約束だけを与えられた

これからはずっと一緒だと、そんな約束だけを与えられて、それだけで満足なんて出来るわけなかった。ずっと一緒にいられるだけで幸せだと、最初のうちはそう思っていたし、実際満足できていた。だけど、欲望というものは際限なしに膨らむもので、ギグと一緒に暮らして、たまに旅をするだけでは物足りなくなった。その体に触れて、唇を重ねて、あわよくば――いや、それは高望みが過ぎるのかもしれない。少なくとも、今はまだ。

ともかく、ギグが俺と一緒にいてくれることを望んでくれているのなら、少なくとも俺のことを好きでいてくれるのだろうと、開き直って打ち明けることにした。

というか、ベッドを共にしている時点でほとんど許されているようなもののような気もするんだけど、そこはそれ、ギグのよくわからないプライドが邪魔をしているんだろうと思った。

少し肌寒くなり始めた秋の夜、いつも通り二人でベッドに潜り込み、意を決してギグの体を抱き寄せた。なんだよ、寒いのか? と問われ、そうじゃないけど、と誤魔化しながら、ギグの微温い体温に浸る。ああやっぱり、俺はこの神様が好きでたまらない。そっとギグの頬を撫で、心臓をバクバクさせながら、俺は一生分とも言える勇気を振り絞って、今まで我慢してきた願望を口にした。

「ねえ、ギグ……キスしても良い?」

「……へっ?」

そして返ってきたのは、素っ頓狂な驚きの声。一生分の勇気と引き換えに受け取るには、あまりにあまりな返答だった。

「いや、その……ギグに、キス、したいんだけど」

「ま、待てよ相棒、なんでそうなるんだよ」

「なんでって……ギグが、好きだから……」

ギグの反応を見るに、ギグが俺のことを「そういう対象」として認識していないということに気づかざるを得なくて、俺はほとんど泣きそうになっていた。言わなきゃ良かった。そう思った。言わなければ、少なくとも、この先気まずい思いをする必要はなかったのに。

「……ごめん、やっぱり、忘れて」

ようやっとそれだけ口にして、俺はギグに背を向けた。これ以上、恥の上塗りはごめんだ。これからもギグと一緒にいたいし、それなら、この思いを胸にしまっておいたほうがずっとマシだった。

「相棒……」

ギグはそっと俺の頭を撫でている。そんな哀れむような声で名前を呼ばないで欲しい。それに、何故だか今は、ギグに触ってほしくない。好きだという感情さえ汚いものに感じて、ギグには触れて欲しくなかったのだった。それなのに、ギグは、後ろから抱きついてきさえして、俺を慰めにかかってきた。ああ、情けない。振られた相手に同情されるなんて、本当に、悲しくなってきた。

「……なあ、聞いて欲しいんだけどよ」

「……何」

「あの、さ……オレ、わかんねェんだよ、そういうの。好きとか、愛とか……ましてや、相手にそれを伝える方法も、意味があるのかどうかも、よくわからねェし……」

「えっ?」

何を言われても、慰めの言葉ならいらない、そう思っていたのに。ギグから発せられたのは、予想外すぎる言葉。

「人間の、そういう感情がわからねェ。性交だのなんだのも、繁殖方法だとしか思ってねェし、だから――」

「――それ、ギグが、神様だから?」

ギグは、ああ、そうだ。と返事をした。二百年以上も生きていてそうなのだから、それは変えられようもない性質に近いのかもしれない。だとしたら、俺がいくらギグに懸想したところで――。

「……だから、きっと、相棒にそういうことをされたとしても、オレは何も感じない。でも、相棒は傷つくだろ……」

「ギグ……」

「相棒のことは、嫌いじゃねェし、ずっと一緒にいるって約束も、当然覚えてる。だけど、好きなのかどうかは……自分でも、わかんねェんだよ」

理解できないはずの感情をぶつけられても、それを望み通り返されるかはわからない。だからこそ、そんな感情など初めから自分に対して期待するなと、ギグが言いたいのはそういうことだ。

それはギグの優しさに違いなかった。好意を理解できない相手を好きになったところで、好きな相手から拒絶されるのと同じくらい、傷つくだけ。俺を傷つけないために、ギグは初めから俺に諦めさせる気なんだ。

でも、ギグは、自分のそういった感情に気づいていないだけなんじゃないか? 俺を憎からず思っていて、ずっと一緒にいたいと思っている。それは、好きと言っても差し支えない感情なんじゃないのか?

「……じゃあ、さ。試してみれば良いんじゃない」

「え?」

「してみたら、わかるかも」

俺は、背を向けていたギグの方を向き、ギグの頭をそっと撫でた。月明かりに照らされた銀糸の髪が、きらきらと輝いている。この髪一本一本に口付けして、髪の毛一本からつま先まで、余すところ無く触れることができたらどんなに素敵だろう。それくらいには、俺はギグのことを好きなのに、ギグはその感情がわからないと言う。でもきっと、本当はわかっているんじゃないかな。

「……いや、だって、そんなん、相棒は良いのかよ」

「俺は良いよ、ギグが好きだから。ギグは、嫌なの?」

「嫌……じゃ、ねェけど」

嫌じゃない、嫌いじゃない。じゃあ、ギグは俺のこと、好きじゃないの? そう言ってしまうのは容易いけれど、それを言ってしまうのは、何か違う気がした。

「……じゃあ、するよ」

「ど、どうしたら良いんだよ」

一つのベッドに入っている訳だから、元々顔は近かったけれど、改めてしようとすると、少し気恥ずかしい。ギグはギグで、少し戸惑ったような様子だった。

「目、閉じて」

「ん」

ギグの視線が伏せられると、幾分気が楽になった。そっとギグの薄い唇に、自分のそれを重ねる。ギグの体を抱き寄せて、自分の腕の中に閉じ込めながら、啄むように何度かそれを繰り返したり、少しだけ開かせた口の中にゆっくりと舌を差しこんで、ぬるついた口内を舐めてみたりした。

ギグは特に変わった様子もなく、ただそれを受け入れているだけ、と言った状態で、ああ、これはやっぱり、ギグには理解できない行為と感情だったんだろうな、と思う。俺はずっとこうしていたいと思ったし、ギグの体を、一部分だけでも自分の好きなように扱えていることに高ぶっていたのだけれど。

キスして何も変わらなくても、それはそれで構わないとも思う。一晩、いい思い出を作って、明日からいつも通りの日々を過ごせば良い。それだけの話だ。そう思わないとやってられない。

「……は、ぁ」

ようやく唇を開放してやると、ギグは少しだけ熱っぽい顔で息を吐いた。それが妙に色っぽく思え、もう一度唇を重ねたいという欲求がふつふつと頭をもたげてくる。でも、もう限界だろうな。ギグも、理解できない感情を只管ぶつけられるなんて苦痛以外の何物でもないだろう。

「……ごめん、やっぱり、駄目だよね」

拒絶される前に謝ろう。その方がまだ、傷つかずに済む。ギグから顔を背けてそう言うと、ギグは戸惑いながらぽつぽつと話しだした。

「相棒……その、別、に、駄目ってことは……」

「でも、結局わからなかったんじゃないの? その……好きとか、そういうの」

ほとんど無反応で、されるがままだったのだから、結局そういうことなんだと思ったのに。

「わからない、けどよ……嫌じゃ、なかった。もっと、しても良いって、思った」

「……無理してるって訳じゃ」

「それはねェよ、オレが嘘つくの下手だって知ってるだろうが」

それは知っているけれど、ギグが優しい嘘をつくところは、俺はまだ見たことがない。俺のためにつく嘘は、もしかしたら上手いかも知れないじゃないか。でも、それがもし本当なら、そう信じてしまいたかった。

「……だから、その……またしても良いぜ、そういうの」

「良いの?」

「おう、してるうちに、なんかわかるかも知れねェしな」

「……ギグがわかる前に、俺の我慢がきかなくなるかもね」

「お前な……」

呆れ顔のギグを見て、俺は複雑な気分になった。ギグはわかっているのかいないのか、俺の心を乱すことばかり言うのだから、たまったもんじゃない。そういうところを見るたびに、チャンスがいくらでもあるんじゃないかって、期待してしまう。

曖昧で、もどかしい約束だけでは足りない。もっと明確で、率直な繋がりが欲しい。この純粋で暴力的な神様に対してそう思うのは、許されることなんだろうか。いくら考えてもわからなかった。

ギグの寝顔を見つめ、この顔が快楽と恋慕に歪むのを想像して、俺はもう一度、今度はこっそりと、ギグの唇を奪った。

終わり

wrote:2015-06-06