どこか遠くへ

寝入りばな、明日、朝から出かけるぞと夫に言われ、リタリーは少し考えてから、良いですよ、と答えた。自分は店の定休日だから休みだけれど、夫は仕事のはず。そう思ったけれど、何か考えがあるのだろうと、あえて聞かずにいることにした。平日だから子供たちは幼稚園に行ってしまうし、つまりは久しぶりの二人きりの外出ということになる。

休日となれば子供たちをあやしたり、一人でふらりと遊びに出たりと、気ままに生きている夫のこと、自分のために勝手に仕事を休みにするということは、きっと何かある――いや、だからこそ、あまり期待しないほうが良いような気もした。とは言え、二人きりでの外出だなんて、もうずっとしていないのだから、期待せずにいろというのも無理があった。

らしくなく、妙に浮ついた気分になってしまったリタリーは、夫の寝息が部屋に響き初めても、しばらくの間眠れずにいた。

翌朝。双子に弁当を持たせて幼稚園に送り出すと、ロドはリタリーの手を引いて、最寄り駅まで連れ出した。気持ち、身なりも整えている気がする。

「で、私をどこに連れて行く気なんですか」

駅のホームで電車を待つ間、いつまで経ってもこの外出の目的も、行き先さえも教えてくれない夫にリタリーはそう尋ねた。ロドは、照れ隠しか何なのか、頭を掻きながら答えた。

「あー……桜でも見に行こうと思ってよ」

「……なんでまた、急に」

桜。確かに、テレビで桜が所々の地域で満開だというニュースを見たけれど、どうしてまた、遠出までして。夫が買った切符の値段を見れば、小旅行と言って良い距離を移動することはわかる。近所の公園にだって、桜があるのに。……確かに、まだ満開には程遠そうだったけれど。

単純な疑問を投げかけただけのつもりだったのに、ロドはもごもごと答えを渋った。気まずさを誤魔化すように煙草を取り出そうとして、ここは禁煙だということを思い出し、大人しくポケットに仕舞いもしている。そんなもどかしい仕草がなんだからしくなくて、言いづらいなら言わなくても良いですと言いかけた時、電車の到着を告げるアナウンスがホームに響いた。と同時に、ロドが意を決したように口を開く。

「もうすぐ結婚記念日だろ、お前さんが休み取れるか微妙だっつーから……」

着いてから言おうと思ってたのによ、そこはちょっと空気読めよなあ。ロドはそうぼやきながら、リタリーの手を引いて、目の前の車両の中へと足を踏み入れた。

確かに今週末は――籍を入れた訳では無いけれど、一緒に暮らし始めた日をそう呼ぶのなら確かに――結婚記念日だ。男同士なのもあって、それ程重要視する記念日でもないと思っていたし、お互い同時に休めるとは限らないから、それは仕方ないことだと割りきっていたのに。

手を引かれるままにボックス席に向かい合わせに座り、驚いた顔のまま夫を見つめるリタリーを、ロドはぎろりと睨んだ。

「んだよ、もっと良いとこの方が良かったか?」

「いえ……こんな可愛い夫で良かったと思っただけです」

結婚記念日なんて、少し良い食事を用意して、ささやかに祝えれば良いと思っていた。それなのに、こうしてデートの段取りを考えてくれていたのが、くすぐったいくらいに嬉しかったのだ。

ロドはふん、と顔を赤くして、窓の外の景色に視線を移した。リタリーもつられて外を見る。まだ蕾が膨らみかけただけの、ピンク色に色づき始めた近所の公園の桜が目に入った。その近くには、双子が通っている幼稚園がある。今頃、歌を歌ったり遊んだりして、それぞれ楽しんでいるに違いない。

どんどんと遠ざかる見慣れた街並み。それになんとなくドキドキして、リタリーは席を立ち、夫の隣に腰を下ろした。そっと手を繋いで、体を預ける。向かい合わせも良いけれど、やはりこの人に触れていたい。握り返された掌の感触に満足しながら、リタリーは今日これからの予定に大いに期待するのだった。

終わり

wrote:2016-05-05