取り返しがつかない

もう三日も、兄の顔を見ていなかった。兄と仲が悪かった訳ではない。一緒の小学校、一緒の中学校、そして、一緒の高校に入ったくらいなのだから。でも、兄はいつの間にか俺とは全く違ってしまって、俺が二年生になって少しした後、兄は高校を中退してしまった。一年生の後半から、兄は殆ど学校に来なくなり、帰りも日付が変わってからという有様になっていて、話をすることさえ稀になっていた。

遠く離れたところで暮らす養母に相談しても、今はそっとしておいた方が良いと言われただけ。そっとしておけないから、相談しているのに。同じクラスのギグとは、よく三人でつるんでいたけれど、兄の話をすると、決まってバツの悪そうな顔をされて、それ以上話を続けられなくなってしまっていた。

それでも、双子の兄だ。絶対に放っておけない。今でも仲が悪い訳ではないはずだし、ただ、兄が何を考えているのか、わからないだけ。兄は……少し、気性は荒いけれど、ちゃんと優しいところもあるんだと、俺はよく知っている。

時折、テーブルの上に何枚かのお札が入った封筒が置かれている時もあって、なんだかんだで兄は働いているらしいということはわかっている。けれど、未成年をこんな夜遅くまで働かせることなんてあるだろうか? それも、日付が変わる程。

何か危険な仕事をしているんじゃないかと思う時もあって、実際に尋ねたこともあるのだけれど、適当にごまかされただけだった。それに、働いているのなら、しょっちゅう怪我をして帰ってくるのはそもそもおかしい気がする。それに、どこにも怪我をしていないのに、服に血が付いているのは――。

色々と積もり積もった不安と不審感で、俺は夜の街を駆けた。何かあったんじゃないか。そう思いながら。三日も顔を見ていないどころか、家に戻った形跡さえないのだから、もしかしたらどこかで倒れてるのかも知れないし、危険な何かに巻き込まれたのかも知れない。明日は休みだし、遅くまで出歩いていたって構わない。恐る恐る路地裏を覗き、いかがわしい店の前を足早に通り過ぎ、思いつく限り街中を歩きまわったのに、兄の姿は見当たらなかった。

流石に疲れて、半ば諦めながら家へ向かって繁華街を歩いていると、聞き慣れない声に呼び止められた。

「おい、待てよてめえ」

「え……ぐッ」

驚いて振り向いた途端、鳩尾にきつい一撃を喰らって、目の前に倒れこむ。見たことのない、四人のガラの悪い男たち。俺を殴った男は、よろけた俺を受け止めると、そのまま乱暴に路地裏に引きずり込んだ。

見知らぬ連中に殴られるような覚えはない。だから、こいつらが俺を兄と勘違いしているということは、すぐに察しがついた。けれど、弁明する余裕も無い。四人もの男に寄ってたかって殴られれば、痛みを堪えるのに精一杯で、人違いだと、俺は何もしていないと叫ぶことさえままならなかった。

そこら中殴られて頭はガンガンするし、地面に血痕が散っているところを見ると、どこかから出血しているらしい。腕も脚もうまく動かせない。何度も腹を蹴られたせいで、胃液さえ出ないくらいに吐きまくっている。骨が折れてないと良いけれど、それも時間の問題かも知れなかった。口の中も切れていて、口の中が鉄臭い。

こうなってしまうと、とにかく早くこいつらの気が済むようにと祈るしかない。いや、もう一つ出来ることがあるとすれば、とっとと気を失うことかも知れない。どうやら、そっちの方が早いみたいだけど……。

どこからか、聞き慣れない男の声と、兄が話す声が聞こえる。一体誰だろう。体を起こそうとして、ずきずきと体中が痛むことに気付く。そして、ばたんと、扉が閉まる音が響いた。誰かと、兄と、どちらかが出て行ったらしい。

ゆっくりと目を開くと、そこには見慣れた天井が広がっていた。どうやらここは、家のベッドの上らしい。窓から差し込む太陽の光。全く記憶は無いけれど、どうにかして帰宅したみたいだ。でも、どうやって。

「大丈夫?」

聞き慣れた声の方にどうにか頭を向けると、そこには、少しだけバツの悪そうな顔をした兄が、椅子に座って俺を見ていた。良かった。出て行ったのは、知らない誰かだったらしい。

「兄、さん……」

「一応手当はしたけど、まだ痛むでしょ。今日は寝てなよ」

兄はそう言って椅子から立ち上がると、寝室から出ていこうと部屋の扉へ足を進めた。

「待ってよ、説明して」

「……こっちが説明して欲しいんだけど。何で夜中にあんなところにいたの」

振り向いた兄は、そう言って、冷たい目で俺を見た。怒っているのか、ぞくりと背筋に寒気が走る。でも、かと言って黙ってなんていられない。

「それは……最近、兄さんが戻ってないみたいだったから」

「……心配しないでって、いつも言ってるでしょ」

「そんなの……ッ、勝手なことばっかり……!」

双子なんだから、心配せずにいられる訳が無いのに。切れてしまった口の痛みを堪えて、精一杯叫んだ。それを聞いた兄は、珍しく驚いた顔をした。兄はのろのろと俺の側まで戻ってくると、ベッドの側の椅子に腰を下ろして、俺の頭をそっと撫でた。

しばらく兄は黙ったまま、俺の頭を撫でてくれていた。遠い昔、一緒のベッドで二人眠っていた時のことを、ぼんやりと思い出しながら、その時に比べて随分大きくなった兄の手のひらの感触を辿る。暖かい朝日も相まって、少しだけ眠くなってきた……のに。

「……悪かったよ」

兄が、本当に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でそう口にしたせいで、俺はすっかり目が覚めてしまった。まさか兄の口から、そんな言葉が出るなんて。

「あ、いや……あんまり、危ないことしないでよね」

「……気をつける」

酷い目にはあったけれど、兄が少しでも行動を改めてくれるなら、無駄骨にはならなかった……と思うことにした。兄は、そんなにボコボコにされて、何笑ってるの。なんて言っているけれど、破天荒な兄とギグに付き合わされて怪我をするなんて、昔はしょっちゅうだったし、これくらい、なんてことはない。……半分は強がりだけれど。

とりあえず、今日一日動けそうにないし、午後になったらギグも遊びに来そうな気がするし、少しだけ寝ても良いかな。そう思って、俺はゆっくりと目を閉じた――のに。

「なッ……何、してるの」

いきなり布団を引剥され、驚いて俺は声を上げた。寝かせてくれるんじゃないのか。兄は元の、表情の読めない顔で、俺を見下ろしている。

「お詫びだよ、お前を巻き込んじゃったからね」

「何を――」

兄は何も言わず、恐らく兄が着替えさせてくれただろう寝間着代わりのジャージを、下着ごと引きずり下ろした。こんなの、冗談にしては度が過ぎている。笑えない。というか、お詫びと言って裸にさせるなんて、それって――!

「嫌だ……兄さん、やめてよ!」

痛みで動かない体では、出来ることは大声で叫ぶことくらいしか無い。もちろんそんな制止なんて、兄には通用しない。兄は無表情でベッドの俺の上に跨った。露わにされた俺の性器に顔を近づけて、萎えたままのそれを優しく握る。嫌だ、こんなの。

「兄さん、駄目だってば! 俺達兄弟だろ!?」

「……くたびれたおっさんと寝るよりは、兄弟の方がマシじゃないの」

「なっ……!」

「ああもう、良いから黙って寝てなよ」

兄はそう言って、手でゆるゆると弄んでいたそれを口に含んだ。

俺の知らないところで、兄は誰とも知らない男と、こういう事をしてるって言うのか。兄が俺の性器を咥えている事も、何処かで同じことをしている事も、どちらも余りに衝撃的すぎて、頭がついていかない。信じられない、信じたくない。嫌悪感で勝手に涙が浮かんできていた。

嫌だと思っていても、こんなの許されないとわかっていても、刺激的過ぎる兄の舌使いのせいで、そこは勝手に大きくなっていってしまった。情けなくて、また涙が溢れる。こんなこと、ギグとだってしたこと無かったのに。

兄は、十分過ぎる程硬くなったものから口を離して、楽しそうにこちらを見た。俺が泣いているっていうのに、どうして兄はこんな酷いことを続けられるって言うんだ。兄はこんな人じゃ無かったはずなのに。

「……ねえ、もうギグとはしたの?」

兄はそう言って、自分の唾液で濡れたそれを、ゆっくりと扱いた。

「何言って……う、やめ……」

さっきより刺激は少ないとは言っても、焦らされるような触り方に、思わず声が漏れでてしまう。

「ギグとする時は、お前はどっちなの? 抱く方? それとも、抱かれる方かな」

兄はそう言って、俺の後孔にそっと指を這わせた。瞬間、頭の中が熱くなる。駄目だ、そんなところ、絶対にギグ以外に触られたくない。

「やっ……嫌だ、そこは……!」

「ああ、そういうこと……大丈夫、こっちは使わないであげとくからさ」

兄は薄く笑って、あっさりとそこから指を離した。少しだけほっとしたのも束の間、兄はベルトを外してズボンを脱ぎ、下着をずりおろして、そして……。

「え、う、嘘……」

「ああ、見せるのは初めてだった? これ、良いでしょ」

目に飛び込んできた光景に、頭が真っ白になる。何、それ。そんなものつけて、痛くないの。いつの間に、そんなもの付けるようになってたの。どうして、そんなものを付けようと思ったの。どうして、そんなものを付けて、嬉しそうに、誇らしそうにしてるの。

勃起した兄の性器の先端には、鈍く銀に光るリングがぶら下がっていた。どう見ても、中を貫通している。リング自体の太さは、ボールペンの芯程もある。そんなものでそこを貫いてるなんて、兄は頭がおかしくなってしまったんだろうか。

「こんなの付けてたら、入れられないからね。安心していいよ」

一体何に安心したら良いって言うんだ。そんなものを見せられて、正気でいられる訳はない。兄は放心状態の俺の性器の上に跨ると、ゆっくりと腰を下ろした。嫌なのに、こんなの駄目だってわかっているのに、どうして萎えてくれないんだ。

慣らしてもいた風もないのに、兄のそこは何かで湿っていて、俺の心境とは裏腹に、ずるずると容易く飲み込まれていってしまう。

「う、うあ……やめ、抜いてよ……ッ!」

「ん……はあ……あ、凄い……なんか、溶けそ……」

俺の制止なんて、全く耳に入っていないらしい。兄は俺の上になって、恍惚とした表情で腰を上下に揺らした。ぐちゅぐちゅという水音が響いて、俺は嫌で仕方ないはずなのに、気持ち良すぎておかしくなりそうだった。兄の中が熱く熟れていて、酷くぬるぬるしていて、本当に溶けそうなくらい。繋がったところが気持ち良すぎて一体化しているような気さえする。

兄はさっきから何も言わず、甘い声を上げながら一心不乱に腰を使っているけれど、それもわからなくはない。俺だって、怪我さえしていなければ、兄を押し倒してひたすら中を擦り上げて掻き回してやっていたに違いない。俺にはギグがいるのに、入れるのなんて初めてだったのに、しかも相手は双子の兄なのに。そんな理屈なんてどうでも良くなってしまう程、この快感はとてつもない破壊力を持っていた。

そして、腰を動かす度に、兄の性器の先端に施されたリングがいやらしく揺れるのが、たまらなかった。誰かの所有物にされてしまったような兄。肉親が、取り返しの付かないくらいに誰かに汚されているのが、悲しくて悔しくて、それなのに、それに興奮してしまう自分が、最低過ぎた。

その異常な交わりは、時間で言えば本当に数分の出来事にしか過ぎなかった。余りの気持ち良さに、二人共あっという間に達してしまったから。我慢しきれず兄の中に射精してしまうと、続けて兄も精液を吐き出した。嵌められたリングを伝って、精液がだらだらと溢れるのがいやらしすぎて、兄をこんな目に合わせている何処かの誰かを、ほんの少しだけ羨ましいと思いながら、俺は精も根も尽き果てて、意識を失った。

目を覚ますと、行為の後は綺麗さっぱり片付けられて、まるで全部夢だったようにも思えた。いや、夢だったらどんなに良かったか。多少はマシになっていたとは言え、まだ痛む体を引きずって家の中を探したけれど、兄は何処にもいなかった。兄にあんなピアスを施した、何処かの誰かのところへ戻ってしまったのだろうか。

携帯を見ると、ギグからのメールが並んでいた。遊びに行かないかという誘いと、返事がないことを心配するメール。体調を崩して寝込んでた、ごめんね。移したら悪いからまた今度。と返事をして、ベッドに横になる。

ギグに、どんな顔をして会えば良いんだ。兄とあんなことをしておいて、いつも通りでいられる訳がない。隠しておける気もしない。兄が全部悪いのだと言ってしまうのは簡単だ。けれど、あの兄の痴態に興奮していた自分がいる。だから、ギグを裏切ってしまったのは間違い無い。勝手に溢れてくる涙で、視界がどんどんぼやけてくる。

ギグへの罪悪感と、兄に対するなんとも言えない感情とで、頭がぐちゃぐちゃになっていた。兄の中に入れた時のとんでもない気持ち良さと、感じている兄のいやらしい顔と声。思い出すだけで、また勃起しそうになってくるのが、本当に情けなかった。あり得ない。俺達は兄弟なのに。駄目なのに。

「!」

部屋のチャイムが鳴る。心配してくれたらしいギグだろうか。嫌だ。顔を見られたくない。体調を崩したという嘘もバレてしまう。それに何より、兄とセックスしたことを、ギグに知られてしまう。

がちゃりと、鍵の開く音が玄関から響いた。この部屋の鍵を持っているのは、俺と兄と、ギグだけ。消えてしまいたい気持ちになりながら、俺は鍵の持ち主がやって来るのを、泣いて体を震わせながら、ベッドの上で待ち構えていた。

終わり

wrote: 2015-12-13