見て見ぬふり

誰が好き好んでこんな体に生まれるか。嫌で嫌で仕方が無かったこの体は、珍しい物好きの金持ちたちにとっては、非常に好まれるものだったらしい。

本来セプーには存在しないはずの複数の乳首。女の穴がついた下半身。ずっと隠して生きてきたのに、たまたま捕まった人身売買組織は、捕まえた奴隷の身体検査を念入りにする悪趣味なモットーがあるらしかった。セプーの奴隷なんて履いて捨てる程いるが、ごく稀に獣らしさが強く出る個体があるらしい。それがたまたま俺だったという話だった。

せめて雌なら高く売れたのに。そう言われた後、下着を剥ぎ取られた瞬間の、好色そうな男の歪んだ表情が忘れられない。こいつは珍しい。それなりに高く売れるだろう、と。

服を剥がされて後ろ手に拘束され、俺は競売にかけられた。大きく脚を開かされて、品定めするような複数の目でじろじろ見られ、傷つけない程度にと念を押された金持ち共に、無遠慮にそこら中を触られた。反抗しないようにと噛まされた猿轡。これさえなければ、口汚くそいつらを罵ってやったのに。

まるで芋虫が這っているようなおぞましい感覚に吐きそうになりながら、せめて泣き喚いたりしないと心に決めて、目を閉じて黙っていた。それなのに、むしろそれが男たちの興を買ったのか、その手つきはどんどんエスカレートしていった。

どろどろの液体をかけられて、初物でない方は構わないだろうと、尻を犯され始めると、段々と決意は揺らぎ始めた。噛まされた猿轡の隙間から、自分の押し殺した声が漏れると、その度に男たちは喜んで囃し立てた。

孕んだら、こいつからだらだら母乳が出るのかね。そう誰かが言うと、たちまち六つの手が伸びて、俺の乳首を摘み、押し潰し、体がびくびくと反応するのを楽しんでいた。

この体で孕むのかは自分でも知らないが、もしもこいつに孕まされて、仔を産まされたとしたら。ぞわりと悪寒が走って、耐えていた涙がじわりと滲んだ。

結局、競売に参加した十人の金持ち共のうち、羽振りの良さそうな五、六人が、俺を味見した上で競りに入った。一番高い三十万ジェルが俺につけられた値段であり、それはそいつらにしたら、上等な奴隷を買うよりずっと安い値段だった。珍しい動物を買うかのように、そいつは俺を買った。ぶよぶよに太った汚い中年の男。そいつにとってははした金にしかならない金額ですら、俺は今まで手にしたことは無いし、これからも絶対に用意できない。

死にたくないと思って、今まで必死に、泥水を啜って生きてきたってのに。こんな目に合うくらいなら、死んだ方がずっとマシだった。

浴室で体を洗っている間、俺はどうやって逃げ出そうかを考えた。逃げ出そうとして捕まったら、きっと酷い折檻を受けるだろう。でもそれは、奴隷として飼われる生活の中で、延々と続く汚らわしい行為のうちの、ほんの一端に過ぎないはずだ。だったら、どうにか悪足掻きをしたって良い。

こんな目にあってもまだ人生に諦めきれずにいるのが自分でもおかしい気がしたが、一つも良い目に合わずに死ぬのは嫌だ。

シャワーを出しっぱなしにして、なるべく物音を立てないように扉を閉め、浴室の前に置かれた、あの人間の好みにしてはまともな趣味のシャツとハーフパンツを履き、俺は勢い良く脱衣室のドアを開けた。

見張りがいるのはわかっている。酷い目に合わされて疲労困憊の子供一匹、見張りは一人で十分だと思っていたのだろう。そいつの腹を蹴り飛ばし、床で悶えている間に、裏口に向けて俺は一目散に駆け出した。

連れてこられる間に、この競売場の構造は確認した。脱衣所兼浴室は一階。裏口まではスタッフルームの前を駆け抜ければすぐだ。足にはそれなりに自信がある。窃盗、強盗、なんでもしてきた。逃げ足だけは自慢だった。

「何だ、何が起きた!?」

「おい、逃がすな!」

騒ぎに気付いた売人がスタッフルームから顔を出し、床に転がっている見張りが背後で叫ぶ。慌てた売人がナイフを取り出し、俺に刃を向けた。

「もう金は貰ってんだよ、逃がす訳にはいかねェな」

ってことは、傷物にする訳にはいかないんじゃねェのかよ。そもそも、傷の一つや二つ、増えたところでもうどうでも良かった。俺は薄ら笑いを浮かべて脅す売人に突っ込んで、その先にある裏口を見た。外に出られれば、少なくともここにいるよりは自由だ。自由になれるはずだ。たとえ一瞬のことだったとしても。

怯むこと無く突っ込んでくる俺に向かって、売人は驚き、俺にナイフを振るった。顔が熱い。ぬるい液体が溢れ出ているのがわかる。でも、足を止める訳にはいかない。そのまま駆け抜け、ドアノブに手をかけ、俺は外に飛び出した。

時間感覚がなくなって、一体何時なのかもわからなくなっていたけれど、外の明るさから、今が昼過ぎだということはわかった。

どれくらい街中を駆け抜けたかはわからない。目の中に血が入っても、足がもつれそうになっても、どうにか転ばないように、必死になって走り続け、俺は街はずれの路地裏へと逃げ込んだ。とにかくこの街から出なければならない。この街にいる限り、俺は絶対に狙われる。俺はもう、あの人間に買われた奴隷なんだから。そいつにとってははした金かも知れないが、黙って放っておくこともしないだろう。あの人身売買組織の面子もある。

追い掛けて来る足音はだいぶ前に聞こえなくなっていたけれど、だからどうということもない。この街中に、あいつらの手は伸びている。早くこの街から出なくては。そう思うのに、全力で走り続けたせいで、体がどうにも動かない。薄汚れた壁に体を預けると、自分の意思とは無関係に、俺の体はずるずると地面に倒れこんだ。

血が滲んだ白いシャツ。じんじんと熱い顔の傷は、もう血は止まっているらしく、顔についた血も乾いている。大した出血ではないらしいが、疲れきった体には辛い傷だった。

朦朧とする意識の中で、そう言えば、今まで食べた食事の中で、あの人身売買組織の連中に食わされたパンとスープが一番上等だったな、ということを思い出す。そう考えるとなんだか泣けてきた。と同時に、色んな事が悔しくて、このまま倒れている訳にはいかなくなった。

棒のようになっている脚に鞭打って、俺はこっそりと路地裏を抜け、街の出口へと向かってもう一度駆け出した。死んでたまるか。俺はまだ、一つも良い思いを味わってはいない。

「ぅおッ」

人気のない路を歩いているつもりだったが、曲がり角を曲がった瞬間、誰かにぶつかり、俺は尻餅を付いた。ぶつかった相手はよろけただけで、倒れてはいない。小綺麗な身なりをした、長身の男……か女かわからない髪型をしているが、体格的には男だろう。白い羽織が、乾ききっていない俺の血で汚れてしまっていた。

まずい。こういうちゃんとした見た目をした人間は、俺のようなゴミ同然の孤児に優しくない。良くて殴られ、悪ければ何処かの詰め所に引っ立てられて、またしばらく食事も出来ない生活を送らされる。逃げなければ。

立ちあがって、とりあえずぶつかった相手とは逆の、自分の背後に向けて逃げようとした瞬間、そいつは信じられないことを口にした。

「待ちなさい、怪我をしているじゃないですか」

それはきっと聞き間違いだと思い、身を翻して駆け出そうと脚に力を込めようとして、がくりと膝が落ちる。嘘だろ。さっきぶつかった時、痛めてしまったのか。

「立てますか?」

差し出された手。そんな顔を向けられたことなんて、今まで無かった。呆然と差し出された手とそいつの顔を交互に見て、俺は結局、その手を取った。そいつに支えられてどうにか立ち上がり、一言礼を言って、俺はそいつに背を向けた。こいつは、少なくとも俺を殴ったり、衛兵に付きだしたりはしないらしい。

痛めた方の脚を引きずりながら二、三歩。駄目だ。こんな脚じゃあ、逃げられない。無駄に警備が厳重なこの街は、外周をぐるっと高い壁で囲ってあり、東西南北にそれぞれ設けられた門を潜らなければ出られなくなっている。当然、そこには門番にあたる衛兵が立っている。全速力で駆け抜ければどうにかなると思っていたが、痛めた脚では走れない。かと言って、この街の中を逃げまわり続けるなんて無理だ。一度でも誰かに見つかったら、今度こそ逃げきれない。きっと、本当に、死んだほうが良い目に合わされる。

「待ってください。貴方、そんな体で何処に行く気ですか」

「……まだいたのか。もう放っておいてくれよ」

「……私は療術師ですから、その傷くらいは治してあげられますよ」

そいつは回りこんで俺の目の前に再度立ちはだかると、羽織の内側から何か――袋に入った粉を取り出した。療術師。怪我を治す力を持っているやつら。でもこのご時世、タダで働くヤツなんて存在しない。

「金なんて持ってねェぞ」

「……いりませんよ、そんなの」

「はあ? じゃあなんだよ、礼としてやれるもんなんて一つも持ってねェぞ」

まさか、俺をひっ捕まえてあの組織に売り飛ばそうとでも言うんじゃないだろうな。怪訝な顔で睨みつけると、そいつは笑って、手にしていた粉を、俺の顔の前でさらさらと溢した。途端、緑の光が辺りを包む。眩しさに目を閉じると、顔と脚の痛みが引いていくのがわかった。本当にこいつは、タダで怪我を治してくれたのか。

「……少し跡が残ってしまいましたね」

「何で、こんなことを」

「そんなことより、貴方、何かから逃げている様子でしたけど」

「……!」

やっぱり、こいつは俺を追いかけてきたんじゃないか。そんな悪い予感が頭を過ぎって、俺は青ざめた。怪我を治してくれたのはありがたいが、全くの善意でこんなことをしてくれるというのは信じがたい。早く逃げ出した方が良いんじゃないか。

警戒したままの俺に、そいつはもう一度笑いかけた。

「ちょうど私も街から出るところなんです。一緒に行きますか?」

訳有りのようですから、誰かと一緒のほうが良いでしょう。そいつはそう言って、俺の手を取った。路地裏で倒れこんで、泥と血で塗れた俺の手を。ついでに、汚れたままだとなんだからと、少しだけ血で汚れた羽織を器用に紐で細工して俺に着せてくれさえした。

「さ、行きましょうか」

なんだこいつは。何を考えて、俺にこんな世話を焼いてくれるんだ。訳がわからないまま手を引かれて、俺は無言のまま、そいつに連れられて街の出口へと向かった。

衛兵は、何の疑いもなく俺とそいつを街の外へ出してくれた。信じられない。こんな簡単に、この街から出られるなんて。

正直、門を出た瞬間、こいつも豹変して、俺に酷いことをするんじゃないかと思っていた。そんなことはなく、そいつは俺を連れて街道に出ると、ここから三日ほど歩いた先に、私が住む街がありますから、とりあえずそこを目指しましょうと言った。食料もちゃんとありますから心配しないで、とも。

何でこんなに世話を焼いてくれるのかと聞くと、そいつは返事をせず、俺の手を引いて街道を歩き始めた。恐らく、俺の脚に負担をかけないように、速度を遅くして。

橙色に染まる夕暮れの空を見ながら、空ってこんなに広かったのか、とぼんやり思う。あの街では、妙に空が狭く感じてたっけな。街自体が壁に囲まれていたせいもあったが、路地裏という狭い場所ばかりをねぐらにしていたから、空は狭いもんだとばかり思っていた。

目の前を歩く男は今、どんな顔をしてこの空を見ているのだろう。いや、こいつみたいに真っ当に生きている人間なら、この空なんてなんでもないものだと思って気にもとめてないかも知れない。大多数の人間が、俺に抱く感情と同じように。

それからしばらく歩き続け、東の空が暗くなり始める頃、大きな樹の下で夜営することにした。そいつが出した保存食を食べ、こんなに贅沢なもの初めて食ったと言うと、そいつは苦笑した。信じてもらえなかったのかも知れない。

食事を済ませて横になると、いい加減に疲れきっていたらしく、たちまち瞼が重くなってきた。目が覚めたら全部嘘だったらどうしよう。でも、例え夢だったとしても、あんなにうまいものを食えたんだから、このまま死んでも後悔しないだろうな。ああでも、嘘じゃなかったとしたら、明日もあれが食えるのか。だったらやっぱり、嘘じゃないと良いな。

そんなことをうとうとと考えていると、何かに頭を撫でられている感触がした。それが妙に心地良くて、俺はあっという間に眠りに落ちたのだった。

続かない

wrote:2016-04-03