悪夢

こんなことはあり得ない。あり得ないとわかっていても、この瞬間に溺れていたいくらいに、惑わされてしまいたいくらいに、ここは甘く優しすぎた。

私を抱きしめる、懐かしい体温。獣人らしい、草の香りがする身体。別れた時に比べて随分と背が伸びて、私の身長を追い越してしまったロドは、久しぶりに出会った私の身体を確かめるように、きつく抱きしめてくれていた。それに身を任せているうちに、ロドは好き放題私の身体に触れ始めた。

寂しくなった髪の毛、周りから舐めた目で見られないために伸ばした髭、老けこんでしまった顔。何処もかしこも、あの頃とは変わってしまって情けなくもなるというのに、ロドは実に嬉しそうに、愛おしそうに触れるのだ。

「……そんなに触っても、良いものじゃあないだろう」

「いいや、そんなことはないぜ。親友」

ずっと会いたかったんだから、いくら触っても足りないくらいだ。ロドはそう言って、私をもう一度抱きしめた。私の胸に収まるくらいだったロドが、今度は私をあの頃のロドのように抱きしめているのがなんだか可笑しくて、私もロドに抱きつきながら、目を閉じた。

いつの間にか私たちは抱き合ったまま横になって、ぽつりぽつりと昔話をして過ごしていた。懐かしい海沿いの街。日が暮れるまで駆けずり回って遊んだこと。ロドと別れて屋敷に戻った後、ロドが何をしていたか、考えないようにしていたこと。ロドと離れ離れになるきっかけになった事件のことを避けて、私たちはいつまでも話し続けた。ロドの顔の傷のことも、身体に施された刺青のことも、古城の屋上で再会するまでの間、何をして過ごしていたのかも、何も、口にしなかった。

わかっている。これが悪い夢だということも、何もかも。ロドは死んだ。ジンバルトも。私には何も救えなかった。でも、せめて夢の中でだけでも、懐かしい思い出に浸って、歪んだロドの幻影を追って、幸せな気持ちになったって良いじゃないか。

だって、私にはもう、何も残っていない。

ロドは私の話に笑って、私もロドの話で笑った。懐かしさと、あの頃に戻れた嬉しさで、満たされた気持ちになっていた。だから、ロドが突然黙って、低い声で私に話しかけた言葉に、うまく反応出来なかった。

「……なあ、アンタの人生は幸せだったのか?」

「な、にを」

いくら考えたって、それにどう答えたら正解なのか、わからない。きっとどれも正解で、不正解でもあるのだろう。そしてそれは、どちらにしてもロドを傷つける解答にしかならないこともわかっていた。

「アンタ、俺なんかのために人生を棒に振ったんだぜ。馬鹿げてると思わないか?」

ロドはさっきまでの穏やかな表情とは正反対の、誰も信じていない、冷たい目を私に向けた。

「……わかってるんだろう? ほら見ろよ、アンタの弟にやられたんだぜ」

ロドは私から離れると、胸のスカーフとボタンを外し、胸元を肌蹴させた。剥き出しになったそこには、心臓を一突きにされた、赤黒い傷跡が生々しく残っている。古城の屋上で、ロドを殺そうとしていた私に代わり、ジンバルトが突き刺した跡。

「俺を助けようとしてた癖に、アンタは結局俺を見限ったんだ」

やめろ。それ以上は言わないでくれ。

「親友、だァ? ふざけんなよ。結局アンタは俺を――」

耳をふさぐ私に、ロドは叫んだ。それが耳に届く前に、私は目を覚ました。

いつも通りの、私の寝室。汗でじっとりと湿った布団を払いのけ、月明かりの頼りない光に目を凝らす。時計を見ると、床についてからまだ二時間しか経っていなかった。

またこの夢だ。夢の中で、ロドはいつも私と幸せそうに過ごし、最後の最後で呪詛を吐く。

私はいつも、ロドの「幸せだったのか」という問いかけにうまく答えられずにいる。きっと、その答えが出るまで、私はロドに責められ続けるのだろう。けれど、たとえ夢の中でだって、ロドと会えるなら、それでも良いと思ってしまうのだ。

もう一度ベッドに身体を横たえる。まだ夜は始まったばかり。今夜は後何度、ロドに会えるだろうか。

終わり

wrote: 2016-09-17