キャプテン・アーク

夜明け前に目を覚まし、まだ薄暗い部屋で俺は目をこすった。まだ眠っていたいが、妙に目が冴えて落ち着かない。カーテンを開けて、薄桃色に染まりかけた遠い東の空を見る。テーブルの上の煙草を手に取って火を点けながら、どうか今日と言う日が平穏に過ぎますように、と、柄にもないことを思った。

二回目の二年生を過ごす羽目になり、同級生になったあいつと同じクラスになったのが始まりだった。優等生な表の顔とは裏腹に、隠れ不良だったあいつと、屋上で煙草をふかしてだらだらと過ごすようになって、それがどうこじれたのか性的なことまでするようになったのが去年の秋。そのうちムードも何もあったものじゃない屋上で、冷たい床を背にセックスまでし始めて、三年になると、屋上での秘め事は殆ど毎日の日課になっていた。

未だに、あいつが何を考えているのか良くわからないままだ。気楽な相手ではあるのに、何処か不明確なぼんやりした部分があって、不気味といえば不気味だった。いや、そのぼんやりした部分を、本当は自分も理解していて、目を背けているだけかも知れない。それを見つめてしまえば、なんだか色々と面倒で、らしくなくて、疲れてしまいそうだと、互いに思っているだけなのか。

空が白んで来る。朝が来ちまったな。サボりたい気持ちは山々だが、流石にもう、留年する訳にはいかない。少し早いが、身支度するか。

煙草を灰皿に押し付けて、俺は一階の古ぼけた浴室へと向かった。

放課後、いつもの場所で。スマートフォンに表示されたポップアップ。閉じるを選択して、見なかったことにした。わざわざ言う必要なんてねェだろうが。俺の二人分後ろの席に座っている送信元を睨みつけるのも面倒で、俺は帰りのホームルームが終わるや否や、鞄を担いで屋上へ向かった。

途中、自販機で炭酸水のペットボトルを買って、人気の無い実習棟の階段を上る。どうせ、生徒会で遅れてくるのはわかっている。することのない帰宅部には、その時間は短いようで長い。こっそり作っておいた合鍵で、屋上の扉を開けて、中へ入った。当然だが、誰もいない。

初夏らしい暖かい午後の日差し。程よく涼しい風が頬を撫でて、遠くから運動部の喧騒が聞こえる。長閑だ。俺は屋上の入り口とは反対側の壁へ背中を預けて腰を下ろすと、鞄を床に放り投げ、ペットボトルのキャップを開けて、一口飲んだ。苦い水が弾けて、心地良い。キャップを閉めて、ポケットから煙草を取り出す。ライターで火を点けて、ゆっくりと煙を吸い込んだ。

こうして何も考えずに済む時間は好きだ。これから何をされるのかも、一瞬とは言え忘れられる気がした。このまま死んだら幸せかも、なんて、らしくないことをふっと思う。死んだら空に帰るとも言うし、人ってのは、綺麗な青空を見たら死にたくなるもんなのかも知れない。

何をするでもなく、たまにスマートフォンに連絡が無いかを確認しながら、俺はぼんやりと空を見上げていた。四本目の煙草を口に咥え、今日は随分遅いんだな、と、少しだけ心配になる。まあ、どうせ面倒事を任されたりしているんだろうが。

青空を汚す紫煙が漂って、じわりと空気に溶けていくのを見つめていると、冷たい壁を隔てた背後から、誰かの足音が聞こえてきた。誰が来るかなんてわかりきっている。連絡を寄越してきた、あいつ以外にいない。

バタンと扉が閉まる音に続けて、ガチャリと、鍵の閉まる音がした。これで、誰も入って来られない。屋上なんて、戸締まりする時にしか先生もやって来ないのだから。

まるで死刑宣告のカウントダウンのような足音が、段々と近づいてくる。出来るだけ平静を装って、俺は随分と短くなった煙草を揉み消して、吸い殻を携帯灰皿へぶち込んだ。

「よお、遅かったじゃねェか」

「……貴方と違って、忙しいんですよ」

「自分からやってることだろ? 嫌味を言われる筋合いはねェな」

皮肉を言ってやると、リタリーは冷たい目で俺を見た。どうやら機嫌が悪いらしい。鞄を床に置き、俺の隣に腰を下ろす。無言で差し出された手のひら。俺はそこに煙草を一本とライターを置く。慣れた手つきで、そいつは火を点けて、ライターを俺に返した。俺ももう一本吸うことにして、煙草を取り出す。それに気付いたリタリーは、こちらに煙草を向けた。促されるまま、咥えた煙草を、リタリーのそれに近づけて軽く吸う。微かに甘い匂いが辺りに漂い始めた。

俺とリタリーは特に何も話さないまま、二本分の紫煙が空を汚すのを眺めていた。生徒会書記を務めて、成績も上から数えたほうが早い上、先生からの評価も高い、そんなお手本のような優等生が、屋上で煙草をふかしているなんて、それがバレようものならとんでもないことになる。でも、俺がそれをバラしたところで、誰も信じやしないということを、俺もこいつも知っていた。

「どうしたんだよ、今日は」

居心地の悪い沈黙に耐え切れず、リタリーの髪に手を伸ばしながら尋ねる。

「……何がですか」

「妙に機嫌が悪いみてェだからよ」

さらさらの黒髪を指先で弄りながら続けると、リタリーは更に機嫌を悪くしたらしく、俺を睨みつけた。

「……別に、いつものことです」

「へえ」

どうせ、誰か――生徒会担当のエンドルフあたりに、俺みたいなクズと付き合うなとでもネチネチ言われたんだろう。正論じゃねェか。内申点稼ぎで生徒会に入ってる癖に、不良と付き合って評価を下げてたんじゃあ、どうしようもないからな。

もう何度も先生から言われているのに、俺と付き合うのを止めないし、言われる度に機嫌を悪くする。いつもは賢く器用に立ち回っているのに、こういうのに上手く折り合いをつけられずにいるのが、馬鹿だと思いつつも、少しだけ気分が良い。

それも、不機嫌になったこいつが、いつもより乱暴になることを差し引けば、の話だが。

「……初めましょうか」

「ん」

二人同時に吸い終わると、そいつは床に置きっぱなしの携帯灰皿へ吸い殻を入れた。俺もそれに倣って吸い殻を捨てる。リタリーは、二人分の吸い殻の入ったそれをぞんざいに床に放り投げると、俺の学ランに手をかけた。

学ラン、ワイシャツと忙しなくボタンを外され、露わになった胸元に腕を差し込んだかと思うと、リタリーは何かを思い出したように手を止めた。

どうしたのかと思っていると、リタリーは自分の鞄を漁り出し、中から銀色をした何かを取り出した。見た目は銀色のガムテープという感じだ。

「今日は、これ、使ってみて良いですか」

「あ? んだよそれ……」

「ちょっと借りてきました」

答えになってねえ、と言おうとしたが、楽しそうな癖にリタリーの目が笑っていないのを見ると、気圧されて何も言えなくなった。リタリーは手早くテープを引き出すと、俺の両腕を後ろ手に拘束し、テープで一纏めにしてしまった。抵抗すれば良かったのに、余りに淡々と、手際よくやられてしまったせいで、ろくに反応できなかった。

「おい……どういうことだよ、これ」

「これで身動き取れないでしょう」

「てめえ、おい、解けよ」

「駄目です」

リタリーは有無を言わせない口調で、俺の目の前に立った。ただのガムテープよりもずっと強度のあるそれは、腕を動かそうとしても、びくともしない。学ランの上から貼り付けられているおかげでそれ程擦れたりはしないが、そうでなかったら腕が酷いことになっていただろう。でも、それを感謝する気にはなれない。リタリーの目が、さっきから怖すぎるからだ。

「ダクトテープ、って言うらしいですよ、これ」

リタリーは俺の両手を拘束したテープを掲げて言った。正直、その謎のテープの名称なんて心底どうでも良い。

「何処から持ってきたんだよ」

「貴方と仲良しの彼から借りてきました」

ああ、あいつか。あいつはいつも、何に使うんだかわからないものを鞄に入れて持ってきている。この見慣れないダクトテープとか言うものも、あいつの鞄から出てきたんだろう。リタリーが何処でそれを嗅ぎ付けたんだかは知らないが。

「そこまで酷いことをするつもりはありませんよ。たまには新鮮かと思ったので」

「……嘘つけよ、目が本気だぜ」

「興奮してるだけですよ……だって、貴方、全然動けないでしょう?」

私にされるがまま、って言うのが、いつもより興奮するんです。リタリーはそう言って屈み、俺の顎を細い指でくい、と上げさせると、深く口付けた。冷えた舌がぬるりと侵入して、俺の口内をねぶる。いつも通りのキスなのに、それは妙に興奮を煽った。されるがまま、好きなようにされる。そんなの御免だと思うのに、こいつが言うように、確かにたまにはそういうのも良いかも知れない。

そもそも、壁一枚、フェンス一枚隔てた向こうで、日常過ぎるくらいの日常が動いている隔絶された空間で、こうして性的接触を繰り返している事自体、おかしいって言うのに。なんだかもう、色んな感覚が麻痺してしまって、だからこんなことでもしてないと、つまらなくなってしまうんだろうか。いかれてる。俺も、リタリーも。

リタリーは陰毛を綺麗さっぱり抜き去っていて、そこには何も生えていなかった。女のような顔はしているが、体つきはしっかりと男のそれ。屹立している性器だって、立派に主張しているのに、陰毛が無いというだけで、それは妙に妖しく映った。自分の放置しっぱなしの下半身を見て、こいつは何を考えているのかは聞かないでおく。お揃いにして欲しいだの抜かしやがったら、流石に縁を切ろうと思う。俺は間違ってねェぞ。

「じゃあ、どうぞ」

差し出されたそれの先端に軽くキスをして、ゆっくりと咥え込んだ。こいつは、俺が下手なのをわかっていて、咥えさせるのが好きだ。歯を立てないように気をつけてはいるが、どうしても当たってしまい、その度にこいつは無理矢理奥に突っ込んで、喉奥を犯して楽しんでいる。酷い性癖だと思うのだが、恐らく、こうして乱暴にしたいから、俺に咥えさせているに違いない。

「ぐ、ぉごッ、げぁ、あ」

しゃぶらせるのが面倒になったのか、俺の頭を掴んで、何度も何度も腰をぶつけられ、その度に嗚咽いて、呼吸さえ苦しくなって――それでも、こいつは止めなかった。

まるで幼い少年のようなそこで、俺の口を好き放題に犯すリタリーは、むしろその見た目に興奮してさえいる気がした。別に本人の性認識が女という訳ではないらしい。ただ、美しくしておきたいのだという。その気持ちは一切わからないし、わかりたいとも思わないが、やられている相手を最高に惨めな気分にさせることは間違いない。

「ぅ、ぐぇッ、あ、がはッ……ぅ」

髪を引っ張られて口から引き抜かれたそれは、俺の唾液でぐっしょりと濡れていた。吐きそうになるのをどうにか堪える。涙目になって、涎と鼻水でぐしゃぐしゃになった俺の顔を見て、リタリーは妖しく、でも嬉しそうに笑った。

「ああ……凄い、いやらしいですね」

「う……るせェよ……もう、良いだろ」

顔を拭いたいが、手が動かせないせいでどうしようもなかった。せめて顔を見られないようにと俯こうとして、髪が抜けるのも構わない勢いで引っ張られ、無理矢理顔を上げさせられる。

「駄目です……今日は、その顔にいっぱいかけてあげたくなりました」

「じょ、冗談だろ」

「私は冗談は嫌いです」

真顔で言われて、また口の中に強引に捩じ込まれた。いっそ噛んでやったら良いんじゃないかと、そんな誘惑が頭を掠めたが、止めた。こんな状態じゃあ、余計に酷い仕返しが待っているに違いない。こんな所に一晩中置き去りにされた日には、流石に死んじまうだろうし、もし見回りに来た誰かに見られたら――いい加減に退学だ。

仕方なく諦めると、とにかくこれが早く終わるように祈るしか無くなった。喉を好き勝手使われてりゃあ、こっちから出来ることは何もない。こんなやさぐれた男の顔にかけて、そんなことで興奮すんのかよ。いかれてる。

脳みそに響く水音と、自分の嗚咽が気持ち悪い。吐き出しそうになるのを蓋される。それを何度も何度も繰り返し、もう一度髪を掴まれたかと思うと、ようやくそれが引き抜かれ、間髪入れずに、生暖かいものがどろりと口元を汚した。

「ぅ……ッ、はあ……」

収まらない吐き気を堪らえようとしているところに、汚ェものを撒き散らされて、口の中に入った精液をどうしたら良いのか、考えるのも億劫だった。とにかく顔を洗ってうがいをさせろ。どちらもしばらくしてもらえないだろうとわかっている上、それを訴える気力もない。リタリーは恍惚とした表情で、俺の顔に精液を塗りたくっている。ふざけんな。

「ほら……ちゃんと綺麗にしてください」

もう、あれこれ考えるのも面倒だ。言われるままに萎えかけているそれを舐めてやることにした。出されたばかりの精液でコーティングされたそれを、舌で舐めとって、口に含んで、少しだけ先端に吸い付いて綺麗にしてやる。

涎まみれにすることが綺麗にすることなのかは知らないが、ともかく綺麗になっただろうそれを口から抜くと、リタリーは満足そうに笑った。

「ふふ、ちょっと縛っただけでこんなに素直になってくれるなんて、案外単純なんですね」

素直なだけで完全に萎えてるけどな。

「……良いから早く拭いてくれよ」

「嫌です」

「はあ?」

「一回抜いたくらいで終わりな訳無いでしょう」

「嘘だろ……」

絶望的な気分になる俺に、リタリーはもう一度、すでに勃ち上がりかけているそれを口元に近づけた。

「上手に出来るようになるまで、開放してあげませんから」

「やめ……んぐッ」

また喉の奥にぶち込まれて、強制的に口を塞がれ、まるで反論しようとした罰か何かのように、リタリーはまた腰を振り始めた。いつになったら終わるんだよ。吐き気を我慢できるのにも限界がある。俺がもどすのが先か、こいつがもう一回イクのが先か……絶対に前者だ。昼飯消化しきってねえぞ。

こいつはどうしてこうなんだ。苛々してるなら、悩んでることがあるなら、普通に相談すりゃあ良い話なのに、それをこういう形でぶつけてくる。相談相手としては役不足だろうが、それでもこんなことをされるよりはずっとマシだ。

いや、俺がマシだと思っているだけで、こいつにとってはそうじゃないのかも。そんなの、お前が決めることじゃねェんだよ。馬鹿が。

もしかしたら、こっちが言いたそうにしていることを全部封じ込められるから、こいつは口でさせるのが好きなのかも知れない。そう思い、俺は笑いそうになった。こいつは全く賢くなんて無いし、大人でもない。聞きたくないことに耳を塞いでいるだけの子供なんだ。可愛いもんじゃねェか。

だが、いい加減にこっちからもさせて欲しい。こっちからは何も言うつもりは無いし、ちゃんと可愛がって、慰めてやるってのに。否定や拒絶だけでなく、親愛の情を示そうとしても、それさえまとめて塞ごうとするあたり、やっぱりこいつは不器用だ。

少しずつ運動部の声も小さくなって、下校時刻が近づいてきたことがわかる。でも、リタリーはまだ俺を開放する気は無いらしかった。綺麗に染まっているだろう夕暮れを見る余裕も無く、俺は涙で滲んだリタリーの白い肌を虚ろな気分で見つめていた。

終わり

wrote:2016-02-27