私の父が死んだのは、もう二十年も前になる。それは、私がまだ十歳にもならない頃のこと。世界中が、ある悪魔に脅かされて、泣きながら暮らしていた時代のことだった。
喰世王と名乗ったその悪魔は、一年間だけ眠りにつき、その間、世界中の戦士たちが集って軍隊を作り、喰世王を殺そうと訓練していた。私の父もその一人で、オウビスカ国のファンクス騎士だった父は、その軍隊に志願したのだった。木の根を噛むような生活の中でも、母は文句を言わずに父を支え、私にいつもこう言った。
「お父さんは、世界を守るために戦う、立派な人なのよ」
思い起こせば、それは自分に言い聞かせているようでもあったけれど、幼い私はそれを盲目的に信じていた。滅多に帰ってこない父は、こんな生活ももうすぐ終わる。そうしたら、たくさん遊んであげるからな、と言って、私を慰めた。その言葉も、私は心から信じていた。
その頃の私は、父が相手にしようとしているものが、どれ程強大で恐ろしいものなのか、まるでわかっていなかったのだった。
あれから父は――いや、人間たちの軍隊は、喰世王たった一人に敗北した。そして、どういうからくりかはわからないが、死神を引き連れて蘇った喰世王は、再び世界を牛耳った。
殺しすぎたという身勝手過ぎる理由で生き残った人間たちは殺されるのを免れ、オウビスカ城へと重すぎる税を支払うことで生存を許されていた。歯向かいたければ好きにすれば良い。喰世王と死神はそう、世界中へ宣言した。そんなことを言われたところで、歯向かえるような力を持つ人間たちは、一人残らず殺されてしまったのに。
暫くの間人間たちは、ただ只管、喰世王と死神に搾取されるだけの存在となっていた。唯一、変わったことといえば、あれほど生まれにくかった子供が生まれるようになったことくらい。だがそれは、食い扶持が減る以外の効果をもたらさなかった。
そんなギリギリの生活を続けていれば、反乱分子はどうしても湧いてくる。かつて喰世王と戦った戦士たちの子孫――つまり、私のような者たちが集って、喰世王と死神を殺すために画策を始めたのだった。
何処かから情報が漏れてもおかしくないのに――いや、実際に漏れていただろうが、喰世王も死神も、私達に手を出してくることは無かった。むしろ、これを待っていたとばかりに、いざオウビスカ城へ攻め込もうと決めた翌朝、彼らは余りにタイミングよく姿を現した。
私達が隠れていた迷いの森へ、二人はまるでこれからピクニックでもするかのように、のんびりとした口調で雑談をしながらやって来た。
「思ったより集ってるみたいだね」
「……でもよ、大したヤツはいなさそうだぜ? つまらねェかもな」
「そう? でも、久しぶりに暴れるから、丁度良いんじゃないかな」
「まあ、相棒が良いなら、構わねェけどよ」
「ふふ……じゃあ、始めようか」
薄笑いを浮かべた、ただの少年にしか見えないのに。無邪気に笑う、ただの青年にしか見えないのに。しっかりと隊列を作っていた私たちは、彼らがこちらに剣を向けるまで、何も出来ずに立ち尽くしてしまっていた。
目にも留まらぬ速さで、赤い影と黒い剣が戦士たちをなぎ倒す。それをはるか上空から眺める青年。黒い羽を生やし、巨大な鎌を手で弄んでは、地上で起こる残虐な光景を見て笑っていた。
早く槍を取らなければ。跨ったファンクスに鞭を入れ、私たちの部隊も喰世王へと向かって駆け出した。それだけの間に、半身を真っ二つにされた仲間たちが宙を舞い、どんどんと死体の数ばかりが増えていく。喰世王には、傷一つついていない。
こんなの、勝ち目なんて無いじゃないか。見れば、戦意を失って逃げ出す仲間たちも少なくなかった。だが、討ち漏らしの無いようにするためだったのだろう、背を向ける戦士に向かって死神が鎌を投げて首を刎ねていた。
逃げ場もない。勝ち目もない。部隊のメンバーを見ると、余りに一方的過ぎる光景に呆けているのは私だけではなかった。悲鳴を上げることも出来ず、この暴力を受け入れるだけの、脆弱な生き物。私達だけではなく、世界中の生き物すべてが、彼らにとって虫程度の存在に過ぎないということを、否応なしに思い知らされる。
「――さよなら。また生まれてきたら、相手してあげるね」
眼前に迫った少年は、慈悲にもならない言葉を吐いて、私に向けて剣を振るった。
生まれ変わっても、また彼らに虐げられるだけの人生を送るのだとしたら、もう、こんな世界に生まれたくはない。
悪魔と死神。これ以上ないほどの、最悪の取り合わせ。彼らの歪んだ笑みを網膜に焼き付けながら、私の首は斬り落とされて、地面へと転がっていった。
終わり
wrote:2016-04-29