懐かしい夢のあと

古城の屋上にほど近い一室で、ロドはベッドの側に転がっていた酒瓶を、壁に向かって投げつけた。散らばる破片と、けたたましい破裂音に、慌てたように部下が室内へ入ってくる。寝起きで不機嫌そのものの表情をした頭領を一目見て、年若い奪人は、失礼しました、と一言言って部屋を出た。

湿っぽい毛布を払いのけ、のそりとベッドから起きだす。朝日が差し込む、一番日当たりの良いこの部屋は、ロドにとっては居心地が良いとは言えなかった。けれど、頭領らしく、一番良い部屋に住んでいなければ、と、無理矢理自分を納得させて過ごしている。

夢見が悪いのはいつもの事。にしても、今日は酷かった。よりにもよって、幼い頃の、かつて親友と呼んだ男との逢瀬を夢に見るとは。寝る前に、つい感傷に浸って、不味い安物の煙草を吸ったのが良くなかった。深酒をしてしまったのも悪かったらしい。

ゆっくりと衣服を着て、いつも吸っている上等の煙草に火を点けた。あの頃吸っていたものとは比べ物にならないくらい、味も香りも良い。そうだ。自分は力を手に入れた。無力な子供とは違う。誰も、自分を見つけられないし、捕まえられない。自由だ。きっと。自分を迎えに来ると言ったあいつだって、もう、俺のことなんて忘れちまってる……。そう思いながら、こうして煙草を吸っているあたり、未練がましくて苛々した。

床に散ったガラスの破片。酒の匂い。テーブルに載せられた大量の書類。朝から最低の気分だが、多数の部下を抱える身として、やるべきことはやらなければならない。ロドはため息を一つつき、灰皿に煙草を押し付け、新しい煙草に火を点けると、羽ペンを手に、椅子に腰を下ろした。

あの男と出会ったのは、海沿いの、商業が盛んな街だった。人が行き交うということは、薄汚い仕事も捗るとあって、ロドはしばらくそこを拠点にして生活をしていた。そこでたまたま出会ったのが、のちに親友と呼ぶようになる青年だった。

身なりが良いとは言えない自分に、そいつはにこやかに話しかけてきて、街に来たばかりだから案内してくれないかと言った。お人好しの、身奇麗な人間族。いつもならカモにしてやろうと思うような相手だったのに、掛け値なしの笑顔を向けてくるそいつを騙そうという気がおきなくて、ああ、良いぜと応えてしまったのが運の尽き。そいつとたちまち仲良くなって、街を案内しているのか、街を駆けずり回って遊び呆けていたのかわからなくなった。

別れ際、その男はクラスターと名乗り、また明日会えないかとロドを誘った。基本的に夜に仕事をしていたロドのこと、断る理由もなく、今日出会ったのと同じ場所で、同じ時間に待っていると告げられて、わかったと頷いた。そんな曖昧な約束を自分が守るとは思っていなかったが、気が付けば、律儀に昨日と同じ場所に、同じ時間に足を向けていて――自分とちょうど同じ時間に着くように、クラスターが歩いてくるのが見えて、どちらともなく約束の場所へ向かって駆け出していた。

自分が汚れ仕事をしていることを、きっと相手は察していただろうし、クラスターがきっと自分とは正反対の、恵まれた生活をしているだろうこともわかっていた。でも、それに触れる必要なんて無かった。ただ街を見て回るだけで、海岸を駆けずり回るだけで、楽しくて仕方なかったから。

くすねてきた安い煙草を、初めて吸うというクラスターと分けあって吸って、酷い味だと一緒に咳き込んだり、気に入っていた場所へ案内して、そこで日が暮れるまでとりとめのない話をして過ごしたり。そのどれもが楽しくて、幸せ過ぎて、この時間が永遠に続けば良いと、そればかりを考えた。当然、そんな訳にもいかないのだということも、互いにわかっていたのだけれど。

一緒に過ごす時間が楽しすぎる反面、クラスターと別れて、一人夜の街で過ごさなければならないのが、途方も無く辛くなった。人を騙したり、金品を掠め取ったり、本当に金が無くなれば体を売ったりもしていた癖に、今までなんでも無かったはずのことが、嫌で嫌で仕方なくなって――そのもやもやした気持ちを掻き消すために、昼間はクラスターとはしゃぎ回って、そしてまた、夜が辛くなる。

まるで麻薬のようだと思った。一緒に過ごすのは本当に、心から楽しいのだけれど、クラスターには自分をこの境遇から救ってくれる力は無い。それを責めるつもりは無いが、このままだと、自分が生きていくためにしなければならないことが、いずれ出来なくなって、壊れてしまいそうな気になった。

ずっと一人きりで暮らしてきたのに、他人なんてどうでも良かったのに、こんなことを続けていることをクラスターに知られたらきっと悲しむだろうと思うと、胸が痛む。親友だと自分を呼ぶクラスターの顔がちらついて、盗もうと伸ばした手を引っ込めてしまったことだって、何度もあった。

――それでも、生きていくためにはどうしても金が要る。

別に色気のある顔と体をしている自覚は無かったが、セプーにしては珍しく残ったままの尻尾が好色な男には好まれるらしく、探そうと思えば相手には困らない。快感を殆ど感じない代わりに、ただ我慢していれば、その行為にもどうにか耐えられる。苦痛はあっても、そんなのは盗みにしくじって殴られるのとそう変わらないと思えば、どうってことは無かった。

久しぶりにとったその客は、今までにも何度か相手をしたことがある男だった。その男に肩を抱かれて安宿に入り、こうしてまともなベッドで眠れるのが、こういう時くらいという事が、改めて情けなくなった。あいつはきっと、毎日ここよりもまともな場所で眠りについているのだろう。羨ましい、というより、住む世界が違いすぎることが単純に辛くなった。

薄暗い部屋に入り、服を脱がされながら、昼間、何処かで自分とクラスターを見かけたらしいその男は、さも楽しげにロドを煽った。今度はあいつを食い物にしようって言うのか。金持ちでお人好しそうだから、さぞかし楽に巻き上げられるだろうよ。と。

クラスターを馬鹿にされる度に、違う、そんなつもりはない、とロドは反論した。その様子が面白かったらしく、その男は一晩中ロドを苛めて愉しんだ。普段は話しかけても殆ど無言で、反応も良くない癖に、よほどそいつに惚れてるんだなと言われ、そこでようやく気付いた。自分が、クラスターに抱いているのは、友情なんかではなく、恋心に近いものだと。

それに気付いた途端、何もかもが愚かしくて泣き出したくなっていた。なんだよ、気付いてなかったのか。男はそう笑うと、尻尾を掴んで引っ張り、一層激しくロドを揺さぶった。尻尾の付け根が千切れそうで痛むし、中をぐちゃぐちゃにかき回されて突き上げられて、吐きそうなくらい気持ちが悪い。でも、それ以上に、投げつけられる男の言葉に辛くなってしまう。

――惚れてる相手に隠れて、こうして俺みたいな汚い中年に抱かれて金を貰ってるなんざ、よっぽどいかれてやがる。

泣いたらきっと、止まらなくなってしまう。だけど、普段ならなんとも思わない男の言葉が一々胸を抉って、悲しくて、情けなくて――。いつもより幾分か多い金額を渡して男が部屋を出て行った後、ようやくぼろぼろ涙が溢れてきた。

俺は、クラスターさんのことが好きだったのか。どう足掻いたって、叶う訳がない恋をして、自分が傷つかないために、それに気付かない振りをしてたって訳だ。馬鹿か、俺は。

体中がギシギシと痛んで、歩くのも辛いくらいだったが、どうにか体を清めて、ほんの少しだけ眠った。精液と汗の臭いで、まともに眠れはしなかったけれど。

朝になって安宿を出ると、ぱらぱらと雨が溢れてきた。久しぶりの雨。傘なんてものは持っていない。でも、そんなのどうでも良かった。寝不足で怠くて疲れているのも相まって、逃げこむようにねぐらにしている路地裏に駆け込む。受け取った銀貨を握りしめながら、ロドは声を殺して泣いた。途中何度か微睡んだけれど、徐々に強くなっていく雨脚のおかげで、ろくに眠れやしない。いつものクラスターとの約束の時間が近づいてきていたけれど、一歩も動きたくは無かった。

……どうせ今日は雨だ。あいつだってきっと来やしない。あの約束だって曖昧だ。もう、毎日明日も会おうと約束してる訳じゃない。きっと今日も来るだろうと言う、互いの望みがたまたま毎日叶っているだけの、頼りない約束。

でも、その約束に縋って、あいつの顔を見なければ、もう生きていくのが辛い。あいつだって、俺が来ないとなれば心配するだろう。そうだ、確認するだけ。来てなかったら、そのままここに戻って、いい加減に眠ってしまえばいいだけだ。

雨に濡れたせいもあって体が重い。あちこち痛む体を引きずって、のろのろと約束の場所へ向かう。街の中心にある噴水広場。そのはずれにある、あまり目立たない女神像の下。天気の悪さもあって、人気は疎らだった。いるわけない。いるはずが――。

「嘘だろ……」

傘で顔は見えないけれど、あれは、女神像の下に立っているあの人影は、間違いなくクラスターだった。来ていない時の事ばかり考えていたせいで、クラスターがこちらに近づいてくるのを呆然と見つめることしか出来なくなっていた。

「遅かったな。何かあったのか」

「……なんで」

「ロド、酷い顔色だぞ。傘もささないで……びしょぬれじゃないか。とにかく、こっちへ」

木陰に誘導されて、クラスターから着ていたコートをかけられると、ようやくロドはやっぱり来なければ良かったと後悔した。こんなことなら、はじめから来なければ良かった。クラスターが着ていた仕立ての良いコートも汚してしまって、良いことなんて一つも無い。それなのに、クラスターは怒るでもなく、唯自分を心配している。

「雨、止まないな……風邪を引いたらいけないし、うちで休んで行ってくれ」

両親はしばらく帰らないし、誰もいないから。そう言われて、拒否しようとしたのに、腕を掴まれているせいで抗えなかった。手を引かれるままに、クラスターが借りているという家に連れて行かれ、いよいよロドは、本気で後悔した。やっぱり自分とクラスターとでは、住む世界が違いすぎる。

クラスターが借りていると言った家は、まるで別荘と言って良いような、しっかりとした造りの一軒家だった。白い壁は真新しく建てられたことが伺えるし、今は誰もいないとは言え、おそらくはクラスターの母が手入れをしているだろう庭には、色とりどりの花が、美しく整えられて咲き誇っている。こんなところに、自分みたいなずぶ濡れの汚らしいセプーが入って良いものなのか。

玄関先で足を止めたロドを、クラスターは無理に手を引いて中へと招き入れた。ふかふかのタオルをかけられて、風呂を沸かしてくると言われて、ロドはクラスターの部屋だという、自分が今まで見たこともない広い清潔な部屋で立ち尽くした。

白いレースのカーテン。臙脂色の落ち着いた色合いのカーペット。本棚には自分には読めるわけもない、難解そうな本が所狭しと並べられている。上等なベッドにはいかにも暖かそうな布団がかけられて、ここで眠ったら目覚めないのではとさえ思えた。自分と一緒にいない間、クラスターはきっと、この部屋で優雅な生活を送っているのだろう。

今更ながら、どうしてクラスターが自分に声をかけたのかが不思議で仕方なくなった。薄汚い、ドブネズミみたいな生活をしている自分に、どうして。

「待たせてすまない、もうすぐ風呂が沸くから……」

「なあ、クラスターさん」

「ん?」

部屋に戻ってきたクラスターに、どうして自分に世話を焼くのか聞いてみると、親友だからだと返された。そうじゃない。そうじゃなくて……。でも、それを口にしたら、途端に惨めになりそうで、渋々口を噤んだ。

浴室へ連れて行かれて、着替えは多分サイズが合わないと思うが我慢してくれと言われ、ここまで面倒見てもらって文句なんて言えねえよ、と返すと、クラスターはようやく笑った。ようやくいつもの調子が出てきたじゃないか、と言って。

これまた広い浴室で体を洗い、程よく温まった湯に浸かってみると、悔しいが恐ろしく気持ちが良かった。やっぱり、この人に甘やかされていると、自分はダメになってしまう。

風呂から上がると、今まで触ったことのないような、滑らかな生地の服が用意されていた。クラスターが言っていた通り、サイズは合っていないけれど、仕方ない。白いシャツを着て、とりあえず腕をまくって誤魔化した。下履きはずり落ちそうで危ない気がしたが、どうにも出来ない。そろそろとクラスターの部屋へと戻ると、ハンガーに自分の服がかけられていた。洗ってくれたらしい。

「おかえり、湯加減はどうだった?」

「……ダメになりそうなくらい、気持ちよかったぜ」

「そりゃあ良かった」

クラスターはロドをベッドの上に座らせると、良ければ泊まっていくようにと言った。服も乾いていないし、良ければも何も、泊まらざるを得ないのだけれど。

クラスターが言うには、もうすぐ誕生日の弟のために両親は実家に帰っていて、あと一週間は戻らないらしい。クラスターがこの街に来たのは、ちょうど両親と入れ替わりだった。この街での商売を、出来る範囲で回してみろとのことらしい。もうすぐ息子に一事業を任せたいという両親の思惑もあるらしいが、もうすでにうまく回っている取引を見守る程度しか、クラスターにすることは無いんだそうだ。まだ幼い弟とじっくり過ごしたいというのが本心だろう、とクラスターは笑った。

ともあれ、クラスターが暇をしているのはそのせいで、おかげで街を見て遊び呆けるだけの時間があるという訳らしい。

「――で、俺はまだ、あんなに具合の悪そうな顔をしていた理由を聞いてないぞ、ロド」

一通り話した後、クラスターはロドにそう問いかけた。顔はいつも通りの笑みを浮かべたままだが、目は笑っていない。真剣そのものだった。

「……別に、雨に打たれて、そう見えただけだろ」

理由なんてわかりきっているが、クラスターに話す訳にもいかない。好きだと気付いてしまったことも、昨晩していたことも。それなのにクラスターはロドの隣に腰を下ろすと、ぽつりと溢した。

「昨日、何かあったんじゃないか」

「……何で」

まさか、見られてたのか。あの男と安宿に入るところを。

「……俺は、お前が男と路地裏に入っていくところしか見てないが……辛そうな顔、してただろ」

「ひ、人違いじゃ」

「俺が親友の顔を見間違える訳ないだろ」

「あれは……」

「ロドがどんなことをして生活しているか、知らない訳じゃないが……そんな泣きそうな顔をしているのを見たら、放っておけない。何か出来ることは無いのか」

いっそ軽蔑してくれたら、汚らしいと拒絶してくれたら良かったのに。この親友は、それを知った上で出来ることは無いかと、力になりたいと言ってくれた。それがどれだけ残酷なことか、この優しい親友は、きっとわかっていない。

「……平気だよ、こんなの。心配かけて悪かったな、ちょっと疲れてるだけさ」

なるべく、いつも通りに。無理矢理笑ってそう言った。だって、本当のことを口にしたところで、いつか決裂することはわかりきっている。今のままでいられたら、それだけで十分過ぎる程十分だ。親友のままでいることが、一番、互いに傷つかずに済む。

そう思っていたのに、ロドの言葉を聞くなり、クラスターはロドの細い体を抱きしめた。痛いくらい、きつく。

「お、おい! いきなり何を……」

「……傷ついた」

「えっ」

「親友に嘘を吐かれて、傷つかない訳無いだろ」

「……」

「辛かったら、そう言ってくれたって良いじゃないか」

何も出来ないかも知れないが、無理に強がって、嘘をついてまで誤魔化そうとされてしまうのは……こっちだって辛くなる。

そう、絞り出すように言われると、この優しい親友を安心させてやらなくてはいけない気持ちになった。ほんの少しだけ本心を伝えて、隠さなければならないことは、絶対に隠しながら。

「……もう、こんなことしたくねェ、足を洗いたいって……そりゃあ、思うけどな」

仕方ねェんだよ。こんなことでしか生きていけねェんだからな。親友が気に病むことなんて、何も無いし、それで恨んだりなんかもしない……。

だから、離してくれ。いい加減に、悲しくなってくる。好きだと気付いた相手に、こうして抱きしめられて、嬉しくないはずはない。でもきっと、親友は、自分のことをそういった意味で好きでいてくれている訳じゃない。だから、とっとと離して欲しい。

それなのに、クラスターはロドを開放してはくれなかった。納得してくれたのかも、怒っているのかもわからない。差し伸ばされた手を払いのけるような返事をしたことはわかっている。けれど、そうしなければ、こいつ自身の将来を、人生を滅茶苦茶にしてしまう。それはきっと、クラスター自身もわかっている。クラスターだって、自分の人生を全て投げ打って、ロドのために動くことなんて出来やしない。だからこそ、出来ることはないかと、ロドに尋ねたのだ。

本当は、自分をどこか遠くへ連れ去って欲しい。ずっと一緒にいて欲しい。助けて欲しい。こんなどうしようもない環境から連れ出して、アンタの側にいさせて欲しい。そう泣き喚くことが出来たら、それが叶うなら、どんなに幸せなことか。

「なあ、いい加減離してくれよ。あちこち痛ェんだよ」

「……ダメだ」

「何、我儘言ってんだよ」

アンタ、俺より四つも年上だろ。怒っているような声色ではないが、さっきよりも自分を捕らえる腕に力がこもっている。まだ離してくれる気は無いらしい。まだ何か言葉が足りないのか。でも、もう口に出来ることは全部話してしまった。

悩んでいるロドを尻目に、クラスターはロドごとベッドの上に倒れこんだ。ぐるりと視界が廻り、高い天井が目に飛び込んでくる。視界の半分は、クラスターの焦茶色の髪で占められている。これは一体どういうことだ。この状態はどう考えても、押し倒されたようにしか見えない。追い打ちをかけるように、クラスターは続けてとんでもないことを口にした。

「……ロドが、あんな男と寝たのかと思ったら……眠れなくなってしまってな」

「な、に……言ってん、だよ」

「親友だと言っておきながらおかしい話だが……俺は……」

「ちょ、ちょっと待てよ」

「どうした?」

「親友さんよ、自分が何言ってるのかわかってんのか?」

「……わかってなければ、こんなことはしないと思うがね」

それはそうかも知れないが、せっかく自分が抑えようとした気持ちを、こうもべらべらと口にされては敵わない。どうしたら良いんだ、俺は。このままほいほいと受け入れてしまって良いのか。

「本気なのか?」

「……嫌か?」

質問を質問で返すな、と嫌味を言ってやろうかとも思ったが、止めた。嫌な訳はない。こいつが求めてくれるのなら、いくらでも……とも思う。思うのだが。

「いや……何で、急に」

「……言っただろう? 今更かも知れないが、俺はどうやら親友のことが好きらしい」

「う、何……馬鹿なことを」

「嫌ならしない」

「……嫌、じゃ、無ェけどよ……」

嫌だと、拒絶すれば良かったのに、口にしたのは結局、それを受け入れるという返事。クラスターはそれを聞くなり、またロドの体を抱きしめた。ぐえ、と、思わず色気のない声が漏れる。すまない、と謝られ、続けてよしよしと頭を撫でられた。大きな手のひら。手を繋いだことは何度かあったけれど、こんなに大きかったのか。

お世辞にも綺麗とは言えない、ぼさぼさの髪を、クラスターの手が滑っていく。気持ち良い。安心する。でも、本当に良いのだろうか。こんなの、後から辛くなるだけじゃないのか。そう思って身を引こうとしたのに、こいつは……。年上なんだから、もっと冷静になったって良いのに。

「で、どうするんだよ、この後……」

「嫌じゃない、と言われて……何もしないでいられるほど、俺は大人じゃないぞ」

「……好きにしてくれ」

「ああ、するとも」

親友、って、一体なんだったか。少なくとも、体の関係は無いだろう。でも、恋人になれないということはわかっているから、やっぱり俺たちは親友のままなんだな。緩いシャツのボタンを外されながら、ロドはそんなことを考え、すぐに頭からかき消した。先のことを考えると悲しくなってくるけれど、今この瞬間は、きっととんでもなく幸せなはずだから。

好きな人に優しく触れられて、愛されるという幸運が、自分に舞い降りてくるなんて、今まで考えたことも無かった。自分の汚れた体を滑る指と唇。こちらから、良いのか、と尋ねるのは、きっとクラスターを怒らせてしまうと思い、言わなかった。この親友は、全部わかっていて、こうしたいと言ってくれている。したいようにしてくれたら良い。録に感じたりしない、つまらない体だが、愛でたいと言うならいくらでも。

空は徐々に薄暗くなってきていた。雨は弱まってきているが、分厚い雲が空を覆って、夕方なのにもう夜のよう。クラスターはカーテンを閉め、サイドテーブルに置かれたランプに火を点けた。

クラスターに体を隅々まで丁寧になぞられ、敏感になってしまったそこかしこを責められて、ロドの体はすっかり蕩けてしまっていた。耳を甘く噛まれた時は、自分でも驚く程の高い声が出てしまい、赤くなった顔をからかわれた。今まで男たちに触られていた時は、こんな風に感じたことなんて無かったのに、触れられたところが熱くて心地よくて、もっと触られたくてたまらなくなる。性感帯らしいところを触られた訳でもないのに、もうこんな状態になっているなんて、自分の体がおかしくなったのではと思えた。

まるで淫乱な生娘のようなロドの反応に、クラスターは満足気に笑って、またあちこちを撫でたり舐めたり、甘噛みしたりして、身を捩るロドの姿を楽しんだ。サイズの合っていない大きめの服を着ていたせいで、いつの間にかそれは剥ぎ取られ、ベッドの上で全裸のまま、好き勝手に体を弄られている。クラスターの方はきっちりと服を着込んだままで、それが余計に恥ずかしい。

「……いい加減アンタも脱げよな」

「ああ、そうだな」

ロドに言われて、クラスターも服のボタンに手をかけた。それほど運動をしているようには見えないけれど、年上で健康状態の良いクラスターの体は、自分に比べて酷く逞しく見えた。これはこれで恥ずかしいな、と、思わず目を逸らす。自分の貧相な体が、なんだか情けなく思えた。色気もへったくれもない、痩せた子供の体。これにクラスターが興奮しているのが不思議なくらい。

「男とするのは初めてなんだが、痛かったら言ってくれ」

改めてロドの上に覆い被さったクラスターは、頭を撫でながらそう言った。男とは初めてということは、女とはあるということ。確かにいい年だし、経験があったっておかしくは無いのだけれど、クラスターが女を抱いているのを想像しそうになって、しても仕方がない嫉妬をしていることに気付く。馬鹿か。自分だって、とっくの昔に処女――と言って良いのか知らないが――を捨てている癖に。

「……大体痛ェもんなんだし、そんなに気にしなくたって」

気遣うつもりで口にしたのに、クラスターが傷ついた顔で自分を見ていることに気付き、ロドは口を噤んだ。痛がっても勝手に続けて良いだなんて、今までロドを犯してきた男たちと同じことをしても構わないと言っているようなものだ。この親友が、そんなことをしたいと思う訳が無い。

「悪かった」

「いや……良いさ。キスしても構わないか」

「な、にを今更……」

言われてみればしてなかったか。さっきから体中に唇を落とされてはいたのにおかしい話だ。ダメな訳がない。小さく頷くと、目を閉じさせられて、すぐに唇が塞がれた。薄い唇の間からぬるりと舌が侵入してきて、どうしたら良いかもわからずに、されるがままに舌を探られる。まっとうな口付けなんかしたこともないし、舌が温いことと、ぬるぬるしてくすぐったいということで頭がいっぱいになるだけだった。息苦しそうにしているのに気付いたクラスターにくすくす笑われながら、鼻で息をすれば良いと教えられると、あれこれ恥ずかしくなった。もう一度キスされて、教わったとおりにクラスターを受け入れると、またよしよしと頭を撫でられた。それはとても気持ち良いのだが、子供扱いされているようで、なんとなく居心地が悪い。

口付けられながら、クラスターはロドの体の敏感な所に触れていった。さっき全身に触れられた時に見つけた、反応の良かったところを撫でたり、小さい乳首を摘んでみたり。声を上げられない代わりにびくびくと体を反応させるロドを見て、クラスターもすっかり勃ち上がっているらしい。脚に触れているそれは固くなっていた。

やっぱり入れるまでするんだろうか。昨日はたまたま平気だったが、裂けることも少なくないし、ろくに準備もせずに入れたら痛いに決まっている。いきなり入れるなんてことはしないだろうが、そうでなくても、そこで気持ち良くなったことなんて今まで無かった。おかげさまで今のところは気持ち良すぎておかしくなりそうなくらいだが、この先もそうとは限らない。

「んっ……」

下肢に降りてきた指が、入り口の辺りに触れた。流石に濡らさないと入らない。無理に入れたら裂けてしまう。わかっているのかどうなのか、クラスターは一度ロドの上から退けると、ベッド脇のサイドテーブルの上から小さな容器を手に取って戻ってきた。

「準備しておいたと聞いたら笑うか」

「……どっちかというと、呆れるな」

「ははっ、悪かった」

手にしたそれは、どうやら潤滑剤らしかった。この親友は、昨日の夜に自分を見かけた時から、こうしてやろうと決めていたらしい。部屋に連れ込んで、自分のものにしてやろうと。それを聞かされたら、用意周到過ぎて笑えなくなった。

うつ伏せのまま尻を高く上げる格好にさせられて、尻尾を片方の手で弄ばれながら、潤滑剤をたっぷりと含んだ指が、固く閉じた入り口に宛てがわれた。

「痛かったら言うんだぞ」

「ん……わかったよ」

すぐに痛いと言われたらどうするつもりなんだろう。多少なら我慢できなくはないが……どれくらい期待して良いのかはわからない。

入り口を濡らして、本当にゆっくりと、虫の歩みよりも時間をかけて、クラスターの指が入れられた。一本だけなら、まだ大したことはない。痛くもない。ぬるぬるした指が、また同じくらいの時間をかけて引き抜かれて、また入ってくる。薬が馴染んでくると、徐々にその動きが早くなってきて、むず痒いような感覚が広がってきた。

「……平気か?」

「ああ」

そう答えると、ほんの少しの圧迫感と共に、もう一本の指が差し込まれた。さっきよりもより時間をかけて中に入れて、また抜いて。抵抗が少なくなると、今度は中を拡げるように指を動かされ、中からぐちぐちと卑猥な水音が聞こえ出した。酷い音が響いてくるのに痛くない。中を探られるのも、気持ち悪さより良くわからない快感が勝って、勝手に口から声が漏れてきた。

「大分柔らかくなってきたみたいだが、痛くないか」

「う……るせェ、もう嫌だ……」

「痛くはないんだな」

嫌だと言うのに聞いてもらえず、もう一本指を増やされた。痛くはない。痛くはないが、中が拡げられて、異物で満たされる感覚が気持ち良いのが恐ろしい。こんな感覚は初めてで、思わず制止しようと声を上げる。

「ぅあ……っく、止め……」

「駄目だ。ここまできて止められる訳ないだろう」

痛がってないとわかるや否や、クラスターは気持ち良いところを探るように指を動かした。しばらくしてそこを見つけると、何度もそこを押して刺激して、抵抗する余裕の無くなったロドがびくびくと震えるのを満足気に見つめ、このままいかせてやろうかどうしようか、考え始めたらしかった。ロドの陰茎はさっきから透明な液体を溢して、少し触られるだけで達してしまいそうになっている。限界は近い。

「……ロド、どうして欲しい?」

ゆっくりと指を引き抜きながら尋ねられ、ロドは甘い息を吐いて、もう、とっとと入れて欲しいと返す。指でされるのに慣れていないからか、この快感が辛かった。クラスターは少しだけ残念そうに笑うと、ロドをベッドに仰向けに寝かせた。脚を開かせ、濡れそぼった入り口に潤滑剤を塗りつけた自身を宛てがう。

殆ど条件反射で体を強張らせるロドの手に、優しくクラスターの手のひらが重ねられた。背中に回すように促され、そのままクラスターの背中にしがみつく。額に軽くキスを落とされたのを合図に、クラスターがゆっくりと腰を押し付けてきた。

見たところ過度に大きい訳でも小さい訳でもないが、どうせ入れる時は痛いだろうとばかり思っていたのに、その予想はいい意味で裏切られた。丁寧過ぎるくらい丁寧に解されたせいで、それは驚く程抵抗なく、ずるずるとロドの中に入っていく。

恥ずかしさに目を閉じれば、耳元で囁かれる背中が痒くなりそうな愛の言葉と、体中を走る快感でどんどん頭が焼けてきて……

自分が何を口走ったのかを思い出す前に、ばきり、と羽ペンが折れる音が部屋に響いた。

折れた羽ペンを床に叩きつけ、机に積まれた書類を床にぶちまける。今日はもう駄目だ。仕事は山積みだが、こんな、昔のことを思い出すような最低の気分で、仕事なんて捗る訳はない。

「おい、ジンバルト! いねェのか」

ドアの外へ向かって叫ぶと、バタバタと足音がして、しばらくするとジンバルトが入ってきた。慌てて飛んできたらしく、息が上がっている。

「どうしたんだ、突然」

「……相手をしろ。苛々して仕方ねェんだよ」

「……わかった。片付けるまで待っていてくれ」

着たばかりの服を脱ぎ捨てて、固いベッドの上へ身を投げ出した。散らばった書類をぞんざいにかき集め、机の上に置くジンバルトを横目で見る。あの頃の親友にそっくりな顔をした、あいつの弟。未練がましいを通り越して、いかれてる。こいつは、親友の代わりになんてなれない。こいつも、自分が兄貴の代わりにされてるとわかっていて、逆らわない。馬鹿ばっかりか、この組織はよ。

書類を片付けたジンバルトは、上着を脱ぎながらベッドに寝転ぶロドの上に跨った。あいつとそっくりな顔をしている癖に、こいつの指先は、あいつとは全く違う。優しいあいつの指先とは。命じられるままに手と腰を動かすだけの、義務的なそれ。なのに、せめてそうされなければ自分を保っていられない。

だって、あいつは俺を迎えになんて来てくれなかったから。約束を信じて、ずっと待っていた。待っていようとした。なのに――遠い街で成功したと聞いてからも、あいつは俺のことを迎えに来る素振りもなく、気が付けば、俺は俺で力を手にしてしまって、もう戻れないところまで落ちてしまった。

何か事情があったのかも知れない。だからきっと、あいつは悪くない。そう思いたいけれど、それを確かめる術はもう無い。そもそも、もう会うことも無いだろう。

でももし、もう一度会えるとしたら――。いや、こんな自分を見たら、今度こそ親友は俺を拒絶するだろう。やっぱり、もう、何もかも手遅れなんだ。

自分の体をなぞる、ジンバルトの冷たい手つき。ロドは目を閉じて、それをどうにか懐かしい親友のそれに感じようと努力して、止めた。どう頑張ったって、こいつと親友は違う。俺が好きになったのは、後にも先にも、あの親友だけだ。

ロドはもう名前を呼ぶこともない親友のことを思い出しながら、かつて親友がしたように耳を噛んで、肌に指を滑らせるジンバルトを、ただ黙って受け入れた。

終わり

wrote:2016-07-30