世界中で一番満ち足りていた筈だった
大好きな人と静かに、だけどたまには刺激的に、穏やかに暮らしていくのが幸せだと思っていた。いや、今でも思っている。
ギグと二人だけで随分と長いこと暮らしている訳だけど、そんな暮らしとは残念ながら程遠い。ギグはしょっちゅう無銭飲食だの器物破損だので暴れてくるし、その尻拭いのために駆けずり回るのは大抵俺で、着たくもないメイド服でバイトしたり、この細腕で石垣の修理をやらされたりと、酷い目に合わされていた。それでもギグを嫌いになれないあたり、俺はよほどギグに依存しているらしい。
ギグが俺に会うために、俺とずっと一緒に過ごすために、この世界に戻ってきた瞬間、俺は世界中で一番満ち足りていた筈だった。それなのに、今はどうなんだろう。ちょっと疲れてきた気がする。主に女装しなきゃいけない的な意味で。
「ギグはさ、ホントは俺のことなんてどうでも良いって思ってるんだよきっと」
「……そんなことはないと思いますけどね」
無銭飲食のお詫びに、リタリーのお店でタダ働き。これももう何度目なんだかわからない。いい加減女装にも慣れてきてしまった自分が嫌だ。
「しかも全然迎えに来ないし」
「またどこかで暴れてるんでしょうかね」
すっかり片付けも終わった閉店後のお店で、ギグが迎えに来てくれるのを待っているのも、いつのものこと。徐々に苛立ちが頭のなかを占めていく。ギグが来てくれないと家まで帰れないっていうのに、どういうことなの。いい加減スカート脱ぎたいよ。
「一人にすると怒る割に無銭飲食するし、なんなんだろうホント……」
「あー……それはですね」
「何? なんか知ってるの」
「いや、知ってるというか、察しがつくというか……」
「?」
リタリーが困ったように笑うのを訝しげに思っていると、お店のドアが勢い良く開いた。閉店のプレートを下げているのに、これだけ遠慮無くドアを開けるのなんて、俺の知ってる限り一人しかいない。
「おーい相棒、迎えに来たぜー!」
無駄に上機嫌なギグが、どうみても手ぶらでやってきた。
「ギグ、遅いよ! 服は?」
「忘れた」
「はあ? 俺にこの格好で帰れって言うの?」
「仕方ねーだろ、忘れたもんは忘れたんだからよ」
その手ぶら状態を見れば察しはついたけど、この神様は本当にもういい加減にして欲しい。行きの時点でメイド服な時点で間違ってるんだけど、それも早朝だったからと手ぶらのほうが楽だからってだけであって、ギグを信用してたっていうのに!
「……もうリタリーのとこに泊まろうかな」
「それだけはダメです」
「それだけはダメだ」
「ど、どうしたの二人とも」
ぽつりと漏らした愚痴に近い呟きに、二人はそう口を揃えた。しかも真顔だ。
「私はまだ死にたくありませんから」
「どういうこと?」
俺が泊まったらなんでリタリーが死ぬんだよ。俺、もしかして嫌われてる? そりゃあ無銭飲食の常習犯を止められないダメな相棒かも知れないけど――
「――ああもう、良いから早くお帰りなさい。またよろしくお願いしますよ」
「う、うん。今度は普通にご飯食べに来るよ……お金持って」
「おー、またたらふく食いに来るぜ」
「貴方はしばらく来なくて良いですよ……では、おやすみなさい」
「お、おやすみなさい……?」
リタリーに背中を押されてギグ共々店の外に放り出された。何だったんだ。
ああもう、夜とは言え、オステカの街にはそれなりに人通りもある。周りの人たちの視線が痛い。リタリーのお店でたまに働いている女装癖のある変態青年だって思われてたらどうしよう。いや、もう思われてるのか。
「さて、帰るぜ。相棒」
ギグが差し出した手を素直に取る気になれず、ふくれっ面でギグを睨む。
「……こんな格好で帰るなんて思わなかったよ」
「まーまー、良いじゃねーかよ。似合ってるぜ」
「嬉しくない……」
俺とは正反対に嬉しそうなギグは、無理矢理俺の手を取って、ふわりと空を飛んだ。いつもより優しい飛び方だった。
ゆっくりと飛翔するせいで、俺とギグを指差す人々の姿が見える。夜に女装した男が空を飛ぶって、相当変態だ。ああもう、明日からギグはホタポタ抜きの刑だ。俺だけこっそり食べよう。
「ギグさあ、せめて無銭飲食はやめようよ」
「んだよ、帰ってくるなり説教かよ」
家に戻るなり、俺は台所のランプに火を灯すと、テーブルに腰掛けた。とりあえず今日は一言言ってやらないと気が済まない。
「何か文句あるの? とりあえず座ってよ」
「いや、その……」
睨みつけると、ギグはどうにか渋々と椅子に腰を下ろした。
「物を壊すのは、まあ、ギグは力の加減が出来ない(馬鹿だ)から仕方ないとして、無銭飲食はダメだよ。絶対ダメ」
「なんで」
「なんでって……もうこんな服着たくないし」
「えっ」
「えっ」
そんなことを言われるとは思わなかった、という表情をされてしまうなんて、それこそ俺の方がびっくりだよ。俺がメイド服着るの気に入ってると思ってたのか。どんだけおめでたいんだ。
「せっかく可愛いのに、そんなに嫌だったのかよ」
「……いや、可愛いって……ギグ……何言ってんの……」
なんで俺よりも拗ねた顔してるのさ。なんか俺が悪いみたいじゃないか。
「ふん、そうかよ、そんなに嫌だったんなら、もうしねーよ」
「え、あ……ええ?」
ギグはものすごく落ち込んだ顔をして、大きくため息をついた。そんなに俺がこんな格好してるの好きだったのか。どういう趣味なんだ。
ギグは力なくよろよろと椅子から立ち上がると、とぼとぼと寝室に通じるドアへ歩き始めた。ああもう! 別に俺は悪くないはずなのになんなんだこの罪悪感!
「わかったよもう! たまには着るから、無銭飲食はやめてよね!」
「――マジか、相棒!」
勢いで言ったとはいえ、俺の発言に満面の笑みを浮かべるギグを見ると、失敗した、という言葉が頭のなかを駆け巡る。言わなきゃ良かった。
「あ、いや、その……たまに、だからね?」
「おうおう、たまにで良いぜ! しかも俺の前でだけ着るんだろ?」
「そう……だね?」
人前で着たくはないから、ここでこっそり着る方がまだマシかな。
「へへッ、じゃあ、俺も滅多なことじゃあ無銭飲食はしねーよ」
「それでも全くしない訳じゃないんだね……」
良くわからないけど、今までよりずっと頻度が下がるなら上々、ということにしておこうか。
何故かさらに上機嫌になったギグを見ていると、なんだかもう良いかな、という気分になってしまう。良くないよなあ、とも思うんだけど、なんだかんだでギグと一緒に馬鹿をやるのは嫌いじゃない。ギグの無邪気な笑顔を見ていると、怒る気はどんどん失せていく。
今の俺は、世界中で一番満ち足りている、って訳じゃないかもしれない。でも、それでも、この他愛無い日々とギグのことが大切で、大好きなのは本当だ。
だけど、明日から一週間はホタポタ抜きだから覚悟しておいてね、ギグ。
終わり
wrote:2015-06-03