良い子・悪い子

クラスター邸の一室、リタリーに割り当てられた部屋で、少年と青年は二人きりでこじんまりとしたお茶会を開いていた。最初はこっそりと、食堂の一角を借りていたのだけれど、誰かが来やしないかと気を張っている様子の少年を見て、リタリーが自分の部屋へ来ないかと誘ったのだった。

少年の善悪の基準が人とズレているとまでは言わないが、自分がして良いことと、そうでないことの基準は、一般的なものとはかなり違っていた。リタリーがそれに気付いてからは、しなくても良い遠慮をする少年のことを茶化しながらも受け入れて、互いに気分よく過ごせるように配慮してくれていた。それが、少年がリタリーの側が一番居心地がいいと思うに至る要因でもあったのだが、そこまで自覚しているかはまた別の話である。

ともあれ、それ以来、少年の夜更かしは専らリタリーの部屋で行われるようになっていた。料理人志望のリタリーを慮ってか、小さな台所まで設置されている部屋だったから、お茶会をするにはもってこいの環境だった。

お茶会らしく茶菓子と紅茶を摘む時もあれば、二人で静かに本を読むこともあるし、少年がリタリーにボードゲームを教わって、それに興じることもあった。お喋りやそれぞれの作業に没頭して、気が付けば日付が変わっている時もザラだったし、それはそれで悪いことをしているという気分に酔ってしまっているのだから、始末に負えない。

今日も今日とて、少年はリタリーが出してくれた茶菓子を摘み、いつものように紅茶を啜っていた。いつもと違うのは、リタリーがお茶ではなく、琥珀色の液体を出してきたことくらい。リタリーはお茶ではなく、茶菓子を肴に酒を飲むつもりらしかった。

「お酒なんて飲むんだね」

「ええ、まあ……たまには、ね」

「なんとなく、良い匂いがする」

リタリーが氷で満たされたグラスに注いだそれは、仄かに甘い果実の香りと、つんとしたアルコールの匂いを湛えている。それは甘いものを好む少年にとって、それなりに魅力的に感じられたようだった。

興味深げにグラスを見る少年へ、リタリーがボトルを差し出す。

「……一口、飲んでみますか」

「えっ、良いよ。俺、まだ子供だもの」

「もう、ほとんど大人みたいなものでしょう」

リタリーはくすりと笑うと、少年が手にしている熱い紅茶で満たされたマグカップへ、ぽたり、とボトルの中身を少しだけ注いだ。

「きっと合うと思いますよ。お茶にも、お菓子にもね」

そう言って、リタリーは自分のグラスを口に運び、チョコレートを齧り始めた。澄まし顔でいる姿しか見たことがないのもあって、なんとなく、見てはいけないものを見た気分になる。飲酒するリタリーの姿は、なんとなく堂に入った感じがしていたし、普段は意識しない、リタリーの大人らしい落ち着き払った雰囲気に、気圧されたような気になった。

「……いただきます」

まるで、別人みたいだ。そんなことを思いながら、促されるままに、少年は酒を垂らされたお茶を口にした。断ったのに、無理矢理飲ませるなんて。色々言いたいことはあったけれど、紅茶の香りに混ざって、華やかと言っても良い果実の香りが漂って、それはいかにも美味しそうだった。

それを飲み下すと、温度は変わらないはずなのに、さっき飲んでいたよりもずっと、喉が熱く感じて少年は驚いた。そして鼻に抜ける、飲む寸前に嗅いだ良い香り。味はそこまで大きくは変わらないけれど、なんとなく、味わい深い風味が足された気がした。

続けて、出されたチョコレートを口に含むと、先程飲んだ紅茶に良く合って、手が止まらなくなってくる。

「お気に召したようですね」

「うん、美味しいね、これ」

「それは良かった」

それからは、リタリーの料理の話や、お酒の話、街で見かけたあれこれ、ギグや仲間たちのことなど、とりとめのない話を話して時間を過ごした。少しだけ酔っているのか、リタリーもいつもより饒舌で、それが少年にとっては珍しく、それにつられて自分も酒の混じったお茶を何杯も空けてしまっていた。本当に少しだけしか入っていないはずなのに、段々と体が熱く、ふわふわした気分になってくるのが可笑しくて、ついついおかわりを求めてしまう。

普段なら諌めていたかも知れないのに、酔ったリタリーは少年が求めるままに、紅茶に酒を垂らしていった。その量が少しずつ増えていっていることに、二人とも気付かないまま。

リタリーの部屋のベッドの上、少年はぐるぐる回る天井を仰いで、横になっていた。

お手洗いに、と思って立ちあがった瞬間、脚に力が入らなくなった。ふらりとよろけたところを抱きかかえられ、そのままベッドへ連れて行かれると、これが酔っ払うってことなのか、とようやくのところで自覚した。

「すみません、飲ませすぎてしまいましたね」

「ん……平気……眠いけど……」

「ああ、ダメです。とりあえずどうぞ」

どうにか体を起こして、差し出されたコップを受け取る。水。ああ、そう言えばお手洗いに行こうと思っていたっけ。とりあえず受け取った水を飲み、ふう、と息を吐くと、幾分かふわふわした心地も落ち着いた気がした。

「立てますか?」

「……うん」

リタリーの手をとって起き上がる。体を支えられながら、ゆっくりと脚を踏み出した。どうにか歩けそうだけれど、足取りは怪しい。トイレはすぐそこだから大丈夫だとは思うけれど、またリタリーに迷惑をかけてしまったことに、少しだけ罪悪感が湧いてくる。無理矢理飲ませたのはリタリーなのだから、少年自身にはそこまで責がある訳ではないが、それもまた少年の性分と言うやつだった。

リタリーに連れられて用を足して、そのまま部屋に戻すのも心配だからと、今日はリタリーの部屋に泊まることになった。朝方ギグが煩そうだけれど、具合を悪くしてしまった時、仲間内で唯一の療術師が直ぐ側にいた方が良いのは当然だし、渋々ながら少年は承諾した。申し訳ないけど、よろしくね。そう言うと、リタリーは、半分は私のせいですから、と笑った。

寝間着を借りて一緒のベッドに入って明かりを消して、その頃には大分頭もすっきりして、かえって目が冴えてしまっていた。――朝起きて、隣でリタリーが眠っていたらギグは嫌がるかも知れないな。もしかしたら勘違いをされてしまうかも。そんなことを考える余裕もあった。

こうして夜更かしをして、リタリーとどんなことをしているか、詳しいことまではギグは知らない。精々一緒にお茶を飲んでお喋りをして、たまに本を呼んだり薬の調合の真似事をさせてもらったり、珍しい話だとボードゲームをしたり、そんな当り障りのないことしか、少年はギグに話していなかった。リタリーと体を触り合って、唇を重ねたりして過ごすこともあると言うのは、天地がひっくり返っても話せない。それくらいの分別くらいは、少年も持ち合わせている。ギグにとっては、影の薄い回復男と自己主張の少ない相棒が夜中にこっそり遊んでいようが、大して興味もないらしいけれど、流石に男同士で乳繰り合っているのを知ったら、大喜びで馬鹿にしてくるに違いない。

自分がこうして酒に酔い、具合を悪くしているのを見て、リタリーはどう思っただろうか。幻滅させてしまったかも。流石にこんな状態では、リタリーも触ってこようだなんて思わないだろうな。調子に乗って飲み過ぎてしまったことを、そういう理由で反省するあたり、自分も随分と悪い子になったものだ。そう少年は自嘲した。

せめて、という気持ちで、隣で横になっているリタリーへと手を伸ばす。いつもより温かいリタリーの指先に触れ、もしかして、リタリーは自分以上に酔っているのでは、と気付く。殆ど同時に、リタリーは少年の腕を掴み取り、自分の方へと抱き寄せた。

「どうしたんです? 私に触って欲しくなりましたか?」

「あ、いや……」

「酔ってるのは貴方だけじゃあ無いんですよ」

誘われると、いつもより酷いことをしたくなります。暗がりの中、リタリーは少年の耳元で囁いた。酷いこと、って一体。何か言い返そうとして、途端に唇が塞がれる。甘ったるい酒の匂いが口内を満たして、折角酔いも冷めてきたのに、また酔ってしまいそう。甘い舌が熱く絡んで、ますます頭がくらくらした。

「随分、良い子になってきましたね」

唇を開放されて、頭を撫でられながら言われたその言葉に、少年は首を傾げた。

良い子? 夜中に隠れて酒を飲んで、こうして年上の男性とキスをしている自分が良い子、だって? 少年は、悪い子の言い間違いじゃないかと思ったが、リタリーが自分の股間に手を伸ばしているのに気付いて、それどころでは無くなった。

「ほら、何もしてないのにこんなにして……」

「あ、だめ……っ」

酒臭い息を吐きながら、いつもより少しだけ乱暴な手つきで布越しに自分の陰茎を揉むリタリーに、思わず拒絶の言葉を吐く。リタリーは悲しみも怒りもせずに、少年の耳朶を噛みながら、

「素直な子は良い子ですよ」

と言うと、耳の中へと舌を差し込んだ。ダイレクトに響く水音と、温い感触に体がびくびくと跳ね、たまらず少年はリタリーの体にしがみついた。その間もリタリーの指先は少年を責めたてて、すっかり慣らされた感触に、体の奥が熱くなっていく。

良い子。リタリーにされるがまま、気持ち良くなってしまうのが、良い子なのか。里で教えられたこと以外に興味も持たず、悪いことなんて考えられないくらいに真面目に生きてきた自分が、こんなにいけないことをしている。しかもそれを良い子と言われる事実が歪み過ぎていて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

自分が今まで知らなかった、良いこと・悪いことを教えられて、楽しいけれど寂しい気もする。でも、この人に触られて甘やかされてからかわれて、大事にされるのが、今まで感じたことがないくらいに嬉しい。だから、この人が良い子だと言うなら、きっと自分は良い子なんだ。少なくとも、この人にとっては。

少年はそう思うことにして、酒の甘い匂いとリタリーの熱い体温に蕩かされようと決めた。あれこれ悩むより、この人に従って、気持ち良い方に流れたほうが楽だ。まるでゆりかごの中の子供に戻ったような気分になれる。もっとも、リタリーが与えてくる感覚は、赤ん坊には早すぎる程に刺激的なのだけれど。

衣擦れと卑猥な水音に包まれながら、少年はまた、行き過ぎた夜更かしに没頭するのだった。

終わり

wrote:2016-05-29