二人きりの世界に閉じ込める

外出から戻ると、いつもは夕飯の支度をしているはずの時間なのに、相棒はそこにいなかった。寝室から微かに聞こえてくるすすり泣きと、申し訳程度にテーブルの上に置かれた、切り分けられたホタポタの実が乗った皿を見て、ああ、またか。そう思った。

どかりと椅子に腰を下ろして、ホタポタを一欠け、口に運ぶ。

自分より先に誰かが死ぬのは仕方ない。避けられない。だって、お前はもう神様なんだからな。元々人間だと思い込んで生きてたんだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが、仲良くしていた連中が死んだと聞かされる度に、こうなってしまうのは、少し……いや、かなり、辛い。

相棒が可哀想だから、という訳ではなく、そうやって誰かのために泣いているということが、嫌だった。あいつのことなんてどうだって良いだろ。オレがいるだろうが。それだけじゃあ不満だってのかよ。そんなことを言ってしまったら、きっと相棒は怒るだろう。オレと一緒にいてくれなくなるかも知れない。それは嫌だ。だけど。そんなことを口にしたくらいでオレを嫌いになるはずがないと、そう信じたい気持ちもある。

相棒にとってすれば、オレが飛び抜けて大切な存在なだけで、他の連中もそれなりに大切な訳だが、それが気に食わない。オレ以外は、何も要らない。オレだけを見て、考えて、その気持ちだけで生きて欲しい。

試したくなる。オレか、オレ以外の世界か、選ぶならどちらか。それを突きつけたら、相棒はどんな返事を返すのだろう。今みたいに傷ついて、泣いている時に、そう言われても、オレを選んでくれるんだろうか。

好物の甘い果実を口の中ですり潰しながら、これと相棒、どちらを選ぶかと言われれば、オレは迷いなく相棒を選べる。さらに言えば、この世界や他の統べる者、それと相棒、どちらを選ぶかと言われたら、当然、相棒を選ぶ。この世界の死を統べる者をしておいて、そう迷いなく言い切れてしまうあたり、オレは、統べる者としては失格かもな。

この世界の理に背いてでも、相棒をこの手で閉じ込めて、自分だけのものにしてしまいたい。この二人だけが住む家だけでは、とてもじゃないが足りていない。

この森にもっと強固な結界を張って、誰も入って来られないように、外にも出られないようにして、ずっとずっと二人きりでいられたら。そしたら、もう、相棒がオレ以外を見ることはなくなる。他の誰かのせいで笑ったり泣いたりすることもないのに。

相棒がこうして泣くのは、もう十回を超えている。もうそろそろ、良いよな。お前だってこれ以上、悲しいことを聞きたくはないだろう。

オレは、相棒に気付かれないようにそっと玄関のドアを開けた。帰ってきた時はまだ夕暮れ時と言って良い時間だったが、今ではすっかり日が落ちて、雲の向こうで月が鈍く光っている。あいつと再会したのも、こんな夜だったな。

相棒とそこかしこを歩き回ったこの世界は、それなりに楽しかった。散々に馬鹿やって、喧嘩したこともあったし、泣かしたこともあるし、でも、お互い楽しくやっていけてた。でも、もう十分だよな。

月に向かって手を伸ばし、オレは世界中を旅していた頃のことを思い出しながら、呪の詠唱を始めた。

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外が、明るい。もう夜のはずなのに。まさか時間を忘れて朝まで泣いていたなんてはずはない。どうしたんだろう。窓の外を見ると、そこには、ギグがいた。月明かりの下、何か、よくわからない魔術を使っているらしいことはわかる。一体何をするつもりなんだろう。

ギグが帰ってきたのはわかっていたけど、とてもじゃないが顔を合わせる気になれなかった。ギグが不機嫌そうに椅子に腰掛けて、恐らくホタポタを食べていただろうこともわかっていた。だけど、いつの間に外に出たんだろう。

もう少しで泣き止めそうだと思っていたのに。そしたら、ギグに、心配かけてごめんね、って謝って、いつも通り一緒に夜を過ごそうと思っていたのに。音もなく、こっそり外に出て、ギグは一体、何をするつもりなんだ。

懇意にしていた誰かが死ぬ度に、こうして泣いて、ギグに心配をかけているのは、本当に申し訳なく思っていた。だから、少しでも早く立ち直って、ギグと一緒に笑えるようにって、そう思っていたのに。

ギグを追って、慌てて外に出る。瞬間、眩しい光が辺りを包み込んだ。目を閉じて、そっと目を開けると、そこには、いつも通りの風景が広がっていた。ギグも、いつも通りの人を喰ったような笑みを浮かべている。何も変わっていないように見えるのに、ギグは間違いなく、何かをした。

「何、してたの」

こちらに近づいてくるギグに、恐る恐る尋ねる。ギグは、今まで見たことがないくらい、優しく穏やかな顔で笑った。

「……もう泣かなくても良いぜ、相棒」

俺の頬に残った涙の跡を拭いながら、ギグが言う。「泣くな」ではなく「泣かなくても良い」って、どういう意味なんだ。嫌な、予感がした。

「……何、言ってるの」

「もうここには、誰も入って来られないようにしたんだよ」

「えっ」

元々誰かが入ってくることの少ない場所だけれど、どうしてわざわざそんなことを。そう思う間もなく、ギグは続けた。

「ついでに、オレもお前も、もうここから出られない」

ギグが発した言葉は、あまりに衝撃的過ぎて、俺は言葉を失った。

ここから出られない? もう、一緒に街に遊びに行ったり、旅に出たり出来ない、っていうこと? なんで、どうして、そんなことを。

「外のことを知らずにいれば、もうお前が傷つくこともない。そうだろ?」

ギグの笑顔が、途端に怖くなる。呆然としている俺を、ギグは優しく抱きしめた。触れた肌はいつも通りの、少し低い体温を返してくれているのに、それが、ギグがおかしくなったことを伝えてきているようで、俺は逃げ出したくて仕方なくなっていた。だけど、ここでギグを拒絶したら、もっと酷いことになる。そんな予感がした。

俺の神様は、とても嫉妬深い。それは知っていた。かまってもらえないとすぐに拗ねるし、不機嫌になる。だけど、俺を好きでいてくれるのだから、最後には許してくれるものだと、信じて疑っていなかった。だって、俺が一番好きで、大切なのはギグだって、ギグもわかってくれていると思っていたから。でも、それだけじゃ、駄目だったのか。ギグ以外を見ることさえ、ギグに取っては我慢ならないことだったのか。

「なあ、相棒、嬉しいだろ?」

投げかけられた問いに、なんて答えたら良いのかわからない。だけど、肯定しても否定しても、どちらも間違いな気がした。俺は、ギグだけがいてくれたらそれで良いよ。ありがとう、と言えば良いのか。それとも、ギグと一緒にいられるこの世界が好きだから、お願いだからやめてよ、と言えば良いのか。どちらも一定の真実は含まれているのだけれど、そんなことを口にして、俺は本当に後悔しないと言えるんだろうか。

「嬉しいに決まってるよな、だって、相棒はオレのことが一番大好きなんだからよ」

うまく言えないながらも、何か答えなければと口を開こうとした瞬間、ギグの言葉に遮られてしまった。ギグの中では、もう、そういうことに決まってしまったらしい。

「……ギグ、あの」

「ん?」

「……なんでも、ないよ」

ギグのことが一番大好きなのは本当だけれど、こんなことまでしてしまうギグは、怖い。でも、そんなこと言える訳なかった。

ギグに促されて家に戻る。異様な程静かな森の中。もうここから出られない。誰もやってこない。この神様以外、誰も、俺の側にいてはくれない。そう思うと、なんだか泣きたくなってきた。だけど、もう涙を見せる訳にはいかない。もし泣いてしまったら、ギグがどんな反応をするか。

俺は、涙を堪えながら、寝室に続くドアを開けた。

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ギグが、自分とは全く違う存在だと言うことは、薄々わかっていた。自分も神様になってしまったらしいけれど、同じ神様とは言っても、ギグはもっと、神様らしい。人間の命が失われるのは当然で、心を動かすことじゃない。そう思っている。俺にはそんな風に思えないし、仲良くしていた人が死んだら、いずれ生まれ変わるとわかっていても、悲しくなる。

ギグはその感情を理解できないながら、そう思うこと自体は理解してくれていた、と思っていた。でも本心では、一緒になって悲しんでくれやしないかと、そう期待してもいた。結局、それが叶うことはなかったのだけれど。

そして、俺とギグのその違いを感じる度に、これから色んな部分で、ギグと心から通じ合うことはできないんじゃないかという予感があった。ギグが大好きで、ずっと一緒にいたいと思ってはいたけれど、どこかすれ違ったまま、報われないまま続いていくような、そんな、悪い予感。悲しいことに、それは当たってしまったらしい。

「もうこれで、本当に、ずっと一緒だな」

「……そうだね」

ベッドの上でギグに組み敷かれて、そこかしこに優しく唇を落とされながら、俺はずっと、ギグの嬉しそうな顔を見つめていた。

こんなことを望んでいた訳じゃない。「一緒にいたい」というのは、「二人だけの世界に閉じこもりたい」という意味では断じてなかった。なのに、ギグに取ってはそうじゃなかった。結局、好き合っているのは同じなのに、肝心な所で俺たちはわかりあえなかったんだろうと思う。

ギグが変わることはないし、俺が変わることも、多分、ない。ついでに言うと、こんなに俺のことを好きでいてくれるギグと、離れたいとも思わない。だから、ずっとこのまま、俺とギグは一緒にいるのだろう。

ギグが、根本的に自分と違うとわかっていても、わかりあえないとわかっていても、それでもやっぱり、ギグのことが好きなんだ。どれだけ異常なことをしていたって、嫌いになれない。この、粗雑で乱暴で口の悪くて手の早い、我儘で自分勝手で人のことを考えない神様が、俺のためだけに存在してくれているということが、たまらなく嬉しいのだから。

わかりあえないことは悲しいけれど、誰にも邪魔されずに、ギグとずっと一緒にいられることは、嫌じゃない。だから、これは、諦めなきゃいけないんだ。

「ねえ、ギグ」

「ん?」

俺の足に甘噛みしようとするのを止め、ギグがこちらを見た。夕暮れが夜に変わる瞬間みたいな、綺麗な青い目だ。それを見ていると、なんだか色々許せてしまうのが、狡い。

「……好きだよ」

「知ってる」

「うん、そうだね」

なんだか、伝えたくなったんだ。そう言うと、ギグは少しだけ顔を赤くして、照れくさそうに頭を掻いた。そして、俺の額に軽くキスをすると、

「……もう一回言っても良いぜ」

と、偉そうに言った。言って欲しいって、素直に言えば良いのに。というか、今回のこともいきなりあんなことしないで、一言言えば良いのに。まあ、そんな不器用なところも含めて、好きなんだけどね。

「……仕方ないなあ」

俺は、ギグの顔を引き寄せてキスをすると、小さい声でギグの望みに応えた。

結局、ギグがうとうとし始めるまで、「もう一回」を何度もおねだりされ、気が付くと夜が明けていた。

静か過ぎる森の朝。昨晩あったことが嘘のように、気持ち良く晴れていた。本当に、二人だけになってしまったこの広い森の中、隣で穏やかに寝息を立てるギグと、それを見つめる俺。邪魔するものは、もう何もない。

目が覚めたら、もう一度、ギグに好きだと伝えてあげよう。ギグの頭をそっと撫でて、俺も目を閉じた。

終わり

wrote:2015-07-20