一年で一番忙しい日

女の子が、好きな男の子にプレゼントをするなんていうイベントは、どう便乗したら良いのか、判断が難しい。最近は同性相手にもあげるらしいけれど、それは大体、女の子同士がすることだろう。周りを見ても、男同士で交換してるなんてのは、見かけない。男は大体、女の子から貰えるか貰えないかを気にしてそわそわする日だ、きっと。

だから、あの人にこっちからあげても良いものなのか、前日になってもまだ、俺は迷っていた。好きな相手から貰えたら嬉しい……と思うけれど、自分も相手も男だし。しかも、相手は料理人志望で、実際とても料理上手だ。作ったお菓子を食べさせてもらったことがあるけれど、それはとても甘くて美味しくて……俺が何か作ったところで、敵うべくもない。

学校からの帰り道、俺はまだ迷っていた。明日は、あの人が働いている喫茶店での、週に二度のアルバイトの日。準備をするなら、今日しか無い。夕飯の材料を買いに、いつものスーパーに寄って、製菓材料のコーナーの前で俺は足を止めた。

――悩むくらいなら、作って持っていって、あの人が気にして無さそうなら、渡さなきゃ良いじゃないか。それならそれで、自分で食べちゃえば良い。甘いのは……嫌いじゃないし。うん、そうしよう。それが良いよね。

俺はスマートフォンで、自分でもすぐに作れそうなレシピを探した。溶かして固めるだけなら、多分……大丈夫。そんな簡単なものを渡されて、喜んでくれるのかはわからないけど、渡さないよりはずっと良い。うん。

チョコレート、ミックスナッツ、それと、製菓用の洋酒。それから……ラッピング材料も買わないと駄目だ。急いでカゴにいれて……あ、夕飯の材料、忘れるところだった。適当に野菜を放り込んで、レジに向かう。なんとなく、周りの視線が気になる気がして、俺はそそくさと店を出た。

袋に入れてるから、もう周囲の目なんて気にする必要は無いのだけれど、俺は早足でアパートまでの道を歩いた。兄は……いつもなら早く帰ってきて欲しいと思うけれど、今日は、どうか帰りが遅いようにと祈ることにした。

夕飯の材料を冷蔵庫に仕舞い、ボウルを二つ用意して湯を沸かして……ええと、なんだっけ。夕飯の時間までに作り終われば良いけれど、どうかな。どう考えても手際が悪い俺の腕前じゃあ、間に合う気がしなかった。

翌日、作ったチョコレートを鞄に入れて、俺は学校に向かった。何故だか早く帰宅した兄に茶化されつつ、最終的には兄と仲良くお菓子作りをする展開になり、妙な感じだったけど、楽しかった。結局、夕飯は盛大に遅くなってしまったし、兄の恋人の話を聞いたりして、寝る時間まで押してしまい、はっきり言って寝不足だ。兄は学校をサボって恋人のところへ行くらしい。羨ましいけど……俺はそこまで不良になれない。

学校へ着くと、心なしか普段より浮かれた様子の女の子たちと、落ち着かない様子の男子たち。まあ、そんなもんだよね。

「おー、おはよ」

「おはよう、ギグ」

下駄箱の前で会ったギグも、例に漏れずはしゃいでいた。ギグは貰えるか貰えないか、という悩みとは無縁で、小学生の時から毎年持ちきれない程のチョコレートを貰っている。本人も甘党だから大歓迎らしい。ギグからしたら、タダでお菓子が貰える最高の日なんだろう。お返しは全く考えていないことも、女の子たちには知れ渡っている。それでも貰える辺り、ギグの人徳ってすごい。

「兄貴は?」

「サボるってさ」

「はあ? バレンタインサボる男子なんていんのかよ馬鹿だな」

「まあ……恋人いるから関係ないんじゃないかな」

「それは相棒も一緒だろ」

「……知ってて言ってる?」

「作ってきてんだろ、どーせ」

「……よくわかるね」

「眠そうな顔してっからな」

「……寝てたら起こしてね」

「居眠り常習犯のオレに言うか、それ」

教室に着くまでのこのやり取りで、ギグは既に五個もチョコレートを貰っていた。凄すぎる。学校に来てまだ五分なのに。一分に一個ペースってどういうことなんだ。下駄箱にもすでに三個くらい入ってたしな……一緒にいると良くわからないけど、ギグは本当に、良くモテるなあ。

「あ、相川くん、これお兄さんに」

「私も」

「わかった。渡しとくよ」

「……今年も大変だな、相棒」

「まあ、慣れてるからね……」

ギグが大量にチョコレートを貰うのも、学校に来てない兄に渡してくれと、俺が代わりに大量のチョコレートを貰うのも……俺が殆ど貰えないのも、もう慣れている。本人に直接渡そうにも、本人がいないんじゃあ、どうしようもないしね。仕方ない……そう、仕方ない。ちゃんと紙袋も二枚持ってきてるし。準備万端なあたり、俺ってヤツは、どうしようもない。

ああ、憂鬱だ。今日が間違いなく、一年で一番忙しい日だ。

学校が終わり、帰り道。結局紙袋は二枚で間に合った。どちらもずっしりと重くなっている。このうちの九割八分は兄さん宛て。段々と、自分でこの荷物を持ちたくないから、サボってるんじゃないかと思い始めてきた。ギグはギグで、放課後あちこちに呼び出されているらしく、まだ帰れないらしい。帰り際に見たギグの下駄箱は、チョコレートの箱で溢れかえっていて大変なことになっていた。ギグすごい。

こんな大荷物を持ってバイトに行くのもなんだけれど、家に寄ってしまうと遅刻だし、仕方なく俺はそのまま向かうことにした。ああ、気まずい。自分宛てじゃないとは言え、恋人に、大量のチョコレートを貰ったところを見られるなんて。

バイト先の喫茶店。スタッフ用の入り口から中に入る。幸い、誰もいない。ロッカーに無理矢理紙袋を突っ込んで、エプロンを付ける。扉の向こうの喧騒からして、結構混んでるみたい。店に出ると、妙に女性客が多かった。

「ああ、こんにちは。いきなりですみませんが、お皿が溜まってるのでお願いします」

「うん……すごい、お客さんだね」

「はは……バレンタインですから」

そういうものか。困り顔のリタリーは、忙しそうに店内を駆け回る。とりあえず急いでお皿洗わなきゃね。合間合間にケーキを出したりしつつ、どうにか客足が落ち着いてくると、段々と混雑の理由がわかってきた。女性たちのお目当ては、リタリーだってこと。

次から次へと呼び止められては、リタリーはチョコレートを貰っていた。確かに、普段からリタリー目当てのお客さんは多いけど、バレンタインにチョコレートを貰うくらいなんだ。ちょっと……妬けちゃうかも。

背も高いし、人当たりも良いし、少し伸ばした髪もさらさらで、三つ編みにしてるのもお洒落な気がするし、そりゃあ、モテるのもわかる。俺だって、一目惚れだったんだから無理もない。むしろ、ここまでモテてるのを見ると、なんで俺を選んでくれたんだかわからなくなってくるくらい。

閉店時間になるまで、多少の波はあっても、客足は途絶えないまま一日が過ぎた。体力的にも疲れた気がするけど、なんだかそれどころじゃないくらいに頭がかっかして、落ち着かない。閉店の札を下げてブラインドを落とし、店の掃除をしながら、レジを締めているリタリーを横目で見る。いつも通りの、平然としたリタリーの顔。あれだけアプローチされても、リタリーにとっては何でもないんだろうか。

「どうしました?」

俺の視線に気付いたらしいリタリーは、レジの鍵を閉めると、掃除の終わったテーブルに腰を下ろし、こちらを見た。こうして話をする暇なんて、今日は無かったから……なんだかどきどきしてしまう。

「あ、いや……ちょっと、疲れたなって」

「そうですね、今日は凄かったですから」

「……どれくらい貰ったの?」

テーブルを拭きながら、なるべく気にしてない風を装って、尋ねてみる。俺が見ていたのは、ほんの数時間分のやり取りだけ。開店から、一体どれくらいの数を貰ったのか、俺には想像出来ない。

「さあ……数えてませんけど、食べ切れないだけは貰いましたね」

「……凄いね」

「困るだけですよ。気持ちはありがたいですが」

兄は一人でいくらでもチョコレートを食べるけれど、リタリーは別に大食いではないし、確かに大変だろう。手作りも混じっているだろうし、どうやって消費するんだろう。

「……お茶でも淹れましょうか」

「うん、ありがとう」

座って待っててください、と言われ、リタリーの座っていたテーブルに促される。布巾を片付けて、向かい合わせの席に座った。片付けも終わったし、後は、もう、帰るだけ。でもまだ、帰りたくはない。お茶を淹れてくれると言うからには、リタリーも同じらしかった。嬉しい、けど……今日一日、チョコレートを貰いっぱなしのリタリーを見ていると、どうしても意識してしまう。

どうしよう。きっと、俺なんかが作ったものよりずっと、凝った手作りチョコレートをたくさん貰ってるに違いない。そう思うと…やっぱり、あげない方が良い気がしてきた。元々、女の子から男の子にあげるイベントなんだし、無理しなくたって、全然おかしくはない訳で……。

「嫉妬しました?」

「し、してないよ!」

急に背後から話しかけられて、慌てて言い返す。嫉妬、とは少し違う気がするから、否定するのは間違いではないのだけれど……これじゃあまるで、物凄く意識してたって、言ってるようなものじゃないか。

「……へえ、そうは見えませんでしたけど」

案の定リタリーに見抜かれて、俺は、淹れてもらったお茶を一口啜って、本心を白状した。

「……ちょっとだけ、ね」

それを聞いて、リタリーは満足そうに笑った。その程度で嫉妬だなんて、呆れられるかと思ったのに。どうやら、リタリーは嫉妬して欲しかったらしい。変なの。

リタリーとお茶を飲みながら、こうして誰もいなくなった店内で過ごすのは好きだ。たまに、こっそり試作品を作って食べさせてもらったり、遅い夕食を取ることもある。今日は、奥に仕舞っていたケーキをつつきながら、お茶を飲むだけ。明日は明日で学校もお店もお休みだから、隣町まで出かける約束をしていた。

せっかくのバレンタインだし、少し残念だけど、今日はこのまま、お茶を飲んだら帰らなきゃならない。俺もリタリーも、ゆっくりとお茶を飲んで、ケーキを本当に少しずつ食べて、だらだらと話をしていた。話題は当然、今日の――バレンタインのこと。

「――女性は怖いですよ。何を入れてるかわかりませんから」

「え」

「その……髪の毛ならまだ良いほうで」

「何それ、怖いんだけど」

「……なので、申し訳無いですが、貰ったものは市販のもの以外、処分するって決めてるんです」

「そ、そうなんだ……」

ふと、ギグと兄さんが心配になった。あの二人がお腹を壊すってことは無いと思う……思うけど、でも。もしえげつないものが入れられたチョコレートが入ってたら。知らない方が幸せなのかな、これ。

「でも、貴方も学校で随分と貰ったみたいじゃないですか」

「えっ?」

「窓の外の貴方を見てたんです。紙袋二つ分だなんて、凄いじゃないですか」

「あ、あれは……兄さん宛てのだよ。渡してくれって頼まれたの」

「……へえ」

リタリーが俺を軽く睨む。口元は笑ってるけど、目が怖い。そんな、本当なのに! というか、一緒に働いてるのに俺は一個もお客さんからチョコレートを貰えなかったんだから察して欲しい。全然モテないって自分で言うの、結構虚しいんだから!

「信じてよ! 俺宛てのなんて……一個しかなかったし……」

「……ふふ、そんなに慌てないでくださいよ」

「だって、リタリーが意地悪い聞き方するから……!」

「すみません。困った顔が可愛くて、つい」

リタリーはころころと笑って、俺の頭をそっと撫でた。そうやって、リタリーは良く俺のことをからかう。リタリーは楽しそうにするけれど、俺としては結構複雑だった。可愛いと言われるのは良いけど……俺は単純だから、本気で慌ててしまう。程々にして欲しいんだけど。

「ああ、もうこんな時間ですね」

時計は九時半を回っている。もう、帰らなきゃ。俺はすっかり温くなったお茶を飲み干して、残り一口分のケーキを口に運んだ。名残惜しいけど、早く帰って、明日の準備をしないとね。

「片付けは私がしますから、先に上がって良いですよ」

「ん、ありがと」

高校生って、本当に……窮屈だ。本当はもっと、夜遅くまで、リタリーと一緒にいたいのに。流しへ皿を持っていくリタリーに促されて、俺はスタッフルームへ向かった。

ロッカーを開けて、エプロンを外して、チョコレートがぎっしり詰め込まれた二つの紙袋を取り出した。そして、自分の鞄を見て……リタリーに渡そうと思っていたチョコレートをどうしようかと、考える。時間はあまり無い。

手作りのものは、処分しているとリタリーは言った。でもまさか、付き合っている相手から貰ったものを捨てたりはしないだろう。そこまでリタリーは白状じゃない。問題なのは、きっと拙いだろう俺のチョコレートを見て、リタリーががっかりしないかと言う事。ああでも、気持ちが大事って言うし……まずもって、俺が手の込んだお菓子なんて作れる訳無いって、リタリーはわかってるはず。やっぱり渡そうか……せっかく作ったんだし。

店の出口とは逆の扉を開けて、俺はスタッフルームを出た。片付け終わって、手を拭いているリタリーが、明かりを消そうとスイッチに手を伸ばしている。ああ、待って。

「あの……リタリー」

「どうしました? 忘れ物でも……」

「いや、そうじゃなくて……」

慌てて駆け寄ったは良いものの、どうやって切り出したら良いんだろう。今日一日、もっと女の子たちの様子を観察しておけば良かった。兄の分とは言えあれだけ貰ったんだし、ギグが貰うところも散々見てたはずなのに!

時計は九時四十五分を指している。早く帰らなきゃいけない。考える時間もない。俺は覚悟を決めて、後ろ手で隠していた包みを、リタリーの前に差し出した。

「これ……あんまり美味しくはないと思うけど、作ってみたから」

「えっ、あの、これって」

驚いてきょとんとした顔で、何を言ったら良いのかわかってない、そんなリタリーに、何か言われるのが怖くて、俺はそれを無理矢理リタリーに押し付けた。

「じゃあ、もう、こんな時間だから! お疲れさま! また明日ね!」

そうまくし立てて、俺はリタリーの顔も見ずに、スタッフルームへ駆け込んだ。荷物を引っ掴んで、慌てて外に出る。

恥ずかしい。顔から火が出そう。明日、どんな顔してリタリーに会ったら良いんだろう。あんな、不自然な渡し方をしておいて、逆に気まずいじゃないか。

冷たい冬の夜の空気が頬を撫でる。でも、頭も体も全然冷えそうにない。心臓が煩いのを誤魔化すように、俺は家までの道のりを、全速力で駆け抜けた。

終わり

wrote:2016-02-11