夜更かしの代償

ギグが眠っている間は、自分がしていることをバレることもないし、感覚を共有することもない。それに気付いてから、少年は度々、ギグの目を盗んで夜更かしをしていた。

特に目的がある訳ではない。ただ夜の空気を味わうだけだったり、宿屋に泊まった時であれば、街で見かけた珍しい本を読んでいたり。その程度のことなのだけれど、閉ざされた世界で規則正しすぎる程規則正しい生活を強いられてきた少年にとって、外の世界で自由に過ごせる夜というのは、随分と魅力的だった。

自分より一回り程年上の青年と、こっそり逢瀬を繰り返すようになったのも、この夜更かしがきっかけだった。

オステカの街、クラスター邸に泊まった時、お茶でも淹れようと台所を借りに行った時のこと。ばったりと青年と鉢合わせ、少年は異常なくらいに狼狽えた。少年にとって、自分の夜更かしは、誰にも秘密の、後ろめたい行為だったからだ。

それを知ってか知らずか、青年はにっこり笑って、眠れないのなら一緒にお茶でもどうですかと、少年を気遣う言葉をかけてくれた。

その誘いに応じながらも、なんだか彼を騙しているような気になって、怒らないの? と尋ねてみれば、何か悪巧みでもしてたんですか? と聞き返されて。お茶を飲もうとしただけだと答えると、だったら私も共犯じゃあありませんかと笑われた。

影は薄くても、さり気なく自分たちを支えてくれている人。その認識だけだったのに、こうして二人きりで話してみれば、思っていた以上に優しくて、話しやすい人で。いつの間にか夜になれば彼の姿を探して、二人きりで話すことが多くなっていった。

それがいつしか、話すだけでは終わらずに、指先に触れて、キスをして、体を探り合うようになって――初めは、この誰かに知られても誤魔化せたような夜更かしも、今では、誰にも知られる訳にはいかなくなっていた。

なるべく人気のない所へ。声を漏れてもバレないように。暗がりの中で、彼らは何度も唇を重ねた。ちょっとしたスリルを楽しみながら、半裸になって互いの肌の感触を味わって。

他の皆には内緒ですよ。行為を終えると、青年は決まってそう少年に告げるのだった。荒い息を整えながら小さく頷くと、青年は笑って、少年の額に唇を落とす。その瞬間がとても幸せなのだけれど、もう終わりかと物寂しくも感じられて、なんとも言えない気持ちになった。

悪いことをしている、という自覚はもちろんある。暗がりで、誰にもバレないようにしているのが良い証拠。性的な知識が多い訳ではないけれど、自分がしていることはきっと、本当はいけないことだということはなんとなくわかる。リタリーに恋しているらしいドリーシュなんかにバレてしまったら、きっと、とんでもないことになるということも。

それでも、リタリーとこうして過ごすのが待ちきれないくらい、少年はこの夜更かしに嵌ってしまっていた。おかげでここの所すっかり寝不足で、朝、顔を合わせた幼馴染に心配されてしまい、苦笑いを返すしかなくなっている。

同じように夜更かしをしていても、リタリーは別に変わった様子はない。それは長年携わっている仕事で慣れているからで、一朝一夕で少年に真似をしろというのは無理があった。それは仕方のないことだけれど、この危険な旅において、寝不足によるパフォーマンスの低下は命取りになりかねない。もちろん、それくらい少年もわかっている。わかっては、いた。

背中をファンクスの爪に切り割かれて昏倒してしまったのは、完全に少年の油断が原因だった。普段だったら絶対にあり得ないことだが、他の個体に気を取られ、背後から飛びかかってきた獣の気配に気付けなかったのだった。自分の中にいる死神が叫ぶのを聞いた瞬間、背中に熱い痛みが走り、そのまま意識を失った。

世界を喰らう者を倒すという目的を掲げておきながら、どこにでもいるようなファンクス一匹に殺されるなんて。そう言えば、俺が死んだらどうなるんだろう。ギグは、俺の体を乗っ取ることが出来るんだろうか? それとも、俺と一緒になって死んじゃうのかな。薄れていく意識の中、そんなことを心配した。

そして、最後の最後に、どうせ死ぬのなら、昨日の夜、もっと夜更かししても良かったな……という、懲りないことを考え、少年は目を閉じた。

目を覚ますと、焚火の側に横にされて、隣にはリタリーが座っていた。切られた背中は……じくじくと痛むけれど、どうやら死んではいないらしい。周囲からは仲間たちの気持ち良さそうな寝息が聞こえてくる。

「……生きてる」

「目が覚めましたか」

空はすっかり暗くなり、焚火の温かい明かりだけが辺りを照らしている。今は一体何時なんだ。体を起こそうとして、背中に走る激痛に顔をしかめ、まだ起きてはいけないと窘められた。

「……すみません。私のせいですね」

「なんでそうなるの」

「夜更かしはいけないと、怒らなくてはいけなかったな、と……」

辛そうな笑顔を浮かべて、リタリーは三粒の錠剤を少年に渡した。痛み止めです、と言われたそれを口に放り込むと、リタリーは手にしていたカップの中の液体を口に含み、身を屈めた。重ねられた唇の間から、温く、甘い水が流れ込んでくる。錠剤と一緒にそれを飲み下すと、途端に体が温まって来た。

「これで随分楽になるはずですから、今日はもう眠ってください」

「……うん」

焚火の側に寝かされていたのに、体が冷えていたというのは、随分危険だったということだろう。体が温まると同時に痛みが引き、真っ当な眠気が襲ってきた。起きたばかりだし、皆は眠っているし、リタリーと二人きりだし……と考えたところで、周りに人がいる中でキスをしたのは初めてじゃないかと気付いて、少年は固まった。

確かに体を起こせないから、薬を飲むのは難しい。けれど、そんな。

焚火に当たったことが理由ではなく、顔を赤くしている少年を見て、リタリーは何かを察したように笑って、もう一度身を屈めた。顔が近くなり、今度は熱っぽく、いつも人気を避けてするように、舌を絡ませてキスされて。いつもより、もっといけないことをしているのに、とわかっていたけれど、慣らされた体は、リタリーのそれにしっかりと反応して、抵抗する気さえ起きなかった。

それは普段しているものに比べればずっと短い時間だったのに、いつもよりずっとずっと長く感じられて、眠気と怪我の怠さも相まって、少年の頭を蕩けさせた。

「……他の皆には、内緒ですよ」

唇が離されて、いつもの言葉を投げかけられて、いつも通りに頷くと、リタリーは嬉しそうに笑った。額に軽いキスを受けて、頭を優しく撫でられると、いよいよ眠気に耐えられなくなってくる。

リタリーはまだ起きているつもりなんだろう。俺の具合を看るために。いつも平気な顔をしているけれど、リタリーだって、しっかり寝なくちゃいけないはずだ。早く良くなって、安心させてあげないと。そして今度は……ちゃんと、皆から離れて、したい。自分から触れられないのは、嫌だ。

反省してるのかしていないのか、少年はそんなことを考えながら目を閉じた。すぐに規則正しい、落ち着いた寝息が聞こえ始める。隣に座って様子を見ていたリタリーは、安堵のため息をついた。

いけないことをしていると、そう思っているのは自分も同じだった。年若い彼は、今までの生活もあって夜更かしに慣れていないし、ただでさえ慣れない旅を続けていて、自分では気付かないうちに疲労だって溜まっているはずだ。途方も無いくらいの使命と重荷を背負わされて、壊れてしまわないのが不思議なくらい。

だから、これは下心からだけではなくて……と良い訳じみたことを考えて、リタリーは頭を振った。こうなってしまったのだから、やはり悪いのは私だったのだ、と思うことにする。

傷はそれなりに深くはあったが、こうして眠れるのであれば、恐らく明日には歩けるようになっているだろう。無理はさせられないが、次の街に辿り着くくらいは出来る。そうしたら、ちゃんとベッドで休ませよう。間違っても、今までのようなことは控えなくては。

そう決意したものの、それがどこまで保てるのかは怪しいものだとも思っている。先刻だって、もう一度キスするつもりなんて、これっぽっちも無かったのだ。少年が目覚めるまでの間、どれ程後悔して、心配したか知れない。それなのに、薬を飲ませるためだけにしたキスで、あれほど顔を赤くする少年を見た瞬間、もう、我慢がきかなくなっていた。

「……参りましたねえ」

寝息を立てる仲間たちを見回して、最後に隣で眠る少年を見つめ、リタリーは独りごちた。監視しろとの命令だったのに、その対象に、ここまでのめり込んでしまうとは。

旅はまだまだ終わりそうにないし、いつ終わるとも知れない。だから、終わりを考えるのは止めよう、とリタリーは思う。彼が望むうち、こうして寄り添ってあげられたら、それで良いのだと。

でももし、この旅が終わった時には……毎回彼に投げかけているあの言葉を、もう、言う必要は無くなる。それが良い意味でなのか、悪い意味でなのかは、今はまだ、わからないけれど。願わくば、良い意味であって欲しい。そうなるのなら、私はきっとなんでもする。この決意だけは、揺らいだりしない。私らしくは、無いかもしれないけれど。

時折身動ぎする少年を気にかけながら、リタリーは熱い薬湯を淹れ、少しずつ口に運んだ。まだ夜は長い。落ち着いたとは言え、また痛みに目を覚まさないとも限らない。眠る訳にはいかなかった。寝顔を見るだけで我慢しろ、というのも、随分と酷だけれど、これはこれで、私にとっての夜更かしの代償、というところかも知れない。

リタリーもまた、反省しているのかしていないのか、邪なことを考えながら、ぱちぱちと音を立てる焚火の炎を見つめるのだった。

終わり

wrote:2016-05-14