最後の願い事

殺しから戻ってきたそいつは、いつも通りに俺に事の次第を報告して、部屋から出て行った。そう、いつも通り。俺の命令を忠実に聞いて、しっかり相手を殺して、無傷で戻ってきた。体に染み付いた血の臭い。俺より十二も下の癖に、俺よりずっと多くの人間を手に掛けて、何でもない顔をしている。

ああ、良いものを拾ったな。あいつが出ていったばかりの扉を見つめながら煙草を一息吸って、そう思う。ゴミみたいに捨てられていた子供を、気まぐれで育ててみただけなのに。人間の癖に、セプーよりも素早く、力もあって、下らないことを考える事もない。命じられたことを、淡々とこなすだけの、上等過ぎる道具。

俺に心酔仕切っていて、疑うこともない。飴を与えなくても、ただ俺に従っていることだけで満足する、その都合の良さ。自分でそう育てておいて、反吐が出そうになる。

この世界の何もかもが嫌いで、搾取される側だった連中を集めてこの組織を作り、搾取する側に回ってやろうとしたはずだった。それなのに、こいつだけは、何も得るものが無いままに、俺に従っている。

他の連中には衣食住のほかに、それなりの金を渡している。なのに、組織を作る前からずっと一緒にいたこいつにだけは、何も渡していなかった。いらない、使いみちなんて無い。そう言うこいつに、無理矢理金の入った袋を渡したものの、部屋の机の上に無造作に放り投げられて、埃をかぶっているのを見てからは、もう、何も渡さなくなった。本当に、俺に必要とされることだけが、こいつにとっての報奨金らしい。

古城を改造して作った拠点は、石造りでところどころ傷んでいる。つまり、どういうことかというと、隣の部屋の音が酷く響くのだった。部屋に戻って休んでいるあいつの、耳障りな咳が、こちらの部屋にも届くくらいに。

あいつが仕事に出ている間、こっそりと部屋を見に行ったことがあった。血塗れの布切れが、ゴミ箱の中に無造作に押し込められていて、その下手糞過ぎる隠蔽工作に、むしろ笑えた。新入りの療術師に、あいつの様子を診てやれと命じた結果、返された言葉は、人殺しをさせている場合じゃない、動けているのが不思議なくらいだ、という、呆れたら良いのか驚いたら良いのか、それとも悲しんだら良いのかわからない、そんな返事だった。

それから、あいつが仕事から戻る度、顔を合わせるのが恐ろしくてたまらなくなった。病に侵されている癖に、俺に対する態度は、何も変わらない。いつも通りに殺して、いつも通りに俺に報告して、いつも通りに部屋に戻る。いつもと違うのは、夜中に聞こえる咳の音が、日に日に酷くなっていくことだけ。

具合が悪いなら、しばらく休んでいろと言うと、あいつは眉を顰め、どうしてそんなことを言うんだ、俺の事、必要じゃなくなったのかと、絞り出すような声で叫んだ。違う。そういう意味じゃない。それなのに、あいつは、アンタの言うことを聞いて、そうして死ぬなら本望だと、それだけ口にして部屋に戻っていくから、もう何も言えなくなった。

目に見えて酷い顔色になって、足元をふらつかせながら、それでも俺に次の仕事の話を聞きに来る。今度こそ、こいつが戻ってこないんじゃないかと思いながら、せめて近場の仕事を指示しようと、地図を開いた時だった。ふらりと意識を失って、椅子から崩れ落ちるそいつを、俺は異常な程の素早さで受け止めた。

ひゅうひゅうと細い息を吐いていたそいつが、血を吐いて意識を失った瞬間、俺は遠い昔に忘れたつもりの何かを思い出しそうになっていた。

ベッドと机以外、何もない部屋。血生臭いのは、こいつの体に染み付いた血の臭いのせいなのか、こいつが吐き出したもののせいなのかはわからない。枕元には、溢れた血がシーツに赤い染みを作っていた。

随分と軽くなった気がするそいつの体を、そっとベッドに横たえる。かろうじて生きている、そんな感じだった。少年と青年の間、そんな若い体温は、こいつの体からは感じられない。冷たい、死に行く人間の、触り慣れた体温。

机の側の椅子を引っ張り出し、ベッドの隣に腰を下ろした。あと数時間で、こいつは死んじまう。どうして。俺のせいなのか。俺が、こいつを大切にしなかったから。大切にするって、そもそも何なんだ。こいつにとっての幸せは、俺に利用されることだった。こいつを不幸にしてまで、甘やかして、愛してやれば良かったのか。

どれくらいの間、そいつの顔を眺めていたのか。生きているのか死んでいるのか、表情からはわからない。僅かに聞こえる呼吸音がいつ掻き消えてしまうのかと、気が気じゃなかった。積もり積もった仕事など、頭の中からさっぱり消え失せている。

死にかけの子供だったこいつに殺しの手管を叩き込んで、仕事を始めさせてから十年近く。ここ何年も、こいつのことを気にかけることなんて無くなっていたのに、いざ死ぬ間際になってみれば、あれこれ下らないことを思い出して、駄目だ。

すう、と、ゆっくりと目が開かれて、暗い瞳が、所在無く宙を泳いだ。

「目ェ覚めたかよ、親友」

努めて平静を装って声をかける。辛そうに頭をこちらに向けると、そいつは消え入りそうな小さな声で話した。

「……ずっと、そこにいたの」

「ああ」

「仕事は」

「阿呆か、そんなこと思い出させんじゃねェ」

「……おれのことなんて、ほっておいていいのに」

「ふざけるなよ」

「ふざけてなんてないよ、あんたの邪魔はしたくない」

こいつってヤツは、どこまで阿呆なんだ。利用してもらえないなら、せめて邪魔にならないように死にたいだと? 最期まで、どうして俺から何かしてもらおうって思えないんだ。いかれてやがる。そうなるように育てたのは俺だってのに、ここまで徹底されると薄気味悪い。居心地が悪い。遠い昔に捨ててきたはずの、良心のような何かが、じくじく蝕まれていくような感じさえする。

「俺の見てないところで勝手に死んだら、殺すぞ」

「……じゃあ、行って良いよ。死んだりしないからさ」

「嘘つくな。お前、もう死んじまうだろ」

「……だったら……あんたが、ころしてよ……」

役に立たないようなら殺すと、出会った時に言った。お前は俺のものだとも。その時のことは、一言一句、全て覚えている。こんな結末になるなんて、思ってもみなかったが。

死ぬ間際の最後の願い事が、最初に出会った時の約束を果たせだなんて、本当にお前は、欲の無い男だ。

腰からナイフを取り出して、鈍く光る刀身を見つめる。何人も殺しているのはお互い様だが、いつの間にかお前の方が、殺した数を上回っちまったな。

「……今までご苦労だったな、親友」

苦しまないように、心臓を一突き。久しぶりで手元が怪しいかとも思ったが、どうしたら良いかは体が覚えていた。薄くなった肉と内臓を貫いて、赤い液体がじわりと服とシーツに滲む。目を閉じて、満足そうな顔でそいつは死んだ。呻き声一つ上げずに。

戯れにと、名前のないままに利用してきた子供。親友というのも、遠い昔に捨てたつもりの何かを皮肉って付けた呼び方だった。俺から与えたものは、何もかも、いい加減なものばかり。唯一真面目に叩き込んだのが、人の殺し方だけとはな。ああ、だからこいつは、それを一番大切にしてたのか。阿呆らしい。

煙草に火を点けて深く吸った。窓から見える朝日が妙に眩しい。煙もやたらと目に染みる。この部屋が埃っぽいのもいけなかった。ぼやけた視界。こんなんじゃ、仕事にならねェな。もうしばらく、この部屋で頭を冷やさなきゃならないらしい。

久しぶりに嗅いだ新鮮な血の臭いは、妙に懐かしかった。それは煙草の臭いと混じって、こいつを拾った時の焼け焦げた街の臭いを思い出させる。あの時、妙な親切心なんぞ起こさなきゃ良かったんだ。そうすりゃあ……いや、やめよう。馬鹿馬鹿しい。どう転んだって、碌でもない事になるのは変わらないのだから。

埃だらけの部屋を出て、手近な部下に部屋を片付けるように命じ、俺は仕事部屋に戻った。脚が妙に重い。うず高く積まれた書類の山を見る気にもなれない。それでも、やることはやらなければ。好きでしていることのはずなのに、何の為なのか、俺にはもう、良くわからなくなっていた。

終わり

wrote: 2015-10-24