手遅れな人たち

喰世王が魔術によって眠らされ、何処かへ飛ばされてしまったのを、自分でも驚くくらい、俺は無感動に見つめていた。

最後に告げられた、信じてるよ、という言葉。何を考えているのかわからない、深い闇を湛えた金の瞳でそう告げられて、それが真実なのかそうでないのか、追求する気にもならなかった。こいつにとって、全てはどうだって良いのだとわかってしまったから。

だから、その言葉が本心からのものだと決めつけて――そうであって欲しいと願って、気が付けば、あれやこれやと説教臭いことを半ば自棄になってぶち撒けていた。裏切ったりなどしていない。喰世王なら、暗躍している連中を一網打尽にしてくれるだろうと、手引したまでのこと。裏切った訳ではなく、策の一つでイードと通じてやっただけ。

それなのに、喰世王と来たら、上辺だけでも傷ついた振りをして、それでも信じてるよ、と言ったのだ。全てを見抜いているような、そうでもないような、そんな目で。実際のところ、喰世王はきっと、俺が裏切っていようがいまいが、どちらだって良かったのだ。喰世王は、何も考えていやしない。自分が面白くなりそうな方向へ歩いて行くだけ。おそらく、そう言った時の俺の反応が見たかっただけだ。

俺と喰世王のやり取りを、ジンバルトは珍しいものを見た、といった表情で見ていた。ジンバルトにだけは、イードと通じていたことを話していたし、焦るならまだわかるが、驚くという反応は予想外だった。俺が喰世王に殺されてもおかしくないようなことを口にしているのが、純粋に珍しく映ったのかも知れない。

結局、喰世王は、俺を殺そうとも、引きとめようともしなかった。ジンバルトも同じく、去っていく俺を引きとめようとも、ついて来ようともしなかった。後から合流しに来るのかどうかもわからない。

その後、あれよあれよという間に戦闘が始まり、俺は草陰からそれを覗き見ていた。いつも通りの圧倒的な力で、兵士たちを切り裂いて、ゲシュタルと呼ばれた剣士も、イードも、誰も彼もを瀕死にさせて、いつも通りに笑って。でも、もうあいつの隣にはいられない。

途中までは喰世王と自分が歩いている方向は同じだと、そう思っていた。だが、世界中を純粋に破壊し尽くしたいという願いと、滅茶苦茶にしたいという願いは、似ているようで違っていた。

共通していることは、喰世王にしろ、自分にしろ、歯向かう奴らを皆殺しにしなければ、望みは叶わないということ。

決定的に違うのは、喰世王はそれを為すだけの力を持っていたが、自分には無いということだった。

ゲシュタルと呼ばれていた剣士やイードと戦う喰世王を見て、あれこれと考えてはいたものの、まるで子守唄で寝付けられる子供のように眠ってしまった姿を見ると、何故か急激に頭が冷えていってしまった。あいつがいなくなってしまった今となっては、何もかもどうだって良いことだ、と。

この後、あいつは何処かしらに封印され、いずれ殺されてしまうのだろう。多少は美味い汁も吸えた。世界を壊して、思うがままに出来たのも、悪くなかった。いい夢を見させてもらったし、もう、あいつに関わる必要もない。少しだけ寂しい気もするが、ただのいかれた人間一匹、生きていようが死んでいようが、どうだって構わない。

――とにかく、何処かへ潜伏して、ほとぼりが覚めた頃、組織を立て直せば良いだろう。ジンバルトも上手いこと逃げおおせていれば良いが。いや……あいつ、もう俺とつるみたくはないかも知れない。まあいい。それならそれで、新しい駒を探せば良い。なんとなく寂しい気持ちになりながらもそう思うことにして、人気のない森の奥へ移動しようとした瞬間のことだった。延髄へ一撃、衝撃が走ったのは。

たちまち視界がぼやけて、意識が遠くなっていく。安全過ぎる程安全な生活に慣れきってしまったせいか、周囲への警戒を怠っていたらしい。

薄暗い仕事ばかりしていたから、いつでも死ぬ覚悟はしてきたつもりだったが、こんなところで失神させられるということは、生け捕りにされることと決まっている。そしてそれは、生き残った連中の八つ当たりめいた苛烈な罰を与えられることと同義だった。報いを受けろと、そう責められながら。畜生。一思いに殺してくれりゃあ良いものを。

目を覚ますと、そこは重苦しい石造りの部屋だった。うつ伏せに寝かされて拘束されているようだが、妙に目線が高い。仄暗い部屋、ぼんやりとした燭台の明かりでは判別が難しいものの、体は全裸にさせられた状態で壁に埋め込まれ、隣の部屋に下半身を晒されているらしかった。肌寒い程度だが、落ち着かない。脚は固定されて、微かに身動ぎ出来る程度にしか動かせない。上半身はやたら高いベッドの上に載せられていた。腕は動かせないように頑丈な手枷が嵌められて、動かせそうにない。体に負担がかからないような体勢にされているのはありがたいが、こんな異常な体勢にさせられて、穏便に事が済むとは思えない。

部屋を見渡すと、燭台の明かりに照らされて、一人の男が目に入った。長身の、細身の男。白い肩掛けをして、部屋の中の植物に水をやっている。その男は、こちらを一瞥すると、目覚めたらしいことを察したのか、俺の方へとやって来た。

「……お目覚めですか」

「誰だ、アンタ」

「……貴方が知る必要はありません」

「俺はこれからどうなる?」

「……さあ? 殺しはしないし、傷つけもしないと聞いていますがね」

「おい……んぐッ」

「舌を噛まれては困るので……すみませんが、我慢してください」

男は淡々とした、事務的な手つきで俺に猿轡を噛ませると、声が出せないように、その上から口を布で覆った。そしてまた、こちらへ背を向けて植物の世話へと戻っていく。何がなんだかわからない。この壁の向こうで、自分が何をされるかなど、考えたくもなかった。報いを受けさせられるだろうことはわかっている。それが苦痛なのか、苦痛に近い快楽なのかはわからない。おそらくは後者だろう。

鮮明になった意識は、下半身に――というよりは自分の体内に――薬品らしいものが塗りこまれているらしいことを察していたし、それが薬品であればまだ良い方で、もしかしたら意識を失っている間に、犯されていてもおかしくない話だと思ったからだ。

自身が目覚めて身動ぎしたからか、壁の向こうで人が動く気配があった。複数の足音。何をされるかなど、これでわからない方が馬鹿だ。

確かに、殺されもしないだろう。こいつがしたのかはわからないが、十分に解されたそこは、容易く男たちを受け入れるに違いない。だから、傷つくこともないだろう。ふざけるな。そう叫びたくもなったが、いくら抗議したところで、開放される訳もない。余計に壁の向こうの連中を煽るだけだろうとわかっていた。

「ああ、大丈夫ですよ。ちゃんと準備はしておいてあげましたから」

そんなことはわかっている。が、目の前の、誰とも知らない男に体を弄くられたかと思うと屈辱的だった。しかも、こうして拘束されていては口汚く罵ることも出来ない。

「……普段から使ってらっしゃるようでしたから、ろくに準備していなくても良さそうではありましたがね」

そんな体で、一体誰を相手にしてたんだか、と、男は俺を嘲った。

確かに、獣らしい自分の体は、普通の人間やセプーからしたら、異様な見た目をしていた。この体を隠すために、敏捷性を廃した衣服を着て、限られた人間にしか下半身を晒したことはない。

その代わり、という訳ではないが、子飼いにしていた療術師を――かつて親友と呼んだ男に良く似た男を――使って夜毎体を慰めていた。だから、目の前の男の言う通り、少し濡らした程度で、十分に自分の尻穴は男たちを受け入れることが出来るだろう。

壁の向こうで晒された下半身に、無骨な男の手が這った。こんな体に興奮出来るとは、随分な性癖だ。それが複数いるとは恐れ入る。尾を引っ張られ、濡らされた尻穴に誰のものとも知れないものが宛てがわれると、俺はいつもしているように、下腹に力を入れてそれを受け入れた。

こんな状態じゃあ、歯向かい様も無い。楽しむつもりはないが、出来る限り苦痛が無いように振る舞わなければ耐えられない。いつも咥え込んでいるものとは違う形と質量のそれを、自分のそこはずるずると飲み込んだ。根本まで押し込まれると、壁の向こうの男は好き勝手に腰を動かし始めた。わざわざ感じてやる理由もないが、夜毎男に抱かれていた体は否応無しに高まっていくのだから、情けない。

徐々に息を荒くしていく俺の姿を背にしても、目の前の男は動じない。恐らくは、ただの監視役なのだろう。どう足掻いたって逃げられないのは明白なのにおかしい話だ。もしもの時の保険程度の存在なのかもしれない。特に強そうな男でもなかった。

目の前の男は俺のことなどお構いなしに、植物の手入れをしたり、葉を何枚か千切り、乳鉢で擦ったり、薬剤を調合したりして過ごしていた。直ぐ側で輪姦されている男がいるとは思えないほどの、冷静で繊細な手つき。これで自分に口枷が付けられていなければ、聞き苦しい喘ぎで多少手元が怪しくなりもしたかもしれない。いや、そうならないための口枷だったのだろう。

そんなくだらないことを考えるくらいしか、自分に出来ることは無かった。与えられる快感に流されてしまえば身が持たない。とは言え、弱い所を擦られて責められ、与えられた刺激で勃起した自分の陰茎を扱かれてしまえば、それは容易く崩れていく。

一度射精すれば、だらだらと十五分ばかり精液を垂れ流してしまう自分の体の作りが恨めしかった。射精しながらでも、壁の向こうの男たちは休ませてなどくれない。絶頂しながら、また弱い所をごりごりと抉られて、何度か意識を飛ばしたりもした。しかしそれも一瞬のこと。すぐに頭も体も覚醒させられて、さっきの男なのか、別の男なのかもわからないもので散々にかき回されてしまう。

どれくらい時間がたったのか、一体何人を相手にしたのかわからない。生暖かいぬるついた液体で満たされたそこは、閉じているのか開きっぱなしなのかの判断も付かないくらいに感覚がなくなっていた。それでも、挿入されれば馴染んだ快感が全身を痺れさせるのだから、慣れというのは恐ろしい。

いつになったら終わるのか、想像も付かない。疲れた。何回達したのかも覚えていない。というより、その境界も曖昧で、ずっと精液を垂れ流しているような気になってくる。声を出せないようにされたのは、こちらにとってもありがたかった。自分の蕩けた馬鹿みたいな喘ぎ声など、自分だって聞きたくない。

「――ッ!」

裂けた。異様に大きいものが乱暴に突っ込まれたせいだった。と同時に、自分の頭上から、チリン、と甲高い鈴の音が鳴る。それを聞いて、作業台で薬を煎じていた男がこちらへと振り返る。そういう仕組みになっているらしい。

「ああ、すみません。私、嘘をついてしまいましたね」

石床にこつこつと響く足音。薬剤の調合をしていたらしい男が、鈴の音に反応してこちらへと歩み寄ってきた。手には、作り置きらしい術の触媒を手にして。

「傷つけない訳ではありません。傷ついてしまっても、すぐに治してあげるだけです」

俺の前へとやってきた男は、手にした触媒を掲げると、ぶつぶつと何事かを呟いた。途端、薄緑の光が辺りを包み込む。中に入れられたまま、じくじくと痛むそこが癒やされていくのは異様な感覚だった。長時間犯され続けた自分の体は、むず痒いようなその感覚を快感と認識したらしく、何度目かもわからない絶頂に体を痙攣させる。最低だった。

「……まあ、今日はあと一時間くらいで終わるでしょうから、それまで頑張ってくださいね」

達しているのを察しているのかいないのかはわからないが、男は冷たい目で俺を見下ろして、そう告げた。

上半身を預けているベッドは汗に塗れ、噛まされた猿轡はとっくの昔に唾液塗れでぐっしょりと濡れている。上からも下からも体液を垂れ流して、頭がくらくらした。殺さないと言われはしたものの、とっとと終わらせてくれなければ、脱水症状で死んでしまうのでは、と思えた。だから、この男が口にした事は、俺にとっては終わりが見えただけありがたい話だった。

背を向けて作業台へ歩いて行く男の背中を見つめながら、俺はただ時が過ぎるのを待った。自分が犯され始めてからどれくらいの時間が経ったのか、男が口にすることも無かった。

ごとん、と壁の側にある仕掛けが解除され、拘束が解かれた。脚も自由になったらしいが、腰から下の感覚は殆ど無い。長時間同じ体勢のままでいたせいか、痺れたようになっている。拘束を解いたのは、目の前の男。薬剤を調合する時と同じような、淡々とした手つき。壁に開けられた穴から俺の体を引きずりだすと、そのままベッドの上に転がした。

壁の向こうがどうなっているのかが気になりはしたものの、思いの外分厚い壁の向こうは、暗がりなせいもあってわからない。静まり返っているところを見ると、そちらにいた男たちは撤収したらしい。男は俺の身体をベッドの上に横たえらせると、すぐに、俺が嵌めこまれていた壁の穴の仕掛けを起動させ、穴を塞いだ。拘束する仕掛けがなければ通り抜けられそうなものだったが、そんな危険な穴をいつまでも開けっ放しにしておく訳も無い。

自身の汗で湿ったベッドの上、両腕は拘束されたまま、俺は朦朧とした意識の中で、これからどうしたものかと考えていた。こんな状態が延々と、それこそ連中が飽きるまで続くとしたら、どうにかして死ぬことを考えなければならない。自分自身が堪え性のないセプーだと言う事は、自分が良く知っている。だが、こうした日が稀にある程度で軟禁されるとしたら、どうにかして逃げ出すことを考えても良い。その程度なら耐えられないこともない。

自分の処遇を知っているだろう男は、表情のない顔のまま、濡らした布で俺の体を清めている。この男は、恐らく今後について告げることはしないだろう。口が自由になったら質問くらいはしても良いが、まともな答えは返ってこないに違いない。この男は恐らく、自分に与えられた仕事をするだけだと思ったし、どんな光景を見ても心を動かさないように訓練されているように見えた。

脚を開かされて、ぐずぐずになった穴に男の細い指先が差し込まれた。中を探るようにぐにぐにと指を動かされ、引き抜かれると、奥からどろりと大量の精液が溢れだす。何回出されたのか、想像するだけ馬鹿馬鹿しくなるくらいの量だった。

「随分とお楽しみだったようですね」

睨みつける気にもならず、俺は薄暗い天井を見上げた。射精しすぎて、しばらく前から萎えたままの自身にも、冷たく濡れた布が這った。痛え、と文句の一つも言ってやりたいが、口枷は外されないまま。

お楽しみだっただと? ふざけるな。それは壁の向こうの男たちに対しての感想なのか、自分に対しての嘲りなのか。目の前の男を蹴り飛ばしてやりたいが、脚に力が入らないままではどうしようもない。

「ああ、今、それも取ってあげますから待っていてください」

男は俺の体を拭き終わると、そう言って作業台の方へと一端戻り、水の入ったガラス瓶とコップを持って、すぐにこちらへ戻ってきた。ベッド側のテーブルへそれを置き、胸元から小さな包みを取り出すと、男は包みの中の錠剤を自分の口へ放り込み、水を一口、口に含んだ。

どういうことかと思いながら、男のすることを眺めていたが、口枷を外されたと同時に男に口付けられて、その意図することを理解した。唇の間から流れ込んでくる水。口移しで、何かを飲ませる気だ。それに気付いて抵抗したものの、男はそれを飲み下すまで開放してくれなかった。鼻を摘まれて、いよいよ呼吸が苦しくなり、ようやくそれを飲み込んだ。やっとのことで口を開放されて、望んだ水分を与えられたというのに、正体もわからない薬品を飲まされるとは笑えない。

「安心してください。毒なんかじゃありませんから」

吐き出そうとした瞬間、そう男が告げた。体の自由を奪う薬です、と。

それはつまり毒と同じだろうと思ったが、殺したりはしない、という言葉が正しいことに安堵した。男はそれから二度三度、俺に水を飲ませると、毛布を被せて部屋を出て行った。やはり何も、これからどうなるかという事については話してはくれなかった。薬が効いてきたせいで指一本動かせなくなると、直に眠気が襲ってきた。湿っぽいベッドの上は不快ではあったが、全身を覆う疲労に比べたらどうでも良かった。

意識を失う間際、柄じゃあないと思いながらも、ジンバルトのことを考える。あいつ、俺がこんな目に合っていると知ったら、どんな顔をするだろうか、と。笑い上戸の所は嫌いじゃあないが、この光景を見て馬鹿笑いされたら死にたくなるな、と思う。あいつが助けに来てくれることなんて、これっぽっちも期待していない癖に、傷ついて欲しいなんて、そんな都合の良い話――。

最低の気分だったせいか、その後俺は夢を見た。珍しく、幼い頃の夢。オウビスカ国のスラム、建物と建物の間の湿った汚い路地裏で、随分と狭い、暗い空を、空腹を我慢しながらぼんやりと見上げるだけの夢。

因果応報という言葉を信じなくなったのは、その頃の話だ。喰世王と共に世界を滅茶苦茶にした報いを受けろと言われれば、それは真っ当な主張に思えるけれど、全くの善人が言われもなく傷つくような世界で、そんな言葉は薄っぺらい。頑張ったから報われるなんて、都合の良い話は、この世界には数える程しか無いのだから。因果応報だと言うのなら、自分だってもっと真っ当な生活が出来ていたはずなのだ。

スラム街で生まれたセプーは、一日一日を生き抜くのさえ精一杯で、数が少なくて大事にされているはずの子供だって頻繁に死ぬ。女は子供が出来辛いという理由で簡単に体を売ったし、男は汚れ仕事ばかりしているせいで良く死んだ。

強盗をしなければ食っていけない。保護してくれる親は、物心が着く頃には何処かへ消えていた。死んだのか、自分を捨てたのかはわからない。

そんな生活をしていたから、誰かを助けるなんて馬鹿らしいと思っていたのに。身奇麗な、何故か自分を親友と呼んでくれた人間だけはどうしても守りたくなって、初めて人を殺してみれば――もう二度と、親友に会えなくなっていた。

その後のことはよく覚えていない。とにかく稼がなければ生きていけない。がむしゃらに汚れ仕事をする傍ら、スラム街の中でもはみ出し者ばかりをかき集め、恵まれた連中を食い物にする仕事を始めて、気が付けばそれなりに大きな組織になっていた。苦労して授かっただろう子供を攫って売り捌く時、身奇麗な恵まれて育った女を変態共に売ってやった時、世の中に唾を吐きかけているようで胸がすっとした。

親友だと呼んでくれた男が、いつか助けてくれると約束してくれたことは覚えていたし、忘れられなかった。けれど、遠い街で成功したと風の噂で聞いた時、きっとその約束なんて忘れてしまったに違いないと思った。だから、自分自身の力で、親友とは違うやり方で成功して、失望した顔を見てやろうと決めた。もう、何もかも遅いのだと思い知らせてやりたくなっていた。

とは言え、もう一度親友と出会えると本気で思っていた訳ではなかったし、会えなくたって構わないと思っていた。親友に失望されるような自分でいたいだけ。

そんな中で偶然出会った親友の弟は、昔の親友にそっくりで、すぐにそうだと察しがついた。ジンバルトは気付いていなかったらしいが、しばらくしてそれに気付いたらしい。それをわかっていて、自分から離れていかないあたり、ジンバルトも随分と歪んでいたと、今になって思う。

兄貴が好きで好きでたまらなくて、兄貴みたいになりたかったのになれなかったのがジンバルトだった。自分にひっついて回るのは、もしかしたら兄貴が収まっていた位置に立っていられるのが嬉しかったからかも知れない。でも本当は、兄貴のために俺を真っ当な道に戻してやりたかったのだろう。もう遅いってのに。

自分の側で腹心として働いている癖に、ジンバルトが見ているのは自分の兄貴だけだったし、俺は俺で、ジンバルトの向こうにいる親友の面影を追っているだけだった。ジンバルトを誘って寝るようになったのも、手が届かないところにいる親友の代わりに、ジンバルトを何処までも失望させたかったからだった。

ジンバルトを初めて寝床に誘った時のことは良く覚えている。アジトの石造りの一室の、くたびれたベッドの上、薄暗い月明かりに照らされたジンバルトは、出会ったばかりの頃の親友そっくりに見えた。

ベッドに押し倒されて珍しく困惑するジンバルトの服を無理矢理脱がせ、萎えたそこにむしゃぶりつくと、ジンバルトはすぐに達してしまい、その初々しい反応が可愛らしくて、貪るようにジンバルトの体をまさぐった。準備しておいた自分の中へ招き入れると、またすぐに達してしまって、からかうように腰を振って、何度も中に出させて――終わった後、随分と死にたくなったのを覚えている。

自分の異形とも言える体のことも、本当にこうしたかったのはジンバルトの兄とだったことも、ジンバルトはわかっていて何も言わなかった。それは、ようやく行為に慣れて、ジンバルトの方から俺を誘うようになってからも変わらなかった。

目を覚ますと、そこには食事の盆を持った男が立っていた。昨日、この部屋に自分といた男。薬の効果が続いているのか、体はまだ動かない。腕も脚も枷を付けられている状態では、動かせたところで関係はないのだが。

ともあれ、今が何時かはわからないが、確かに空腹だし、喉は乾いている。喰わせようというのなら、ありがたくいただくことにしよう。男は無言で、俺の口元に淡々と食事を運んだ。ちぎったパン、シチュー、焼いた肉。無駄に美味い料理だが、牛肉は嫌いだ。乳臭い匂いが、どうやったって鼻につく。喰わなければ体が保たないのはわかっているので、どうにかこうにか飲み下した。

次々に運ばれる食事は、どれもこれも、監禁されている相手に与えるにはやたらと贅沢な食事だった。殺しはしないし傷つけもしない。生かさず殺さずだとしても、これは異常な程に良い待遇だ。

食事をすっかり平らげると、男は昨日俺を寝かしつけた時のように、水と錠剤を口に含んで飲ませた。もう、抵抗する気もなくなっていたから、されるがままに飲み下す。男は出て行く様子もなく、作業台の上に食器を置くと、俺が横になっているベッドの上に腰掛けた。昨日とは違い、白い羽織を脱ぎだした男を不審に思い、話しかけてみることにする。

「……また、痺れ薬かい」

「いいえ」

「じゃあ何か? いよいよ毒でも飲ませたってのか?」

「それも違います」

男は脱いだ羽織を椅子にかけて俺に覆いかぶさると、

「そうそう毎日、貴方を犯したいという人が大勢いる訳でも無いのでね」

今日の相手は私です、そう言った。同時に体がかっと熱くなり、自分の意思とは関係なく、昨日搾り取られ尽くしたと思っていた陰茎が硬くなる。

「てめえ、何飲ませやがった」

「お察しの通りですよ。今日は散々に声を上げて構いませんから、存分に楽しんでくださいね」

死ぬことは考えないほうが良いですよ、と言って、男は俺に被せられていた毛布に手をかけた。肌を晒され、体が反応しているのを見て、男は楽しそうに笑う。全身に施してある刺青を、触れるか触れないかの絶妙な加減でなぞり、汗臭いはずの自分の体をねっとりと舐めあげる。薬のせいで過敏になった体は、そのもどかしい愛撫にびくびくと反応した。

漏れ出そうになる声を歯の根を噛みしめて堪えながら考える。この男は一体何者なのだろう、と。こんな体の自分を抱こうとするなんて、随分な物好きか、もしくは個人的に恨みでもあるのだろうか。どっちだって構わないが、この華奢で女のような線の細さのこの男が俺を抱くというのが、違和感があった。ジンバルトも似たような細い男だったが、あいつは脱ぐとそれなりに筋肉も付いているし、しっかりした体つきをしている。だが、服を脱ぎ始めた目の前の男は、肩幅や体格に目をつぶれば女と見間違う程細い。おそらくはジンバルトと同じ療術師だろうに、これだけの違いがあるとは、と、笑いそうになって、止めた。下手に煽っても面倒なだけだ。

服を脱ぎ、全裸になった男は、俺の上に跨ると、痛いほど屹立した陰茎に舌を這わせた。男もすでに固くしていて、本気で俺を抱く気らしいことがわかる。大きさはそれ程でもないにしろ、三つ編みなんて可愛らしい髪型をするような男でも勃起するのかと、場違いなことを考えた。

自分の腕程の長さと太さをした、赤黒いそれを、男は丁寧に舐め、先端を咥えて刺激する。頭がおかしいのか、こいつは。ジンバルトだってそんなことはしなかったのに。というか、これから犯すというのなら、そっちじゃなくて後ろの方をするのが普通だろうに。十分刺激したと判断したのか、男は口淫を止めて、

「さて……しっかり私を楽しませてください」

そう言うと、何を考えているのか、俺の上に馬乗りになると、赤黒く、固くなった俺の陰茎を手で支え、自身の尻へと宛てがった。

「おい、アンタ、何考えてるんだ」

入る訳無いだろう、そう半ば叫ぶように言うと、男はニヤリと薄笑いを浮かべて俺を見た。自分でも、使い物にならないような女に無理矢理捩じ込んで発散させる時くらいにしか入れたりしないのに。男の中に入れられるような大きさではないはずだ。

無理矢理されているのは変わらないはずなのに、相手を気遣うあたりおかしいとは自覚している。だが、いざ犯されると思っていたら、目の前の相手が自傷に近いような行為に及ぼうとしているのだから、はっきり言って混乱してしまっていた。

すでに準備していたらしく、男の入り口はすでにぬるついた液体で解されていて、触れていて気持ち良いことは気持ち良いのだけれど――到底中に入るとは思えない。裂けるだけならまだしも、使い物にならなくなっても文句は言えないのに。

「……心配ですか?」

不審な目付きの俺に、男は笑ったまま尋ねた。俺は無言のまま、答えなかった。心配だと認めるのが癪だったのもあるが、楽しげなこの男の仕草に、もしかしたら、という気になっていた。随分と余裕があるんですね。男はそう付け加えて、ゆっくりと腰を下ろしていった。十分過ぎる程潤ったそこは俺の先端に合わせて広がっていく。ぬるついたそこは、ずるずると、さしたる抵抗もなく俺の陰茎を飲み込んでいった。俺の不安は、本当に杞憂だったらしい。長さだけはどうしようもなく、根本までは入らなかったが、男の一番奥まで挿入されたことは感触でわかる。

俺の驚愕とは裏腹に、男は甘い吐息を吐いて、確かに快感を得ていることを伝えてくる。本当にこの男は、昨日俺が犯されているのを無感動に見ていたあの男と同一人物なのか。淫乱とかそういう次元の話ではなく、この男が一体どういう境遇でこんなことをしているのか、途端に気になり始めていた。

中が馴染んでくると、男は無言で腰を使って、好き放題に俺を味わい始めた。体が動くのなら、こちらからも責めて気持ちよくしてやりたいのに。そう思わされる程、こなれた男の中は具合が良かった。ただ狭くきついだけではないことが、この男が随分と開発されきっていることを証明している。その上、男の甘い喘ぎと、細い腰がくねるのがいやらしく、中心には確かに男性の象徴が主張しているのだけれど、中性的な外見も手伝って、それは酷く淫猥に見える。何か声を掛ける余裕もなく、俺も荒い息を吐いて、男の中の感触を楽しむことにした。

――だが結局、楽しむ、と考えていたのは最初の内だけ。搾り取られる、という表現が適切だった。男も何度か達していたし、俺自身も男の中にぶち撒けて、繋がった所から溢れだしてさえいるのに、男は俺の上から退かない。射精して敏感になったままだというのに、男は腰を動かすのを止めなかった。射精の快感と、陰茎を擦られる快感を強制的に与えられて、快感の度合いだけで言えば、昨日よりずっと強い。失神するような類のものではなく、ただ辛いだけだった。

昨日に引き続き、何を言おうが開放されることなどあり得ないとわかっている。口が自由なのはありがたいが、だからと言って、人を喰ったような話し方をする男に対して何を言おうと、きっと揚げ足取りのくだらない理屈で論破されるに違いない。そもそも、何か言えるような立場にはないのだ。

相手が男一人だけだったのもあり、辛さとは逆に、その時間は長続きしなかった。あくまでも昨日に比べればの話だが。それでも数時間も行為が続いたあたり、その細い体にどれだけ体力を秘めているんだと呆れてしまう。いや、療術師らしく、何かしらの薬品を使ったのかも知れないが。

行為が終わると、男は緩んだ尻穴から精液を垂れ流しながら、俺の上に跨ったまま、とつとつと話を始めた。

宗教戦争で孤児になり、オステカの街で、ある商人に拾われたこと。

その人に育てられ、療術師として仕事をしていたこと。

自分と同じく、その人の世話になっていたセプーと恋仲になり、共に、街を守るために喰世王と戦っていたことがあること。

喰世王が世界を破壊して回った時、育ての親でもあり、雇い主でもあった商人が死んだこと。

この前の戦いで、恋仲だったセプーも死んだこと。

話を聞いているうち、この男が言っているのが誰のことか、なんとなく察しがついていた。オステカの街で、孤児を拾って育てるようなお人好しの商人なんて、あいつしかいないはずだ。ああ、かつて親友と呼び合った、あの男も死んだのか。馬鹿馬鹿しい。やっぱり、この世界は、狂ってる。

「……貴方さえいなければ、私の生活が壊れることも無かったのに」

「ぁあ?」

「喰世王と貴方さえいなければ、私を家族同然に扱ってくれた雇い主を失うことも、恋人を失うことも無かったのに……!」

ようやく感情を露わにしながら、男はそう言った。整った顔を歪ませて、俺を殺さんばかりに睨みつけながら。成る程、俺をこうして監禁して、酷い目に合わせようと考えたのは、半分以上こいつの私怨だったってことかい。

「……ハッ、馬鹿馬鹿しい」

動かない体も、裸に剥かれて情けない姿をさらしていることも、もうどうだってよかった。自棄になったのもあるが、目の前の男に、一言言わなければ気が済まない。

「そんなもん、俺のせいじゃねェな。喰世王のせいでもねェよ。ただ、そうなっただけだ」

「な……ッ」

だから、誰かを恨むのはお門違いだ。こいつが俺に何を期待しているのかは知らないが、謝罪だのなんだのは、求めるだけ無駄だ。

「お前さんの雇い主が死んだのも、恋人が死んだのも、その二人が弱かっただけだ。運が悪かっただけだ」

俺が何かを口にする度に、男は眉を顰めて、酷い目付きで俺を見た。震える手が、立てられた爪が、俺の腕に食い込んでいる。

「お前さんだけが生き残ったのだって、たまたまそうなっただけだぜ」

自分が死んだ方がマシだったと、そう思っていそうな顔をしていたからそう言った。大恩ある雇い主と、負けたとは言え、喰世王とまともに戦えていた恋人と。こいつが生き残るより、そいつらが生き残っていた方が、まだ希望が残っている。誰だってそう思うだろう。男は目を見開いて、俺の次の言葉を待っていた。

「……死にたいんだったら、今すぐこいつを外してくれや。すぐ楽にしてやるぜ」

僅かに動く手を持ち上げて、鎖をじゃらりと鳴らす。枷さえ外してもらえれば、療術師一人くらいは殺せるだろう。男は答えなかった。俺はふう、とため息をついて、

「俺が世界を壊そうとしたのだって、元を正せばそうさせようとしたこの世界が悪ィんじゃねェのかよ。俺と喰世王ばかりが悪いだなんて、言いがかりはよしてくれや」

そう吐き捨てた。いつか誰かに言いたかったことをこいつに言ったところで、何がどうなる訳でもないってのに。

「馬鹿なことを――ッ!」

男はいよいよ激昂し、俺の首に手をかけた。そうだ、とっととそうしちまえば良いものを。

療術師らしく、お世辞にも力が強いとは言えないこいつの締め上げは、どうにも死ぬまで時間がかかりそうだったが……まあ良い。長生きしても面倒だ。あいつも死んじまったとなれば、もう、生きてたって仕方がないのだ。こいつに囚われ続けている限り、どんな望みも持てはしない。

そういえば、ジンバルトは知ってたんだろうか。自分の兄貴が死んだことを。もしかしたら、死んだことを知っていたから、俺を引きとめようとも、追いかけようともしなかったのかも知れない。あいつも、俺のせいで兄貴が死んだと思っていたんだろうか。どうだろうな。

親友の代わりとして扱っていたつもりなのに、最後に思い出すのは親友の顔じゃなく、ジンバルトの顔のあたり、俺はそれなりにあいつのことを好きだったのかも知れない。そう思うと笑えてきた。馬鹿馬鹿しい。本当に、馬鹿馬鹿しい。

にやけた顔になった俺を見て、男は一層手に力を込めた。頭がくらくらする。そうだ、とっとと楽にしてくれや。俺は堪え性がねェんだよ。

全く、好きだったって言うのなら、もっとやり方があったんじゃねェか。そう思わなくもなかったが、今更どうしようもない。俺にはこういう生き方しか出来なかったし、あいつだってそうだろう。そもそも、あいつはきっと、俺のことを好きなはずはない。それに、お前、少しでも俺のこと好きだったのかと聞いたところで、何が変わる訳でもない。好きだったと言われても、嫌いだったと言われても、どっちにしろ笑っちまうだろう。今更聞いたって、言われたって、何もかも遅いのだから。

俺はゆっくりと目を閉じた。名前も知らない、俺を途方も無く恨んでいる男の、怒りと後悔と殺意に歪んだ顔が、俺の最後に見た光景か。まあ、悪くない。その方が諦めもつくってもんだ。最後に目にしたのがジンバルトの顔じゃなくて良かった。そう思いながら、俺は意識を手放した。せいぜい長生きしろよ、誰にともなくそう呟こうとしたが、声になったかはわからなかった。

終わり

wrote:2016-07-10