あなたのことがもっと知りたい
くたびれたパイプ椅子に腰掛けて、いれてもらったインスタントコーヒーを飲みながら、ノートパソコンに向かって仕事をするロドの背中をぼんやりと見つめる、いつもの夕方。初めて会った時より少しだけ伸びたように見えるロドの青い髪が、煤けた色合いの部屋の中で妙に鮮やかに映えている。
髪は空色で綺麗なのに、本人ときたらお世辞にも性格は良くないし、目付きは悪いし、煙草と本人の体臭で正直言って臭いし、しかも未成年に手を出す変態だし、いい年したおっさんだ。終わってる。そんなロドに惚れてる俺も終わってるけど。
ぐりぐりと灰皿に煙草を押し付ける音。程なくして、ライターの着火音が部屋に響いた。
「俺にも一本ちょうだい」
「ん」
煙草を強請ると、ロドも一息付きたかったのか、俺の方に体を向けた。こちらに向けて放り投げられた煙草をキャッチして、ポケットからライターを取り出して火を点ける。ロドの体臭に似た、癖のある香りが漂って、心地良い。
「ねえ、髪伸びてきたね」
「そうか? 言われてみりゃあ、そうかもな」
たまに切りに行っているらしいが、基本的にロドの髪型は変わらない。いつも一般的な成人男性にしては長い状態でキープされていて、それがなんというか……この煙草屋(の店主)が怪しいと言われる理由の一つな気がしている。やや長めの前髪で顔の傷を隠そうとしているのかも知れないと思わなくもないけれど、結局全然隠れてないし、本当に前髪で隠そうとしたら、多分……余計にこの店、流行らなくなりそう。
「短くしたりしないの」
「んー、特に拘りがある訳じゃあねェけどよ……」
「さっぱりして良いんじゃない」
「それ、親友が言えたことかよ」
くっくっと笑うロドに、確かに、と返す。俺だって、髪を肩まで伸ばして括っていることに特に理由はない。切れと言われたら切るけれど、あんた、最中に下ろした髪を弄るの好きでしょ。切ったらがっかりするんじゃないの。だからやっぱり、切らないでおこうと思う。
「ま、今度の休みにでも切ってくるわ。短くするかは気分次第ってとこだな」
「期待してるよ」
「へーへー」
適当な返事をして、ロドはまた仕事に戻った。俺は煙草を吸い終わるまでずっと、ロドの後頭部を眺め、これが短くなったらどうなっちまうんだろうと、わくわくした気分になっていた。短くするだなんて確定してないのに、なんだかもう、そうなるもんだと思い込んでいた。
「え、誰」
「てめえ、短くして欲しそうにしてた癖にそりゃねェだろ」
それでも、ここまで雰囲気が変わるとは想像出来なかった。余りにさっぱりし過ぎてて、本当に別人に見えたくらい。カウンター越しに出迎えてくれたロドの髪は、もみあげは消失してるわ襟足も見えないわで、どうしたら良いのかわからないくらい短くなっていた。
「本当にそこまで切っちゃうとは思わなかった」
「んだよ、おかしいか?」
カウンターの中に迎え入れられ、すぐ近くでロドを見る。おかしい、訳はない。むしろ……。
「いや……良いと思うよ、似合ってる」
「惚れ直したか? おい」
俺に褒められるなり、ロドは上機嫌で俺の肩に手を置いてひっついてきた。なんだこのおっさん。喜びすぎ。
「煩い……コーヒーちょうだい」
肩に置かれた手を払って、俺は奥のパイプ椅子にどかりと腰を下ろした。照れ隠しということを察したらしいロドは、本当に楽しそうに、嬉しそうに笑いながらやかんに火を点け、マグカップを取り出している。
横顔になるとまた別人のように見え、俺はなんだかもやもやして、落ち着かなくなった。知らない人みたい。でも、人を喰ったようなこの顔はやっぱりロドだし、ああもう、なんでこんなに顔が熱いんだよ。嫌だ、ロドの言う通りに惚れ直してしまったのかと思うと、癪に障る。
ロドは、自分を睨みつける俺をわざとなんでもない風に見つめながら、湯が沸くのを待っている。そして暇そうに煙草に火を点けると、続けてとんでもないことを口にした。
「昔は腰くらいまで伸ばしてたんだがな……短いと楽で良いな」
「えっ、何それ聞いてない」
「言ってなかったか? バンドやってた時はそれくらいにしてたんだよ」
「それも聞いてない!」
「そうだったか?」
「そうだよ。何それ……なんで教えてくれないの」
「聞かれたこと無かったからな……後で写真見るか?」
「……見たいような見たくないような」
「俺も見せたいような見せたくねェような気分だわ」
ロドはそう言って、ちょうど良く沸いた湯をマグカップに注いだ。そう言えば互いのことを、殆ど話したことはない。俺も、双子の弟がいることくらいしか、ロドに話してないし。
「ねえ、ロドのこと、もっと聞かせてよ」
「ああ? ……気が向いたらな」
湯気が立ち上るマグカップを受け取って、そんな曖昧な約束をすると、ロドは俺に背を向けて、ノートパソコンの電源を入れた。
殆ど熱湯に近いコーヒーをちびちびと啜りながら、俺はロドの短くなった髪を見つめる。なんだかんだでこの人は、俺のお願いを聞いてくれるんだろう。そう思うと、可愛くて笑えてきた。
くたびれたパイプ椅子に腰掛けて、いれてもらったインスタントコーヒーを飲みながら、ノートパソコンに向かって仕事をするロドの背中をぼんやりと見つめる、いつもの夕方。でも、いつもより面積の減った空色がおかしくて、俺はしばらく笑いを堪えるのに必死になっていた。
終わり
wrote:2016-03-12