迷いの森の神様

この年は、何かがおかしかった。夏なのにあまり暑くなくて、むしろ寒いくらい。おかげで私の家の畑やホタポタの収穫量も減ってしまうだろうと言われていた。さらには、グリフィスの群れが畑を荒らして、農夫たちが近づけなくなり、にっちもさっちもいかなくなった。オウビスカ国の財政は悪くはないけれど、食糧備蓄については、それほどではない。他国からの援助を求めても、世界的に同じような気候なのだから、難しい状態だと風のうわさで聞いている。昨年も一昨年も、こんなことはなかったから、オウビスカ国の宰相様は、おそらくたまたま、異常気象が発生しているだけだろうと言っていた。来年もこうだと問題だが、一年くらいならどうにかなるだろう、ということで、ようやくグリフィスたちの討伐隊が派遣された。首都に住んでいる人たちにはそれなりの食料援助がおこなわれているらしいが、農民は手近な畑があるからと、私達への食料援助は、本当に雀の涙程度しか行われないありさま。しかも、討伐しきれなかったグリフィスたちが、畑どころかホタポタの林まで荒らし始めたせいで、いよいよ私たちの生活は厳しくなった。

近くの農民たちで今後について話し合っても、建設的な打開策が見つかる訳もなく、お父さんもお母さんも、浮かない顔をして帰ってくるだけ。私が寝静まったふりをして、両親の会話をのぞき見た時、このままじゃ来年までもつかどうか、と、お母さんは言った。

朝目覚めて、かなり質素になった朝食を取りながら、お母さんに、私達、どうなっちゃうの、と聞くと、あなたは心配しなくて良いのよ、と、お母さんは私の頭を撫でた。こう言うとき、子供の私は無力だ。きっと、お父さんもお母さんも。

外に遊びに出るのは危険だと言われると、おうちの中で本を読んで時間をつぶすしかなくなる。本棚には、もう読んだことのある本しかないのだけど、買いに連れて行ってもらう時間も、もうない。ふと、昔お母さんに読んでもらった絵本が目に入った。

大昔に、世界を喰らう者という巨人たちが、この世界を壊して回っていたところを、赤い髪の神様が、黒い剣の力で倒し、世界を救ってくれた、という、子供向けのおとぎ話。その神様は、次に世界の危機が訪れるまで、迷いの森で眠りについている、と、絵本の最後は、そう締めくくられていた。

「……迷いの、森」

このスラムの近くにある、広い広い森。危ないから入ってはいけないと言われて、一度も近付いたことはなかったけど、そんな近くに、神様が眠っている。いや、これはおとぎ話だ。だけど、もしかしたら。

「……行ってみよう」

迷いの森は、ここから歩いて三十分くらい。それくらいなら、平気よね。こちらから何もしなければ、まだ日の高いうちからグリフィスたちが襲ってくることはない。これが世界の危機かと言われると、どうなのって感じかもしれないけど、少なくともこのスラムの農民たちにとっては危機だわ。

私は急いで、家を飛び出し、迷いの森へ向けて駆けだした。

迷いの森の入口まで来ると、思っていたよりは危険そうな雰囲気はない。陰鬱な感じもなく、それなりに暖かな木漏れ日がさす、散歩やピクニックをしたら楽しそうな、そんな場所に見える。しかし、中に入るのにはなかなか勇気がいる。何せ、「迷いの」森なんだから。迷って出られなくなったら、もし、私が死んでしまったら、きっと両親も心配するし、悲しむ。いや、神様がいるなら、きっと助けてくれるわ。そう信じよう。

しかし、そう決意して足を踏み入れたというのに、それなりに整備された道にそって歩くと、綺麗な花や見たことのない小動物、優しい森の香りが、私をわくわくさせた。やっぱり、神様がいるからなのかしら、なんてことを考える。

森に入ってから十五分程歩くと、小高い丘が見えた。そこには、誰かが建てたとしか思えない、小さな家があった。私の家よりもずっと小さい、粗末と言ったら失礼だけど、本当に、必要最小限の大きさの家。家の傍には見慣れた、ホタポタの木が一本立っている。グリフィスたちに荒らされて、久しく見なかった、たわわに実をつけたホタポタの木。その木の傍には、二つの人影が見える。ここに住んでる人かしら。

駆けだしたい気持ちを抑え、一歩ずつ丘を登る。徐々に大きくなっていく人影は、よく見ると、赤い髪の青年と、銀の髪の青年のようだ。それがわかる頃、向こうもこちらに気付いたらしく、こちらの方を見て何かしら話し始めた。やっぱり、いたんだ。赤い髪の神様。嬉しくなって駆けだすと、赤い髪の神様は、恐る恐るこちらに近づいてきてくれた。

「……どうしたの、こんなところに。迷ったの?」

神様の前につくと、彼は優しく私にそう聞いてくれた。良かった。優しそうな神様だわ。

「えっと、助けて欲しいんです! 私たちの村を」

「えっ」

「……どういうこった?」

神様の近くにいる銀の髪の青年が、面倒くさそうに私に聞いた。何なの、この人。神様の傍にいるにしては、凄く悪そうな感じ。

「えーっと、説明してくれるかな」

「はい、あのですね……」

私は一生懸命説明した。異常気象で農作物が育たないこと。飢えたグリフィスたちが襲ってくること。オウビスカ国は私たちを助けてくれないこと。このままだと来年までもたないかもしれないこと。そして、神様ならきっと私たちを助けてくれると思って、ここまで来たこと。

神様は途中までうんうんと相槌を打って聞いてくれていたけど、神様、と言った途端、目を丸くした。隣の青年は、終始無表情で、つまらなさそうに聞いていた。本当になんなのかしら、この人。

「……なるほど、事情はわかったけど」

「どうすんだよ、相棒」

神様を相棒だなんて、なんて恐れ多いことを言うの、この人。

「……どうしようか、ギグ」

神様は神様で、ギグ、とか言うこの人を信頼している風だけど、どういうことなの。

「どうもこうもねえよ、異常気象はどうしようもねーし、グリフィスを殺すか、オウビスカ国を乗っ取るかだろ」

「なんでこう乱暴な意見しか出せないかな」

しかもこのギグとかいう人、凄く性格悪そう。悪魔なの?神様をたぶらかす悪魔か何か?

「神様、この人は一体なんなのですか?!」

「えっ、神様だって、ギグ」

「……どっちが神様だって?」

ギグがそう言って私を睨む。何よ、すぐそばに神様がいるんだから、何も怖くないわよ。

「どっちが、ですって? そんなの、この赤い髪の神様以外いないでしょう?」

私がそう言うと、ギグは、ああやっぱり、という顔をして、神様はより一層目を丸くしたかと思うと、

「……あっはははは! なるほどね、だからさっきから俺にばっかり話しかけてたんだ!」

とても楽しげに笑いだした。どういうことなの?だって、絵本には、赤い髪の神様が、黒い剣で世界を救ったって……。

「……笑いごとじゃねーだろ、相棒」

ギグはそんな神様を見て、あきれ顔になっている。

「あのね、神様は俺じゃなくて、ギグのほうだよ」

「えっ?」

神様は神様じゃない?しかもギグとかいう、この性格の悪そうなヤツが、神様?

「……おめーも一応神様だろーが」

「いや、だって、俺は年とらなくて死なないだけで強くないし、神様っぽくはないでしょ」

「……お前な、それ、人間からしたら神様と一緒だと思うぞ」

「……どういうこと?」

「あー、その……説明が難しいなあ」

神様(本当は神様じゃないらしいけど)が言うには、二人で一つの神様だったらしく、体は赤い髪の神様で、その中にギグが入っていて、神様としての力はギグのほうが上らしい。なので、神様的には、神様はギグのほうで、自分は神様じゃない、という言い分のようだった。うーん、よくわからないけど、性格的には、神様が神様のほうが、この世界にとっては良さそうな気がする。

私も、おとぎ話を読んでここまで来たと話すと、神様はまた笑い、ギグはさらに不機嫌になった。

「人間たちの間で、そんなおとぎ話になってるとは思わなかったね」

「……ゴミむしの考えることは、何百年たっても理解できねーぜ」

「ははっ」

乱暴な物言いを、別にたしなめもしない。やっぱり、二人とも、変。

「……まあ、一番早いのは、王様――っていうか、イードを説得することかな」

「おいおい、相棒、こんなガキの言うこと聞くってのか?」

「良いじゃない、たまにはさ」

「ちっ、良かったな、クソガキ。神様が助けてくれるってよ」

「ほらほら、ギグも変に煽らないの。ごめんね、口が悪い神様で」

なんだかんだで、ギグは神様の言うことには逆らえないらしい。なんなのかしら、この二人。でも、とても仲が良いのね。

優しげに笑う赤い髪の神様と、不機嫌で仏頂面の銀の髪の神様。おとぎ話とは、やっぱり全然違うんだ。万能で、なんでもできる、物凄く強い神様を想像していたのに、妙に人間らしくて、なんていうか、近所のお兄さんみたいだと、私は思った。

二人の神様は、とりあえずまだあまり出来は良くないけど食べて、と言って、かごいっぱいのホタポタと一緒に、私をスラムまで送り届けてくれた。

村の入口では、お父さんとお母さん、村の人たちが私を探していて、慌てて駆け寄ると、こっぴどく怒られた。神様に助けてくれるようにお願いしに行ったのよ、と言うと、何言ってるの、とまた怒られた。だけど、私ではとてももちきれない量のかごいっぱいのホタポタをみせると、村のみんなは、もしかして、とにわかに活気づいた。でも、二人の神様は気がつくといなくなっていたから、神様がいたということを証明することは、ついに出来ずじまいだった。

その夜、神様からもらったホタポタを村のみんなで分け合って解散した。あんなにたくさんあったホタポタでも、分ければ当然一家に一個程度の取り分になってしまうのだけど、それでも、久しぶりのホタポタの甘い味わいに、みんな、少しだけ泣いていた。もしかしたら、これからどんどん事態が良くなっていくんじゃないか、という希望さえ、なんとなくみんなが抱き始めたと思う。

事実、その出来事からしばらくして、オウビスカ国から農村にも徐々に食糧援助がおこなわれるようになって、定期的にグリフィスの討伐隊が派遣されるようになった。おかげで寒さに強い畑の作物は収穫できるようになって、どうにか生活できる目途がたって、村のみんなも、両親も喜んでくれた。きっと、あの神様たちがどうにかしてくれたのだと思う。だけど、神様たちにお礼を言いに行こうといくら森の入口を探しても、二度と、あの入口は見つけられなかった。

誰も信じてくれないけれど、私だけはあのおとぎ話の真実を知っている。迷いの森に住む、仲の良い二人の神様のことを。私の子供が出来たら、あのおとぎ話と、私が見た、あの神様の話を聞かせてあげよう。とっても優しい、赤い髪の神様と、ちょっとぶっきらぼうな、銀の髪の神様が、迷いの森で、助けを求める子供を待っているのよ、と。

終わり

wrote:2014年10月26日