グダン・ガラム

「……失礼しました」

最近滅多に来ていない学校に、二日続けて来たかと思えば、真面目に授業を受けた挙句、担任に直談判して進級させて欲しいなんて、明日は槍でも降るんじゃないですかね。そんな声が、扉越しに聞こえた。

担任からは、職員会議にかけてどうにかしてみると言われたが、実際どうなるのかなんてわからない。どうにかなったとしても、山のような課題と補修が俺を待っている訳で、そこまで喜べるような話でもなかった。

「兄さん、どうだった?」

「……今日の職員会議で決めるってさ」

「どうにかなりそうなの?」

「……わからないよ、そんなの」

職員室を出て、廊下を歩いている俺に駆け寄ってきた弟は、俺の返事を聞いて、期待で一杯という表情を少しだけ曇らせた。今日は金曜日だから、判決は月曜日に下されるはずだ。一応、反省している風を装って話したから、どうにかなると思いたいけどね。そう言うと、弟は安心したように笑った。

昨日弟から送られてきたメールには、一緒に帰ろうという内容と、進級について話そうと言う、面倒な内容が書かれていた。それを見たのは、ロドがシャワーを浴びている間、体の怠さで動きたくなくて、仕方なく携帯でも、と思ったから。

弟からメールが着ていたことなんて、すっかり忘れていた俺は、新着メールをうっかり開いてしまい、その面倒なメールを読む羽目になったという訳。どう返信しようかと考えていると、ロドがシャワーから戻ってきて、あれこれ話すことにもなった。本当に、つくづくタイミングの悪い男だ。

結局、ロドに「高校は出といた方が良いぞ。俺でも出てるんだからな」と諭されて、俺は渋々、弟に返信した。今日は友達の家に泊まるから話せない。進級はしたいから、明日先生に話してみるよ。それだけなのに、学校で顔を合わせた弟は、妙に上機嫌で俺に挨拶をしてくるのだからたまらない。

お前の兄貴は、昨日二十九歳の悪いおっさんとセックスしてたんだぞ。そう言ってやったらどんな顔をするだろうかと、俺は内心笑いを堪えるのに必死になっていた。しかも、進級したいと言い出したきっかけが、「高校卒業したら、お祝いに揃いの刺青を入れてやる」と言われた事だと知ったら、きっと弟は卒倒するだろう。

今日はロドのところには行かず、大人しく家に帰ると言ってある。久しぶりに弟と夜を過ごす訳だけど、色々と面倒で嫌だった。でも、ずっと帰らずにいるのもそれはそれで面倒を引き起こすのだから、仕方ない。

「ギグも喜んでたよ、兄さんがちゃんと学校に来てるって聞いて」

「ふうん」

まだ帰り道だって言うのに、弟が他愛無い話を振ってくるのが面倒で、俺は早くもうんざりしてしまっていた。気付いているのかどうなのか知らないけれど、お前の話、ほとんどギグのことばっかりだよ。付き合ってるからって、そんなに浮かれなくたって良いのに。

ロドとセックスしたからと言って、何かが変わる訳でもないと思っていた。けれど、明確に宣言した訳ではないにせよ、俺とロドは付き合い始めたのだ。昨日の夜から。好きだとも、愛してるとも言っていないし、言われてもいないけれど、互いに言うつもりも無いんだから、今の関係だけで判断するしかない。でも、それで十分だと思っている。

ギグと弟の関係は、俺とロドのそれとは、かなり違っていると思う。それを悲しいとは思わないけれど、やっぱり、弟と俺は双子だけれど全くの別物で、だからギグは俺を選ばなかったのかも知れない。そう思うと、なんとなく寂しくもある。後悔している訳ではないし、ロドのことは……好き、なんだと思うから、別に良いんだけど。

浮かれた弟の作った食事を食べて、先に風呂入ってて、と言われて、俺は固まった。なんとなく、先に入りたくない。皿洗いを買って出て、弟を先に風呂場へ押し込んだ。皿洗いまでしてくれるなんて、と、弟は嬉しそうにしていたが、俺は少しだけ後ろめたい気分になっていた。先に風呂に入って、浮かれた弟が久々に一緒に入ろうなんて言い出したら、とんでもないことになる。俺の体には、昨日の情事の跡が、大量に残されているんだから。

皿を洗い終えて、弟が風呂から上がるのを、ぼんやりと面白くもないテレビを見ながら待っていると、携帯にロドからのメールが届いた。時刻は八時過ぎ。昨日ロドが部屋に戻ってきたのと、殆ど同じ時間だった。急いでメールを開けると、

「どうだい、弟と過ごす夜は」

そんな嫉妬でもしてるみたいな文面に、なんだか笑えた。ただ、からかっているだけだろうけど、本当に嫉妬してくれているなら、嬉しい気がする。俺は少し考えてから、素直な気持ちを返信した。

「落ち着かないよ」

温厚なはずの弟と過ごしているはずなのに、気分は妙に落ち着かない。あんたの側が良いと、俺は改めて感じていた。今すぐにでも部屋を飛び出して、あんたの煙草臭い部屋へ駆け込みたいくらい。でも、そこまで長ったらしくメールを打つのも面倒で、結局一言だけ返信するに留めたのだった。返信はすぐに着た。

「明日は来るんだろ」

それを見て、ああ、ロドも俺がいないのが寂しいのかと察しがついた。ここの所、殆ど毎日あんたのところにいたもんね。一日会えないだけでこうなっちまうなんて、俺もあんたも、相当参ってるな。

「当たり前でしょ」

あんたの側でないと、俺は俺らしくいられないんだ。弟はどうにか丸め込むから、出来る限りずっと、あんたの側にいさせて欲しい。そんな思いを込めて送信ボタンを押した。

ぱたん、と携帯を折りたたむと同時に、弟がリビングに戻ってきた。濡れた髪をタオルで拭きながら、弟は俺の顔を見て、驚いた表情をした。

「……どうしたの、嬉しそうな顔して」

嬉しそうな顔、してたのか。ロドのことを考えてるだけで、そんな顔を。そんなの……俺らしくない。ロドの側にいたいのに、ロドに近づけば近づく程、自分らしく無くなっていくって、どういうことなんだろう。怖い。だから、そんなのは、弟の気のせいだ。きっと。

「……別に、そんな顔してない」

「そう?」

隣に腰を下ろした弟は、テーブルの上に置いてあった水を飲み、テレビに視線を移した。直後に、俺の携帯が鳴る。どきりとして、なるべく平静を装って、携帯を手に取った。新着メール。開封すると、そこには、ロドからの「待ってるよ」という、たった五文字の返信。

それを見て、俺はまた、知らないうちに笑っていたらしい。弟に、やっぱり、何か良いことあったんでしょ。と茶化されて、俺は不機嫌そうに部屋を出た。やっぱり、ここは落ち着かない。きっと全部、弟のせいだ。

悪戯っぽく笑う弟をリビングに置いて、俺は一人、バスタオルと着替えと携帯を持って、浴室へ向かった。付き合ってられない。

脱衣所で服を脱いで、カゴに放り込む。そして、洗面台の鏡に映る自分の姿を見て、俺はなんとも言えない気分になっていた。首元に散らされた無数の赤。赤黒く腫れた乳首。上半身だけでこれだ。下半身はもっと酷いことになっている。内股にも、首元と同じく赤い跡が残されているし、昨日の夜のことを思い出して勃ち上がりかけた性器の先には、昨日は殆ど触れられていないリングが、物欲しげに揺れていた。

浴室に入り、熱い湯をかけて適当に体を洗い、俺は浴槽に体を沈めた。程よく温まった湯に浸かり、ぽつぽつと昨日のことを思い出す。湯が濁っていて良かった。これなら急に弟が入ってきてもバレる事はない……色々と。

昨日は、本当に凄かった。今まであれだけ色んな物を入れられていたのだから、実際に挿入されてもどうってことはないと思っていたのに、そんなことはなかった。ロドがいつか言っていた通り、ロドの亀頭を貫通しているあのピアスは、本当に効果的に俺の中を擦り上げてくれた。

入れられる瞬間は確かに少しきつかったけれど、殆ど一日中異物を入れたままのそこは、直前に更に指で広げられたのもあって、比較的容易に、ロドの性器を咥え込んでいった。先端が入ってしまえば、途中で前立腺を引っ掻きながら、何にも遮られることもなく根本までずるりと。

後ろでいけるようになって随分経つし、さっきまで指で弄られていたせいで、限界まで張り詰めていたそこは、ただ入れられただけで、だらだらと精液を吐き出した。ロドはそれを見てニヤリと笑い、可愛い可愛いと馬鹿にしながら、いったばかりの俺の中を意地悪く責め立て始めた。

二ヶ月かけて散々弄くられたせいで、ロドは俺の体のことを、俺以上に熟知していた。何処が気持ち良くなる場所なのか、体内のことさえ知り尽くしている。だから、今まで出したことの無い、いかれた女のような声で半ば叫ぶように喘ぎながら、ロドの執拗な責めに体をびくびくと痙攣させて、一体何度射精したかもわからないくらい、善がらせられた。

最後はいつの間にか意識を失って、煙草の匂いで目を覚ますと、ロドの腕枕にまるで甘えるように体を預けていたという、随分と恥ずかしい思いをした。寝てる間になんてことをしてくれたの。そう抗議するのも気怠くて、ベッドの上で煙草をふかしているロドの横顔をぼんやり眺めていると、ロドは何を勘違いしたのか、俺の口元に自分の吸っていたそれを咥えさせたのだった。

一息吸って、ロドに煙草を返すと、幾分かは頭がすっきりしてきた。とりあえず、腕枕は恥ずかしいし意外と首が疲れる。ゆっくりと上半身を起こそうとすると、ロドに腕を掴まれて阻止された。

「もうちっと寝てろよ」

「なんで」

「良かっただろ」

「……それは関係ないでしょ」

「良いから寝てろ」

再度ロドの隣に戻され、渋々横になると、ロドは俺の頭をぽんぽんと手のひらで叩いた。

「一応ムードってもんがあるだろ」

「……そういうの、気にするの」

俺は気にならないけど。そう言い返すと、ロドは低く笑いながら、テーブルに手を伸ばし、煙草を揉み消した。俺の方に向き直り、俺の頬をそっと撫でる。煙草の匂いがふわりと漂う。ロドはいつも通りの悪そうな笑みを浮かべているが、妙に浮かれたような雰囲気がする。まるで、俺を抱いたのがそんなに嬉しかったとでも言いたげな。

「可愛くねえな」

「……知ってるでしょ」

「ま、そこが可愛いんだけどよ」

「なにそれ……矛盾してるよ」

「知ってるよ」

ロドはやっぱり、変だ。俺も大概だけれど。唇を塞がれて、煙草の甘い匂いと、ロドの薄く冷たい唇の感触を味わいながら、俺はゆっくり目を閉じた。

それからしばらく、ロドが求める軽い睦み合いに付き合って、ロドがシャワーを浴びに行って……そして、弟のメールという横槍を受けたのだった。

思い返すに、ロドのことが良くわからなくなってくる。俺のことを、色々と見抜いているようでもあるし、逆に勘違いしているようにも見える。どちらが正しいのかはわからない。結局、俺自身が自分のことをわかっていないせいなのかも知れない。

可愛い、ね。

昨日散々言われた言葉を反芻して、俺はそれをどう受け止めたら良いのかと悩んだ。そんなこと、今まで言われたこと無かったな。ロドには俺のことがどんな風に見えているんだろう。

浴槽から上がって、洗い場の椅子に座る。シャワーで曇った鏡の湯気を流し、自分の姿を見た。弟と同じ、肩まで伸ばした赤い髪。金の目。顔の作りは……周囲の反応を見るに、悪くはない、と思う。赤い跡が散らされた首元と胸。乳首は、湯で温まったせいで、脱衣所で見た時よりも赤くなっている。肌は……運動部でもないし、白い方だ。体つきは、まあ、高校生の平均的な体格だと思うし、これを女と勘違いするヤツはいないはずだ。

じっと見ても、可愛いとは思えない。誰かに惚れると、そう見えるようになるんだろうか。いかれてる。それって、俺も、ロドのことを可愛いと思うようになるってこと? 相手は二十九歳のくたびれたおっさんだし、煙草ばかり吸ってて臭いし、ガラが悪くて、部屋はお世辞にも綺麗じゃないし……しかも、未成年の性器にピアスを開けさせた上にセックスまでする変態だ。どこに可愛いと思える要素があるっていうんだ。

散々俺の体を弄くっておいて、いざ初めて入れようって時に、やたらと優しくするところとか、妙に浮かれてたところとか、確かに、ちょっと可愛いところもあると思いはしたけれど……。

馬鹿馬鹿しい。やっぱり俺は、ロドに惚れてる訳じゃないんだな。俺は、熱いシャワーを頭から被って、がしがしと髪と体を洗って、もう一度浴槽に体を沈めた。温い。こんな温度じゃあ、頭もすっきりしないし、冷静にもなれない。余計悶々とするだけだ。

――惚れてない訳ない。そんな可愛くもないおっさんに体を許している時点で、嫌いな訳も、惚れてない訳も無いだろう。馬鹿なのはこっちだ。

風呂から上がって着替えをして、適当に頭を乾かした。こんな気分で、煙草も吸えずに、あの弟と一晩過ごせって? そんなの無理に決まっている。

俺はリビングには戻らずに自室へ行き、身支度を整えた。コートを羽織って、靴下を履いて……そうだ、携帯。風呂場に置いたままだ。風呂場に戻って、携帯を手に取った。新着メールの点滅。どきりとして開封すると、ロドからの「暇だったら来ても良いぞ」という、可愛い文面が表示された。

何、それ。来て欲しいんでしょ。そう思うと、笑い出したくなってきた。俺はそのメールには返信せず、携帯を畳んでポケットに仕舞った。来ても良いというお墨付きを貰ったんだから、もう何も遠慮する事はない。

とは言え、弟に何も言わずに出て行く訳にもいかず、俺はリビングの扉を開けた。

「ごめん、ちょっと友達のとこに行ってくる」

「えっ? こんな時間から?」

「……日曜の夜には帰るよ」

「ちょっと、待ってよ。せっかく久しぶりに一緒なのに……」

「ごめんってば。そっちも、ギグと仲良くやって」

「あ……ええ? ねえ、待ってよ!」

狼狽える弟を、リビングの扉を閉めて押し込めて、俺は玄関に向かった。ブーツに足を突っ込んで、鍵を開ける。扉を開けると、冷たい冬の外気が頬を撫ぜた。風呂あがりの、生乾きのままの髪が急速に冷やされていって気持ち良い。弟が追いかけてくる前に、俺は玄関の扉を閉めた。

マンションの階段を駆け下りて、俺は繁華街をこっそりと、けれど早足で駆け抜けた。ロドの住む部屋まで十五分程。早く会いたい。あんたの側じゃないと駄目だ。そんなの、絶対に言ってやらないけど。

歩いて十五分の道のりを、俺は十分で踏破した。ロドの住む部屋の前に立ち、乱れた呼吸を整えるため、一度深呼吸をする。

突然押しかけた俺を見て、ロドは一体どんな顔をするだろう。いや、それ以前に……いつまでも返信が無いままのスマートフォンを、どんな顔をして見つめているんだろうな。きっと、いつも通りの飄々とした顔ではいられないはずだ。

俺はマフラーで隠した口元を歪ませながら、インターフォンのボタンを押した。間抜け面で俺を出迎えてよね。そうでないと、あんたに会いたくてにやけてしまっているこの顔の言い訳が成り立たないから。

がちゃりとドアノブが回されて、俺を見たロドの顔は、俺に負けず劣らず、嬉しそうに緩んでいた。

終わり