ふたりぼっちの地下室

目を覚ますと、そこは薄暗く湿っぽい地下室だった。ベッドの上に寝かされて、両手足を鎖で繋がれているらしい。見慣れない天井、見慣れない石壁。壁に備え付けられた魔術的な灯りが、ぼんやりと辺りを照らしている。ここは一体どこなんだ。

朦朧とする頭で記憶を辿る。ああそうだ、大口の取引相手の所へ向かう途中、懐かしい顔を見かけて、慌てて身を隠そうとして――ぐらりと頭が揺れて、体に力が入らなくなって。そこから先の記憶はない。

ゆっくりと体を起こす。ずきりと痛む頭を抱え、改めて辺りを見回す。それなりに広い部屋ではあるらしい。暗さに目が慣れて、よく目を凝らすと、生活に必要な設備が全てこの部屋に収まっているらしいことがわかった。排泄する場所や水浴び場らしいものも、簡素なものではあるが付いているし、机と本棚――本が二三冊置かれているだけだが――さえあった。今横になっているベッドだって、それなりに上等なものらしい。悔しい話だが、俺がアジトで使っていたベッドよりも寝心地が良さそうだった。

問題なのがこの、両手足に繋がった鎖。分厚い鉄の輪は、どうやっても外せそうにない。鎖が長いおかげで、この部屋の中を移動する分には苦労は無さそうだが、この鎖に繋がれている限り、この部屋から出ることは敵わない。鎖の先が取り付けられている壁を見るが、残念ながら、素手でどうにかなるようなものでは無かった。ゴツい南京錠で止められている。服をまさぐったが、武器になるものは全て取り上げられ、ナイフ一本持っていなかった。

一体誰が、何のために、ここに俺を閉じ込めているのか。そして、この先俺はどうなるのか。何もわからない。ヒントになりそうなものは、何も無かった。

強いて言うなら、最後に出会った相手。あの、お人好しで、身分違いも甚だしい俺を親友と呼んだあの人間。俺もそいつを慕って、親友だと呼び返して、そして――。ああもう、思い出すのも嫌になる。そいつを守ろうとして、底の底まで落ちぶれて、迎えに来ると言ったあいつの言葉も忘れて――忘れたことにして、どうにかして這い上がって来たってのに。

もう一度、ベッドに横たわる。乱暴に体を投げ出したってのに、固くもないベッドは心地よく軋んだ。暗い天井を仰いで、いよいよ年貢の納め時か、と覚悟して、息を吐く。半ば自棄もあってやりたい放題汚れ仕事をしてきたが、多くの部下を抱えるようになってからは、そいつらのためもあって、もっと稼がなければと動いて来たつもりだった。悪党なりの矜持もあったし、生き方を後悔するのは、随分昔にやめてしまった。

親友との約束を思い出すことも減ったし、それはそれで懐かしい記憶として追いやって、あいつももう、俺のことなんて忘れちまったと、そう思っていたのに。だからこそ、あいつの弟をそれと気付かずに手元に置いて、重用してたってのに! どうして今更になって、こんなことをしてくれたんだ。畜生。もうおしまいだってのかよ!

「――!」

ギィ、と、重苦しい音を立てて、分厚い木製の扉が開いた。同時に、中に入ってきたのは、最後に見たあの男。

「……よぉ、クラスターさんかい。久しぶりに会ったってのに、随分な仕打ちじゃあねェか」

頭痛に耐えて体を起こし、軽口を叩いても、親友は無言のまま。こつこつと規則的な足音を立てて、こちらへと歩み寄ってきた。暗がりのせいで、表情は見えない。

「……せめてこいつを外して貰えたら嬉しいんだがなァ、邪魔くさくていけねェや」

「それは駄目だ。ロドには、ずっとここで暮らして貰うんだからな」

「……は?」

ようやく口を開いた親友は、ぞっとする程冷たい声で、とんでもないことを口にした。

ぎしりと、二人分の体重を受けてベッドが軋む。俺の上に馬乗りになった親友は、ことの顛末を淡々と俺に告げた。逆光で薄くしか見えない表情が、逆に恐ろしくなるようなことを。

俺を拘束した後、自分の軍隊を俺の組織に送り込んで壊滅させ、さらには自分の弟を、俺の代わりに組織の頭だと決めつけて処刑したのだと。そしてそれは、もう一週間も前のことだと。俺は随分と長い間、眠らされていたらしい。

話に頭が追いつかない。だというのに、呆けた俺の頬をそっと撫でながら、そいつは満面の笑みでこう言った。

「これでもう、安心だろう? もう、何も考えなくて良いんだ。私に任せてさえいれば、あの頃のように幸せでいられるんだからな」

冗談だろ。何が安心だって言うんだ。あの頃のことは……確かに、幸せだったと言われればそうかも知れないが、いつまでも子供の頃のようにはいられない。それに……身内を殺したことをすっかり頭から忘れ去って、俺の部下たちを皆殺しにしておいて、どの口が言うんだよ。

言い返したいことは山程あった。築き上げてきたものを一瞬で壊されたことがショックでもあったし、そんな、昔の思い出に執着して、それを押し付けようとするのにもぞっとした。けれど、こいつのしでかしたことの異常さが、言葉を紡がせてくれない。

「ああ……私のロド、私だけの……」

きつく体を抱きしめられて、俺はいよいよ震えた。なんだ、これは。ただ忘れられるだけの方がずっとマシだ。ずっと、もう十年以上もの間、こいつは俺のことだけを考えて生きてきたってのかよ。その結果がこれだって? そんなの、狂ってる。

「もう離さない……誰にも、手出しはさせないからな」

「あ、あ……は、離せッ!」

恐ろしくなって、ようやく親友を突き飛ばす。随分長いこと寝かしつけられていた体では、大した力は出なかった。それでも、どうにか相手を引き剥がすことには成功した。下手に反抗したら何をされるかわからないと気付いたのはその直後。心臓が煩い。純粋な恐怖で、動悸がした。

「……そうか、そうだよな」

だが、諦めたような、申し訳ないような、そんな親友の声に、激昂されずに済んだのかとほっとしたのも束の間、

「私が迎えに行くのが遅くなったから、怒ってるんだろう? それはすまなかったと思っているよ……だから、機嫌を治してくれ、ロド」

全く異なった意図として受け取られて、俺はまた、脱力した。再び俺の上に覆い被さった親友は、俺の服に手をかけて、するりと肌に指を滑らせた。

「……ッ、止めろ! 触るんじゃねェ!」

「きっとすぐに素直になるさ……あの頃のようにね」

両手の枷が邪魔をして服を全て脱ぎ去ることは出来なかったが、親友は限界まで俺の衣服を剥ぎ取ると、そこかしこを確かめるように触れた。時折愛おしそうに唇を落として、嬉しそうに息を吐く。それは確かに、何も考えずに親友と街を駆けずり回って、楽しく過ごしていたあの頃、幾度か肌を重ねた時の仕草とそっくりだったのだけれど……今となってはそれは狂気を感じる以外の何ものでも無かった。

「随分大きくなったな……もう十年以上も経つから、当たり前か」

あの頃、確かに俺は背も低かったし、歳相応以下の貧相な体つきをしていた。今となってはそれなりに筋肉もついて、あの頃には無かった傷跡もあれば、刺青まで施されている。あの頃とは似ても似つかない見た目になっているだろう。身長だって、親友を追い越してしまっていた。

でも、変わってしまったのは親友だって同じだ。まだ若いはずなのに老けこんでしまっているし、気にしていた頭髪はかなり後退している。体つきだけは歳相応に男らしいけれど。だが、そんなのは些細な変化に過ぎない。外見よりも、親友はきっとその中身の方が変わってしまったのだ。俺のことだけを考えて、自分が思う幸せを押し付けて。そんなヤツじゃあ、絶対に無かったのに。

結局その日は、裸に剥かれて体を隅々まで触られて、それだけで終わった。犯されるかと思っていただけにある意味で拍子抜けしてしまったが、それがかえって異常に思え、どうにかしてとっとと脱出しなければという気持ちにさせられる。

とは言え、焦って下手なことを口にしたら、何をされるかわからない。機を伺って、その時を待つしか、今出来ることは無さそうだった。こいつが何を考えているのかも、正直言って図りかねていた。

それから一ヶ月は同じような状態が続いた。三食食事は出されるし、稀に酒や煙草も届けられる。水浴びの時は手枷と足枷を交互に外されて服を脱ぎ、監視の下とは言え体も洗える。脱がしやすそうなバスローブのような形状の服を着替えとして渡された時は呆れたもんだが、文句を言う訳にもいかない。

逆らったら何をされるかわからないと思っていたが、反抗的な態度をいくらとっても、俺が拗ねているからだと捉えてしまう親友には、そもそも何を言っても、何をしても無駄だった。当然、鎖を外してもらえることもない。当たり前だ。逃げ出そうとするのが目に見えている相手を、むざむざ自由になどするはずがない。

ただ、親友は、俺に危害を加えようと言う気は一切ないらしい。只管、俺を自分のものにして、愛でたいのだと言う。だとすれば……大人しく従っておいて、自然に枷を外してもらうのが一番早いだろう。肉体労働は得意ではないが、人間族に比べれば、それなりに身体能力は高い方だ。商人でしかない人間族くらい、どうにでもなる。

悟られないように、ゆっくりと歩み寄った振りをして、逃げ出すしか道はない。

そして、半年余りが過ぎた。

どうにか動ける範囲で体を動かそうとするものの、あまりに何もすることのない生活ですっかり筋力も落ちてしまった。せめて武器の一つでもあればと思うのだが、そこは異常なまでに用心深い親友のこと、武器になりそうなものは一切この部屋に持ち込まれなかった。

食器でさえ、スプーンがあれば食えるようにすでに切り分けられたものが運ばれてくる徹底ぶり。酒瓶も持ち込まれることは無く、酒が注がれた薄いガラスのグラスを渡されるだけ。これじゃあ、どうにもならない。試しに割ってみたものの、粉々と言って良いくらい粉々に砕けてしまった。

両手の枷も鎖で繋がれて、腕を動かすことの出来る範囲にはそもそも限界があった。テーブルを持ち上げて投げ飛ばして攻撃する、なんてことはそもそも出来そうにない。

三ヶ月程前から、親友は体に触れるだけではなく、俺の体を触りながら自身を慰めるようになっていた。俺の名前を呼びながら、好きだと囁きながら。いよいよもって、犯されたほうがマシだと思った。妙に覚めた頭で、かつての親友の痴態を見せつけられて、不愉快にも程がある。それならいっそ抱かれて馬鹿になった方が、自分の中の快感を追いかけられるだけ救いがあった。

そもそも、体に触れられるだけとは言え、性感帯には特に触れようとしない親友の意図がわからない。あの頃に戻りたいと思っているのなら、とっとと抱いてしまえば良いのに。

不信感は募るばかりだが、それでもなるべく従順で逆らわないように、話を振られたら、それなりに和やかに対応して、表面上はそれなりに仲良く過ごして……そうしているうちに、これが演技なのか本心なのか、よくわからなくなってきていた。

相変わらず親友が何を考えているのかはわからないし、俺をこの部屋に閉じ込め続けていることはあまりに異常だし、恐ろしいことは恐ろしいのだけれど、確かに、昔のことを思い出すことが多くなって……俺の方こそ、こいつにあの頃のような、夢と将来への希望に満ちた青年に戻って欲しいという気持ちになっていた。

俺のことを気にし続けて壊れてしまった親友を見ていると、忘れてしまったつもりでも、どうでも良いと思っていたつもりでも、それでも……哀れだと思う。俺なんかのことは綺麗さっぱり、いい思い出として割りきって生きていけたなら、今よりずっと幸せでいられただろうに。弟を殺すことだって、きっと無かったに違いない。

だが、哀れだからという理由だけで、いつまでも閉じ込められ続けている程、俺はお人好しではない。こんな薄暗い部屋の中で一生こいつの世話になり続ける人生なんて、自由の無い人生なんて、御免だ。

ベッドの縁に腰掛けながら、俺は親友が入ってくるのを待っていた。そろそろ、頃合いだと思ったからだ。

昼。ドアがギィ、と開く音がして、親友が昼飯を届けにやってきた。この部屋には、鍵はかけられていない。鎖はどうやったってドアには届かないから、かけておく必要は無いのだった。

「なァ、親友。そろそろこいつを外しちゃくれねェかい」

テーブルの上に食事の載った盆を置く親友に、じゃら、と鎖を鳴らして、手枷を掲げた。せめて自由に水浴びなりなんなりさせて欲しい。やりづらくっていけねェ。そう言うと、親友は少しだけ考えて、頷いた。

「そうだな……もう逃げ出そうなんて考えたりしないだろうしね」

「……ああ、アンタの側にいられりゃあ、それで満足だ」

十数年前なら、心の底からそう言えていただろう言葉を吐くと、親友は嬉しそうに穏やかに笑った。それが、あの頃見た笑顔と重なって……ほんの少しだけ、胸が痛む。俺も随分とヤキが回ったもんだ。

親友は靴の中から一本の鍵を取り出すと、手枷と足枷に開いていた鍵穴にそれぞれ差し込み、かちゃりと回した。やった。ようやく、全ての枷が同時に外された。自由だ。これでもう、こいつの顔色を伺う理由なんて無い。

「――ッ、ロド?! 何を――」

俺は親友は力いっぱい突き飛ばし、ドアに向かって駆け出した。尻餅をついた親友は、待て、どこへ行くつもりだ、と叫んでいる。木製のやたらと重いドアを開けて、あの部屋よりも更に薄暗い廊下を駆ける。やった、このまま行けば逃げ出せる。体力も筋力も落ちたとは言え、人間族程度に追いつかれる足はしていないはずだ。緩い布を纏っただけに等しいような酷い服装だが、素っ裸よりはマシだと思うことにした。服なんて何処かからかっぱらってくればいい。

等間隔のランプ灯りを見送りながら、俺は必死に廊下を駆け抜け――そして。

「嘘だろ……」

どれだけ厳重なんだよ! 畜生! 目の前には、これまた分厚い鉄の扉。押しても引いてもビクともしない。鍵がかけられているらしい。内からなのか、外からなのかはわからない。

「おい! 誰か! 誰かいねェのか!?」

望み薄なのはわかっていたが、出来る限りの大声を上げて助けを呼ぶ。何度も拳を叩きつけながら叫び続け、そのうち――背後から、こつこつと革靴が床を叩く音が響いてきた。

「……駄目じゃないか、外に出るなんて」

「あ、あ……」

笑っているのに、笑っていない。あの部屋より薄暗い廊下だからか、余計にその笑顔をが恐ろしく見えた。

「いけない子だ……私を裏切ろうとするとはね」

親友は服の胸ポケットから小さな袋を取り出し、中身をさらさらと撒いた。と同時に、体から力が抜ける。脚に力が入らずに、ふらりと倒れそうになるのを親友に受け止められて、そのまま肩を借りながら、俺は元いた部屋まで連れ戻されることになった。その間、親友は一言も喋らずに、ただ黙って歩き続けていた。

そして薬が全身に回る頃、ようやく部屋に辿り着いた俺は、そのまま意識を失った。

体中がギシギシと痛む。寒い。いつもの部屋。冷たい石壁に、背を預ける形で裸のまま拘束されているらしい。両腕はまとめて頭上で固定され、ビクともしない。今更になって、全力で鉄の扉を叩いたことを後悔した。ただでさえ拳が痛むってのに、手首は鉄の枷が食い込んで辛い。薬が残っているのか、うまく体に力が入らない。頭がくらくらして、気を抜くと眠ってしまいそうだった。

それなのに、寒さと痛みで微睡むのがやっと。口には布が詰め込まれて、うめき声を上げるくらいしか出来ない。眠っているのかいないのか、という状態が続いたままでは時間の感覚も薄れて、あれから何時間経ったのかもわからなかった。定期的に来るはずの親友の姿も、いつまでたっても見えないまま。

飲まず喰わずで、一体どれ位の時間が過ぎたのだろう。排泄したくても出来ない状態が続けられて、いい加減に限界だった。この歳になって失禁なんて笑えないが、このまま放っておかれたら、間違いなく漏らしてしまう。周囲に汚してしまいそうなものは何もないが、ヒトとしてそれはどうなのか。

そう葛藤しておいて、待ち望んだ人影が現れて、ほんの一瞬でも安堵してしまった自分を殴りたくなった。自分をこんな目に合わせている張本人が、俺を気遣って用を足させてくれる道理なんてあり得ない。

「……起きたかい、ロド」

俺の目の前に立つ親友は、いつもと変わりない口調でそう言った。起きたも何も、眠れていない。だが、そう言い返す術は無い。

「本当はこんなことはしたくないのだが……いつまでも素直になってくれないなら、仕方ない、そうだろ?」

もしかしたら、もう、こうなることは想定済だったのかも知れない。こんなことはしたくないだって? ふざけるなよ。ああやって、あっさりと枷を外したのからして、もう罠だったんじゃあねェのかよ。

きつく親友を睨みつけると、そいつはにっこりと笑って、俺の前にしゃがみ込み、そっと頬を撫でた。

「ほとんど丸一日放っておいたのに、漏らしてもないとはね。でももう、限界なんじゃないのかね」

つう、と臍の辺りを撫でられて、びくりと体が震える。駄目だ、嫌だ、止めろ。俺の心境を全て見抜いているだろう親友は、下腹をなぞると、ぐっと力を込めた。

「はは、こんなに漏らして……いけない子だ」

下肢を濡らしていく熱い液体。それを見て、幼子を窘めるように笑う親友。こんなことを続けられたら、頭がどうにかなりそうだった。これなら、飼い殺しの方がずっとマシだ。排泄さえこいつに管理されて、良いように弄ばれるよりは、ずっと。

「さて、このまま放っておいても良いんだが、ロドがもう逃げない、ずっと私の側にいると心から誓ってくれたら……開放してあげよう。どうかな?」

「……」

口枷も外さずに尋ねる親友に、俺は黙って頷いた。どうやっても、この男には敵わない。いくら反抗したところで、それを叩き折る術を、こいつは幾つも持っている。最大限の優しさでもって、それを行使しなかっただけ。

こいつに従ってさえいれば、確かに幸せなままでいられるだろう。それは不幸で無いだけの、不自由さの塊のような生活だけれど。いや……この世界に、完全に自由に好き勝手して生きているヒトなど、ほんの一握りに過ぎないのか、そもそも。誰だって、何かしらの不自由に縛られて生きている。俺にとってそれが、地下のこの部屋の中でしか生きられないという、それだけの話なのだ。

そしていつもの、鎖に繋がれた日々に戻った。変わったことと言えば、外に出ることをすっかり諦めてしまったことくらい。親友とは相変わらず、稀に他愛のない話をして笑い合い、食事をして、たまに一緒に煙草をふかして、そして本当にたまに、一緒に酒を酌み交わしたりもした。

親友は俺の枷を外したり、身の回りの世話をすることを、本当に、なんでもない、日常のルーチンの中の一つとばかりに、淡々とこなす。もうこれを、おかしいことだと思っていないのだ。

隠れて体を動かすようなことも止めたせいで、すっかり体はなまってしまい、それなりに筋肉のついていた腕も細くなった……気がする。もう外に出ても、元の仕事には戻れそうにない。鋼鉄製の枷と鎖を引きずって部屋の中を動き回るから、そのための力くらいは残っているが。

親友との関係は、正直言ってよくわからない。こうして監禁されていることを恨む気持ちもあるし、組織を壊滅させられたことも、今更になって迎えに来たことも、思うところが無い訳ではない。けれど、おかしいながらも、親友は俺のことを好きで、愛しているのだと思えば、それを無碍には出来ないと、そう思うのだった。

実際、俺が生きるのに不便が無いように計らってくれるし、食事も酒も煙草も上等のものばかりを与えられている。物に釣られているという訳でもないが、それが親友なりの愛の形なのだろう。そもそも、指名手配されている俺を助けるには、確かにこうして監禁するしか道は無いのかも知れない。俺もおかしくなってしまったのだろうか。わからない。考えるのも、段々と面倒になってきていた。

脱走して連れ戻されてからしばらくして、俺は十数年ぶりに親友と寝た。裸に剥かれてベッドの上に両腕を固定されて、身動きが取れない状態にされながら――というのを、真っ当に抱かれたと表現するのなら、だが。

それでも、壊れ物に触るように、気遣い過ぎなくらいに俺を気遣いながら、本当にゆっくりと体を開かれて、互いに満足するまで抱かれてみれば、監禁されているということさえどうだって良くなってしまうのだから、始末に負えない。

行為の最中、親友が幼い俺を抱いていた時のことを思い出して泣けてきて、よしよしと頭を撫でられると、妙な安心感で満たされて、手枷のせいでしがみつけないのが悲しくなって、また泣いてしまった。

「ようやくあの頃に戻ってくれたな」

終わった後にそう言われて、俺は、ああ、そうか……、と妙に納得した。何も不安なことなんて考えず、ただ只管にこの親友と一緒にいられる時間だけが、生きてる実感が得られる瞬間で……そういう意味であれば、それはきっと、あの頃と同じだと言っても構わないと思う。声を上げて泣いて、何度も親友の名前を呼んで、抱きしめられるのが幸せで仕方なくて、それからもう、俺は、元の生活に戻ることを、すっかり諦めてしまった。

行為の時だけ外される枷。もう逃げる気なんて無いけれど、親友が安心するならと、行為が終わった後は自分から腕と脚を差し出すようになった。それがおかしいことだと、俺もまた思わなくなっていた。かしゃりと鳴る鍵の音に、妙に安心してしまう。

仕事もある親友は、俺のいる部屋にずっといられる訳ではない。親友が来ない間、俺は只管眠ったり、親友が寄越してくれた本を読んだりしながら、寂しさを誤魔化して生きなくてはならなくなった。

夜は長く一緒にいられるけれど、食事を持ってくるだけの朝と昼は、親友はすぐに部屋を出て行ってしまう。早く戻って来て。寂しい。ずっと側にいて。そう、親友にすがりついてしまいたい気持ちを抑え、夜を待つ時間のなんと長いことか。

そろそろ、親友が部屋に来てくれる時間だ。もう、上等な食事も、酒も、煙草もいらない。側にいて、もうどこにも行かないで欲しい。それを口に出来ないのも、あの頃の自分と変わらないと思うと笑えてくる。

ギィ、と扉が開く。待たせたね、と親友が俺に笑いかけ、そんなことはないと返した。じゃらりと鳴る鎖を引きずりながら、食事が置かれたテーブルへと脚を進める。親友は俺の姿を見て安心したように笑い、今日の出来事をとつとつと語った。それに相槌を打ちながら食事をして、それが終われば、二人でベッドに転がり込む。

今日も明日も変わらない、幸せな生活。この人の側にいられれば、ずっと幸せでいられる。何も心配しなくて良いんだ。

熱い親友の体温に包まれながら、俺は枷が外される金属音に耳を澄ました。自由になった手を親友の体へ伸ばして抱きつき、胸板へ頬を擦り寄せて、愛しさを込めて唇を落とす。優しく頭を撫でる親友の手のひら。それが余りに心地良くて、もっともっとと強請った。

なんだか、どんどん幼くなっている気がする。親友は親友で、幼い子供にするように、俺の体を甘やかす。このまま、あの子供の頃に戻ってしまったら……と思って、頭を振った。それはそれで、俺も親友も、きっと幸せなのだろう。

親友の指先が肌の上を滑るのを辿る。あの時に比べて、かさついた親友の指先。あんたも、あの頃に戻れたら良いのに。そしたらきっと……。そう考えて、すぐに止めた。何も考えなくて良いと言ったのは親友の方。俺は自分に触れる親友の肌の感触だけを味わって、頭の中を空にした。

終わり

wrote:2016-08-11