不器用なひと
よく出来ましたね、と言って、チビ共の頭を撫でるリタリーを、俺はなんとも言えない気持ちで見つめていた。皿を運んだとか、部屋を片付けたとか、そういうことでちゃんと褒めてやる嫁。撫でられた方も、嬉しそうな、誇らしそうな顔で笑っていて、その場面がなんというか、出来すぎていて……自分がそれと同じ空間にいることが、なんとなく信じられなくて。そうなる度に、なんとなく居心地の悪さを感じてしまう俺は、煙草を咥えて台所へ逃げる。
子供に煙草の煙は毒だ。それを言い訳にしていたたまれなさを誤魔化せるから、つくづく喫煙者でいて良かったと思う。
居心地が悪いなんて、そんなことを思う事自体、間違っている。血は繋がっていなくても、家族なんだから。嫁が子供を褒める。それだけのことなのに、何故だか除け者にされた気がしてしまって、駄目だった。除け者にされたくなかったら、一緒になって褒めたら良いのに、それも上手く出来ない。
思い返せば、自分からチビ共を褒めたことなんて数える程しか無い気もした。どうやって褒めたら良いのか、良くわかっていないし、どういう時に褒めたら良いのかもわからない。このままで良いんだろうか。いや、良い訳ねェんだよなあ。
どうしてリタリーは、ごくごく自然に、あんな風にチビ共に接することが出来るんだろう。あいつだって、別に恵まれた家庭環境にあった訳じゃないのに。
逃げ込んだ台所で、俺はいつの間にか三本目の煙草に火を点けていた。
「まだ吸ってたんですか」
台所に入ってきたリタリーは、呆れ顔で俺の隣に腰を下ろした。
「チビ共はもう寝たのかよ」
「ええ、今日はちょっと夜更かしさせてしまいましたし、もうぐっすり」
差し出された手に煙草を置いてやり、自分の口に咥えた吸いかけの煙草を突き出すと、リタリーは自然にそれに火を点けた。あのチビ共は知らないだろうが、リタリーも元々喫煙者だった。子供の前で吸わないだけでなく、起きている間は吸わない辺り、俺よりずっと徹底して煙を遠ざけている。仕事中も吸っていないだろうし、こいつは本当に、俺の前でしか吸わなくなったのだ。
俺とリタリーはしばらく無言で煙草を吸った。古ぼけた時計の、馬鹿にうるさい秒針の音と、換気扇の音だけが台所に響く。怒られるんだろうか、これは。不機嫌そうに中座した……って程でもないつもりだが、もうちょっとあいつらと仲良くしろと言われてもおかしくない気はした。
「……羨ましかったんでしょう」
リタリーは短くなった煙草を灰皿に押し付け、薄く笑ったかと思うと、そんなふざけたことを口にした。
「なっ……何言ってんだよ、馬鹿馬鹿しい」
「自分もされたい、って顔してましたよ、貴方」
「するか!」
羨ましい? あり得ない。しかも言うに事欠いて、自分もあのチビみたいにして欲しいだと? 俺は一体どんな顔してたっつーんだよ。窘められるならまだしも、こうして哀れまれるのは我慢ならない。ぐりぐりと煙草を灰皿に押し付けて、とっととこの場から逃げようと席を立つ。ああクソ、位置取りを間違ったな。廊下側に座ってりゃあ良かった。
「してましたってば……ほら、今日は私が貴方を甘やかしてあげますから」
案の定、リタリーは逃すまいと俺に続いて席を立ち、目の前に立ちはだかった。
「いらねェよ、離せ!」
掴まれた腕を振りほどくと、リタリーは悲しそうな顔で俺を見た。まずい。またやってしまった。こいつは全くの善意で言っているのに。こうして世間の目に反抗してまで一緒になってるんだから、同情や哀れみなんか、俺たちの間には無いはずなのに。どうしてまだ疑っちまうんだ。
「……ねえ、私に対してくらいは、素直になってくれたって良いじゃありませんか」
寂しそうな顔で笑いながら、諭すようにリタリーはそう言った。年下の嫁の方が、こういう時には大人なのもどうかと思うし、実際情けなくもあるが、仕方ない。そういう所に救われてもいるし、愛しくもあって一緒になったのだから。
「……悪かった」
「ふふ、ちゃんと謝れてえらいですよ」
リタリーは嬉しそうに笑い、ほんの少しだけ背伸びすると、俺の頭をよしよしと撫でた。それはどう考えても、さっきのチビ共とのやりとりの焼き直し。
「てめェ、本当は馬鹿にしてんだろ……」
「何のことですか?」
とぼけた返事を返すリタリーは、にっこり笑って、楽しそうに俺の頭を撫で続けている。嫁とは言え、リタリーの手のひらは成人男性らしく大きい。こんなでかい手で撫でられてるのか、あいつら。俺と違って柔らかい手だから、さぞかし心地良いだろうな。
「ほら、もう良いだろ」
チビ共と違って、いつまでも撫でていて欲しがるような子供ではない。伸ばされた手を制止すると、リタリーは大人しく引き下がった。その代わり、絶望的なことを口にして。
「じゃあ、続きは布団でしましょうか」
「は?」
「言ったでしょう? 今日は私が貴方を甘やかしてあげます、って」
その笑ってない笑顔は、本気ってことかよ。そう言えばこいつ、明日は休みだったな。俺は明日も仕事だぞ。勘弁してくれ。
「ほら、さっさと歯磨きして寝室に行きますよ」
「……お、おう」
役割上はこいつが嫁ということにはなっているが、布団の上ではそうでもない。それは昔からそうなのでいつものことではあるのだが、さっきみたいな顔をしている時のこいつは、とんでもなくしつこいのだった。
リタリーに手を引かれて洗面所について行く間、俺の頭の中は嫌な予感でいっぱいになっていた。今日は一体どんなことをされてしまうんだ。恐ろしい。どこでいつの間に調達したかもわからない怪しい器具の数々を取り出して、今日はどれが良いですか? なんて、いかれてやがる。
この前だって、名前もわからない拘束具を付けられたかと思うと、いくかいかないかのギリギリのところで延々三十分も焦らされて、次の日は仕事にならなかったしな。今日はそうならないと良いんだが。
さっきまでリタリーに撫でられていた頭を掻きながら、上機嫌で鼻歌を歌うリタリーの背中を見て、俺は小さくため息をついた。
終わり
wrote:2016-04-09