よくあるわがまま

それは、幼い子供なら一度は口にしたことのあるおねだりだった。

家族揃っての夕食。いつも通り、今日あった出来事を養っている双子に尋ね、双子が楽しげにそれを報告する。それだけの、穏便に済むはずの時間。それが崩壊したのは、何気なく双子が口にしたおねだりのせいだった。

「ねえ、ぼくたち、きょうだいがほしいよ」

「……」

「……」

それを聞いて、夫婦(という建前で一緒に暮らしている二人)は顔を見合わせた。この、自分たちと血の繋がらない双子は、物心付く前に引き取られたから、自分たちを両親だと思い込んでいる。流石に、両親共に男だということはわかっているが、男女の関係がなければ子供が出来るということを知らない。男同士では子供は出来ないのだと言うことを、知らないのだ。

「あー……どうしてまた、そんなことを」

完全に硬直している妻を置いて、夫役ということになっているロドが聞き返した。双子は口々に、もうすぐ弟か妹が出来るという友達がいるのだと話しだす。合点がいったという顔で、夫婦はもう一度顔を見合わせた。妻役のリタリーは困り顔をしている。普段、口のよく回る彼が言葉に詰まるのは滅多に無いことだった。その表情を見て、ロドは、曲がりなりにも夫として、ここはフォローしなくてはならないと思ったらしかった。それが適切なフォローになるかは別の話だったが。

「よし、わかった」

「え」

「頑張ってやるからよ、しばらく待ってろ」

「え、ええ?」

何を言い出すのか、この男は。リタリーは硬直した。父親と慕う男のその言葉を聞いて、双子は無邪気にはしゃいでいる。やった、どっちかな、ぼくはおとうとがいいな、いや、いもうともかわいいよ。食事もそっちのけで大騒ぎする二人を見て、リタリーは青ざめた顔で夫を睨みつけた。なんてことを。そんなでまかせを口にしたところで、この子たちを傷つけるだけなのに。口にしなくても、その鋭い目つきで考えていることは十分過ぎる程伝わってくる。

そんなことは言われなくてもわかっているとばかりに、ロドはニヤリと笑った。

「ただし、出来なくても怒るなよ。頑張ったら絶対出来るってもんでもねェんだからな」

その言葉を聞いて、双子は聞き分けよく返事をした。確かにその通りではあるのだけれど、どれだけ頑張っても出来ない関係にいる私達が言っていいことなのか。リタリーは呆れたような、訝しげな表情で夫を見つめた。ロドはそんなのどこ吹く風で、とっとと飯を食えと双子に促している。

いつもだらしなく、ぐうたらな夫が、どうしてこんなに堂々と嘘を吐くのか。突飛なことをしでかすことはままあったけれど、双子に対して適当なことを言うことは――言われてみれば何度かあった気もするが、質の悪い冗談を言う事は無かったのに。リタリーは無言で夕飯を胃に流し込みながら、いつも通り過ぎるくらいにいつも通りの顔をした夫の横顔を見つめていた。

「どういうつもりなんです」

双子を寝かしつけて、夫婦の寝室に布団を敷きながらリタリーが切り出した。その声色は冷たく、怒っていることは明白だった。その態度とは裏腹に、二人の寝床の支度は実に息のあった作業で、瞬く間に布団が敷かれていく。

「何がだよ」

「さっきの……夕食の時のことです」

「ああ? 嘘は言ってねェだろ」

毛布、掛布団を綺麗に重ね終えると、ロドは部屋の電気を消した。廊下に点けたままにしている小さな豆電球だけが、仄かに光っている。二人は口喧嘩を続けながら、もぞもぞと布団の中へと入っていった。

「……そうですけど、でも」

向かい合わせに横になるなり、ロドは不満気な声を漏らすリタリーを抱き寄せた。そのまま首筋を節くれだった指がなぞる。喉元に噛みつくように歯を立てられ、リタリーは思わず甘い声をあげた。このまま流されてなるものかと、ロドから離れようと肩に手を突っ張ろうとしたが、虚しくその手を掴まれた。

「んだよ、頑張りたくねェってのか?」

暗がりでさえ鋭く光る獣のような目付きに射抜かれて、リタリーはたじろいだ。

「そういうことを言ってるんじゃ……!」

今しようとしているのは、そんな話ではない。それなのに、ロドはリタリーの制止を受け入れる気も、話を聞く気も全く無いらしかった。

「頑張ったけどダメでした、で良いだろ? なあ……」

「ちょっと、真面目な話を、あッ、んっ……してる、のに……ッ」

「そんなん、終わってからで良いだろ」

「良くありませ……んんッ」

横向きだった体勢だったのも束の間、瞬く間にリタリーは仰向けに転がされて、馬乗りになったロドにされるがままになっていた。寝間着のボタンを外されて、露わになった胸元を弄られて、眠ったばかりの双子を起こさないように、声を抑えるのに精一杯になっている。

頑張りたくない訳はない。出来ることなら、この男の子供が欲しいに決まっている。もし本当に二人の子供が出来るとしたら、幾らでも励んでやると思うくらいには。それが望むべくもないから悩んでいるのであって、そんな建前の下に子作りの真似事なんてしたくは無かった。

そう思う余裕があったのも、最初の十分間だけ。気が付けばリタリーは、夫の指先と熱さに蕩かされ、枕に顔を埋めて漏れだす嬌声を耐えるだけになっていた。指を二本受け入れているそこは、早く夫のものを咥え込みたくて、きゅうきゅうと締め付けている。

「ほら、ここに出されたいんだろ」

「うっ……馬鹿なことを……っ」

「俺の子供産んでくれよ、なあ」

ずるりと引き抜かれた指の代わりに、そこに熱く滾ったものを宛てがわれて、リタリーはその反抗的な態度とは裏腹に、それを早く入れられたいという欲求で脳味噌がちりちりと焼かれていた。早くそこに入れて欲しい。そこで私を満足させて、貴方の精液を注ぎ込んで、出来ることなら本当に孕ませて欲しい。

それを口走るのはなけなしの理性が許さなかったが、リタリーは自分の腰をロドに押し付けて、早く入れるようにと促した。それだけで、妻がどうして欲しいかわかる程度には、ロドも妻の体のことを理解している。リタリーの望みは程なくして叶った。それが奥まで挿入され、容赦なく突き上げられて、そこから先の記憶はない。押し殺した喘ぎに混じって、卑猥な言葉を口走った気がするが、それを確かめる気にはならなかった。

翌朝、怠い身体を引きずって台所に立ち、双子の弁当を詰めながら、リタリーは考える。夫が、本当に血が繋がった子供が欲しいと思っていたらどうしようか、と。そんなはずはないとわかっている。それなら、そもそも自分と結婚(厳密にはそのような契約をした訳ではないが)しないし、養子をとって育てるなんてことはしないだろう。それでも、昨晩のあれは、まるで私との本当の子供が欲しいようでは無かったか。今までは、私とあの双子を慮って反対しなかっただけなのでは無いか……。

フライパンの上でウインナーを焦がしてしまうまで、リタリーはいい加減な様で優しい夫のことを考えていた。女になりたいと思ったことはないが、夫との子供が出来ないことだけは歯痒く思っている。でも、それを口にしたところでどうしようもない。それは互いに分かっているはずだった。だから、昨日の夫の軽口が、酷く頭に残るのだ。

「おう、何焦がしてんだよ、珍しい」

扉を開ける音も、直ぐ側まで歩み寄ってくる気配も、何も気付けなかった。リタリーが気付いた時には、ロドは背後からフライパンを覗き込んで、挨拶もせずにからかい始めていた。

「な、んですか、急に」

驚いて火を止めて振り向くと、厭らしい顔で笑う夫の姿。ロドはひょいと菜箸をリタリーの手から奪い取ると、焦げたウインナーを皿に寄せ、フライパンをシンクに置いた。

「んー? 疲れてるかと思ってよ、手伝いに来てやったのさ」

「いりません、そんなの」

「……どうしたんだよ、つれねえな。生理か?」

「馬鹿な事を言わないでください!」

焦げたフライパンを洗う夫の言葉に一々腹を立たせて騒ぐのも情けないが、昨日の今日だからか、茶化されていると分かっていながらそれに応じてしまっていた。リタリーが顔を赤くして叫ぶ度に、ロドは実に楽しげに笑う。それがますます腹立たしくてたまらなくなった。だがそれも、フライパンを洗い終えたロドの台詞で一気に冷めてしまったのだけれど。

「つーかよ、今日はあいつら休みだろ。こんな早く起きて弁当作らなくても良いんじゃ……」

「あ」

そう言えば、今日は土曜日。私が急いで弁当を作る必要はない。いつも夫が子供たちの昼食を(九割方チャーハンなのが気になるところだが)作ってくれる日だった。俺の仕事を奪われちゃあ困るな、とロドは笑った。自分が作るものより、ずっと簡単で手の混んでいない食事しか作れないのに、双子はそれを週に一度の楽しみにしている。仕事をしている私を置いて、というのが悔しいけれど、それはそれできっと微笑ましい光景なのだろうと、リタリーは嬉しく思っていた。

それだけに、自分のうっかりが妙に情けなくなり、リタリーはしたり顔のロドとは正反対の、疲れた顔をしてため息をついた。それを気遣ってか、ロドは、双子はまだしばらく起きてこないだろうと言って、リタリーを後ろから抱きすくめ、優しく後頭部にキスをした。

「ほら、あんまり怒ると腹の子に悪ィぞ」

悪い大人らしい声色でそう言って、下腹を擦るロドに、リタリーはされるがままになる。本当にもう、このデリカシーのなさは一体どこで培ったのか。

「……もう好きにしてください」

こちらの気も知らないで。そう思うのに、一々怒るのも疲れてしまった。ロドはその反応に逆に驚いてしまったらしく、腹を撫でていた手を止めた。

「んだよ、怒るかと思ったのに」

「……なんで、貴方なんかの子供が欲しいんでしょうね、私は」

「な、んだよそれ」

昨日あんなに乗ってこなかった癖に。ロドは急に、嬉しそうに腕に力を込めた。きつ過ぎない程度だが、体格の良い成人男性の抱擁は、それなりに苦しくもある。呆れて口にした言葉だったのに、何故だかロドを煽ってしまったようだった。

「今日帰ってきたら、もう一回頑張ってみるか?」

それで吐き出される台詞がそれなあたり、やはり夫のデリカシーの無さは折り紙つきらしい。それでも、さっきよりは幾分か気が晴れているのは……この男が、私のことを好きで好きで仕方ないということが良く分かるからだろうか。呆れ半分、愛しさ半分といった気分で、リタリーはロドに向き直ると、夫の背中に手を回して抱きついた。

「……なんで貴方は懲りないんですか」

あの双子とのやり取りの真意は測りかねるけれど、何も考えていないか、夫なりに穏便に済ませつつ、美味しい思いをしたいだけのものだったのだろう。だって、ロドはこんなにも私も、双子のことも愛しているのだから。そう思うことにして、リタリーはロドの頬をそっと撫でて、爪先立ちになり、ゆっくりと顔を近付けた。

双子が起きてくるまで、まだしばらく時間がある。二人は時計を気にしながら、そっと唇を重ねた。

終わり

wrote:2016-04-19