不器用なふたり

等間隔に置かれたランプの灯りがあるとは言え、夜の廊下はそれなりに暗い。足元に気をつけながら、俺はゆっくりと、あの人の部屋へ向かって歩いている。

行かなければならないのはわかっているのに、足取りはどうにも重かった。仕事の話、これからの話、他愛無い世間話、あの人から教わる療術の話。いくらでもする話はあるのに、あの人の弟らしく振る舞えているのか、いつも自信が無いからだった。

だって、俺自身がジンバルトと接していたのはほんの短い時間でしか無かった。二人きりで話したことなんて、この廊下ですれ違った時くらい。後は……昨日の風の屋上で、ジンバルトに声をかけられた時。それくらいしか記憶に無いのに、ジンバルトそっくりに振る舞うのには、そもそも無理がある。でも、そうして生きようと決めたのは自分の方。だから、頑張らなくちゃいけない。そうでないと……俺は、どうやって、何をして生きたら良いか、わからないから。

声は、もっと低く話せば似る気がする。言葉遣いも、なんとなくは似せられる。仕草までは難しいけれど。服はそもそも数着しか持っていなかったから、ジンバルトのお下がりをいくらでも借りられた。

見た目をもっと似せるためにはどうしたら良いだろう。ジンバルトの髪は緑がかった黒だった。こんな赤い色じゃない。髪だって、もっと短くて、後ろに流す感じ。髪を黒く染めて、短く切って、整髪剤で固めてみると、鏡に映る自分が、自分じゃないみたいに見えた。きっと、久しぶりに会ったヒトは、誰も俺が俺だってわからないだろう。

少しずつ、でも確実に、自分が自分じゃなくなって、あの人の弟になっていくのが、恐ろしくもあり、嬉しくもあった。こんな、おかしいことをしている俺のことを受け入れてくれるのも、もう、あの人しかいなくなっていたから。

三ヶ月ぶりに出会ったダネットとドリーシュは、本当に俺のことがわからなくて、クラスターさんのお屋敷で働いている、部下の一人だと思ったらしかった。クラスターさんも、俺は何処にいるかとダネットに尋ねられて、今は遠い街に出張に出ていると嘘をついた。直ぐ側にいる俺のことについては、一言も話さないまま。

定期的に話をしにくるリタリーは、少しずつ変わっていく俺のことを見て、眉を顰めて、すぐに目を逸らす。見ていられないのかも知れない。リタリーとは旅の間それなりに仲良くしていたから、それは少しだけ悲しかった。でも、クラスターさんに対する態度は何も変わらないから、それで良いと思うことにした。俺のことはどうでも良いから、これ以上この人が傷付かないようにしていて欲しい。

ガンツフルトもエンドルフもヨードもヨストも、それぞれの人生を歩んでいて、この屋敷にはやって来なかった。彼らにはバレてしまいそうな気がしたし、きっと余計なことを言いそうだから、それで良いと思っている。

ようやく、あの人の部屋の前に着いた。すう、と息を吸い込んで、意を決してノックする。ジンバルトか、入りなさい。そう言われて、ゆっくりとドアを開けた。

明るい部屋では、クラスターさんが……いや、兄さんが、俺を待っていた。遅くなってすまない、と謝ると、笑ってコーヒーを淹れてくれた。飲み慣れないブラックコーヒーを啜りながら、俺は広げられた書類について、兄さんの話を聞く。

弟として扱いながら、それでも、俺にも理解出来るように、わかりやすい言葉で仕事を教えてくれるあたり、この人はとても優しいと思う。それに応えなければと、必死になって俺もペンを走らせた。

終わり

wrote:2016-08-21