夢見る二人の神様

ずっと夢を見続けていた。おぞましくて汚らわしい、禍々しい夢。残虐の限りを尽くして、私は唯一無二の相棒と、それを心から楽しんでいた。信じられない。信じたくない。でも、それは間違いなく、私がしたことだった。

とことんまで付き合うと誓い、一蓮托生だと約束した相棒。それが今、目の前で死にかけている。それを見て、私は、長い夢から覚めたのだ。

記憶が徐々にはっきりしてくる。私が、二百年前に世界を破壊し尽くしたことも、ベルビウスの手によって封印されたことも、そして、ギグの相棒である彼と、再び世界を滅茶苦茶に破壊して、たくさんの人を殺したことも。

魂を歪まされていたとは言え、償わなければならない。知らない振りなんて出来ない。そのためには、彼とは別の道を歩まなければならなかった。本当は、彼と共に消滅するなり、封印されるのが筋かも知れない。けれど、私には私にしか出来ない役割がある。それを全うすることこそが、正しい在り方なんだ。

だから、せめてもの情けとして、かろうじて呼吸している、正に虫の息と言った状態の彼に、私は最後に話しかけた。

「君のことを、ギグはとても気に入っていたよ」

そう、ギグだった私は、彼のことを本当に気に入っていた。好きだった。ギグ自身は認めないかも知れないけれど、愛していると言っても良かった。けれど、正気に戻った私は、彼に対して、ギグとは真逆の感情を抱いていた。

血を見るのを、暴力に身を委ねるのを何より好む彼のことを、私は心底軽蔑し、嫌悪している。封印などではなく、消滅させてしまえば良いのにとさえ思った。こんな危険な魂、きっと改心することなんて無い。あり得ない。

でも、おかしくなっていた自分のせいでこんな凶行に及んでしまった青年に、一欠片でも慈悲をくれてやらなければ、余りに哀れ過ぎる。だから、私は言った。青年に力を与え、破壊の限りを尽くさせて、一蓮托生の仲となっていた、あの粗暴な「彼」になりきって。

「また遊ぼうぜ、相棒」

これは、彼にとって言ってはならない言葉だったのに。

死を統べる者である自分が、世界を喰らう者程度の下級神に怯えるなんて、あってはならないことだ。それなのに、私は、彼のことを恐れてしまった。私が語りかけた途端、彼の中でとてつもない感情が、まるで世界が爆発したかのように溢れだしたから。怒り、失望、恨み、そして――愛情。

体中、傷のない所を探すのが難しいくらいの斬撃を受けて、体内の血が一滴残らず出尽くしたくらいの出血をして、内臓も殆どが役立たずになっていた彼は、指先さえ動かすことが出来ずにいた。だから、彼が周りの連中を喰らうことは、どうやったって不可能だ。でも、自分の中にいる存在を喰らうことは出来る。

私は完全に慢心仕切っていた。気がつけば、彼の体と魂から分かたれようとしていた私は、彼の感情に呑まれるように取り込まれ――平たく言うと喰われ――死にかけていた彼は、私の力を使って蘇った。

目の前で、喰い尽くさずに、いつでも吐き出せるように喰らった二人を見たことで、彼も私をそうやって喰らったらしい。一瞬、目の前が真っ暗になったかと思うと、私から無理矢理力を引き出して体を修復し、剣を振るう彼を、私はただ見ているしか出来なくなっていた。

彼の一番近くで、一番油断していた人物は、別の世界からやって来た青い髪の喰らう者。彼の最初の獲物は彼女だった。体を修復しながら、彼は彼女の胴体を真っ二つに斬り裂いた。彼女の中にいる、ベルビウスごと。彼女の驚きに見開かれた目を見て彼は口元を歪め、止めとばかりに彼女の首を斬り落とした。

そこから先は、もう、思い出したくもない。

いくら止めろと叫んでも、彼は剣を振るうのを止めてはくれなかった。むしろ、私の悲鳴を聞くたびに、彼は一層腕に力を込めて、周りの人々を斬り裂いていった。

クピト族の少女、レッドフォットの老兵、銃を使う目付きの悪い男、水棲族の戦士と女王、強い力を持っていたらしい竜賢者、若い療術師、そして、巨大な世界を喰らう者さえ、歯牙にもかけない程の勢い。自分の血で濡れていた衣服は、いつの間にか返り血で上書きされて、一層赤く染まっていた。

血と肉片に塗れた森の中、一人ぼっちで立ち尽くす彼は、私に冷たい声で語りかけた。

「ギグを、返してよ」

「それは……」

そんなことは、不可能だ。ガジルによって魂を歪められて出来たのがギグ。その歪みが正された今、私がギグに戻ることは無い。彼の望みは、永久に叶わない。

「そんなの……認めない。認められない」

私がいくら説明しても、彼はそれを信じようとしなかった。淡々と、低い声で、彼は私の言葉を否定し続けた。ギグが彼を好んだように、彼もまた、ギグのことを思っていたのだろう。だとすれば、そうし続ける理由もわかる。それでも……。

「……無理なものは無理なんだよ。だから、もうこんなことは」

「煩い……ねえ、選ばせてあげようか」

説得しようと試みる私に、彼は有無を言わさぬ口調で、二つの選択肢を突き付けた。

「完全に喰い尽くされて、俺の養分になるか。それとも、あんたがギグに戻るまで、俺に付き合うか」

「馬鹿な……!」

それは、どちらを選んでも、先の見えない落とし穴のような選択肢。

「ああ、言っておくけれど、あんたを喰らったら、俺はきっとこの世界を全部壊して、消滅させてしまうと思うよ」

「なっ……」

「統べる者として、それは困るんじゃないの」

今、この世界に、彼を止められそうな者はいない。力づくで世界を壊すことなんて、彼にとっては容易いだろう。私が耐えるしか、この世界の崩壊を防ぐ方法は無い。

「もちろん、世界なんてどうなっても良い、俺に付き合うよりは消滅した方がマシだって思うなら……それでも構わないけど」

「……私は、お前に喰われる訳にはいかない」

「そう。だったら早く、ギグに戻ってもらうしか無いね」

「……」

それは、絶対にあり得ない。あり得ないけれど、表向きであっても、その選択肢を選ぶしか、私には方法が無かった。それに、ただの時間稼ぎ以外にも、この選択肢には意味がある。

この森に広がる無数の屍。全ての魂は既に転生の輪の中へ入っていった。死を統べる者である私の力を持つ彼が殺したのだから、彼らはまたいつか、ハーフニィス界に転生するだろう。転生した彼らは、きっとまた、彼を殺しに来てくれる。それを待つ事が、私に出来る最後の悪足掻きだった。

「こいつらが転生したら、また同じように殺してあげるから、楽しみにしてなよ」

あんたの力を使って殺しまくったら、きっと壊す楽しさを思い出して、元に戻れるんじゃないかな。私の思惑に気付いているらしい彼は、そう言って、私の反応を伺っているようだった。でも、何と言い返したら良いのだろう。

初めから魂ごと喰らってしまえば、彼らはもう転生することは叶わなくなる。この世界に、再び彼にとっての脅威が訪れることは無くなるのだ。それなのに、あえてそうしなかったという事は、自分を殺しに来る連中を、何度でも斬り伏せる自信があるという事。

だが、彼の言うように、私をギグに戻すことが出来るかどうかと言われれば……やはり、それはあり得ない話だ。絶対に、私がギグに戻ることは無い。

それでも、彼の言葉からは、私をギグに戻すためなら、いくら時間がかかっても構わないという意思が込められていることが理解できた。子供の駄々にしては、禍々しくて、取り付く島もない我儘。可能性のない戦いを、永遠に続けても構わない。それでもギグを取り戻したいという、純粋過ぎる思い。

私は私で、いつ叶うのかもわからない、僅かな可能性に賭けるしか無くなっている。彼に殺されてしまった彼らが、彼よりも強くなって転生してくれるのか? 再び戦いを挑んでくれるのか? もし、彼らが戦いを諦めてしまったら? 不安は尽きない。けれど、私はひたすら祈ることしか出来ない。どうか、早く、誰かが彼を殺しにやって来てくれますように、と。

私がだんまりを決め込んだのだと見るや、彼はため息を一つ付き、剣を地面に突き立てて食事を始めた。あれだけの怪我を一瞬にして修復し、かなりの強さを持つ連中と戦ったのだから、消耗も激しかったらしい。彼は手始めに、足元に転がる死体の、斬り落とされた腕を手に取ると、まるで骨付き肉でも食べるかのように、大口を開けて喰らいついた。

魂そのものより質が落ちるとは言え、強い魂の器だった肉体は、それだけでもかなり栄養価の高い食事になる。彼はそこら中に散らばった死体の山を、丁寧に貪り始めた。世界を喰らう者だと自覚した彼にとり、胃袋の限界なんてものは存在しない。

なんて醜い存在なんだ、彼は。他者を喰らって、奪って、それを自分の力として吸収する。ここに散らばる死体を喰らい尽くしたら、彼はきっと、今よりもっと強くなってしまう。

もし、彼らがより強い力を持って転生しても、この暴走した世界を喰らう者を、本当に倒せるのだろうか。

ぞくりと、嫌な予感が頭の中に過ぎった。いや、こんな事態になったのだから、ハーフニィスも黙っていないだろう。きっと、どうにか対策を練ってくれるはずだ。そう、願うしかない。

彼の胃袋の中、上から降り注いでくる人間たちの肉片と血を浴びながら、私は祈り続けた。

彼の根城は、あれからずっと、この森だった。幾らでも食べることが出来るけれど、逆に食べなくても死なない彼は、この森でたった一人、切り株の上に腰を下ろして、何もせずに佇んでいた。眠っていることもあったけれど、彼が眠っているからと言って、私に出来ることは何もない。もう、私たちは融合している訳ではないからだ。

融合と、一方的に喰われるのとでは、随分と異なるらしい。彼と会話することは出来ても、私の声は外には漏れ出ない。彼と深く融合していた時は、夢さえ見なかったのに、今は彼の見る夢を覗くことが出来た。

彼の見る夢は、細部は違っても、いつも同じ。ギグと一緒に、世界を破壊して回る、それだけの夢。狂ったように笑いながら、あの黒い剣を振るって、老若男女、種族の区別無く、実に楽しそうに人々を斬り殺すのだ。

彼の夢の中で、ギグは何故だか実体化していて、私と同じ顔、姿をした死神が、彼と一緒に暴れ回っているのを見せつけられた。血飛沫を嬉しそうに浴びて、耳障りな声で笑う。こんなのは私じゃない。でも、間違いなく、おかしくなっていた私がしてきたことが、これなんだ。

彼が起きている間、ただ黙って時間が過ぎるのを待ち、彼が眠れば、今度は罪悪感と嫌悪感で身を引き裂かれそうになりながら、彼の夢の中の自分と向き合う。喰世王という存在を世界が忘れないようにと、数年に一度、気まぐれに街を滅ぼしに出る以外、彼と私はそうやって時間を過ごした。

夢でも現実でも、こんな凄惨すぎる光景を見せつけられて、正気でいられる方が異常だ。このままでは本当に、自分がおかしくなってしまう。けれど、そうなってしまうのは私の負けだ。そしてそれは、世界の崩壊と同義だった。私はこの地獄のような時間を必死に耐え、誰かが彼を殺してくれるようにと祈り続け――そして五十年の時が過ぎ、ついに、その時がやって来た。

森中、私達を取り囲む多くの兵士たち。随分と鍛え上げたらしい彼らは、かつて彼を討伐しに来た時よりも、ずっと強そうに見えた。そしてその中で、一歩前に出た、青い髪の剣闘士と、金の髪の拳闘士。彼らは、あの時の喰らう者か。

「……今度こそ、終わりにしてやる」

彼らの傍らには、見慣れた気配があった。ベルビウス。姿は、あの老女とは異なっている。若い頃の、彼女の姿。そしてそこから一歩下がって、辛そうな表情をして、こちらを見つめる女性。それは。

(レシリエンス……!)

世界を喰らう者に落とされていた彼女が、もう一度、あの時の姿で、死を統べる者として転生しただなんて。私を喰らい、死を統べる者の力を得た彼を、ハーフニィスは死を統べる者の一柱とは見做さなかったのだろう。私達を殺すために、彼女を死を統べる者とした上で、この場に送り込んで来たって言うのか。あれほど、統べる者になりたがらなかった、どこまでも優しく、自己犠牲に満ちた彼女を。

「五十年前のようにはいかない。今度はもう、封印なんて生易しいことは言ってやらないよ」

「お前はもう、この世界から消し去るしか無ェってことだな」

「……これだけの数、もう、どう足掻いても無駄でしょう」

「ヴィジランス……もう、貴方は何処にもいないのですね」

五十年前より、一層濃い殺意を向けてくる彼らを見て、彼は五十年ぶりに笑った。何度も繰り返してあげるけど、早くギグに戻った方が良いと思うよ。お互いにね。そう言って、剣を握る手に力を込めて、彼は地面を蹴った。

それから先は、あの場面の焼き直しだった。五十年前よりずっと強くなっていたはずの彼らは、それでも彼に敵わない。力を合わせれば、こちらよりもずっと強いはずなのに、そこに付け込まれた彼に、一人ひとり、彼らは潰されていった。怪我をすれば、殺した連中の肉体を喰らって修復して、そしてまた殺す。それを複数回繰り返し、終わってみれば、また、彼は一人きりで森の中に残されていた。

血生臭くなった森の中、彼はまた、そこら中に散らばった死体に齧り付いた。レシリエンスの死体。あり得ない方向に曲がった体。分断された胴体と、頭。目を背けたくなるような彼女の死体を、さらにばらばらに解体して、ぐじゅぐじゅと音を立てながら、彼は喰らった。魂の無いただの抜け殻なのに、その無念を湛えた瞳が私の目の前を落ちていく。それは、ゆっくりと真っ暗な彼の胃の中へ溶けていった。

そしてまた、何年も彼と二人きりで過ごす日々に戻った。私がギグに戻ることは、当然、無い。彼も、そう簡単に事が終わるとは思っていなかったらしく、大人しくいつも通りの日常に戻った。レシリエンスさえ、何度も何度も、彼に殺されなくてはならないのか。そう思うと、気が重い。どうか、どうか、少しでも早く、誰かが彼を殺してくれますように。

それから何百年の時が過ぎたのだろう。時間感覚は失われて、まるで毎日何処かの街を破壊しているような気さえする。けれど、着実に復興して、文明が進んでいる様子を見るに、しっかりと時間が過ぎているのがわかった。人間たちの数も、きっと元通り以上に増えている。

何度も何度も、統べる者と喰らう者たちが、私達を殺しにやって来たけれど、その度、人間の兵士たちの数は減っていった。人間たちは、私達が街を破壊し、人々を惨殺することを、天災か何かだと諦めることにしたらしい。それでも、私達に殺されるとなれば、泣き叫び、やめてくれと懇願するのは、いくら時が過ぎても変わらないのだが。

彼が見る夢も相変わらず、ギグと一緒に楽しそうに暴れる、それだけの夢。壊す街は時の流れに合わせて、機械化された道具や、電灯が輝く建物が見られたりもするけれど、内容はずっと、同じだった。

長い時間、彼の夢を見続けて気付いた事がある。それは、この夢は本当に、彼の夢なのだ、と言う事。彼はただ、ギグと一緒にいたかっただけなのだ。自分を相棒と呼ぶ、彼のたった一人の理解者で、一蓮托生と誓いあった神様と、ずっと、いつまでも一緒に、楽しく過ごしていたかったのだ。何百年経っても、その願いは変わらないまま。

彼が見る夢とは反対に、彼はずっと、一人きりで街を壊し、人々を斬り殺している。最初の百年くらいは、私も止めるように叫んでいたけれど、それももう、しなくなった。何を言っても無駄だと学んだから。そして、ここ数百年近くの間、夢の中以外で彼が笑わなくなっている事に気付いてからは……私は、本当に、何も言えなくなっていた。

彼も、私も、統べる者・喰らう者たちも疲弊しきっていて、ただ惰性で、破壊し、祈り、私達を殺しにやって来る、そんな状態になっている。けれど互いに、この戦いを止める訳にはいかなかった。

一体何度目になるかわからない、この迷いの森での戦いも、もう結末は見えていた。少しずつ、でも着実に力を蓄え続けた彼は、もう、彼らが束になっても――喰らいあっても――敵わない程、強くなってしまっている。もう誰も、彼を止めることは出来ない。それをわかっていて、それでも、彼を放っておくことは出来ず、彼らは無謀な戦いに挑まされている。誰もが諦めを浮かべた悲痛な顔で、私達に立ち向かって来ていた。それを、彼は淡々と斬り裂いていく。次々と倒れていく見慣れた者たちの姿を見ても、私はもう、何も感じなくなっていた。

ああ、また、彼の食事が始まる……。

「ねえ」

降り注ぐ血と肉塊が、すっかり彼に消化されてしまった頃、数百年ぶりに、彼が私に話しかけてきた。もう、随分長いこと、彼の声を聞いていない気がする。こんなに、青年らしい声だったか。もっと、禍々しいかと思っていたのに。

「ねえ、そろそろ……終わりにしようか」

「……どういうことだ」

「……もう、随分、力も溜まったみたいだから」

「……?」

答えになっていない言葉を返され、反駁する間もなく、私の魂は、真っ暗な闇に包まれた。まさか、このまま飲み込まれてしまうのかと思ったが、そうではなく、私は彼の胃の中から吐き出された。痛い。彼から開放されるはずなのに、何故か、体全体が痛む。体? 私は、体なんて無い、魂だけの存在だったはずだ。

徐々に収まっていく全身の痛み。ゆっくりと目を開けると、そこには、彼の目を通してでしか見ることの出来なかった景色が広がっていた。血生臭さが残る、陰鬱な森の中。血を吸ったような赤い木々。その中で、一際赤い髪を風に揺らして、漆黒の剣を手にした彼が、私を表情の無い顔で見つめていた。

「……どうかな、元通りの力を出せると良いんだけど」

「何を……したんだ」

「……今までたくさん食べてきたから……あんたに肉体を与えた上で、魂を吐き出せるんじゃないかって思ったのさ。成功したかな?」

私が肉体を得たという点では、それは成功と言えるかも知れない。でも、この肉体は、彼が今まで喰らってきた死体の山を寄せ集めて構築されたもの。そう思うと、おぞましさに吐き気さえ覚えた。

「……それで、何が目的だ」

「……肉体を与えて実際に遊んでみたら、ギグの目が覚めるかも知れないと思ってね」

彼はそう言って、何百年かぶりに笑った。

もしかしたら、彼は、最初からこうするつもりだったのかも知れない。魂だけのギグでは物足りない。ずっと一緒にいるためには、肉体が必要だ。だから、肉体を作れる程力を蓄えるまで、只管待とうという腹積もりだったのではないか。それまでの間に私がギグに戻れたら良し、そうでなかったら私と殺し合って、荒療治で元に戻そうと言う、私がギグに戻れることを前提とした、穴だらけの作戦。

こんなことをしたところで、その願いは叶わないのに。でも、彼はもう、それに縋るしか無くなっている。

「だったら……良いだろう。お前は、私が止めてやる」

死を統べる者として、彼をこんな凶行に及ばせてしまった張本人として、私は責任を取らなければならない。その機会を与えてくれたことだけは、彼に感謝しても良いと思えた。

また遊ぼう、と言う、ほんの戯れで言ったに過ぎない言葉。まさかあれが現実になるとは。それも良いだろう。きっと、あの言葉を発した時から、こうなることが決まっていたのだ。

「じゃあ、始めようか」

剣を構える彼に、私も鎌を出して応じた。こうして私が戦うのは……そう、ギグになる直前、あの強すぎる人間と戦った時以来になる。今度こそ負けるわけにはいかない。血でぬかるむ地面を蹴って、私と彼は、同時に互いに向かって刃を振るった。

何日経ったかもわからない。一度、雨が降ったことは覚えている。周囲の木々はなぎ倒されて、森の真ん中だけが、ぽっかりと広く開いてしまっていた。その中心で、私と彼は、延々と戦い続けている。

言葉を交わす必要は無い。ただ、刃を交えるだけで、互いに精一杯になっていた。彼と私の力は、全くの互角。互いが全力で斬りかかっているのに、力の優劣が見えない。速さも膂力も、何もかもが同等だった。

私の目の前で剣を振るう彼は、実に楽しげに笑っている。怪我をしても、浅く斬りつけた程度ならすぐに回復してしまうし、腕が吹き飛んだくらいなら、すぐに接続出来てしまう。余程の深手を追わせなければ、動きを止めることは出来ないだろう。でも、それが出来たら、とっくにこの戦いは終わっている。

狂った目付きで私に斬りかかる彼を、私は何度もいなして、斬りつけて、時には横腹を蹴り飛ばして地面に叩きつけた。私は私で、彼に斬りかかっては一撃を防がれて反撃され、斬るより殴る方が早いと見た彼から鳩尾に拳を喰らって、大木に背中を強かに打ったりもした。

ダメージを与えれば、同じ分だけ返される。傷を修復し、斬り落とされた四肢を繋げながら、休み無く戦い続けて、少しずつ溜まった疲労で、私達は同時に膝を付いた。

もう一撃、鎌を振るえるかという力しか残っていない。それは彼も同じだろう。次が本当に、最後の一撃。

相打ち。そんな言葉が頭に浮かんで、それも仕方ないかも知れないと、私は思った。余りに強くなりすぎた彼は、もはや世界と引き換えにでもしなければ止められない。喰らう者も、統べる者もいなくなった崩壊していく世界で、私は彼と一緒に消滅する。彼の中で、幾度も統べる者たちを殺し続けた共犯者として、そうやって終わるべきとも思えた。

すう、と一息、静かに息を吸い込み、震える足に鞭打って、私と彼は同時に、互いに向けて、互いの獲物をぶつけた。どうか、これが相手の心臓を斬り裂いてくれますようにと、そう祈りながら。

赤い何かが、目の前で弾けた。でもそれは、彼の髪の色なんかでは無かった。振り返ると、そこには、胴体から真っ二つに分断された彼が、地面に転がっていた。まだ熱い返り血が、私の頬を伝って零れ落ちる。どうして。きっと相打ちになるだろうと覚悟していたのに。

彼の右手には、黒い剣が握られたまま。だが、その剣は……彼の体と同じく、真ん中から半分に折れてしまっていた。折れた剣の先は弾き飛ばされ、彼の手の届かない場所へ突き刺さっている。馬鹿な。

私は慌てて彼に駆け寄った。消耗しきった体では、この致命的な怪我を修復することなんて出来やしない。ついにこの戦いに決着が付いた。私は、彼を止めることが出来たのだ。何百年もの間、待ち望んだ結末に、ようやくたどり着いたんだ。なのにどうして……こんなに悲しいんだ、私は。

まだ微かに息がある彼に、私は顔を近づけた。もう、喰らう気力も残っていないらしく、私に喰らいつくような素振りも無い。

「最後まで……ギグ、に……戻って、くれなかったね」

「……わかってただろう、そんなことは」

「ふん……わかってても、諦められないことくらい……あんたにだってあっただろ」

「……」

彼の言う通り、幾つもあった。もう駄目だと、何百年も思い続けていた。それでも、君を止めることだけは諦めてはいけないと、そう思って――。そして、私の願いは叶った。

でも、君の願いは、初めから、叶う可能性なんてゼロだった。諦めなければ叶うものでも無かった。それに何百年も縋り続ける君は……哀れで、痛々しくて、そして何処までも純粋だった。君の思いを向けられ続けるギグが、いつしか羨ましいとさえ思っていた。もしかしたら、それは嫉妬に近い感情だったかも知れなかった。

「あんたなんかじゃなく……ギグと、こうして遊びたかったな……」

虚ろな金の瞳に、じわりと涙が滲んでいる。彼の涙を見たのは、初めてだった。私がギグだった頃を含めて、彼は、笑うか、無表情か、どちらかしか私に見せてくれなかったのに。彼は今、本当に、悲しんでいるのか。

私は、あの時、仮初の言葉を彼に吐いたことを心から反省した。あれは、彼の純粋過ぎるギグへの気持ちを踏み躙る、最低の言葉だった。だから今度こそ、私は自分自身の言葉で、彼に別れを告げなくてはならない。

「私で良ければ……転生したら、また遊んであげるよ」

「……あんたとなんか、二度と御免だね」

さっさと殺したら。彼はそう言って笑うと、ゆっくりと目を閉じた。

最後まで、彼は私のことなんて見ていなかった。何百年も一緒に過ごしてきたのに、最後まで、私を拒絶し続けるんだね。

私は、彼の首元へ鎌の切っ先を這わせ、一思いに刃を滑らせた。ごろりと、彼の頭が地面を転がる。血に濡れた鎌を消して、私は彼の頭を、そっと抱えあげた。

血よりも紅い、赤い髪。閉じられた瞳の奥の、月のように冷たく輝く金の瞳。もう、動くことのない薄い桃色の唇。血と泥に塗れた肌を丁寧に拭き取ると、まるで今にも喋りだしそう。それを胸に抱き、私は泣いた。こんなことをしているのを見たら、きっと彼は不機嫌そうな顔をするだろう。でも、どうしても止められなかった。

一通り泣いた私は、三つに分かたれた彼の亡骸を元通りに修復した。もちろん、ただの抜け殻に過ぎないことはわかっている。けれど、このまま野ざらしにはしておけない。

ほんの半刻前まで、私と刃を交えていた時と同じ姿。今にも折れた剣を手にして斬りかかってきそうな……。でも、もうこの体が動き出すことはない。

私が殺せば、彼はまたこの世界に転生出来る。彼を消滅させようとしてきた者たちには悪いけれど、私は、彼に再び巡り会わなければならなかった。

彼の魂が危険だと言うのなら、私がずっと彼を見張っていよう。生まれてから死ぬまで、ずっと。だから今度は、少しでも良いから私のことを見て欲しい。私であって私じゃない、別の誰かではなく。それはまるで、世界の意思に背くような我儘。君なんかよりずっと、私の方が碌でもなかったね。

冷たくなった彼の亡骸をぎゅっと抱きしめて、私は、随分と広くなった空を見上げた。赤い、赤い夕焼け空。それはまるで、彼そのものが溶け込んだような、鮮烈な赤だった。

終わり

wrote:2016-02-13