押さば引け、引かば押せ

彼が美味しそうに食事するのを見るのが好きだった。あまり感情を表に出さない彼が、その時ばかりは、顔をほころばせて美味しそうに味わって、たくさん食べるのが可愛らしくて、微笑ましくて。大した料理を作れる旅ではなかったけれど、私が作った料理を食べる時の、歳相応よりも幼く見える彼の笑顔が、本当に好きだった。

だから、戦いが終わったら、オステカの街で食堂を開きたいと思っていると伝えた時、リタリーのお店ならきっと繁盛するね、とだけ言われたのは、それなりにショックだった。手放しの賞賛ではあるのだけれど、私はそこから一歩踏み込んだ一言を、彼の口から聞きたかったのだ。俺も一緒に働きたい、という、一言を。

結局、彼はダネットと一緒に故郷へ帰り、私は一人、オステカの街に戻った。旅をしている間、彼は私と一緒に過ごすことも多かったのに、結局、彼が選んだのは、自分がかつて過ごしていた、退屈だっただろう日々に戻ること。故郷に残した人たちや、荒らされてしまった里を放っておけないあたり、彼らしいと言えば彼らしいのかも知れない。

あれこれ考えていても仕方ないことはわかっていた。彼は彼の人生があるし、私には私の夢があった。誰にも憚ること無く、夢に向かって歩んでいける世界が、ようやくやってきたのだ。悲しいけれど、それは仕方ないと割り切るしかない。

クラスター様の手引もあって、オステカの街に戻ってから三ヶ月もすれば、店らしい体裁も整った。あとは開店を待つばかり。薄汚い仕事ばかりしてきた私に、料理人になるという夢が、本当に叶う日が来るとは思わなかった。嬉しさ半分、不安半分と言った気分で、私は真新しい厨房の前に立った。

開店は一週間後と決めている。繁盛して欲しいとまでは言わないが、それなりに常連のつくような、長く続けていられる店になれば良い。そのうち、彼が遊びに来てくれた時、待たせるのは嫌だ。そんなことまで考えて、頭を振った。未練がましくそんなことを考えるなんて、女々しいにも程がある。

一週間後の開店までに、しなくてはならないことはいくらでもある。いつまでも彼のことばかりを考えている訳にはいかない。わかってはいるけれど、あの時無理にでも彼を引き止めておけば良かったと、そう思わずにはいられない。自分が思っていた以上に、彼のことを好きになってしまっていたらしい。

ため息をついて、今日はもう帰ろうと、厨房の明かりを消そうとした時だった。

がらん。誰も来ないはずなのに、店のドアのベルが鳴った。こんな夜中に一体誰が。明かりは厨房にしかつけていない。薄暗い玄関に目を凝らすと、おずおずと、赤毛の青年が入ってくるのが見えた。それは紛れも無く、この三ヶ月間、忘れもしなかった、あの青年の姿。

「……こ、こんばんは」

照れたような曖昧な笑みを浮かべて、彼は私に挨拶をした。今すぐ駆け寄りたいのに、脚がうまく動かない。固まって動けない私の代わりに、彼は私のいる厨房へ、ぱたぱたと駆け寄ってきた。

「へへ、久しぶり……」

恥ずかしそうに頭を掻いて、旅をしていた頃と同じ、優しい笑みを浮かべる彼の姿を見て、私は胸が苦しくなった。ずっと会いたかったのに、彼の顔をまともに見られない。

「……どうしたんですか、こんな夜中に」

やっとのことで口を開く。ああ違う、こんなことを聞きたいんじゃないのに。

「リタリーがお店を開くって、クラスターさんから聞いたんだよ。どうして教えてくれなかったの」

「……貴方は里で忙しくしているかと思って、知らせなかったんです」

私ではなく、そちらを選んだ癖に。そんな非難する気持ちを、ほんの少しだけ詰め込んで答える。彼は俯いて、少しだけ悲しそうな顔をした。店が落ち着いたら知らせるつもりだったと、慌てて付け足す。彼は安堵した様子で、そっか、と返した。

とりあえず、立ち話もなんだからと、彼を客席に座らせて、お茶でも淹れることにした。食事の用意が出来ていれば良かったのだけれど、急に来られてしまったのだから、仕方がない。

ティーカップを二つ、お茶をたっぷり淹れたポットを一つ載せた盆を持って、彼の座った席に、私も腰を下ろした。どうぞ、と彼の前にカップを置く。いただきます、と言って、彼はそれをゆっくりと口に運んだ。

お茶を一口飲んだ彼は一言、懐かしいね、と呟いた。その一言だけで、彼が何を思っているのかが、なんとなくわかる。何処までも広がる夜空の下、お茶を飲みながら二人で焚火を囲んで、とりとめのない話をして過ごした夜のことを、私も思い出していたから。

早々に眠ってしまった仲間たちの寝息を聴きながら、町で見たあれこれや、互いの昔話をぽつぽつと話す。それだけの時間なのに、どちらかがあくびをするまで、飽きもせずに話し続けていたのだから、今思うと呆れてしまう。

お互いそれ程楽しい人生を送ってきた訳ではないのに、それぞれの話を私たちは聞きたがった。口下手な彼が、一生懸命話すのを見るのが可愛らしくて、もっと話を聞き出そうと、あれこれ聞き返したりもした。逆に、私の町での暮らしを聞いて羨ましそうにしている彼を見て、この戦いが終わったら、町で暮らすのも良いのでは、と提案したこともある。彼は笑って、曖昧な返事を返しただけだったけれど。

もちろん、互いに何も話さずに、ただ星空を眺めて、涼しい夜風を感じるだけの日もあった。段々、話す話題も底をついたのもあったし、口にしたことはなかったけれど、私たちは、互いのことを好きになってしまっていたから。

それを口にしてはいけないと自分に言い聞かせて、でも、何かの拍子に溢れてしまいそうで……だから、黙るしかなくなってしまっていた。彼もきっとそうだったに違いない。ずっと一緒にいたいという、ささやか過ぎる願いさえ、口に出来ないくらいに私たちは不器用だった。

でも、たった一度だけ、彼に口付けたことがある。あれは酷く冷たい風の吹く夜だった。いつもは向かい合わせに座っていたのに、寒いからと言って隣同士に座り、焚火に当たりながら、今日のようにお茶を飲んで。そして、ぽつぽつと他愛のない話をして、なんとなく顔を見合わせた時、どちらともなくキスをして――。結局、その先をすることも、思いを告げることもなく、瞬く間に旅は終わり、私たちは離れ離れになった。

それでも、あの夜のことを、一日だって忘れたことはなかった。微かに触れた唇の柔らかさと、熱さ。あのまま抱きしめて深く口付けてしまえたなら、どんなにか心が満たされただろうかと悔やみもした。背後で仲間たちが眠ってさえいなければ、きっとそうしていただろう。

そんな中途半端な終わり方をしたせいで、私はこんなにも、彼のことばかり考える日々を過ごす羽目になったし、それを忘れるように、店の立ち上げのために駆けずり回ることになった。

今頃になって、何もなかったように目の前に現れた彼に、私はどう接して良いのかわからずにいた。嬉しくない訳はない。今すぐにでも抱きしめて、ずっと会いたかった、もう離れないで、そう懇願してしまいたい。なのに、素直に彼を受け入れて良いのかとも思っている。年甲斐もなく、いの一番に私を選んでくれなかったことを根に持っているのか、私は。仕方のないことだと、そう思おうとしていた癖に。

かちゃり、と、二人揃ってカップを皿に置くと、彼は私の目を見つめ、遠慮がちに口を開いた。

「……あのさ、もし良かったら、お店、俺にも手伝わせて欲しいんだけど」

彼の言葉を聞いて、私はどきりとした。私があの時言って欲しかったことを、今になって彼の口から聞くことになるなんて。冷静を装って、私は彼に尋ねた。

「……里のことは、もう良いんですか」

「大丈夫、大分落ち着いたから」

でも、色々ダネットに丸投げして来ちゃったから、怒ってるかも。そう言って、彼は悪戯っぽく笑った。あの幼馴染を丸め込んでまで、私の所に来たのか。それはきっと、とんでもない労力だったに違いない。

「戦いが終わってから、里で色々考えたんだけど……折角だから、俺は自分のやりたいことをしたいと思ったんだ」

「それが、私のお手伝いですか」

「……リタリーと一緒にいたいし、食べるのは好きだから……迷惑かな?」

それを聞いて、自分が焦りすぎていたことに気付く。彼は、自分の気持ちを整理するのが、苦手だっただけなのだ。初めから、私と同じ気持ちでいてくれたに違いない。それを自覚するまで、時間がかかっただけの話。

「あの……料理とかは出来ないけど、雑用でもなんでも良いから……リタリー? 聞いてる?」

「……迷惑な訳ないでしょう。大歓迎ですよ」

「本当!? 良かったあ……」

心配そうに私の顔を覗きこむ彼の頭を撫でながら言うと、彼は本当に嬉しそうに笑った。旅をしていた頃、私の作った料理を嬉しそうに頬張っていた時と同じ、とびきりの笑顔。そういう所は変わらないのだなと思うと、私もつられて笑ってしまう。

でも、食べるのが好きだから、という理由はどうなのだろう。食べるんじゃなくて、食べさせるのが仕事になるんですよ。そう言うと、彼は頭を掻いて苦笑した。

「うーん……俺にも料理なんて出来るかな?」

「……練習次第ですよ。教えてあげます」

そうだよね、頑張るよ。そう意気込む彼の顔は、こちらも頬が緩むくらいに眩しかった。

とは言いつつ、なんとなく、彼はあまり料理が得意ではなさそうな気はしている。まあ、本人のやる気が続く限りは教えてあげようとは思うけれど。

二人で食器を片付けながら、お店のことをあれこれ話して、厨房の明かりを落とし、店の玄関に鍵をかけた。もう夜も遅い。とりあえず、彼を家に案内することにした。住むところは考えていない、クラスター様からもらった地図を頼りにやって来ただけというのには少し呆れたが、いてもたってもいられずに、私の元に駆け出して来たのだと思うと、それはそれで嬉しくなる。

自分の気持ちを表現するのが底なしに下手だった癖に、私のことを好きで、その気持ちだけで動いてくれている彼を見ると、まるで奇跡のように感じられて、今すぐにでも抱きしめてやりたくなる。そうしないのは、彼の前では、頼れる兄のような存在で居続けたいという気持ちがあるからだ。八つも年下の彼にがっついて、我儘に振る舞う訳にはいかない。

……とは言え、一つしか無いベッドに、二人身を寄せあって横になれば、そんな理性なんて容易く崩れてしまうのは明白だった。

交代で風呂に入り、薄手の寝間着を羽織って、二人でベッドに潜り込む。ランプの明かりは点けたまま、私たちは手を繋いで、これからのことや、旅をしていた頃のこと、そして、旅が終わった後のことを、それぞれ話した。三ヶ月という、短いようで長い時間。互いに色々あったけれど、互いのことを忘れたことは、一日だって無かった。

いつの間にか、どちらともなく抱きしめ合い、あれこれ話し終わると、私たちはようやく、二度目のキスをした。何度か啄むように唇を重ねて、いよいよ我慢がきかなくなった私は、彼の鍛えられた硬い体をきつく抱きしめた。

この暖かさを手にするのに、一体どれだけ我慢したことか。私がそうしたように、彼も私の背に回した腕に力を込めた。

「ごめんね、遅くなって」

「別に……気にすることではありませんよ」

「だってリタリー、怒ってたでしょ?」

「怒ってなんか……」

「だったら何? 拗ねてた?」

普段は何を考えているのかわからない、表情の見えない顔をしているくせに、彼はこうして鋭いところをついてくる。彼に図星を付かれるとは、私は余程顔に出してしまっていたのか。情けない。が、こうして誰に遠慮することなく、恋人になれたのなら、開き直ってしまっても構わない気がした。

「……ええ、拗ねてましたよ。貴方はきっと、私と一緒にいてくれるとばかり思ってましたから」

「……だから、ごめんね」

「……仕方ありませんよ。許してあげます」

「うん、ありがとう」

これからはずっと一緒だから。そう言って、彼はもう一度、私にキスをした。もう、彼がこの手から離れてしまうことに怯えなくても、離れ離れになる寂しさを味わわなくても良い。そう思うと、私はこんな触れるだけの、子供じみた触れ合いだけでは物足りなくなった。

唇の間から舌を差し込むと、彼の体がびくりと跳ねた。嫌がっている訳ではないらしい。驚きすぎて、どう反応したら良いかわからないのだろう。それが可愛らしくて、逃げようとする彼の舌を追いかけた。一体誰だ、がっつく訳にはいかないなんて、馬鹿なことを考えていた男は。

くぐもった喘ぎを漏らす彼の頭を逃げられないように引き寄せて、私はしばらく彼の熱い口内を味わった。布越しに伝わる体温が、徐々に熱くなっていくのを感じて、より強く抱きしめる。私に応じるように彼からも舌を伸ばしてきてからは、互いにそれに没頭して、抑えがきかなくなった。

「……もっと早く、こうしたかった」

熱っぽい目で私を見返す彼にそう言うと、彼は赤い顔を更に赤くさせた。唇がどちらのものかわからない唾液で濡れて、いやらしく光っている。これを見て、抱きたいと思わない男はいない。彼と体を繋げて、まだ見たことのない表情と声を聞かずにはいられない。

彼は、乱れた呼吸を整えながら、小さな声で私に言った。

「俺も……続き……させて欲しいな」

「続き?」

一体何をするつもりですか、と、聞くだけ野暮だとわかっている。それでも、彼は何処まで私を求めるつもりなのか、知りたかった。

「……リタリーのこと、抱きたい」

「それは……」

予想はしていた返事だけれど、いざ言われてみると返答に困った。

彼が、私を抱きたいと言う。正直、彼にそんな欲求があったのかと驚かないではなかったが、男としてその欲求は当然のことではある。しかし、逆に私が彼を抱きたいのだと返したら、どんな顔をするだろう。抱かれたくない訳ではないが、出来ることなら、彼の中に入れる側に回りたいと思っていた。

「あ、でも、嫌だったら別に……こうしてるだけでも嬉しいし」

沈黙を否定と受け取ったらしい彼は、慌てて身を引こうとする。ああもう、多少は積極的になったかと思ったが、やはり根底は変わっていないらしい。

「……嫌だなんて言ってないでしょう、まったく」

「わ」

苦笑しながら、彼をベッドに押し付けて、馬乗りになる。彼は目を丸くして私の顔を見た。頬をそっと撫でて、額に軽くキスを落とす。

「私も、貴方のことを抱きたいと思っていたんです」

「えっ」

「ねえ、どうしたら良いと思いますか」

「えっと、その……」

股間のあたりにそっと手を伸ばすと、固くなりかけたものに触れた。やわやわと揉んでやると、どんどんそれは硬くなっていく。下着の隙間に手を差し込んで、そこに直接触れてやると、それだけで達してしまいそうなくらいに張り詰めていて、このまま出させてやりたくなった。でも、まだだ。ゆっくりと焦らすように扱きながら、彼の頬や耳、首に、軽く唇を落としてやる。身を捩りながら私の腕を掴んで、必死に快感に飲まれまいと我慢する彼を見て、触れてもいないのに、私も硬くしていた。

「ちょっと……やめ、てよ……もう、出ちゃうから……」

「少し触られただけでこんなにして……本当に私に入れられるんですか?」

自制のきかなくなった自分のことを棚に上げて、蕩けた顔をした彼に、先走りで濡れた指先を見せつけながら言う。

「う……馬鹿にしないでよ」

目を逸らしながらそんなことを言われても、説得力はない。けれど、そんな涙目になられては、申し訳なくなってくる。初めから、ちょっと意地悪するだけのつもりだったのだ。

「すみません、ちょっとからかいすぎました」

私は彼の頭をよしよしと撫でて、額に軽くキスをする。それだけで、なんとはなしに伝わったらしく、彼は私に聞き返した。

「……良いの?」

「ええ、でも、そのうち、私にもさせてくださいね」

「……うん」

さっき触れられたことを思い出したのか、少しだけ黙った後、彼は頷いた。私がする時は、さっきよりもっと、意地悪してあげますから。そう言おうとしたのに、唇を塞がれて、それは口に出すことは出来なかった。

酷く丁寧に、壊れ物に触るように、彼は私の肌に指を滑らせ、唇を落とした。感じる所を探すというより、どこもかしこも、全部触れたくて仕方がない、というように。それがもどかしくもあり、余計に感じもして、彼の腕の中で身を捩るしか無くなった。けれど、そうして私の体の全てに執心しているかと思うと、それがたまらなく愛おしい。

私が差し出した潤滑剤で執拗に解されて、殆ど苦痛もなく彼を受け入れながら、受け身でいる癖に、彼を散々可愛がってやりたくて仕方ない気持ちになった。私のことを好きでやまない、この純真無垢に近い、少年のような青年。私のこと以外、何も考えられなくなるくらい、散々に甘やかしてやりたい。

痛くないかと私を気遣う彼に、平気だから、好きに動いて構わないと言うと、彼は遠慮がちに腰を動かした。私に負担をかけないようにと、彼がゆっくりと腰を進めて、そしてそれと同じくらいの時間をかけて引き抜いて。それを何度も繰り返されるうちに、彼のものが馴染んできたそこは、もっと激しくされたくて疼き始めていた。けれど、きっと彼は、許可されない限りはこのままだろう。つまり、私の口から、懇願しなければならないということ。

これは私が良くなりたいからではない。彼もそうしたいと望んでいるはずだと、そう思うことにして、私は意を決して口を開いた。

「ん……ッ、良いですよ、激しくしても……」

「……良いの?」

彼は辛そうな顔で聞き返した。もうこれ以上、声を出すのは恥ずかしい。こくりと頷くと、彼は、少しずつ動きを早めて、私の中を抉った。

職業柄、男性と関係を持つことは初めてでは無かったけれど、好きになった対象が男性と言うのは初めてで、本当に好きな相手に抱かれることが、こんなに心を乱されることだとは思わず、私はすっかり余裕を無くしてしまっていた。彼の体にしがみついて、揺さぶられるままに声を上げて、それに煽られたらしい彼が更に激しく動くから、頭の中も、繋がっているそこもぐちゃぐちゃで、まともにものを考えられない。

脚を大きく開かされ、彼を深く咥えこんでいるそこを、ランプの薄明かりの下、まじまじと見つめられて。すごい、いやらしいね、なんて、無意識で言っているのならとんだ小悪魔だと思う。

しかし、彼も余裕がある訳ではないらしく、達しそうになるのを必死に我慢しながら腰を振っている。汗が胸に落ちて、荒い呼吸が部屋に響いた。

「ごめん……もう、無理かも……」

思っていたよりも、ずっと長い時間をかけて、彼に限界が訪れたらしい。余裕の無い顔でそう囁かれ、私は背中に回した手に力を込めた。先にいっても構わない、そういう意味のつもりで。それなのに、彼は手を私の陰茎に伸ばすと、遠慮無くそれを扱き始めた。

「う……ま、待っ……駄目……」

私の制止などどこ吹く風で、彼は手を止めないまま、がつがつと腰をぶつけた。乾いた音と水音とが部屋に響いて、無理矢理高められていく。どうあっても、私を先にいかせたいらしい。年下の可愛らしいとばかり思っていた相手に、このままでは本当に、先にいかされてしまう。それだけは嫌だ。

「――!」

彼の手を掴んで直接制止しようとすると、逆に両手を掴まれて、ベッドに押し付けられた。見た目より重い彼の体重が体全体にのしかかり、思わず息を呑む。完全に体を私に預けた形になった彼は、いよいよ遠慮無く動き始めた。

速い動きで出し入れされて、中を擦られて、腹の奥が熱い。せめて声を上げてしまえたら楽なのに、肺が押されて、うまく息が出来なかった。苦しいはずなのに、さっきまで扱かれていたものが彼の腹に擦れて、限界が近くなる。

「リタリー……好き、大好き……!」

言うだけ言って、唇を塞ぐのは狡い。ただでさえうまく呼吸が出来ずにいる私の舌を吸って、彼は私の中で果てた。耳の奥で、彼の艶めいた呻きが響く。腹の奥で彼のものが痙攣して、熱い精液が広がっていくのを感じながら、その熱さに刺激されるように、私も彼の腹を汚した。

余韻を味わうように、私の唇に何度も口付ける彼の背中を、そっと撫でる。汗で冷たくなった背中。こうして触れると、思っていたよりずっと逞しい、男の背中をしている。年下の、少し頼りない青年だとばかり思っていたのに。

私の中で、彼のものが少しずつ萎えていくのを感じながら、私は彼の体を抱きしめた。まだもう少し、入れたままでいて欲しいのに――ああ、駄目か。ずるりと抜けたのを待って、彼が体を起こした。先ほどまでの熱が嘘のよう。汗で濡れた肌が外気に触れて、鳥肌が立ちそうになる。後始末なんてもうどうでも良いから、もっと抱きしめていて欲しかったのに。

「……リタリーも、いっちゃったの?」

「やめてください、恥ずかしい」

汚れた腹に気付いた彼は、驚いた顔で私の出した精液を指で掬った。余りの恥ずかしさに目を逸らす。これでは、さっきと真逆だ。

彼はもう一度私に覆い被さると、耳元で信じられないことを口にした。

「ね、もう一回、しても良い?」

「えっ……ま、待っ……」

「ごめん、待てない」

互いにいったばかりなのに、体にもうまく力が入らないのに。彼はぐったりした私をうつ伏せにすると、腰を持ち上げた。緩んだ後ろの孔に、すでに硬くなっている彼のものが宛てがわれている。

もう一度しても良いかというのは、疑問ではなく、懇願だったのか。もう、するつもりだったんじゃないか。さっきよりも余裕が無いらしい彼は、最初に入れた時とは比較にならない乱暴さで、私の中に押し入った。痛みはない。ただ、勢い良く奥まで貫かれたせいで、思わず息を呑んだ。

「ごめん……痛かった?」

「……いえ、痛くは……」

「……良かった……多分、すぐ終わるから」

もう少し、我慢して。そう囁かれたかと思うと、彼は激しく動き始めた。思わず高い声を上げてしまい、慌てて枕に顔を埋める。シーツを握りしめて、後ろから伝わる快感を必死に堪えた。抽送を繰り返されたそこは、もう、熱く蕩けていて、何をされても気持ちが良い。後ろからされているせいで、快感ばかりが脳を焼いた。

さっきとは違う場所を突かれて、その度に背筋に電流を流されたように、快感が走る。それを続けられたら、長く保ちそうにない。でも、腰を掴まれているせいで、逃げようにも逃げられない。枕に頭を埋めている私の反応なんて、彼からはわからないはずなのに、感じるところばかりを執拗に責められる。我慢しきれずに声が漏れ、それが彼に届いていないようにと祈った。

「ね……声、我慢、しないでよ」

そんなことを言われても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。彼は私により甘い声を上げさせようと、意地悪く腰を使った。気持ち良いところをぐりぐりと抉られて、かと思えば焦らすように小突かれて。すぐに終わると言っていた癖に、すぐにいかされてしまうのは私の方だなんて、信じられないし、受け入れがたかった。後ろだけでいってしまうなんて初めての経験で、絶対にあり得ないとさえ思い込んでいたのに。

「もう……声、我慢しないでって、言ったのに」

極力声を殺したつもりだった。けれど、彼のものを締め付けながら体を痙攣させていれば、私が達してしまったのは誤魔化しようがない。酷い、狡いよ。彼はそう呟いて、いったばかりの私の中を好き放題突き上げた。いった時よりも、その刺激の方が辛く、思わず抗議の声を上げる。だがそれは、彼を煽るだけの結果に終わってしまったらしい。

結局、とっぷりと夜が更けるまで、私は彼に鳴かされ続ける羽目になった。

年上らしく多少は余裕ぶりたいと思っていたのに、その思惑は見事に外れ、彼に散々翻弄されて終わってしまった。彼が私を抱きたいと言った時、まさか彼にもそんな欲求があるのかと驚いたくらいだったのに。消えかけのランプの明かりに照らされた、気持ち良さそうな彼の寝顔を見つめながら、私は一つため息を付いた。

求められるのは嬉しいが、こうも容赦がないとは。半ば呆れながらも、周りに流され、意にそぐわないことも受け入れてきた彼が、誰に遠慮することもなく振る舞った結果がこれかと思うと、微笑ましくて、愛おしくて、思わずにやけてしまう。その相手が他の誰でもなく、私だということが、たまらなく嬉しく思えた。

明日は午後から店の制服が届くくらいで、朝からしなければならない用事はない。まだもう少し、彼の寝顔を眺めていても良いだろう。ああ、彼の分の制服も追加で注文しておかなくては。手伝ってくれると言ってくれたのだから、遠慮無く手を貸してもらおう。体格は良いけれど、私より背は低いし、手足も太すぎないから、きっとあの制服も似合うに違いない。

これからのことをあれこれ考えながら、私は眠ったままの彼の頭を、起こさないようにそっと撫でた。ちょうど良くランプの明かりが消え、部屋が暗闇に落ちる。そろそろ私も眠らなければ。

暗がりの中で思い出すのは、彼の金の瞳と、汗で濡れた赤い髪。初めて目にした引き締まった体と、高い体温。そして、考えが読めそうで読めない、穏やかそうで激しい、そんな彼の、今まで知らなかった一面。

今日は貴方にされるがままでしたけど、明日からはそうはいきませんから。貴方が隠していたのと同じくらい、私にだって、貴方に見せていない顔がある。ただ優しい、甘いだけの男だと思わないでくださいね。

頭の中でそう呟いて、私は彼の手を握り、目を閉じた。眠りに落ちる直前、彼が私の手を握り返した気がしたけれど、それを確かめる程の体力は、私にはもう、残っていなかった。

終わり

wrote:2015-11-12