変わらないもの

夜十時。そろそろ、私の可愛い用心棒が部屋にやってくる頃だ。私は開けっ放しのドアから入ってくる何者かの気配に気付かない振りをして、山と積まれた書類から、また一枚手に取って、視線を落とす。隣町への商品の納品依頼。期日は一週間。依頼人は――。

「ロドか。もうちょっとかかるから待っていてくれないか」

「……あんまり遅くまで働いてると、禿げるぜ、親友」

椅子に腰を下ろした私に、後ろから伸し掛かって抱きついてくるロドを諌めると、逆に働き過ぎだと怒られた。気にしていない振りをしているだけで、本当は気にしている頭髪のことを茶化しながら、ロドは灰皿に積まれた吸い殻、冷め切ったコーヒーが入ったマグカップにまで言及し始め、つまり何が言いたいかと言うと、二日ぶりに戻ってきた自分にもっとかまって欲しいらしかった。

「……これが終わったらな」

「つれないな、親友。早く終わらせねェと、先に寝ちまうぞ」

「努力するよ」

私の返事に満足したのかそうでないのか、ロドは私から離れた。馴染んだ体温が失われたかと思えば、頭にロドの大きくなった手のひらが乗せられた。

「おい、いい加減にしてくれよ」

随分と寂しくなった頭を撫でるロドを叱責すると、ころころと笑って、ロドは出て行った。随分と機嫌が良いらしい。しばらくはこのオステカの街に――私の側にいる予定だからか、妙にはしゃいでいるのだろう。この遠慮の無さも含めて可愛い、と言えば可愛いのだが……まあ、良い。後で一言言ってやれば良い話だ。

私は改めて書類に目を落とし、万年筆を取った。今日一日、最後にするつもりの煙草に火を点けて、深く吸う。確かに、頭髪には良く無いと聞くが……これを教えたのは、一体どこの誰だったかな。

仕事を片付けて寝室に戻ると、そこにはベッドを占領する男が一人、気持ち良さそうに寝息を立てていた。さっき私の部屋に来てからそんなに時間は経っていないはずなのに、本当に先に寝られてしまうとは。

小さなランプに火を灯し、そっと、ベッドを揺らさないように気をつけながら、縁に腰を下ろした。ぼんやりと浮かび上がった空色の髪と、色白の肌。顔に走った一筋の傷跡に、起こさないようにそっと指を滑らせる。私を暴漢から守ろうとして斬りつけられて、残ってしまった傷跡。

本人はなんてことはないと笑っていたけれど、その傷跡を見るたびに、守りたいと思っていた相手に守られて、情けない、悔しいと、苦々しく思ったことを思い出す。

今だって、ロドは私の護衛だと言って、遠出をする時は必ずついてくるし、そうでない時は忙しなく働きもしてくれて、彼に守られっぱなしなだけではなく、頼りっぱなしなのだが。

私にとっては複雑だけれど、ロドにとっては、そうやって私の役に立てることが、どうしようもなく嬉しいことらしい。

私のことを親友だと呼んで、昼は仕事上の相棒として、そして夜は恋人として甘えてくるロドとは、もう十年以上の付き合いになる。出会った頃に比べて、ロドは随分と背が伸びた。今では私の身長を追い越して、セプーらしく高い身体能力を生かして護衛らしく立ち回ってもくれるのだが……少しだけ、寂しい気もする。中身は出会った頃と殆ど変わらないから、余計に。

……一日くらいは、ロドと街を回ってのんびり過ごすのも良いか。出会ったばかりの頃は、毎日待ち合わせてはあちこち出掛けて、日が暮れるまで遊びまわっていたものだ。仕事に追われてそんな日も滅多に無くなったが、たまにはそうやって過ごすのも悪くない。残念ながら私の方は、一日遊びまわる程の体力があるかどうか、自信は無いけれど。

ランプの灯りを消して、ロドを起こさないように、ゆっくりとベッドに潜り込む。大の男が二人入るようには出来ていないベッドだが、この狭さにも、もう慣れた。ここ二日ばかり、ベッドの妙な広さが落ち着かなかったくらい。

ジンバルトには悪いが、残りの仕事は任せてしまおう。考えてみれば、私もここ二週間ほど、まともに休んでいなかった。たまには良いだろう。こういうのも。

私はそっとロドの頭を撫でた。覚醒してはいないはずなのに、ロドは甘えるように私に擦り寄ってくる。図体は大きくなっても、こういう所は変わらないな。そう思うと嬉しくて、起こさない程度の力でロドを抱きしめた。

私だって外見は変わって、仕事人間になってしまったけれど、こうしてロドと一緒に眠る時の、この穏やかで満たされた気持ちは、あの頃からずっと変わらない。

明日も明後日も、ずっと、一緒にこうして過ごせる日がやってくるなんて思わなかった。昔は、いつか別れる時が来る気がして、せめて一緒にいる間は全力で楽しもうと、はしゃぎ回っていた気がする。今はもう、そんなことを考える必要なんて無い。それはとてもとても、幸せで、かけがえがないこと。深く沈んでいく意識の中、私はロドの体温が今でもすぐ側にあることを、この世界のどこかにいるだろう神様に感謝した。

終わり

wrote: 2016-08-03