暗い穴の底

十五歳の誕生日の次の日、父に連れられて向かった先は、家の側の倉庫だった。倉庫には何度か行った事があるし、最近少しずつ仕事の手伝いをさせられていたから、今日もそれかと思っていた。はたして、そうではなかったのだけれど。

父は倉庫の一番奥、荷物と荷物の隙間にある床のとっかかりに手をかけて、隠された階段への道を開けた。ランプに灯りを点けた父の、着いてきなさい、という言葉に無言で従って、急な階段を、一歩一歩、脚を踏み外さないように気をつけながら下りていった。カビ臭さと、湿っぽさで正直不快だったけれど、何か嫌な予感がして、何も口には出来なかった。

階段を下りると、石造りの壁に囲まれた、狭い通路が続いていた。父の手にあるランプの灯りを頼りに進み、十メートル程行った所で、鉄格子が嵌められた小さな空間にたどり着いた。

なんだこれは、どうしてこんなところがうちの倉庫に? そう父に問おうとした時、父が先に口を開いた。

「起きなさい、ロド」

誰かいるのか。薄暗い空間に目を凝らすと、のそりと人影が動くのが見えた。それは、自分よりもずっと幼い少年だった。

「今朝の分だ。また夕方来る」

父はそう言って、手提げ袋を鉄格子の隙間から少年に差し出した。こつこつという足音。少年の足元を見ると、自分とは違い、牛のような脚をしている。この子は、人間じゃない。よく見れば頭からは青い角がちょこんと飛び出ていて、耳は大きく、これもまた、牛のような形をしていた。青く乱雑に伸びた髪の隙間から見える目は鋭く、かと言って生気がある訳でもなかった。そして、薄暗いという理由を抜きにしても、顔色は酷く悪い。痩せ細った手で袋を受け取ると、少年はまた奥へと下がっていった。それを確認すると、父は、戻るぞ、と言って、私にランプを手渡した。先行しろということらしい。

聞きたいことをぐっと飲み込んで、私は隠し階段の入り口へと戻った。どう考えても、こんな酷いことは許されることじゃない。子供を地下に閉じ込めて、明らかに具合も悪そうなのに、何もせずにいるなんて。父はそんな人じゃなかったはずなのに。

倉庫に戻り、階段を隠して、私は父に詰め寄った。あれはなんだ、どうしてあんなことをしているのか、と。父は、これがうちに課せられた仕事の一つだと言った。

この街には、数十年に一度、ああいう姿をした子供が生まれる。彼らは何をしなくても周囲に不幸を呼び寄せてしまうと伝えられいた。だが、殺してはならず、出来る限り生かし続けなければならないという決まりになっている。だから、封印されたあの地下で「保護」しているのだ、と。

あんな状態のどこが「保護」だと言い返すと、昔に比べれば随分とマシな扱いになったのだと返された。昔は食事さえ与えず、餓死するのを待ったのだと言う。そんな殺したも同然の扱いでも、直接手を下さなければ良いとされていたのだと。

夕方からは彼の面倒はお前が見ろ、食事は毎日母さんが用意しているから言えば良いとだけ言って、父は倉庫から去っていった。呆然と立ち尽くしながら、私は階段が隠された床を見た。この奥で、あの少年はどうやって一日を過ごしているのだろうと考えて、ぞっとした。

日も射し込まない、全くの暗がりの中で食事をして、眠って、それだけの生活を、一体どれだけの間続けているのだろう。気が遠くなった。もしかしたら言葉も最低限のことしかわかっていないかも知れないし、心らしいものがあるのかもわからない。もし自分が同じ目に合わされたとしたら、きっと数日でおかしくなってしまうだろうと思った。

逃してあげたい。だけど、言葉もわからず、あんな狭いところに閉じ込められたまま寝ているだけの生活を続けた少年が、外の世界で生きていけるのだろうか。そんなの、きっと、出来ない。出来るはずがない。でも、このまま閉じ込め続けていたって、そう長くは生きられないということもわかる。いつ病気になってもおかしくない環境だし、実際、彼の顔色は酷いものだった。でも、もし彼が健康で長生き出来たとして、それはただ苦しみが長引くだけなのではないか。だとしたら、せめて、その時が来るまでは少しでも幸せでいられるようにするのが、最善の選択で――。

「クソッ、どうして、どうしてだ……ッ!」

いつもこうだ。一番良いのがどういうことか明らかなのに、それを諦めて、日和ったことばかり選ぼうとする。自分には力が無いからだ。父を説得する力も、この環境を変えられるような力も、彼が外で生きられるように助ける力も無い。でも、そんなのはもう嫌だ。

何か方法を探してやる。周囲を不幸にするなんて呪いめいた話を無効化して、彼に人並みの勉強をさせて、生きていけるようにする方法を。あの、何もかも諦めたような、死体のような目を、どうにかして救ってやりたい。

私は倉庫に背を向けて、屋敷へ向かって歩き出した。

終わり 続くかも

wrote:2017-07-18