悪戯なそよ風

明日、デートしましょう。そう言われて浮かれていたのは認める。お店に定休日はあるけれど、お休みの日こそ試作品を作ったり、家の事をしたりして過ごしているおかげで、純粋に二人が楽しむための時間は少なかった。それでも、二人で何かをしているのがそもそも楽しいのだから、それに大きい不満を持つことも無い。

……とは言え、二人で何処かに出かけて、それこそリタリーの店にやって来る恋人達のように過ごすのは、憧れがあった。だから、リタリーのその提案に、驚かれるくらいに喜んでしまったのは当然と言えば当然の事だと思う。朝から浮かれて、いつもより声を張って接客をして、厨房のリタリーに笑われて機嫌を損ねずにいられたのも、そのせいだ。

だから、家に帰って、明日着て欲しいと言われて渡された服を見た俺の落胆と言ったら無かった。珍しい事を言い出したのもそのせいか、と。

それなりに長い付き合いだから、リタリーがこう……女性が好むような可愛らしい服を着るのが好きというのは、仕方がないものだと受け入れている。だけど、俺にまでそれを強要するのは止めて欲しい。

渡された服は、膝丈の花柄のワンピースにカーディガン。それだけならまだしも、小さな紙袋にはちょっと常識を疑うような形の下着まで入っている。こんなの、普通の女の子でも着けないよ。黒い紐と狭すぎる面積の布地で構成されたそれは、どう考えても色んな物がはみ出す……というかなんというか……。

淡い色合いの可愛らしい服と、際どい下着。ついでに、歩きづらそうなヒールの靴。それらを目の前にして、俺はがっくりと肩を落としてため息をついた。

初めて会った時は、そんな人だとは思わなかったのになあ。俺が里の外で初めて出会った、真っ当な、普通の人。俺のことを良く気遣ってくれて、優しくしてくれて、支えてくれた人だ。そんなリタリーを好きになったのは自然な流れだったと思うし、それは間違ってないと胸を張って言えるつもりだった。

色んな事がおかしくなってきたのはいつからだったか。旅が終わって両思いだと知って、一緒に暮らすようになって、リタリーがお店を持って、リタリーに女装するのが好きな趣味があると知って――それでおかしい気がしていたのに、いつの間にか一線を越えていたのが、決定的な瞬間だった気がする。それでもやっぱり、リタリーが好きなあたり、俺も大概だった。

こんなんじゃダメだと思うのに、翌日、俺はいそいそと渡された服を身につけて、リタリーの隣を歩いていた。

「ちゃんと着てくれて嬉しいですよ」

リタリーは俺の肩を抱いて、そう言った。いつも店で着ている服とはまるで違う、クラスターさん程とは言わないまでも、ジャケットを羽織ってしっかりと男性らしい衣服を身につけて。

俺にはこんな服を着せて、出かけに薄く化粧までさせておいて、自分はこれだ。狡い。そう思うのに、それにドキドキしている自分が嫌だ。

「……あんまり長く出歩くのは……」

「わかってますよ。すぐ街の外に出ますから」

そうすれば、誰かにバレたらどうしよう、なんて、心配する必要も無いでしょう。リタリーはそう、上機嫌で俺の手を取った。

俺が不安に思っている、知り合いに見つかったらどうしようという危惧を汲みとってくれるのは嬉しいけれど、そもそも誰が原因かと言うとリタリーな訳だし、そう思うと素直に喜べない。

髪を下ろして化粧して着飾った俺と、長身で身なりを整えたリタリーと。これは確かに、巷で良く見る恋人たちのように見えるだろうけど……。これはきっと、憧れた恋人らしい姿とは似ても似つかない。俺もリタリーも男だし、何故か俺だけ女装させられてるし。なにより、履き慣れないスカートと、やたらと風通しの良い股間と、覚束ない足元。どれもこれもがしんどかった。

もしかしたら世の女性というのは、この落ち着かない格好に耐えながら、恋人との時間を楽しんでいるんだろうか。そんな訳無いよなあ。少なくとも、あの卑猥過ぎる下着だけは、絶対におかしい。

「ふふ……そんな、いつも以上に可愛い顔をされては、誰にも見せたくなくなりますね」

「……だったらこんな格好させないでよ」

「嫌です。家の中でそんな格好しただけじゃあ、そんな困った顔、してくれないでしょう? その格好で外に出て並んで歩くから、良いんですよ」

何が良いのかわからない。リタリーは俺が理解出来ないくらい、変態らしい。

繋いだ手に優しく力が込められて、思わず握り返してしまったけれど、俺は楽しげなリタリーに、どんな顔で何を言い返したら良いのか、まるでわからないのだった。

まだ日は高い。永遠とも思える程の長い時間をかけて、俺とリタリーは街の出入り口へ差し掛かった。街の外に出れば、少なくとも知り合いに出会う確率はぐっと減る。早く外に出てしまいたい。街の外で何をするのか、それはそれで不安だけれど、人目が無いならある程度の事には耐えられる……はずだ。多分。

と、馬車に乗るクラスターさんの後ろ姿が見えて、俺は思わず俯いた。知り合いには絶対に見られたくないと思っていたのに!

どうか振り向かないでと祈りながら、俺は足早にそこを通りすぎようとして――履きなれないヒールのせいでよろけてしまった。転ぶ寸前でリタリーに抱きとめられてホッとしたのも束の間、思わず声を上げた俺の方を振り向いたクラスターさんと目が合った。

「あ、あの……これは違」

「……」

終わった。俺のオステカでの第二の人生はここで終わりなのか。明らかに見なかった振りとばかりに目を逸らされて、俺は引っ越しを決意した。その視線が軽蔑でも哀れみでも、どっちにしても辛い。いっそリタリーみたいに変態になりきれたら良いのに。でもそれはそれで歯止めが効かなくなりそうで怖いかも知れない。

リタリーはそんな事どうでも良いとばかりに俺の腰を抱いて、街の外へと促した。上の空の俺に、リタリーが何か浮かれた事を言った気がしたけど、頭には入ってこなかった。

……デートしようと言われてはしゃいでいた自分を殴りたい。俺が憧れていたデートって言うのは、こんなものじゃ無かったはずなのに。

街から出て、開けた草原に出た。やけに明るい空が眩しい。爽やか過ぎる風が俺のスカートを捲りそうになって、慌てて手で抑えた。

リタリーは俺の心境なんてお構いなしで、笑って俺に手を差し出した。

「ほら、ぼうっとしてないで行きますよ」

今日は少し離れた森林公園に行こうと思ってるんです、とリタリーは言った。ようやく告げられた行き先。手に持っている籠の中身はきっとお弁当で、いつもお店で出すものよりずっと、気合いを入れて作られたものだと想像がつく。随分と早起きしていたのは知っていたから。

憧れていたデートと同じ光景が全く無い訳じゃない。手を引かれて並んで歩く事。普段行かない場所へ行く事。そして何より、心から嬉しそうにしている恋人の姿を見る事。居心地の悪い分と差し引いても、それは確かに幸せなのだけれど……ああやっぱり、こんなんじゃダメだ。ダメだと思うのに!

「……なるべく、ゆっくり歩いてね」

「わかってますよ。そっちこそ、焦らなくて良いですから、足元に気をつけて」

結局、俺は差し伸べられた手を取って街道を歩き出した。転んだら色んな意味で危ない気がするし、怪我なんてしたら、折角のデートが台無しだしね。

俺はリタリーに甘い……のかも知れない。でも、こんなに素敵で楽しそうな恋人の姿を見たら、絆されたって仕方ないと思う。

もうすぐお昼。まだ一日の半分にもなっていない。きっとあっという間に過ぎてしまうだろうけど、リタリーと過ごせるあと半日分の時間、楽しまなきゃ損だよね。いつもより頼もしく見えるリタリーの横顔を見ながら、俺は握った手にそっと力を込めた。

終わり

wrote:2017-02-07