知りたくなかった胸の裡

ジンバルトに似たヒトが見つかった、という連絡を受けて、俺は頭の中が真っ白になった。ようやく、それらしくなってきたところなのに。本物が見つかったら、戻ってきたら、俺はあのヒトにとって要らないものになってしまう。どうしよう。

報告してきたリタリーは、そそくさと帰ってしまった。見かけた場所は、水棲族の拠点の辺りだという。どうしよう。また、自分の居場所が無くなってしまう。どうしよう。嘘だ、きっと見間違いか何かで――。

「どうした、何かあったのか」

「兄さん……いや、なんでもない」

廊下で呆けているのを心配してか、兄さんが声をかけてくれた。ようやく自然に振る舞えるようになって、兄さんだってそう思い込んで接してくれるようになってきたのに。どうして今更になって。

「……兄さん、しばらく、家を空けても良いか」

「それは構わないが……やっぱり、何かあったんじゃないのか」

「いや、心配するようなことは無い。ただ少し、遠出がしたくなっただけさ」

「……そうか。いつからだい」

「明日にでも」

「わかった。今日はもう上がっていい。支度もあるだろ」

「……ありがとう」

廊下で兄さんの背中を見送って、俺も自室へと戻ることにした。うまく誤魔化せたのかはわからない。勘付かれているかも。でも、知られたところで、兄さんにはどうすることも出来ないはずだった。

ジンバルトに会ってどうするつもりなのか、自分でもわかっていない。わかっていないのに。頭に浮かんで来るのは、どれもこれも仄暗い計画ばかり。俺はこんなんじゃなかったはずだった。どうして、こうなってしまったんだろう。

髪を切って髪を染めて、なるべく眉間にしわを寄せて歩くようにして、話し方だって変えたし、低い声で話すようにして、慣れない経済や療術の勉強だって頑張ってきた。ここまでしてるのに、どうして。

いつもこうだ。頑張ってきたのに、報われた試しなんて、今まで何も無かったじゃないか。あれだけ長い旅をしてきて、危険な目にも何度も合ったっていうのに、終わってみれば……俺はたった一人でこの世界に放り出されただけだった。せっかく手に入りそうだった居場所だって、今こうして失いそうになって――。

あいつが言ったんだ、兄貴を頼むって。だからもう、お前は要らない。要らないはずだ。

平和になったこの世界で、護身用の武器なんて、もう必要無い。旅荷の鞄の中、一番奥へ、俺は卸したての短剣を忍ばせた。俺の邪魔をするなら、本物には、消えてもらうしか無い。

水棲族の拠点は、オステカの街からそう離れていない。一日歩けばすぐに着くだろう。そう言えば、水棲族の拠点にはヨストがいたっけ。気付かれてしまうだろうか。俺が、俺だということに。子育てで忙しくてそれどころじゃないなら、それはそれで助かる。あの女王様には見抜かれてしまうと思うけれど、どうせ奥からは出てこないはずだった。

海沿いを歩きながら、俺は一体どうするべきなのかを只管考えた。ジンバルトに戻る気がないというのなら、そのまま捨ておいても良い。オステカの街へ近づかないように、念を押す必要はあるだろうけど。でももし、ジンバルトがあの屋敷へ戻りたいと言うのなら、やはり殺すしか無い。本物の弟が戻ってきた方が、兄さんにとっては一番良いはずだと思う。偽物の俺なんかじゃなく、本物の方が。だから、殺すしか無いんだ。

「あんた、どうしてこんなところほっつき歩いてんだい」

急に後ろから声をかけられて、俺は驚いて振り向いた。そこには、年若い水棲族が立っている。

「何か思い出しそうになってるの?」

「……何の話だ?」

親しげに話しかけてくる様子だけど、この水棲族には見覚えが無かった。聞き返すと、彼女は驚いた顔をして、俺の顔を見つめた。もしかして、この近くにいるのか。あいつが。

「……? ヒト、違い?」

ごめんなさい、よく似たヒトと知り合いなものだから。彼女はそう言って頭を下げた。詳しく聞かせて欲しいというと、彼女は、貴方によく似た人間の世話をしているのだと答えた。彼は記憶を失って、どうやっても、何も思い出せないのだという。

「それは……大変だな」

「良いの。何も思い出せなくても、あのヒトのことが好きなの、私」

「……そうか」

「最近はね、思い出さないで欲しいとも思うの。嫌なこととか辛いことがあって忘れてるなら、それはそのままで良いのかなって」

変な話をしてごめんなさい、道中気をつけて。彼女はそう言って、俺に背を向けた。

確かめるまでもない。彼女の言う「彼」というのは、ジンバルトのことだ。記憶を失った、だって? それなら安心だと、手放しに安堵出来る程、俺は楽観的にはなれない。記憶が戻ったらどうなる? 自殺しようとしたジンバルトだけれど、今みたいに周りに支えられていれば、もしかしたら立ち直って、元の生活に戻ろうとするかも知れない。けれど、記憶のないジンバルトを、先を見越して殺すなんて――。

でも、いつ戻ってくるかわからない本物の影に怯え続けろって言うのか。そんなの、酷すぎる。俺にはきっと、耐えられない。

旅荷を砂浜へ下ろし、鞄の奥をまさぐる。硬い金属に触れ、それをゆっくりと取り出した。こんな小さな短剣なのに、ずしりと重く感じる。鞘を抜くと、太陽の光を反射して、刃がぎらりと輝いた。地面を蹴って、背を向けた女に向かって走りだす。こんなの簡単だ。彼女は丸腰だし、俺は前の旅で、何人も殺してる。今更躊躇うことなんて何もない。

足音に驚いた彼女が振り向いた。もう、逃げる暇も無い。俺は青白い肌へ、短剣を深々と突き刺した。心臓を狙って、声も上げられないように、静かに。彼女は小さなうめき声を上げると、ぐらりと地面へと崩れ落ちた。

証拠は何も残せない。関係があったヒトは、皆、殺さなくては。胸に突き刺した短剣を引き抜いて、血を払う。水棲族の拠点まであと少し。もうすぐ日が暮れる。一体何人殺したら帰れるだろう。早く、あいつが見つかれば良いけれど。

荷を担ぎ直して、俺は入江に向かって歩き始めた。さっきよりも重く感じる足には、気付かない振りをして。

終わり

wrote:2016-10-02