とにかくあんたが気に入らない

きっかけは何だったのか思い出せない。きっと俺が弟の逆鱗に触れたんだろうけど、それがどの言葉なのかはわからずじまい。ただ一緒に学校から帰っていただけなのに、突然冷たい目で俺を睨みつけたかと思うと、強い力で腕を引かれて、人気のない公園へと連れて行かれた。夕方で薄暗かったからか、人っ子一人いない。

公園の敷地に入るなり、弟は俺の右頬を力強く殴りつけた。何しやがる、と文句を言う暇もなく、腹にも拳が飛んできた。ああそう、理不尽な気もするけど、話し合う気が無いってんなら、こっちもそれ相応のお返しをしてやるよ。

飛んできた拳を躱して腕をとらえる。そのまま弟の脚を払って身体を地面に叩きつけた。すかさず馬乗りになって顔を数回殴り、顔面が鼻血まみれになったところで、手についた血を払う。いい加減に頭が冷えたかと、退けてやろうと思った矢先、弟が身体を起こし、逆に俺を地面に転がした。殴るのも面倒なのか、間髪入れず蹴りが腹めがけて飛んでくる。逃げようにも次から次へと蹴られては難しい。クソ、調子に乗るなよ。鼻血を拭う暇なんて与えてやるものか。

「ぐぁ……ッ」

吐きそうになりながら、腹めがけて飛んできた弟の脚を抱え、思い切り引いてやる。バランスを崩した弟は、盛大に尻餅をついた。

「……立ちなよ、服が汚れるのはお互い嫌でしょ」

あちこち痛いし口の端は切れているけれど、まだお互い気が収まらないのは明らかだった。弟はよろよろと立ち上がると、学ランの裾で鼻血を拭った。黒だから目立たないけど、そんなことして良いのかねえ。まあ、学ランにあちこち血が飛び散ってるし、今更と言えば今更だ。明日が土曜日で良かったね。

「今謝れば、許してあげるけど」

「はあ? なんで俺が謝らなきゃいけないんだよ」

「……気付いてないならもういい」

弟は不機嫌極まりない顔で俺の懐に飛び込んで、華麗なアッパーを決めた。頭がぐらりと揺れて、ふらつく脚に鞭打って、どうにかこうにか転ばないように踏ん張った。何が何だかわからないけど、謝っておけば良かったかも。いや、兄としてそれは癪だ。

次の一撃を繰りだしてきた弟の拳を片手で受け止め、俺は全力で弟の左頬を殴り、ふらつく弟の、今度は右頬を殴った。折れた歯が地面に落ちる。あ、ヤバイ。元に戻るのか、これ。しかし妙な心配をする余裕は無い。いよいよぶち切れてしまった弟は、さっきよりも素早くこちらの間合いに踏み込んできた。目が怖い。なんでこう、こいつは訳の分からないところで勝手に切れて、しかも歯止めがきかないんだ。

互いに容赦のない殴り合いは、その後偶然通りかかったギグが仲裁に入るまで延々と続いた。もっとも、その頃には二人ともへろへろで、殆ど喧嘩になっていなかったけれど。

ギグの両肩を借りてのろのろと帰宅して、壊滅的に不器用なギグの手当てを受けて、いよいよ頭が冷えてきた。ギグは呆れ顔で、弟に何で急に怒ったのかと聞くと、頬をとんでもなく腫らした弟は、また機嫌を損ねてしまった。

もう良い、ギグも帰って。そう言うと、俺と弟の汚れた学ランを洗濯機にぶち込みに行ってしまった。居間に取り残された俺とギグは顔を見合わせて、なんなんだあいつ、と声を揃えた。直前まで話をしていた俺でさえわからないのだから、ギグにもわかるはずがない。

とりあえず洗濯機が回る音を聞きながら、これ以上弟が怒る前に帰ったほうが良いよと言うと、ギグは大人しく立ち上がった。とっとと仲直りしろよな、そう言い残して。仲直りも何も、あいつが勝手に怒ってるだけだから、どうしようもない。

ギグが帰った後も、弟は洗濯機の前から戻ってこなかった。様子が気になりはするものの、俺もあちこち痛くて動きたくない。ああでも、このまま放っておいても余計に怒らせるだけかも。仕方ない。俺は覚束ない足取りで、洗面所の方へ向かった。

終わり

worte:2016-09-17