たった一つの手がかり

ギグが一人でガジル界に残って、ずっとずっと戻らないことの意味を理解できないほど、楽観的にはなれない自分は、ぽつりぽつりとギグとの思い出を振り返りながら、日々をぼんやりと過ごしていた。

何をしていても基本的に上の空な俺は、周りからは「ギグがいなくなったことがよっぽどショックだったんだろう」と思われていた。それは当然、間違いではない。

自分と、ずっと一緒にいて、おそらく俺の考えていることをどこまでも共有していただろうギグは、この世界で一番の俺の理解者だった。そして、互いに互いを必要としていた。ギグだって、俺の体だけが目的ではなくなっていたはずだ。あのひねくれ者の神様は、誰かから純粋な好意を向けられることを、本当は望んでいたんだと思う。だって、俺がそうだったから。

世界を喰らう者を倒して欲しかったから、世界を守るために戦って欲しかったから。誰かが俺の周りにやってくる理由は、大抵それがきっかけだ。もちろん、それだけが理由じゃないってわかってても、本当は皆、俺を利用したいだけなんじゃないかって、そんなことを考えてしまう。

ギグもそれに気づいていて、それとなく、二人きりの時に言われたこともある。それは俺を傷つけて、とっとと体を明け渡させるためだったかもしれない。でも、俺が迷いながら戦ってることを知っているのは、ギグだけだ。そう思うと、少しだけ気持ちが楽になった。今更断れないだろ、と言うと、ギグは、随分とお人好しだな、きっとそのうち後悔するぜ、と吐き捨てた。それはそれで、ギグの優しさだった気がする。中途半端な気持ちで身を投じるべきではないという、警告のようにも聞こえたから。

優しいんだかそうでないんだかわからない、そう思っていただけのはずが、そんな素直じゃないギグが、段々と可愛く見えてきて、いつの間にか好きになっていた。

そう思うようになったのはいつからだっけ。それを思い出そうと、ギグと過ごしてきたあの旅を詳細に思い出しながら、いつの間にか三ヶ月くらい経っていた。それから一ヶ月くらい経って、それを思い出したところで、ギグはもういないのに、バカみたいだな、と思うようにもなった。そこからまた一ヶ月くらいすると、ギグがいなくなったら、生きててもしょうがないんじゃないか、とさえ思うようになり、ギグとの思い出を堪能し尽くしたら、死ぬことにしよう、と決めた。死んだら、もしかしたらまたギグに会えるかも知れないし。相手は神様だし、俺が転生してギグのことを忘れてしまっても、ギグは俺を見つけてくれるかも知れない。

そうだ。命をかけて俺を助けて、逃がしてくれたくらいなんだから、ギグもきっと俺のことを、俺と同じくらい好きでいてくれてるに違いない。

ギグとの思い出も、迷いの森でイードとやりあったくらいの時期まで辿ることが出来ていた。もう一ヶ月くらいしたら、この思い出を抱えながら死ねるんだと、俺は嬉しくなった。周囲からは、最近明るくなったね、と言われたが、この人達は最後の最後まで、俺の気持ちを理解できずに終わるんだろうな、と、妙に冷めた気分になっただけだった。

どんな風に死んだら良いだろう。ああそうだ、迷いの森が良いな。なんとなく、ギグと近い場所な気がする。あの森の奥深くで、少しずつ少しずつ、死んでいこう。空を見上げて、ギグのことを考えながら、じわじわと餓死していったら、なんだか素敵な気がする。

俺は集落の皆が寝静まった頃を見計らって、そっと里を出た。わざと人気のない道を歩き、夜になればそっと街道沿いを歩き、疲れたら適当に野宿する。そのうち、ギグとの思い出もたどり尽くしてしまうと、ダネットやレビンやリタリー、ヨストにガンツフルト、ドリーシュ、アグリッピとピーナたち……彼らがいなくて、ギグとふたりきりで旅をしていたら、どうなっていただろうと、そんなことを考えるようになった。それはとても素敵な妄想だった。俺は迷いの森までひたすら歩き続けながら、ギグとの二人旅をひたすら妄想した。それはいつの間にか形を成して、まるで直ぐ側にギグが立っていて、俺が死ぬまで見守ってくれているように感じていた。外からは、きっと俺は気が狂った男に見えただろう。ごく自然に、俺は幻覚だろうギグに話しかけながら、本当に二人で旅をしている気分になっていた。

迷いの森に着いたのは、すっかりと日が落ちた夜。晴れていて風はひんやりと頬を撫ぜた。こんな時間に森の中に入るなんて、酔狂にも程がある。だけど、それで良い。ざく、と枯れ草が足元で音を立てた。

「ねえギグ、あの時はどこまで歩いても出口が見つからなくて、結構焦ったよね」

「もうイードの術もないし、帰ろうと思えば帰れるけど」

「……もう、誰も入ってこられなきゃ良いのにね」

「そしたら、ずっと二人きりでいられる」

モンスターも寝静まるくらいの、深い夜。どこか開けた場所があれば良いのだけど。頼りない月灯りを頼りに、森の中をさまよい、ようやく小高い丘らしい場所にたどり着く頃には、空が白み始めていた。

目的地にたどり着いたのがあまりに嬉しくて、熱中し過ぎたらしい。こんなに長い時間歩き続けてたのか。少し驚きながら、地面に腰を下ろした。食料は、持ってきていない。この森にたどり着くまでに全て食べつくしてしまったし、水もない。あとは、寝たり起きたり、ギグのことを思い出したりしながら、死んでいけば良いだけ。

「……結構、長い旅だったね」

ギグとの思い出は、全部なぞり尽くしたから、あとはもう、ギグのことを思いながら、好きだという気持ちを噛み締めながら、時間を過ごすだけで良かった。でもとりあえず、少し眠ろうかな。歩き通しで、少し疲れた。目が覚めたらまた夜になっているかも。そしたら、星を見ながら、ギグのことを考えよう。

「おやすみ、ギグ」

ゆっくりと目を閉じて、ギグの姿を思い出す。あの、綺麗な銀の髪。朝日に侵食されかかった夜空みたいな、青い瞳。得意気に口元を歪ませ、楽しげにガジルに向かっていく姿。俺はあれに触れることさえ出来なかった。もし死んでギグに会えたら、触れるかな。もしギグに触れたら、俺、どうなっちゃうんだろう。ギグだって、ギグがいなくなってから俺がここまで思い詰めてるなんて思いもつかないだろう。好きすぎて、触れたら止められない気がしていた。

ギグの姿を見ることが出来たのは、融合した時と、ガジル界で別れた時。それだけ。夢の中で見たのは、ギグだけど、ギグじゃない誰かだったり、俺が知っているギグとは違う、何かだったりしたから、別者だ。

ギグに、会いたいなあ……。融合している間、たくさん話はしたけれど、面と向かって、ギグのころころ変わる魅力的な表情を見る機会は、とても少なかった。ずっと一緒にいたはずなのに、ズルいじゃないか。下手したら、ガジルとかの方が俺よりもギグの姿を見ている時間が長かったんじゃないかと思う。

――ギグは、俺だけのものだ。ギグと一番長く一緒にいるのは俺で、一番近くにいるのは俺で、一番様々な表情を見るのは俺で、一番多くの声を聞くのは俺でなくてはいけない。そうじゃないと、嫌だ。

(おやすみ、相棒)

聞こえるはずのない、ギグの声を聞きながら、俺は眠りについた。

夢を、見た。ギグと抱き合って眠る夢。夢の中で、また夢を見ているような、不思議な夢。

ギグの、血色の悪い、透けるような白い肌に指を滑らせて、微温い体温を味わう。触れた腹の辺りから、切ないような、心地よいような気持ちが広がって、それは、強烈な飢餓感が満たされていくのに似ていると思った。

目を閉じたままのギグは、すうすうと規則的な寝息を立てていた。その呼吸に合わせて、俺は夢の中で、また眠りに落ちたのだった。

目を覚ますと、当然、ギグなんていなくて、ひとりぼっちで森の中、天を仰いでいるだけだった。夕暮れらしい、橙色の空が広がっている。もうすぐ夜になりそうだな。

ギグの体温が、まだ体に残っているような気がして、ぎゅっと自分の体を抱いてみる。俺は、もしギグに会えたとしたら、どうしたいんだろう。触りたい。じゃあ、その次は?

下着の中できつく張りつめているそれが、ほとんど答えなんだろうけれど、それを認めてしまって良いものだろうか。この衝動をギグにぶつけたらどんな顔をするだろう。軽蔑するかな。喜ぶ……ってことはないだろうな。同情するかな、それとも、哀れむ?

ギグ、会いたいよ。もう一度会えたら、このおかしくなった頭も元に戻るんじゃないかって、少しだけ期待もしてるんだ。会えない時間が長すぎておかしくなってるなら、ギグに会ったら元に戻れる。そんな、楽観的すぎる期待を。

その日は、ギグのことを考えながら一人で慰めて、また眠った。どうか、このまま目覚めることなく死んでますように。

――当然、こんな短期間で死ねる訳なかった。わかっていたんだ。自分の衝動を認めてしまったら、歯止めが効かなくなることくらい。

夢の中で、ギグは裸で俺の腹の上で腰を振って、気持ちよさそうにしていた。あまりに可愛らしくて、勃たせているそれを弄ってやると、甘い声で啼くもんだから、もうダメだった。

こんなの、異常じゃないか。ギグを性的にどうにかしたいだなんて、気が狂ってる。相手は神様だし、同性だし、何より、ギグはもう、いないっていうのに。こんな自分にとってだけ都合の良い夢を見て、自分自身を慰めるなんて、どうかしてる。でも、抑えられない。ギグをめちゃくちゃに乱してやりたい。俺と同じように、相手に溺れて、壊れてほしい。

目を覚まして、べったりと汚れた下着の感触に死にたくなりながら、水場を探した。どんなに汚い濁った水でも、きっと今の俺よりは汚くない。

早く死んでしまえば良い。ギグを汚す妄想ばかりして、それが実現したらどれほど良いかと思いながら、それが絶対に叶うことのない願いだということも知っている。そんなどろどろした気持ちで、ずるずると生きていきたくはない。でもこの最低な気持ちは、こんな妄想をしている自分への罰のような気もして、自殺してとっとと死んでしまうのは、許されないんじゃないかとも思う。

――結局、こんな状態のまま、俺は森の中で過ごし続けた。

ギグを汚す妄想をして、時には自身を慰めながら、自分の中の汚い感情と戦って、眠ればまた夢の中でギグと体を重ねる。一体何日経ったのか、もう、わからなかった。空腹や喉の乾きを感じる時はある。だけど、我慢できないほどじゃない。でも、少なくとも一週間程度は経ったと思う。そんな長い間、飲まず食わずで、こんなに平常でいられるものなんだろうか?

ギグは、俺の喰らう者としての力を奪って、肉体を得たと言っていた。俺はもう、ただの人間に戻ったはずなのに。まだ、人じゃない部分が残ってるってことなのか?

「ふふ、はは……アハハハハハハハッ!!!!!」

思わず溢れる笑い声。だったら、餓死なんて出来やしないじゃないか。ギグがいない世界に意味なんてないのに、黙っているだけじゃあ死ねないなんて、本当に救いがない。

自分の直ぐ側に突き立てて、俺の凶行を見つめ続けていた剣を手に取る。刀身が長すぎて、自殺に使うには不便だ。だけど、もう、こうでもしなければ死ねないんだから仕方ない。

剣の真ん中辺りを、自分に切っ先が向くように、手のひらが切れるのも構わず両手で掴んだ。旅をしている間は、戦いに慣れたせいだと思っていたけれど、いつの間にか痛覚らしい痛覚は失われて久しい。痛みを感じない体ってのは便利だけど、自傷で自らを罰せられないのはよろしくないなと思う。ぶつり、と、肉が切れて血がだらだらと滴った。刀身が骨にあたっている感触がした。まあ、どうでもいいことだ。

ぐ、と手に力を込めて、自分の腹を剣で貫く。もっと早くこうしていれば良かった。どろりと胃から上がってきた血液が、口を満たした。血がだらだらと、口からも、貫いた腹からも溢れ、地面を汚す。

血のように真っ赤な色だ、と、よく自分の髪を評されたことを思い出す。褒めても、貶してもいない、よくわからない評価だけれど、俺は褒められていると思っていた。混じりっけのない、綺麗な色だと。自分がガジル界の人間たちと寸分違わない姿形をしていると知ってから、その自負さえ失ってしまったのだけれど。

「ごほっ……」

自分から溢れた血の海に膝をつく。貫かれたままにしておけば、出血がさほど増えないはずだ。じわじわ死ぬには、これが一番良いと思う。

生臭い、鉄臭い匂いが周囲に広がっていく。ギグは、どんな風に死んだんだろう。ふと、そんなことを思う。少しずつ血を失って、頭がの中で妄想と現実がごちゃごちゃになっている。

妄想の中でギグと一緒に過ごしたことが現実のような気がしているし、触ることはおろか、ギグの姿さえろくに見ることが出来なかった癖に、そんな現実なんてなかったようにも思う。

おなか、すいたな。でも、もう、何も食べたくないよ。

ギグはホタポタが好きだった。寝ている間にホタポタを食べようものなら、烈火のごとく怒り狂うし、起きている間に食べようものなら、うめえうめえと騒いで、うるさくてかなわなかった。でも、そんな無邪気なところが可愛くて、ついついからかいたくなるんだよな。

夢の中、幾度かギグの体を噛み、体液を飲み下し、ギグを味わいもしたけれど、それはホタポタなんか目じゃないほど、ずっと甘くて香り高く、中毒性があった。本物のギグを口にしたら、一体どんな味がするんだろう。そんな機会なんて、絶対にありえないけれど――。

――ギグの声が、聞こえる。

一体どれくらい経ったのかわからない。朦朧とする意識の中、もう終わりが近いことだけはわかった。俺を心配するギグの声。どうして? 死んだら、きっとギグに会えるのに、心配なんてしなくたっていいじゃないか。

うっすらと目を開くと、俺の体を揺さぶって、腹から剣を引き抜くギグの姿があった。抜かれたそばから血液が溢れだす。ギグが傷口に手を添えて、癒そうと試みているのが見えた。これは、現実なんだろうか。それとも、いつも見ている幻覚?

「――相棒、しっかりしろ! なんでこんなことしたんだよ!?」

泣きそうな顔で、俺を責めるギグ。こんな顔、想像さえしなかったな。

「こうしたら……ギグに、会えるって、思ったんだけど……本当、だったんだね」

「――馬鹿! 本当に、なんで、こんな……こんなのって、ねェよ……」

いよいよギグの瞳から涙が一滴溢れ、俺の頬に落ちた。ギグの泣き顔が見られるなんて、俺は幸せ者だね。頬に落ちた涙は、運良く俺の唇めがけて垂れてきた。それを舌で舐めとると、口の中に広がった鉄臭ささえかき消すほど、甘くて爽やかな良い香りがした。ふふ、やっぱり本物のギグも、美味しいんだね。

俺の頬を、ギグの指先がなぞる。想像した通りの微温い体温。あったかいな。

痛みは感じないけれど、体が冷たくなって、指一本さえ動かせない。こんなに近くにいるのに、こちらから触れないなんて、俺はやっぱり馬鹿だったかも知れない。

「……ギグ、会いたかった、ずっと……」

「……オレもだよ、馬鹿」

「最後に……会えて、良かった……」

「――ッ!」

ぼんやりと白く濁っていく視界の中で、ギグの綺麗な青い目がじわじわと広がっていく。死ぬ寸前に見る光景が、ギグの目の色だなんて、素敵だ。

「ぐぁ……ッ」

と、そう思うと同時に、首に衝撃が走る。微かに伝わる感触から、ギグが俺の首を絞めているとわかった。最後に、ギグが止めをさしてくれるっていうのか。本当に、俺ってヤツは幸せ者だ。

「畜生、また、お前に会えるまで待たせる気かよ……ッ!」

ぎりぎりと締めあげられながら、これがギグの愛情なんだと思うと、嬉しくてたまらなかった。

そして意識を失うまで、俺は笑っていた。

気が付くとそこは、真っ暗な空間だった。何もない、闇。でも、何故か不安な気持ちにはならなかった。

「あなたはどちらの性を望みますか?」

頭のなかに声が響いた。優しげな、女性の声。

「……男がいいな」

今までだって男だったし、女になるなんて、考え付かない。

「では、あなたの望みの名は?」

「……」

名前。俺の名前? 俺の名前って、なんだっけ?

そもそも、なんでこんなところにいるんだ? 俺は、今まで何をしていたんだ?

思い出せない。何も、何も。

「……ギグ」

そうだ、ギグだ。でも、ギグって、誰だ?

「……とても、あなたらしい名前ですね……」

女性の声なんて、ほとんど頭に入ってこない。何もない真っ暗闇の中、小さな光が見える。

「我々は、世界は、あなたの選びし道を受け入れることでしょう。さあ、おゆきなさい」

あの光の先へ行けば良いのだろうか。あそこに行けば、何かがわかるかもしれない。

「あなたの周りに、行く先に、幸いのあらんことを……」

探さなきゃ。ギグを。名前しか手がかりはないけれど。光の先へ手を伸ばし、俺はまた、意識を失った。

終わり

wrote:2015-04-29