手出しはさせない 後日談
それから一週間は、何事もなく過ぎた。相棒と一緒に、起きて、食事をして、適当に森を探検したり、疲れたら昼寝をして、食事をして、風呂に入って寝る。それだけの単調な、穏やかな生活。それをずっと続けられたら良いんだろうが、そうは問屋が卸さないだろう。
何が起きるかを見越して、相棒が寝静まってから、オレは毎晩こっそりと家を抜け出している。何をしているかと言えば、この森全体を強固な結界で覆い尽くして、誰も入れなくしてやろうとしているのだった。
最初の夜は、ふらりとオステカの街へ偵察しに出かけ、どうやらかなりの大事になっているらしいことを確認した。リタリーはどうやら、かなりの重傷だったらしい。手加減したつもりなんだが、生きてたのが奇跡くらいまで言われてたな。笑えねえ。それはともかく、かなり不穏なことを言う連中もいるらしい。この世界の連中にとって、死を統べる者だの、世界を喰らう者だのという存在は、とりあえず恐ろしい、自分たちを脅かすものという認識だ。それは、世界が平和になった今も、変わらない。誰が平和をもたらしたかなんて、ほんの一握りの人間しか知らないのだから無理もないが。
二日目の夜、オレはベルビウスの元に飛んでいった。洞窟の奥深く、レナを従えたババアは、すでに誰からか話を聞いていたらしい。二人揃って呆れた顔でオレを見た。
「どうしてこう、面倒ばかり起こすのですか」
「仕方ねェだろうが」
「……彼に肩入れしすぎなんですよ、貴方は」
「うるせェ。とりあえず、ほとぼりが覚めるまで、森の中に籠もるからよ。邪魔すんなよ」
「……彼も一緒に?」
「聞くまでもねェだろ」
「……折角平和になったというのに、ままなりませんね」
「いつの時代も、ゴミむし共はくだらねェ連中だよ。しばらく関わりたくねェな」
そう言うと、二人は眉を顰め、盛大なため息をついた。人の善性を信じたいならそうすれば良い。だが、こっちは勝手にやらせてもらうからな。
そして、三日目以降、夜ごと俺は森の入り口を駆けずり回って、只管結界を張りまくって過ごしている訳だ。相棒が夜に目覚めて泣きやしないかと心配しながら、それでも手を抜くわけにはいかない。緋涙晶を使っても破れないような結界となると、かなりの力を使う。転生したての体でやることじゃない気がするが、多少無理をしてでも、相棒を守るためには仕方ない。
そして今日、ようやく結界を張り終えようかという時に、そいつはやってきた。最後に残しておいた、オステカの街に一番近い、森の入り口。誰かがやってくるならここだけだろうと、残しておいた場所だった。
「よお、生きてたとは驚きだぜ」
「……おかげ様でね、随分と酷い目に合いましたよ」
「自業自得だろうが」
月明かりの下でもわかる程顔色は悪く、足取りも決して軽くない。生きてるのが奇跡、とまで言われていたくらいなのだから、まだ安易と歩き回れる状態ではないのだろう。戦意らしいものも感じ取れない。ただ、話をしに来ただけか。
「死に損ないが、何の用だよ」
こいつの顔なんて見たくもなかったが、もう相棒とこいつを会わせることもないのだし、少しくらいは聞いてやっても良い。くだらない話だったら殺すけどな。
「死を統べる神ともあろうお方が、彼を森の中に閉じ込めて、何をなさるおつもりかと、ね」
いけ好かない、人を食ったような笑みを浮かべて、リタリーは言った。自分のしてきたことを棚に上げて、随分な言い様じゃねェか。
「別にどうもしねェよ。誰かさんのおかげでオレ達はお尋ね者になってるみてェだしな。ほとぼりが覚めるまで引き篭もることにしただけだ」
いつ山狩り……というか、森狩りが始まってもおかしくない雰囲気だったのだから、こうするより他に手段はない。むしろ、こいつが唯一の被害者だったってのに、どうにかして止められなかったのか。そう思いつつも、ゴミむしは多数派が強いもんだということもわかっている。大方、あの現場を見ていた連中が大声を上げたに決まっている。こいつも、自分がしてきたことを暴露してまで、事態を収めようとは思わないだろうしな。
「……で、貴方は彼をどうしたいのですか?」
そんなことを聞きたい訳じゃない、そう言った目で、リタリーはオレに尋ねた。どうしたい、ね。少なくとも、お前がしてきたことみたいな、くだらない下卑たことをするつもりはこれっぽっちもない訳だが、他に何をしたいかと言われると、難しい。
「さてな。オレも良くわからねェが、とりあえず……ドロッドロに甘やかして、笑わせてやるだけだ。それ以外は考えてねェよ」
「そうですか」
オレの返答に満足したのか、そうでないのか、その表情からは読み取れない。だが、無表情、という訳でもない。他に、何か言いたいことがありそうな、そんな顔だった。会話を続けたいとは思わないが、もう二度と会うこともない相手だ。多少は本音を引き出してやっても良いだろう。
「なあ、そんなくだらねェことを聞くために、ここに来た訳じゃあねェんだろ」
「……くだらない、ね」
「くだらねェだろ、もうお前にはあいつを渡しやしないし、オレと相棒が何をしようと、お前が関われる可能性なんざ一つもねェよ」
「……それは寂しいことを」
「てめェ、自分が相棒に何をしたのか、自分の胸に聞いてみろよ」
「ふふ、そうですね」
残念そうなのは口ぶりだけで、浮かべているのは薄い笑み。寂しい、というのは嘘では無さそうだが、その方が良いとわかっているような。
こいつだって馬鹿じゃないし、ついでに言えばあんなことをするような人間でもなかったはずだった。怒りと嫌悪感で考えようとも思わなかったが、今思えば、こいつの行動自体、不可解なところが多すぎた。事実、相棒だってこいつのことをずっと慕っていたのに。
「……お前、なんで相棒にあんなことさせたんだ? あの連中の中じゃあ、お前は常識のある方だと思ってたんだがな」
そう聞くと、リタリーは、ふっと笑って、何かを思い出すように目を閉じた。
「……彼と一緒に暮らしていればわかりますよ、貴方にもね」
ゆっくりと目を開けて、オレを見据えるリタリーが言ったのは、そんな理由になっていない答えだった。
「はあ? どういう意味だよ」
もっとはっきり言えよ。そう言って睨みつけると、リタリーは、オレが斬りつける寸前と同じ、昏い笑みを浮かべた。
「神に予言するというのも皮肉ですが……貴方は必ず、私と同じことを彼にしてしまうと思いますよ。近いうちにね」
また大怪我させられたいのかよ、こいつ。毎度毎度手加減してもらえると思うなよ。オレが相棒に? ゴミむし共が好むような下種なことを? 馬鹿は休み休み言え。
「ハッ、言ってろよ。オレは相棒が嫌がるようなことは、絶対にしねェからな」
連日出ずっぱりで多少疲れているとは言え、ゴミむし一匹殺すのなんて簡単なんだぜ。鎌を喉元に突き付け、そうリタリーに凄んだ。それでも、こいつはあの笑みを絶やさない。気に喰わねェな。
「ふふ、次に会うときまで、彼が純潔かどうか楽しみにしてますよ」
「誰が会わせるか! 次に外に出る時は、てめェが死んだ後だっつーの」
「おやおや、それは残念……でも、その方が良いのでしょうね」
「……ふん」
「では、またいずれ」
リタリーはそう言って、オレに背を向けて歩きだした。やっぱり、こいつにだけは絶対、相棒を会わせられねェな……って、今こいつ、純潔とかなんとか言ったか? オレはてっきりそっちもやられてるもんだとばかり……
「……ああそうだ、良い事を教えてあげますよ。彼、まだ処女ですからね」
「――ッ! てめェ、とっとと帰りやがれ!」
わざわざ振り返って念押ししてんじゃねェよ! 小さくなっていく背中にそう叫ぶと、耳障りな笑い声を残して、リタリーは去って行った。あの野郎。やっぱりぶっ殺しとけば良かったぜ。
最後に残った入り口を塞いで、森全体をすっかり封印した後、オレはようやく家に戻った。とっとと戻ろうと思っていたのに、とんだ邪魔が入ったせいで、もうすっかり明け方に近い。
相棒を起こさないように、そっと玄関のドアノブをひねると、そこには不安げな顔で立ち尽くす相棒がいた。驚いて声をかけるより先に、飛びかかる勢いで相棒がオレに抱きつく。
「……ギグ、何処に、行ってたの」
泣きそうになりながら、きつく抱きついてくる相棒を見て、オレはしまったと思った。やっぱりこっそり出かけるのは良くなかったな。嫌がることは絶対にしないと言っておきながら、オレってヤツは、やっぱりツメが甘い。
「起きてたのか、悪い、ちょっとな」
そう言って優しく抱きしめて、頭を撫でてやる。オレがいない間、きっと不安で仕方なかったに違いない。ほんの短い間でも、隣にいると信じ込んでいた相手がいないというのは、相当に堪えるはずだ。特にこいつにとっては。
「そこら中探しちゃったよ、どうして黙って出て行ったの」
「ごめんな、心配かけて」
「……ぼくのこと、一人にしないで」
「ああ、これからはずっと、一緒にいるからな」
相棒が泣き止むまで、そんな問答を繰り返した。何処に行っていたのか、最後までオレは答えなかったし、相棒も追求しなかった。
泣きじゃくる相棒を見ていると、リタリーと話をした時以上に、胸がざわついた。どうしてもっとこいつを大事に出来なかったのかと、もし目の前に自分がいたら真っ二つに斬り裂いてやりたいくらい、腹がたった。
オレを責める相棒に、オレが只管謝って、ようやく落ち着いた頃には、すっかり空も白んで、窓から朝日が差し込んでいた。
寝不足な相棒と二人、まだ朝も早いのにベッドに戻る。
もう何も、眠りを妨げるものはない。この世界がどう変わっても、オレと相棒は二人きりで、ずっとずっと、何も変わらないまま在り続けられるんだ。
それはもしかしたら、相棒に取ってすれば悲しい、寂しいことなのかも知れないけれど。
安心したのもあってか、早くもうとうとし始めた相棒の髪を優しく撫でる。寝入りばなにこんなことを言い出すのも狡いと思いつつ、オレは相棒に尋ねた。
「……なあ、相棒。もし……これから、誰にも会えなくて、オレとしか一緒にいられなくなったとしたら、嫌か?」
もう戻れないっていうのに、先刻も相棒を泣かせたっていうのに、今更事後承諾を得ようなんて、虫が良すぎるだろうか。
「……どういうこと?」
オレの方を向いて、相棒が聞き返す。
「ここで、オレとずっと二人きりで、誰とも会わずに暮らすとしたら、相棒は寂しいかってこと」
眠そうな相棒にそう言うと、相棒は一瞬だけきょとんとした顔をして、またすぐ笑顔に戻った。
「……ギグがいるなら、寂しくないよ」
そう言って、相棒は頭を撫でていたオレの手を取って、ぎゅっと握った。小さな温かい手のひら。オレが大切にしたい、唯一のもの。なんだかたまらない気持ちになって、オレは相棒の小さな体を抱きしめた。
「じゃあ……平気だな」
「うん」
もう絶対に、こいつを離さない。絶対に、泣かせるようなこともしない。腕の中に相棒を抱いたまま、オレはそう誓って、二人一緒に眠りについた。
終わり
wrote:2015-08-22