汚されたいの

あの人からのメールを、俺は怯えながらも期待している。偶然知り合った、煙草屋の店主。黒い噂が絶えないその人は、真面目が服を着て歩いているとさえ言われるような、潔癖過ぎる程潔癖な高校生である俺を、妙に気に入ったようだった。

自分で言うのも何だけれど、それはきっと、白いキャンバスを黒く塗りつぶすような、そんな感覚に近いのだろうと、俺は予想している。そしてそれは、きっと間違いではない。あの人に従って、何でも受け入れてしまっている俺もまた、似たような気持ちになっているから。

夜の九時を二分ほど過ぎた時だった。スマホの小さな通知音。きっとあの人からだと、急いで画面を見た。今夜十時半に、いつもの場所で。たったそれだけの文字だけれど、その連絡を、俺は待ち望んでいた。毎週金曜の夜はいつもこうだから、きっと今日も連絡が来るだろうと予測して、既に身支度は済んでいる。

コートを羽織るだけですぐにでも出られるのだけれど、家を出るにはまだ早い。約束の場所まで、ここから歩いて十五分程度で着いてしまうのだから。丁寧にもう一度歯磨きをしようか、いや、十分に時間があるのだから、シャワーを浴びても構わない。

そわそわして落ち着かない気分のまま、とりあえず、わかった、とだけ、返信する。本当は、もっと早く会いたいと伝えたいけれど、それは我儘だと思って、我慢した。相手は社会人で、小さいとは言え店を持っている人だから、きっと色々することがあるのだろう。高校生の我儘で、嫌われたくはない。

日常に不満があった訳ではない。悪いことへの嫌悪もあった。それなのに、こんな悪い大人に自分から騙されに行くなんて、どうかしてると、自分でも思う。

落とした財布を拾ってくれたあの人が、平然と差し出してきた一本の煙草。未成年だと拒否すると、今時そんなお堅い高校生がいるなんて、と馬鹿にされた。ついでに渡された百円ライター。出会った時のやり取りは、たったそれだけだった。

帰宅してあれこれ考えた後、俺は結局、それを吸った。盛大にむせた後、それでもそれが短くなるまで、どうにかこうにか吸い続けた。それが無くなると、俺はなんとなく、あの人の飄々とした顔を思い出して、もう一度会いたいと考えていた。

理由は自分でも未だに良くわからない。でも、真っ当な、真面目な人間で無くても良いと言われた気がして、安心したのかも知れなかった。

あの人に落とされるのが、心地良い。煙草や酒、性的なあれこれを教えこまれて、自分が少しずつ、あの人の言う「まとも」に近づいていくのが、嬉しかった。

結局、あれこれ考えているうちに、時計は十時を回っていた。コートを羽織って、こっそりと俺は家を出た。こういう時、一人暮らしは家族に気を遣わなくて済むからありがたい。養母には、絶対話せないけれど。

寒々とした、暗い空。凛とした冷たい空気。あの人は絶対に時間通りに来るとわかっていて、俺はいつも早めに家を出ている。待ったかと尋ねられて、今来た所だと返すのも、いつもの事。

でも今日は、待ち合わせ場所の町外れの公園へ、すでにあの人が立っていた。

「よう、随分早いじゃねェか」

「……そっちこそ、どうしたの」

公園に建てられた時計を見ると、まだ十時十五分を少し過ぎた所なのに。俺が尋ねると、ロドは煙草の吸い殻を投げ捨てて足ですり潰しながら、嬉しそうに笑った。

「たまにはな。早くお前を可愛がってやりたくなったのさ」

「……気付いてたの」

いつも、最低でも十分は早く待ち合わせ場所に来てる、ってこと。そのしたり顔を見る限り、気付いてたみたいだ。恥ずかしくなって、俺は自分の肩を抱くロドから目を背けた。

まだ夜は長い。ロドに促されて繁華街に向けて歩き出しながら、俺は、これからされることを想像して、こっそりと赤面した。

終わり

wrote:2016-01-11