守りたいものだけを抱いている

俺はどうやら、もうすぐ死ぬらしい。

ギグも気付いていないし、もちろん他の連中も気付いていない。

そしてどうやら、俺はギグを喰らいたいらしい。

ギグも気付いていないし、もちろん他の連中も気付いていない。

別にどこも痛くはないし、苦しくもないのだけど、ギグが寝静まったある夜、それに気付いてしまった。胃の奥から上がってくる何か。ギグを起こさないようにそっとベッドから出て、台所に向かって「それ」を吐き出すと、いよいよ終わりが来たんだなあ、なんて、実感の沸かないままに考えた。

その後、血塗れの台所を、出来るだけ水音を立てないように片付けると、冴えてしまった頭で、どうしたら良いかを一晩かけて考えた。

ギグに打ち明けたら、きっとどうにかしようと力を尽くしてくれるだろう。それはそれで、うまくいったらずっと一緒にいられるかも知れない。でも、それは駄目だと思った。いつか終わりが来るってわかってたから、俺はギグと一緒にいられたのだから。

ギグと再会して、一緒に過ごすうち、段々と明確になってきた思いがある。それは、いつかギグと、もう一度一つになりたいということ。さらに言うと、それはただ体を重ねるだけの関係になりたいという訳ではなくて、融合していた時のように、本当に一つになりたい、ということだった。

でもそれは、俺がギグを喰らうか、長い時間をかけて一つになるかしか方法はないはずで、特に後者は、俺が生きている間には到底なし得ないことだった。

じゃあ前者は、と言うと、やろうと思えば、出来たことだった。でも、それをしてしまったら、俺は一生後悔するとわかっていた。

一つになりたいのに、そうしたら、ギグはいなくなってしまう。ギグを喰らって、たった一人、この世界でギグの代わりの統べる者になったところで、何が楽しいっていうんだ。

そう思っているのに、ギグを喰いたいという欲求ばかりが膨らんで、腹が減って仕方なくなっていた。

自分の腹の下で、腰を揺らして善がっているギグを、頭からばりばりと喰らってやったらどんなに美味しいだろう。背中に回された手を、指先からこりこりと噛み砕いてやったらどんなに美味しいだろう。物欲しそうに俺の腰に回して、中に出されることを望んでやまないその綺麗な脚を切り取って、柔らかい肉を咀嚼してやったら、どんなに美味しいだろう。

ギグは、俺がそんなことを考えながら自分を抱いていることなんて、微塵も考えつかないだろうな。いつも、相棒、好き、大好き、もっと、と懇願するギグが、俺が自分を喰らおうとして、それを必死に抑え込んでいることなんて、思い至るはずがない。

ギグの体に歯を立てて、血が滴る肉を噛む俺の姿を見たら、ギグはどんな顔をするだろう。どうして、信じてたのに、愛していたのに、と、あの綺麗な顔を歪ませて、俺を非難するのだろうか。嫌だ。そんなのは、耐えられない。見たくない。

だから、俺の我慢がきかなくなる前に、ギグの前から消えなくてはいけなかった。それが、たまたま俺が死ぬのと同時期だったのは、本当に運が良かったのかもしれない。

ギグと別れるのは悲しいけれど、ギグに責められるよりはずっとマシだった。

最後だと決心して、ギグをこの上なく優しく、その身体の隅々まで記憶するくらいに激しく抱いた。ギグが疲れ果てて眠ってしまったことを確認して、頭に軽くキスをする。ごめんね、さようなら。と、口には出さないけれど、そう伝えたつもりだった。

寝室に差し込む月明かりが、ギグの体を青白く照らしていて、最後に見るギグの姿が、これで良かった、と思う。

穏やかな寝顔が綺麗だ。月明かりを反射する銀の髪が綺麗だ。ギグの全部が綺麗で、これ以上見つめていたら、喰らいたくなって仕方なくなってしまいそう。

だから、これで、最後なんだ。俺はそっと寝室を出て、適当な服を着て、外に出た。

終わりは案外早く来た。タイムリミットが近づいていることはわかっていたけど、詳細な時間はわからない。でも、何かの意図でもあったかのように、それはすぐにやってきた。

迷いの森に作った、俺とギグだけが暮らす小さな家。少し歩くだけで、深い森になっている。この迷いの森自体、結界を張って、常人には入れなくしてあった。だから、誰もやってこない。ギグ以外は。

家から一里も離れていない、森の中。急いで歩いて、そこで俺は力尽きた。別に死にそうだと、明確にわかっていたわけじゃないのに、ちょうど良くそこで脚がもつれ、息が切れて、心臓の音がやたらと大きくなっていった。視界がぼやけて、眠くなってくる。誰もいない森の中。一人で死ぬのは寂しいけれど、これはこれで良かった。ギグの悲しむ顔を見なくて済む。我儘な願いだけど、ギグの幸せそうなところばかりを思い出して死ねたら、それは途方もなく幸せだと思った。

意識をなくして、気がつくと真っ暗な空間に立っていた。ここがどこかもわからない。だけど、なんとなく、懐かしい感じがする。身体の辛さももうなかった。

「貴方はどちらの性を望みますか?」

頭の中に声が響く。どちらの性。自分のことは男だと思っているけれど、その質問が意図することは、きっと、どちらの性で転生したいか、という意味なんだろう。

「……ねえ、どちらも選ばない、って言ったら、どうなるの」

そう口にすると、目の前に小さい光が集まり始めた。眩しさに目を閉じる。光が収まった頃、ゆっくりと目を開くと、そこには、一人の女性が立っていた。

「……あなたは、夢に出てきた、あの人?」

「私はハーフニィス。この世界を統べる者です」

「……ああ、あの……」

その名を聞いて、色々なことの合点がいって、一人でなんとなく納得してしまう。あの夢で、小さかった俺を育てたらしい人。それ以外の感情はないけれど、死んだ俺に選択させようとする程度には、俺を思っているらしい。それには感謝するけれど、でも。

「どちらも選ばない、ということがどういうことか、わかっているのですか」

「……多分。消える、ってことで、合っていますか」

どちらにも生まれたくない、ということは、そもそも転生したくない。そういうことだ。

「どうしてですか。貴方は、ギグのことを」

「……ギグのことは、好きだよ。今でも」

「なら、どうして」

「このままだと、ギグを傷つけて終わる気がするから」

好きだから、消えたいんだ。きっと、この神様にはわからないと思う。ギグはきっと、俺が世界のどこかに転生したと知ったら、一も二もなく探し回るだろう。でも、そこで見つけられるのは、俺ではない何か、別の存在だ。それに、俺らしい何かを有した存在だったら、尚更始末が悪いから。

「……貴方がしてきたことを考えれば、ただの人間でなく、もっと他の存在にも転生させられるのに」

「それは、もっと駄目なんだ。ギグが好きで、好きすぎて……もう、駄目だから」

ギグは、何処までも自分と違う次元の存在だから、本当は俺なんかが手を出してはいけないくらい、強くて、高潔で、触れがたい存在だから。それを汚して、壊して、喰らいたいなんて思ってしまっている俺が、そのままの気持ちで転生しちゃいけないんだ。

ギグと一緒に過ごして、笑った姿を見て、その身体に触れて、そして――。

「もう十分、良い夢を見させてもらったから、もう、良いんだ」

「……後悔しませんか」

「消えちゃったら、後悔も何もないよ」

ギグが、俺が消えたことを知って、絶望する顔も、悲しむ姿も、何も、知らずに済む。だから、良いんだ。

目の前の神様は、俺を哀れむような目で見つめ、手を差し出した。

「……目を閉じて」

言われるままに目を閉じる。そっと、額に彼女の指先が触れた、気がした。

ギグは今頃、どんな夢を見ているんだろう。俺が出てくる夢だと良いな。二人で幸せそうに笑ってる、そんな夢。願わくばずっと、ギグが目覚めなければ良いのにね。そしたら、ずっと俺のことを見ていてもらえるのに――。

そんなことはありえないとわかっている。だから、いつか目覚めるその時まで、俺のことを考えてくれるなら、それだけで十分だと思う。

徐々に薄れていく意識の中で、俺は、最後に見た月明かりに照らされて眠るギグの姿を延々と反芻していた。それはまるで、終わりのない幸せな夢を見ているようだった。

終わり

wrote:2015-06-29