犬も食わない

ロドは屋敷に戻るなり、渋い顔をした執事とすれ違った。執事は調度仕事を終えて帰宅するところだったらしい。ご苦労様、とだけ言って、愛しい夫の元へと向かおうと、彼の仕事部屋へと脚を向けた所を呼び止められた。

「クラスター様は今日は新しく街に来た商人の方と夕食をとられて来るそうです」

「……そうかよ」

では、と頭を下げる執事を背に、ロドは足早に動かしていた脚を、随分と速度を緩めて歩き出した。

あの執事は、ロドとクラスターが夫婦のように過ごしているのを快く思っていないらしい。それは仕方ない事だとロドは思う。万人が諸手を挙げて祝福するような関係ではない事は承知しているし、この屋敷の執事ともなれば、主人が真っ当な子供を産める妻を娶ってくれる事を祈るのが道理だ。それを露骨に表に出さないだけ、まだありがたい事だ。

食堂には灯りが付いていた。ジンバルトが食事の用意をしてくれているらしい。となると、夫は一人で会食に出て行ったということになる。いや、まさかたった一人で、という事はあるまい。新入りというものは得てして仄暗くくだらない企みを持ちがちだし、警戒するのが当たり前だ。ジンバルトが付いて行っていないのなら、信頼のできる誰かを伴って行っているに違いない。普段から一人で出歩くなと口を酸っぱくして言っているのだ。流石にそれを無碍にはしないだろう。

「……おかえり、ロド」

「おいジンバルト。親友は誰と出たんだ?」

「ああ、リタリーと一緒だ。一人で行かせる訳無いだろ」

「そうか、なら良い」

疑っていたわけではないにしろ、一人ではないと確信が持てたことに安堵して、ロドは食堂のテーブルについた。安堵したとは言え、どうせ戻ってくるまでは落ち着かない気持ちのままになるのだから、せめてうまい食事と酒に酔っていたい。さっきから調理場から漂ってくる香りは、いつも通り非常に食欲をそそった。

程なくして運ばれてきた料理に、ロドは片っ端から手をつけていった。ワインを持って来いとジンバルトに命じて、倉庫からとびきり上等なものを持ってこさせて、瓶ごと飲んだほうが早いと思えるような勢いでグラスを空けもした。

クラスターがいない夜はいつもこうだ。ジンバルトは呆れつつ、諦めたように、次から次へと料理を運んだ。給仕係のつもりは無いんだぞ、と皮肉の一つも言いたくなったが、不機嫌極まりない顔をしたロドと、まともに会話しようとするのはとんでもなく困難なので、止めた。変な絡まれ方をするのは御免だ。

ロドが酔いつぶれかけて、ようやくジンバルトが食事を始めた。自分の分を調理場に寄せておいて良かった。ロドの前に水の入ったグラスを置いて、粛々と食事を取る。少しでも機嫌を取るために、兄貴がいない夜はやたら豪勢な夕食にするようになって、いつも以上に食べるとわかってからは大量に作るようにしておいて、自分の分まで食べられかねない勢いで食べるとわかってからは、ロドが酔いつぶれるまで給仕に徹して、それから愚痴を聞きながら食事をすることを覚えた。

水を渡されたのに飲もうとせず、ロドは据わった目でワインのグラスを弄んでいた。ペースは落ちているものの、瓶を殆ど一人で空けてしまったのだ。弱くはないとは言え、あんな勢いで飲んでいたら、具合が悪くなるに決まっている。

「おい、大丈夫か」

「……るせェ……へーきだよ……」

ダメだこれは。舌も回ってないし、いつもより酷いのではないか。食事の途中だが、とっととベッドに運んで寝かせた方が良い気がした。ジンバルトはナイフとフォークを置いて立ち上がると、向かいの席でうつ伏せになったままのロドに駆け寄った。

「おい!」

「…………」

返事が無い。水も飲まずにこれじゃあ、流石にまずい。ぺしぺしと頬を叩くと、薄目を開けたロドにぎろりと睨まれる。介抱してやってるのに、そんな目で見られては割に合わない。しかし、腐っても兄貴の妻――と表現するのは未だに変な気がするが――だ。このまま放っておくのも目覚めが悪い。

「ほら、良いから飲め」

「いらねェよ……離せ」

水が入ったグラスを差し出してもロドは受け取らず、机に突っ伏したまま動かなかった。こうなるときっとテコでも動かない。どうしたものか。ジンバルトがため息をつくと、ロドはゆっくりと体を起こして、椅子にもたれかかった。ようやく覚束ない手で水が入ったグラスを取る。ぐい、と一息で飲み干すと、音を立ててグラスを置いた。

「……てめェ、とっとと嫁もらえよな……そうしたら……」

「何を」

「…………」

「おい、そんなところで寝るな」

酷く面倒なことを言われた事に反論したいのに、当の本人がぐったりとそのまま意識を失ってしまうのだから、ジンバルトはすっかり困って項垂れた。ロドの考えている事がわからないではないが、それを二人よりずっと年若い自分に押し付けるのはどうなのか。それがわかっているからか、兄は自分にはあれこれ急かすような事は言わない。ロドだって、今まで一度も言ったことは無かった。周囲の目を気にするような繊細さは無いにしろ、だからこそ、大手を振って夫と歩きたいのかも知れない。自分は気にしなくても、ロドにとって誰よりも大事な相手は、変な噂を立てられてはいけない立場にいるのだから。

ロドが最後に言った、「そうしたら」の次の句を想像しようとして、ジンバルトは頭を振った。玄関先で扉が開く音がしたのもあるし、ロドが考える、兄と一緒にしたいことなんて、どうせ自分には考え付けない、異常なくらい甘ったるいことに決まっていると思ったからだった。

食堂で酔い潰れたロドを兄に引き渡して、ジンバルトは食器と調理場の後片付けをし始めた。兄が、またか、すまない、と言って、ロドを無理矢理抱えて寝室へと消えるのを、どんな気持ちで見送ったら良いのか、ジンバルトにはまだわかっていない。割り切れない、と言った方が正しいのかも知れなかった。どうしてあんな男と連れ添って生きようと決めてしまったのか。生き方を尊敬もしているし、苦心して自分を育ててくれた事に感謝もしている。だからこそ、人並みの幸せを兄には手に入れて欲しかった。

でもそれは、結局のところ自分の気持ちの押し付けに他ならない事にも気付いているし、ロドと一緒にいる時の兄の至極幸せそうな顔を見ると、兄にとっての幸せはこれなのだと、嫌でも思い知らされるのだ。それが、酷く腹立たしい。

ロドが嫌いな訳では無い。むしろ、兄の命を助けてくれた事にも、兄と一緒になって家を立て直すために働いてくれた事にも感謝していたし、幼い頃は兄に代わって面倒を見てくれた事だってあったのだ。ジンバルトにとっては、もう一人の兄と言っても良いくらいだった。もちろんその頃は、兄とロドの関係について深く考える事は無かったが。

だからこそ、二十歳の誕生日の翌日に、兄に言われた事を信じたく無かった。兄が、ロドの事を愛しているから結婚はしない、家の事はジンバルトに任せたいと言った事が、どうか嘘であって欲しかった。慕っていた兄同士が、そういう関係だと聞かされて、冷静でいられる訳が無い。

しばらく固まった後、ようやく、兄貴の好きにしたら良い、とだけ口にして、部屋に戻って泣いた。自分だけが除け者にされた気がして悲しかったのかも知れないし、自分では気付かなかっただけで、兄かロド、どちらかに恋をしていたからかも知れなかった。

思えば、思う存分我儘を言ったことなんて、数える程しかない。いっそ、二人の仲を認めるなんて出来ない、やめて欲しいと口に出来たら。そう口にしたところで、兄が申し訳無さそうな顔で、すまない、と謝るのが目に見えている。そう思うと、そんな誰も幸せにならない我儘なんて、口にする気が失せてしまう。

「……嫁をもらう、か」

空になった食器を片付けながら、ジンバルトはぽつりと呟いた。

もしロドがいなかったとしても、兄は同じことを言う気がした。商業組織のこと、街のことは自分に任せれば良い、ジンバルトは真っ当に恋をして、結婚して、家を継げば良いと。それが兄でもあり父親代わりでもある兄の、思いやりだと言うことは理解出来る。けれど――そう簡単に出来たら、苦労しないだろうに。

食器の片付けを終えたジンバルトは、一杯分さえ残っていない瓶の中身をグラスに注いだ。酒にはまだ慣れないが、兄たちと飲むのは好きだった。反して、こっそりと一人で飲むのは酷く虚しく、寂しくなる。

渋さしか感じられない液体を口に含んで、飲み下す。ほう、と息を吐いて、兄に介抱されているだろうロドのことを考えた。羨ましい。いや、もし自分が同じように酔い潰れたり、体調を崩してしまったのなら、きっと兄は同じようにするだろう。だから、羨ましいと思うのはおかしい。おかしいのだが、そう思えて仕方ない。兄が向ける感情が、自分とロドでは全く違う性質のものであることを、良くわかっているからだった。

足取りの覚束ないロドの肩を抱え、クラスターは寝室へと急いだ。自分が誰かと夜を過ごしている時、ロドはいつもこうだ。弟にも迷惑をかけてしまっているし、体にも悪いだろうと諌めてはいるものの、一向に変わる気配が無い。いつもロドと付きっきりで仕事をする訳にもいかないのだから、いい加減我慢して欲しいのだが、ロドにとってはどうにも受け入れがたいらしい。

自分とロドの関係が歪なものだということは理解している。周囲の目があるから、大っぴらに出来ないということも。だがそれを気にしていては、この先やっていけないはずだ。それはロドだってわかっている癖に、こうやって私を困らせる。いや、普段気にしていない風を装って耐えているからこそ、私が別の誰かと夜を過ごす事に耐えられなくなってしまうのか。何処かに泊まることは無いとわかっていても、帰りが遅いことだけで我慢ならなくなってしまうのか。それは、なんとも……。

「いじらしいというか、女々しいというか……」

「……んだよ、悪かったな」

ロドをベッドに横にさせて、聞こえないようにぽつりと呟いたつもりが、耳ざといロドには聞こえていたらしい。とろんとした目つきのまま、ロドはクラスターを睨みつけていた。

ふう、とため息をついて、クラスターはロドの隣、ベッドの縁に腰掛けた。そっと髪を撫でて、少しは酔いが覚めたか、と尋ねると、ロドは不機嫌そうにクラスターに背を向けた。

「誰かさんが女の匂いをさせて引っ付いてきたら、そりゃあ酔いも覚めるってもんだ」

不貞腐れたロドの背中を見て、クラスターは目を見開いた。流石セプーの鼻は違う。自分では気付かない残り香さえ気付かれてしまうとは。

しかし、確かに今日の食事の相手は、かなり香水のきつい女性だったが、残念ながら――と表現するのはロドの神経を逆撫でするだけだから口には出来ないが――かなり年配の女性だ。食事というのも、本当に純粋に、この街に来たばかりの商人だから、顔合わせをしようという理由でしか無い。

「別に何かあった訳じゃないぞ」

「……知ってる」

そこは疑ってはいないらしい。ただ、夫が女といたらしいだけで不機嫌になっているのだ。この嫉妬深い妻は。

「だったら」

「……それでも、ムカついちまうのは仕方ねェだろうが……」

ああもう、これはただの酔っぱらいの絡み酒に近い。となれば、黙らせてしまった方が早いのではないか。どうせ酔いが覚めれば元に戻る。きっと。

クラスターは着ていた服を床に脱ぎ捨てて、ロドの上に跨った。女の匂いをさせたままでいるのが気に食わないと言うのなら、これで文句は無いだろう。

「んだよ、それで俺の機嫌が治るとでも……んむ」

それでも悪態をつくロドだったが、すぐさま唇を塞がれては、何も言えない。抵抗しようにも酔いが回って体に力が入らなかった。両腕を掴まれてベッドに押し付けられ、酒臭い口内を舐め回されると、ますますどうにもならなくなる。むず痒く、くすぐったい感覚を辿って、互いの唾液が絡む水音に耳を澄ますと、苛立ちがとろとろと溶けていく。気持ち良いと言うよりは心地良い。自分の腕を掴んでいるクラスターの手が、自分の手のひらを握ろうとするのに応じて、甘く指を絡ませた。

馬鹿だよなあ、とロドはぼんやり思う。信じてる癖に嫉妬して、当たり散らして不貞腐れて、こうして簡単に絆されて、本当に、馬鹿だ。図体だけはでかくなって、仕事だって真っ当にやれて、それでも中身は昔のままだ。初めての親友と離れたくなくて、そのためなら何だってやれるし、実際そうしてきた。だから、少しでも自分から離れて行かれたら……いや、そんなことは有り得ないとわかっていても、自分の目や手の届かないところに行かれただけで、怖くなっておかしくなる。それを、自分でコントロール出来ないのだ。いくら添い遂げようと約束しても、実際クラスターがそのためのお膳立てをしてくれていても。

クラスターがいなければ生きてはいけない癖に、このままではクラスターを駄目にしてしまう気がした。ずっと一緒だと言われて嬉しかったし幸せだったのに、本当にそれで良いのか、未だに確信が持てずにいる。きっとそれは、ずっと悩み続ける羽目になる事だ。

「……なあ」

「ん?」

苦しげな呼吸をするロドの唇を開放してそっと頬を撫でると、ロドは何か言いたげに口を開いた。それなのに、クラスターが聞き返すと、ロドは歯切れ悪くあれこれ言いかけて、結局何も言い出せずに、もう一度キスをするよう強請った。

言いたいことがあるなら言えばいい、そう言うのは簡単だったが、クラスターはあえて何も言わずに、言われるままに口付けた。

――本当にこれで良かったのか?

――後悔してないのか?

どちらも、ただ肯定して欲しいだけの質問だった。ロドが願う通りの答えが返されることがわかりきってもいた。だから、こんな事、わざわざ確かめる必要なんて無い。何度だって、自分に向けられる愛の言葉を聞きたいと思っていても。

シャツ一枚隔てて触れ合う体温がもどかしい。そう思う頃、不意に指に絡んだ手が離れていった。口付けたまま、クラスターはロドの衣服を剥ぎ取り始める。言わなくても通じているようで嬉しくなりながら、自分の不安やこんな女々しい気持ちを全て見抜かれているのでは、と空恐ろしくなった。

クラスターの胸元と自分のそれがくっついて、直に触れる体温と、しっとりと少しだけ湿った肌の感触に、ぶわりと汗が滲む。深く酔ったせいで何かが出来る訳でもないが、このまま抱かれて死んだように眠れたら、きっと色んな不安な事もどうでも良くなって、この上なく幸せな気持ちで逝けるだろうとロドは思った。

自分の酒臭い口内を貪る夫が何を考えているのか、ロドには全くわからなかった。伝えられた言葉をそのまま信じるしか無くて、今、何をどう思っているのかはわからない。

毎回毎回こうして酔い潰れてくだを巻いている自分を、クラスターはどう思っているのだろう。可愛らしい嫉妬だと、微笑ましく思うだろうか。それは楽天的過ぎる気がする。幻滅されたっておかしくないはずだ。

そんな後ろ向きな事ばかり考えていても、口付けあいながら体を触れ合わせていれば、勝手に体は興奮する。酔っているせいで勃起しそうにもなかったが、別にこちらが勃たせている必要は無いのだから構わない。クラスターは一滴も飲まなかったのだろう、酒の匂いはしなかった。疲れてはいるかも知れないが、ロドの股間に当たっている硬いものの感触を見れば、そのつもりになっていることは容易に想像出来た。

せめて迎え入れたいと、ロドはゆっくりと、少しだけ脚を開いた。察したように、クラスターはロドの履いていたスラックスを脱がせると、下履きごとずり下ろす。ロドの中心はやはり兆してはいなかったが、それでも抱かれたい時もあると言うことを、クラスターも長い付き合いでわかっていた。

酒のせいでだらしなく弛緩したロドの体は、潤滑剤が絡んだクラスターの指先を容易に飲み込んで、たちまち解れていく。その感覚がくらくらする頭とうまく繋がらない。ただ、指先から与えられる快楽に酔ってしまえば良いものを、ぼんやりした視界の中で自分を見下ろすクラスターの優しい視線が、なんだか自分を責めているような気がして、思わず、悪い、と口に出た。

クラスターは眉を下げて苦笑して、空いている方の手でロドの頭を撫でた。まるで子供にするような諌め方で、なんとも言えずむず痒い。居心地悪そうにしているロドに、クラスターは声をかけた。

「……心配しなくても、ロドの事はわかっているさ」

何度だって嫉妬すれば良い。ただ、あまりジンバルトに当たるのはやめてくれよ。クラスターはそう言って、ロドの中から指を引き抜いた。続けて、指よりずっと大きなものが、ロドの中へと侵入してくる。いつもより性急に、断りもなく挿入してくるなんて滅多に無い。あちこち力が入らないのが幸いして、一気に奥まで貫かれた癖に、そこは痛みもしなかった。ただ、ごりごりと中を擦り上げる感覚が強烈過ぎて、ロドには耐えられなかっただけだった。

「ぅあッ……あ、うッ……」

うまく口も回らずに、嬌声さえ満足に上げられないまま、ロドは絶頂した。とは言え、深く酔ったせいで勃起もしなければ射精も出来ないロドにとって、それは終わりでは無かった。中に納められたクラスターのものはまだ硬さを保ったままで、それはロドが中をきゅうきゅうとうねらせても変わらないまま。

「もういってしまったのか」

「あ、う……まだ、うごかす、な……ッ」

「駄目だ。絡み酒をして、人の弟を困らせるような悪い妻には、お仕置きしないといけないだろ」

「あッ、あ、やだ、やめろ、うッ、ああッ」

脚を持ち上げられて、さっきよりも深く、奥の奥まで突き上げられると、いよいよもって意識を保つのさえ難しくなってくる。自分が悲鳴を上げているのか、喘いでいるのかもわからない。頭の中はどろどろに溶けている。ただ、クラスターがお仕置きと言いながら、寂しくなって拗ねていた自分を慰めようとしている事はわかったし、とにかく辛くなるくらいに気持ち良かった。

ロドが意識を失うまで、そんなに時間はかからなかった。泥酔していた所を、強烈なくらいの快楽で蕩かされてしまったのだから無理はない。これもまた、クラスターのいない夕食の後に起きる、いつもの事の一つだった。

翌朝、ロドは酷い頭痛と吐き気で目を覚ました。体中が汗でベタついて気持ちが悪い。いつも隣にいるはずの夫の姿も無かった。時計を見れば、とっくに夫が仕事に出る時間で、それはつまり寝坊したという事である。

よろよろとベッドから起き上がり、適当に着替えて廊下に出る。昨日の夜の事を思い出して憂鬱になった。毎度の事ながら、昨日は酷かった。ジンバルトにもいらぬ事をぶちまけてしまったし、こう何度もこんな夜を繰り返したら、いよいよクラスターにも飽きられてしまうのでは、と思う。

ロドが憂鬱な気持ちで食堂へ向かうと、クラスターが一人コーヒーを飲んでいる所に出くわした。こんな時間に、まだ朝食をとっているなんて珍しい。

「……おはよ」

「おはよう、ロド」

台所で水を飲み、クラスターの前に座る。クラスターは読んでいた新聞をたたむと、ロドの方を見た。謝らなければ。そう思って、ゆっくりと口を開く。

「……昨日は」

「ロド」

「ん?」

意を決して口を開いた所を遮られ、ロドは思わずクラスターの言葉を待ってしまった。クラスターは昨夜の事を気にした風もなく、穏やかに笑っている。

「今夜、二人で食事に出ようか。良い所を見つけたんだよ」

「え……あ、おう……良いけどよ」

怒ってねェのか、そう聞き返すと、

「……私が怒っているのは、ロドが昨日ジンバルトに迷惑をかけた事だけだよ」

後で謝っておけよ、と言って、クラスターは席を立った。コーヒーを飲むかと尋ねられて、少なくて良いと返す。

クラスターはいつもこうだった。絶対に自分に対しては謝らせてくれない。謝ったとしても、その必要は無いと言うのだ。しかも、ロドが荒れた責任は自分にあるとばかりに、今日みたいに食事に連れて行くだのなんだのと、ありがたい誘いまでしてくる始末。

だからこそ全てはロド次第という事で、こうされてしまうと、しばらくの間は大人しくしようと反省もするのだが……如何せん、嫉妬深すぎる性情が災いして、また夫がいない夜が来れば、ものの見事に昨晩のような展開が待っている。それもあって、もう二度としない、なんて口先だけの約束をするつもりもロドには無かった。流石にジンバルトに対しては、なるべく当たらないようにしなければとは思うが。

ジンバルトは本当に大人だとロドは思う。自分の兄と、兄同然に育った男が結ばれて、平然としていられる方が不思議だ。ロドに対する態度だって、以前と殆ど変わらない。夫がいなくて拗ねて我儘放題になって荒れてしまう自分の方が、ずっと子供のよう。そう思うと、大いに反省すべきだと思う。思うのだが……そう簡単にいかないのが問題なのだ。

「そういや、仕事はどうしたんだよ、親友」

「今日は休みだぞ、忘れてるだろ」

二人分のコーヒーを持ってきたクラスターに尋ねると、呆れ顔で返された。執事とスレ違いやしないかとヒヤヒヤしていたのは何だったのか。

「そうだったか……あークソ、頭痛ェ……」

「ジンバルトから聞いたぞ、ワイン一瓶殆ど一気飲みだったそうじゃないか」

「そこまで酷かねェよ……」

結果的にはそれくらい飲んではいたが、一気飲みは言い過ぎだ。

「旦那がいねェと、抑えが効かねえんだよ」

「ははっ、それは困るな」

反省して謝ろうとしたばかりだというのに、すぐさま口から皮肉が出るなんて、筋金入りだとロドは思う。それを笑い飛ばしてくれるあたり、自分の夫も大概だが。甘やかしすぎでは無いだろうか。

「で、今夜行く店ってのはどんなとこなんだ?」

「ああ、一昨日見つけてね、魚料理がうまいらしい。昨日大将に話しかけられてね――」

休みだとわかれば、あれこれ気を遣う必要もない。少しずつコーヒーを飲みながら夫と他愛ない話をしていれば、頭痛と吐き気も徐々に良くなって来た。

そろそろジンバルトも起きてくるだろう。そうしたら、昨晩の事を謝って……たまにはあいつの食事を用意するのも良いだろう。でももう少しくらい、休日らしく惰眠を貪っていて欲しいとロドは思う。こうして二人きりでだらだらと朝食を取るなんて、こんな日くらいしか無いのだから。

今度はロドが、コーヒーのおかわりはどうか、と、クラスターに声をかけた。クラスターは笑って、コーヒーカップを差し出す。もう少しこの穏やかな時間を過ごしたいと考えているのは向こうも同じだと思うと、自然と口元が緩んだ。コーヒーだけというのも味気ない。少し摘めるような甘いものでも無かったか。湯を沸かす間、少し戸棚を探っても良いだろう。

窓の外からは明るい朝日が差し込んでいる。二日酔いのロドにとっては目に染みるくらいだが、今夜の事を考えると、良く晴れていてありがたいと思えた。どうか夜まで、この天気が続きますように。そんなことを思いながら、ロドは台所へ向かった。

終わり

wrote:2017-03-05