ベイビーズ・ブレス

ダネットが死んだと聞かされて、俺は十年ぶりくらいに隠れ里に向かった。ダネットの墓に花を供えても、一緒に旅をした頃のダネットそっくりに成長した、彼女の孫娘に出会っても、どうにかして表情を崩さないように努めた。絶対に泣くものかと、そう、決めていた。

それを見た周りにいた連中は、世界を喰らう者になってしまうと、ああも冷たくなれるのかと、隠しもせずに俺に言う。彼らに対して、隣にいたギグも、俺も、何も返さなかった。

悲しくない訳じゃない。泣きたくない訳じゃない。ただ、あなたたちの前で泣くことを、この心が許さないのだ。どの面下げて、彼女のために涙を流せるっていうんだ。泣くなら、誰もいないところで泣きたいんだ。

かつての仲間たちは、これでもう、全員死んでしまった。ガンツフルト、コーホート、リタリー、ヨスト、ドリーシュ、そしてダネット。エンドルフは、どこにいるのかも、生きているのかもわからない。でも、きっと死んでしまっただろうと思う。

その一つ一つの別れに立ち合えていたなら、きっとおかしくなってしまっただろうと思う。もしかしたら、恨み言の一つもぶつけられてしまったかも、なんて、最低なことさえ考えた。どうしてお前だけ、という、その一言を聞きたくなくて、そんなことを考えたくなくて、もうずっと長いこと、彼らと離れて過ごしてきた。ギグと二人きりでいられれば、悲しいことからも、辛いことからも逃れられると、そう思って。

だけど、そう思っていても、人恋しさに負けてふらりとかつての仲間に会いに行っては、年老いた彼らと顔を合わせ、俺への恨み言を飲み込んでいるかも知れない彼らと、二言三言言葉を交わし、彼らの子供たちと遊んで別れることを繰り返した。その後は決まって、ギグのそばで泣きながら眠りにつく癖に、かつての仲間たちと会えることがそれでも嬉しかった。ギグは何も言わず、俺を抱きしめ、頭を撫でて、俺が寝入ってしまうまで、ずっとそうしていてくれた。でも、もう、その必要はなくなった。俺が涙を流す相手は、懐かしいと思う相手は、もう、誰もいなくなってしまったのだから。

すっかり暗くなった空をギグに抱えられながら、俺はぼんやりと、ダネットのことを思い出していた。馬鹿で、俺に面倒ばかりかけていたダネット。旅をしていたときも、ずいぶんと手間をかけさせられたものだ。でも、絶対に、俺を裏切ったりはしなかった。

ダネットそっくりの孫娘は、泣きながら俺を睨んで、冷たい人、と言った。ダネットも、死ぬ間際に同じ事を思っただろうか。病床に伏せながら、見舞いにさえ来ないかつてのパートナーを、少しでも呪っただろうか。ダネットだけじゃない。他の仲間たちも、老衰や病気で、みんな死んでいったのに、俺は見舞いにさえ行かずに、死んだと聞かされてから、墓参りに行っただけ。死ぬ間際の人間が、若く健康だった頃と寸分違わぬ姿のかつての知り合いに見舞いに来られて、冷静でいられなかったとしたら。俺に心無い言葉を投げつけて、傷つけあう結果になりはしないだろうかと、そう思うと、どうしても足が向かなかった。

本当は、彼らがそんな人間じゃないって、わかっているのに。それなのに、俺はどうしても、動けなかったのだ。その癖、彼らの墓前に立つと、たとえようも無い寂しさに押しつぶされそうになるのだから救いようが無い。そしてやはり、泣きつかれて眠ってしまうまで、ギグに抱きついて子供のように泣きじゃくるのだった。

二人で暮らすためだけに建てた、迷いの森の小さな家に戻り、リビングのランプを点す。ギグがそっと椅子に腰掛けたらしい音がする。俺はそれに背を向けて、何をする訳でもなく、ランプの灯りを見つめていた。

「……すっかり遅くなっちゃったね」

「そうだな」

今ギグを見たら泣いてしまいそうで、疲れているのに、椅子に腰掛ける気にならない。いつもいつも、ギグに泣きつくのは嫌だ。親しかった人との別れで涙を流すのは、こんな体にしたギグを責めているのと同義だと、ずっとずっと、ギグに泣きつくたびに後悔しているのに、いつまでたっても慣れやしない。駄目だ。

「何か食べる? 大したものは用意できないけど」

「いや、いらねえ」

「……そう」

食事をするわけでもなく、リビングに居座らないで欲しい。特に、今は。今日ギグは、ずっと、俺に何も話しかけずにいてくれていた。それがありがたくもあり、辛くもある。もう、ギグに泣きつくのは嫌だ。頼ってばかりでいたくない。

「ごめん、ちょっと風に当たってくる」

それだけ言って、戻ってきたばかりの家を出た。ギグの顔を、一度も見られないまま。

頼ってばかりでいられないと思っておいてすることが、とにかく距離を置くことだなんて本当に馬鹿なんだけど、他に泣かずにいる方法が見つけられなかった。

距離を置くとは言っても、こんな夜中に遠出する訳ではない。家のすぐそばのホタポタの木の下に腰を下ろして、まだ若い幹に体を預けた。月が綺麗だな。星も良く見える。この家を建てるまで、ギグと草原に寝転がって夜空を眺めたっけな。

ギグはずっと俺と一緒だ。絶対に、一緒にいてくれる。だから、寂しくなんてない。親しかった皆と離れる寂しさは、きっとそのうち薄れていく。少し我慢すれば、乗り越えられる。でも、忘れることなんてできないし、悼まずにいることもできない。思い出しては泣きそうになるけど、でも、我慢しなくちゃいけないことなんだ。俺はもう、人間じゃないんだから。

「相棒、風邪引くぜ」

「あ……」

急に投げつけられた毛布が視界をふさいだ。ギグの優しげな声が、頭に響く。

「……別に、いつもみたいに泣いたって良いんだぜ」

「ん……」

ギグが怒りもしないし、責めもしないって、そんなことはわかっている。だから申し訳なくて、余計泣きたくなってくるんだ。

隣に腰を下ろしたらしいギグは、俺に投げた毛布を俺のひざにかけて、ぽんぽんと俺の頭を撫でている。ああもう、そうされると、本当にもう駄目なんだって。

「……約束しただろ、寂しい時も悲しい時も一緒にいる、って」

「うん……」

「だから、無理すんなよな」

「うん、ごめん……」

「あやまんなって」

肩を抱き寄せられて、ギグの冷たいはずの指先が温かくて、また泣きたくなる。抱きついて子供のように泣きじゃくりたい。でもそれはそろそろ終わりにしたい。そう思っていたけど、やっぱり無理だった。結局、この夜も、一晩中泣いて終わった。

「……ごめん、ギグ」

「泣くのは良いけどよ、場所を時間を考えようぜ、相棒」

「うん……」

という訳で、一晩中寒風に吹かれながら泣きじゃくったおかげで、何十年ぶりかに俺は風邪を引き、ギグに看病されるという事態に陥ってしまった。ここまで迷惑をかけたのは久しぶりだ。

ベッドを占拠して、ギグが不器用ながら剥いてくれたホタポタを食べつつ、濡れタオルで頭を冷やしてもらい、ベッドに腰掛けている呆れ顔のギグを見る。

「……俺さあ、馬鹿かな」

「相当馬鹿だな」

「あはは、そうだね」

「ったく、馬鹿なこと言ってねーで、さっさと治せよな」

「うん」

軽口を叩きながら、頭のタオルをちゃんと交換してくれるあたり、ギグは優しいなあ。

「そうじゃねーとホタポタ以外食えねえからな」

ああ、そういうことね。一緒に暮らして相当時間たってるのに、料理をはじめとした家事全般を俺に頼りっきりっていうのはどうかと思うよ。

「……ギグも何か料理覚えたら?」

「めんどくせーからパス」

「言うと思った」

まあ、半ば諦めているので断られても今更なんということも無い。

「ほれ、良いからもう寝てろ。ホタポタくらいはとって来てやるからよ」

新しく濡れたタオルを俺の額に置いて、ギグはだるそうに腰を上げた。

「……出来れば畑の水やりもして欲しいんだけど」

「……気が向いたらな」

……期待はしないでおこう。

ドアの向こうに消えていくギグの背中を見送って、俺は目を閉じた。風邪もだけど、目の周りが腫れぼったい。額に乗せられたタオルをそっと目元に持っていく。気持ち良い。何も視界に入らなくなって、そしてやっぱり、ダネットのことを思い出した。

人間じゃなくなったんだから、こんな別れなんてなんとも思わないくらい、割り切らなきゃいけない。でも、人間じゃなくなっても、誰かを悼む気持ちを無くしたくない。

自分が辛いから、相手を傷つけたくないと言い訳をして、会うこと自体を避けていたけど、本当は、もっともっと皆と一緒に過ごしたかった。ダネットとだって、本当はもっといっぱい話をしたかった。俺はどうしたら良かったんだろう。会うたびに悲しくなって泣いてしまっていたっていうのに。

もう、昨日のような悲しい気持ちになることは、しばらくなくなるだろう。でも、まったくなくなることはないと思う。俺は馬鹿だから、最後に別れが待ってるとしても、人と関わることは止められないと思う。それがどんなに不器用な関わり方であったとしても。

彼らもそのうち転生して、この世界のどこかで産声を上げているんだろう。それを探し出したりなんかはしないけど、それでも、彼らがどうか幸せでありますように。ダネットも、どうかそうありますように。

そんなことを、熱っぽい頭で考えていたら、俺はそのうち眠ってしまった。

そして、パンを焼こうとして、炭化した小麦粉の塊と格闘するギグの絶叫でたたき起こされるのは、また別の話。

本当に、ギグといると悲しんでる暇も、寂しい気持ちになる暇もないな。ああ、だからこそ、俺はたまに人と関わりに行っても良いのかも。たとえ人との繋がりに傷ついても、辛くなっても、ギグがいるんだと思えば、きっと救われるんだから。まあ、また泣くと思うけど。

少し落ち着いたら、彼らの子供たちにまた会いに行こう。冷たいと言われたって、なんだって構わない。俺は、みんなが好きだったし、彼らが愛した人たちのことを、ずっと見守っていきたいと思う。

だからもう少し強くなるまで、ギグには迷惑かけちゃうけど、許してね。

「……少しは元気出たかよ、相棒」

「……おかげさまで」

ああ、当の本人は何も考えてなさそう。まあ、良いか。その方が気が楽だ。

焦げ臭い台所を片付けながら、またいつもと同じ一日に戻っていくのを感じる。ああ本当に、ギグがいるから寂しくないよ。だからずっと、そばにいてね。

終わり

wrote:2014−11−18