カモミール・バスルーム
その強さもあって、前線に出ずっぱりの彼は、怪我することも多かった。私の手当を受けながら、彼はいつも、ごめんね、と言う。その優しさが痛々しくて、始めは監視対象でしかなかった彼を、どうにかして支えてあげたくなっていた。
「……はい、おしまいですよ。まだ痛みますか?」
「少しだけね。でも、大丈夫だよ。いつもごめんね」
皆が思い思いに休憩を取る中、大きな木の影で、さっき受けた右腕の傷の処置をしていた時も、彼はまた、謝った。それはこちらの台詞だと、何度言っても、彼はやめない。せめて、感謝の言葉なら良かったのに。
「ったく、相棒も意地張ってねェで、オレの力を借りりゃあ良いのによ」
「……嫌だよ。絶対、嫌」
「けっ」
ギグとの口喧嘩もいつものこと。最近はギグの悪態を受け流す程度には、彼も図太くなってきているが、いかんせん無理をするのは良くない。一度ちゃんと言い聞かせないといけないと思いつつ、彼はきっとへらりと笑って、大丈夫だよ、と返すのだろうと思う。本当に、難儀なことだ。
「……今日はこの辺が限界ですかね」
「そうだね」
日が落ちかけている。今日はこの辺りで夜営しなければいけない。レビンとダネットに薪を取ってくるよう声をかけて、私は彼の隣に腰を下ろした。
彼の危うい優しさをどうにか出来はしないかと考えては、それは周囲が許さないのかもしれない、と思うと、暗い気持ちになる。私に出来ることと言えば、怪我の手当と、彼の話し相手、その程度。それでも、多少は彼の支えになれていれば良いのだが。
とっぷりと日が暮れて、火を起こして簡単な食事を取った後は、もう寝るしかすることはない。レビンとダネットは早々に横になって、騒がしく鼾をかいていた。
私と彼は、特に何をするでもなく焚火を側に並んで座っていた。私が淹れたお茶を飲みながら、彼は夜空を見上げてとりとめのない話をした。
普段、無口で滅多に感情を表に出さない彼が、私と二人きりでいる時は饒舌になって、ぽつぽつと色々なことを話し出す。それが面白くて、いつの間にか私と彼がこうして話をするのが習慣になっていた。たまにギグが参加することもあるが、どうやら今日はギグも眠ってしまったらしい。
彼の口から出るのは、あそこの街でギグがどうした、ダネットがどうしたと、自分の周りの手のかかる者達の話。私は時折相槌を打って、彼の話を聞いていた。出会ったばかりのギグと、幼馴染らしいダネット、二人を同列に話すあたり、結構彼も良い性格をしているのかも、と思いもして、少しだけ笑った。
「……なんか、変なこと言ったかな」
「いえ、貴方の話が面白かっただけです」
「……そうなの?」
「ええ」
饒舌になる、と言っても、話慣れていない彼の話はとりとめがなくて、言葉が足りないところも多い。でも、そんなところが心地良いのだった。幼い子供と話すような、そんな感覚に近いのかもしれない。一回り歳が違うとは言え、彼もそれなりに成長した青年なのだけれど。
ついでに言えば、彼の話は、ほとんど誰かの話ばかりで、自分のことが話題になることはほとんど無い。自己主張の少ない……というか、ほとんど無い彼は、誰かと話す時でさえ、自分を置き去りにして話してしまうらしい。
彼とこうして二人で話すのもかなりの回数になる。大分打ち解けてきた感はあるのだから、少しくらい話してくれても良いと思うのだけれど、どうだろうか。
「貴方の話も聞きたいですよ、私は」
「俺の?」
「ええ、貴方がどんな生活をして、どんなことを思ったのかとか。貴方のことを、もっと知りたい」
温くなったお茶を飲み干し、カップに注ぎ足しながらそう言うと、彼は困った顔で私にカップを差し出した。彼もまだ、寝るつもりは無いらしい。
「……難しいよ、そんなの」
「どうしてですか?」
お茶を注いだカップを彼に渡す。彼は自分のことを話さない。その理由もなんとなく想像はつくのだけど。
「……だって、面白くないもの」
「そんなことないでしょう」
想像通りの返答を否定して、私は一口、熱いお茶を啜った。少し肌寒い夜にはちょうど良い熱さだ。彼も私に習ってお茶を飲む。熱すぎやしないかと心配したが、そんなことはなかったらしく、ほっとした顔でカップから口を離していた。
「本当に……だって、小さい頃から、あそこで育って、勉強したり、訓練したり、それだけだし」
そうは言っても、何かしら話題になりそうな出来事はあったと思うのだが。複雑そうな事情もありそうだし、無理に聞き出すのはまだ難しいか。
「……じゃあ、好きなものとか、嫌いなものとかはどうですか? ホタポタ以外で」
「うーん……」
流石の彼も、ものの好みはあるだろう。ホタポタ好きなのは承知の上だが、他に何かあれば知りたいと思う。
彼はお茶を飲みながら、ああでもないこうでもないとしばらく悩んで、ようやく口を開いた。
「あ、お風呂に入るのは好きかな」
「そうなんですか」
好きなものが日常生活の必須行動なあたりになんとなく不憫さを感じつつ同意すると、彼が楽しげに笑うものだから、いよいよ何も言えなくなった。本当に好きなことらしい。
「里に温泉が湧いてたから、良く入ってたんだ」
「温泉とは、珍しいですね」
「リタリーは入ったこと無いの?」
「いえ、一度だけ。旅行にでも行かないと入れるものではないですよ、それは」
「そうなんだ、知らなかったよ」
なるほど、温泉か。それなら好きになるのも納得だ。あまり恵まれたとは言えなさそうな生活なのに、日常的に温泉に入れるとはなんという贅沢。いや、だからこそ好きになったのかも。
そんなことを考えていると、彼がおずおずと口を開いた。
「リタリーは、何か好きなものとか、ないの?」
彼から私に問いかける、ということも、今まであまりなかったことだ。少しだけ驚いたが、それ以上に嬉しく思った。
「そうですね……私は元々料理が好きで、料理人になりたかったんですよ」
「そうなんだ。だから料理が得意なんだね」
得意、と言っても、彼に披露したことがあるのは、大したものではなかった。旅の合間合間に作れるものなんてたかが知れているし、保存食を多少美味しく食べられるように調整する程度。喜んでもらえるのは嬉しいが、あれで本気と思われては困る。
「今度オステカの街に戻ったら、保存食じゃない、ちゃんとしたものをご馳走しますよ」
「本当? 楽しみだな」
彼は歳相応に、食べるのが好きらしい。それは良く知っていたから、彼が本当に喜んでいるのがわかった。ここまで表情を和らげる彼を知っているのは、もしかしなくても私だけなのではないかとさえ思ってしまう。そのきっかけが他愛のない約束であったとしても。
いつの間にかまたカップも温くなって、残りのお茶も少なくなってきていた。星と月が綺麗に輝いていて、大分夜も更けてきたらしい。流石にそろそろ寝なくてはいけない。また明日も、次の街に向かって歩きださなくてはいけないのだ。
「……そろそろ休みましょうか」
「そうだね、もう寝なきゃ」
「寝られそうですか」
怪我をしたばかりの腕を気遣って言ったつもりだった。痛むようなら、少しだけ鎮痛剤を、と思ったのだけれど。
「……もう一杯だけ、お茶、もらっても良いかな」
私の質問には答えず、彼は躊躇いがちにカップを差し出した。つまり、まだ寝たくない、という意味。私と話すのが余程楽しいのだろう。こういう些細な我儘が言える程度には、私を信頼してくれていると思って良いのだろうか。
「仕方ないですね、あと一杯だけですよ」
差し出されたカップを受け取って、再び熱いお茶を注いだ。大分薄まってはいるけれど、まだ香りは残っている。濃すぎると眠れなくなるし、ちょうど良いだろう。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
彼にカップを渡し、自分のカップにも同じようにお茶を注ぐ。立ち上る湯気の向こうで、彼が嬉しそうに笑うのが見えた。
どうやら、今のところ、私は彼にとっての居心地の良い存在になれているらしい。願わくば、彼がもう少し、自分を大事にしてくれれば言うことはないのだけれど。
長いようで短い夜。私は注ぎ足したお茶が無くならないように、ゆっくりとそれを口に運んだ。
終わり
wrote:2015-06-20