまいて、杖を掲げる。紫の光が辺りを包み込む。呪文を唱えると、剣はがたがたと震え、床に落ちた。周囲を覆っていた悪意も静まったようだ。

床に落ちた黒い剣。手にとってはならない。破壊してはならない。それを封印し続けることが、イードのもう一つの役割なのだと、イードは先代からきつく言い含められていた。

この世界の人々が信じ込んでいるお伽話が真実だと言うことを知っているのは、もう、イードくらいしか残っていない。暴走した世界を喰らう者が、その身に死を統べる者を融合させて、喰世王と名乗って破壊の限りを尽くしたことなど。そしてそれが打ち倒された後、この剣の中に封印されて、この城の地下に安置されていることなど、知る由もない。

――いや、安置など、初めからされていなかったのだが。

あの邪悪な魂が封印された時、一人の娘の魂が、この剣の中に紛れ込んだと聞いている。それがきっと、一番初めの過ちだったのだ。瞬く間に娘の魂は喰い尽くされて、そのせいで、弱り切ったはずの喰世王が力を取り戻し――。

全ては今更。とは言え、恨むなという方が無理がある。問題を先送りにし続けることばかりに執心して、その先にある破滅から目を背けようなど。そのツケが回ってくるのはきっと、自分か、次世代のイードの時代だというのに。

幾人もの兵士たちを喰らってきたこの黒い剣。部屋の中には、死体一つ、骨の一欠片さえ残されていない。それはつまり、肉体ごと全て、この剣が喰らったということだ。いずれこの中に眠る魂は、肉体を得て復活するだろう。それが復活すればどうなるか。そんなことはわかりきっている。二百年以上も自分を封じてきたこの世界に復讐するに違いない。

ぞくりと寒気が背筋を走る。先代を恨む自分も、結局同類なのだ。自分の代でそれが起きないことを願って、この部屋に封印を施し続けることだけしか、出来ることはない。

イードは剣に背を向けて、扉を開けた。ゆっくりと閉めて、外側からも封印を施す。剣の封印が綻んでしまえば、すぐに破られてしまうような結界だが、無いよりはずっとマシだった。

地下室へ続く隠し扉を出て、明るい廊下へと戻ってくると、ようやくイードは安堵した。これでしばらくは持つはずだ。きっと。自分はいつも通り、伝えられた通りのことを成し遂げたのだから。

兵士たちが談笑する声が遠くから聞こえてくる。ぱたぱたと城を駆けまわる使用人たちの足音も。城から出れば国民たちが平和を享受する姿が見えるし、城壁の外へ出れば畑や果樹の豊かな実りが見渡せる。

オウビスカ国だけではない。プロデスト大陸にある全ての国や街と言った人々が暮らす場所は、どこもかしこも似たようなものだ。平和で、穏やかで、そして行き詰った世界。

これが、いずれは崩壊する儚いものだということを、イードだけが知っていた。

終わり

wrote:2016-09-10