二〇二〇年一月二十五日 東洋大学白山キャンパス 第三会議室
井上円了が用いた「公園」の考察─「公園論」を入り口に
出野 尚紀 客員研究員
〔発表要旨〕井上円了は、明治三十九年十月『修身教会雑誌』第三十四号において、「公園論」を発表し、当時の公園に対する自らの考えと理想の公園像を明らかにした。
この論は、哲学館退隠の時にその後の人生を賭けることにした修身教会運動と絡めながら、建設中であった哲学堂をどのような性格を持つ場所にするか表明する目的で記されたものと考えられる。前半部分で、東京市内の公園を中心に、当時の公園利用の状況を記す。肉体(体)と感覚(心)の休養はできるが、精神(知徳)を育てることはできない状態であり、肉体修養の公園はあるが精神修養の公園はないとする。後半部分では、欧米巡遊のなかで接した日曜教会の在りようを「公園」に必要なものであると捉える。日本の寺院は西洋の教会と異なり、精神修養をするものではなく、青年の堕落をもたらすばかりであるので、修身教会運動と結び付ける形で、「公園」である修身教会を作るべきだと結ぶ。
円了が考えた「精神修養」ということは、自然公園法第一条の「国民の保健、休養及び教化に資する」ということにつながって、現在の公園行政にも生きている。また、哲学堂公園の施設は都市公園法に記される各種施設を網羅しており、円了は公園行政の知識を持っていたことが伺われる。どうやって知識を得たのかを来訪地と関係者から考える。
円了の日付がわかる最初の用例は、手稿「漫遊記(第2編)」の明治十六年八月八日に偕楽園を訪れたものである。また、円了は、日本全国を哲学館への寄付金募集の講演旅行のために訪れており、『館主巡回日記』としてまとめられている。そのなかで各地の公園を訪れており、公園として運営されていない神社の境内も、公共に開かれた場所として「公園」という語をつけていることがわかる。欧米巡遊でも各地の公園に行き、植物園、動物園なども訪れている。ニューヨークの公園では「古今の英雄・学者の肖像、石に彫刻せるもの路傍に並列する」ことに、よい教材だと感動している。
当時の公園設計に関係した人物では、円了の師・石黒忠悳は、上野公園、日比谷公園の開設に関わり、都会に自然をという考えを持っていた。長岡安平は、開放的かつ平等的で児童本位の設計を旨としていた。本多静六は、公園は公徳心を養う教育機関であるという考えを持っていた。長岡、本多の公園への見方は、教育施設として円了と通じるものがある。
円了は、「公園」という語を、大公園を念頭に、体と心の休養に使われる公園と違い、「体育・知育・徳育を兼ね備えて増進させる、一般に開かれた、庶民が訪れるところ」と定義づけ、実際にそれが成り立つ公園を作ったといえると考える。
日本におけるヒンドゥー教聖地研究の歴史と展望
宮本 久義 客員研究員
〔発表要旨〕インドは日本人にとっては仏教発祥の地として有名だが、現在約十三億人いる人口の約八割はヒンドゥー教徒が占めている。ヒンドゥー教の持つ教義やさまざまな宗教行事を知らなくてはインドという広大な国の歴史や文化を理解することはできない。本発表ではヒンドゥー教徒の聖地巡礼を取り上げ、それが彼らにとってどのような意味をもつのかを考察する。また併せて、今まで日本におけるこの分野の研究のまとまった報告がないので、どのような研究が行われてきたのかも概観する。
発表の前半では、まず古代インドにおける主要な交通路を検討し、参考のために仏教の八大霊場を示した。それと比較するように、ヒンドゥー教の主要な聖地を示し、巡礼の道は神々の恩寵を得るために聖仙たちによって切り拓かれ、彼らを先達として叙事詩の英雄たちがその道をめぐり、さらに庶民が神々・聖仙・英雄の事蹟をたどる構図になっていることを明らかにした。また、叙事詩『マハーバーラタ』(後五世紀頃現形成立)に説かれる巡礼路の想定図に基づいて、古代インドでの、おそらく理想的な最大の聖地巡礼が、プシュカラに始まってインド亜大陸を時計回りに巡拝し、プラヤーガに至るまでの円環状のものであったことを、先行研究を踏まえて辿った。『マハーバーラタ』(三・八〇・三四~四〇)には、貧しい人々は多大な布施をともなうヴェーダ聖典に従って祭祀を行なうことはできないが、聖地巡礼という方法によって祭祀の果報より大きな果報を得ることができる旨の記述がある。これを見ると、五世紀ころまでには聖地巡礼という宗教的営為が全インドに広まっていたと考えられる。
次に、ヒンドゥー教最大の聖地といわれるバナーラス(別名、ヴァーラーナスィー、カーシー、ベナレス)を取り上げ、その聖地にまつわる神話とともに、ヒンドゥー教徒がそこに参詣に訪れる宗教的背景を、「解脱に導くため」、「神々に拝謁するため」、「霊性を感得するため」の三点に分けて考察した。
発表の後半は、「日本におけるヒンドゥー教聖地の研究状況」と題した、著書、論文のリストを示し、ヒンドゥー教巡礼全般を扱う著書がまだまだ少ないこと、それでもバナーラス、ヴリンダーバン、ガヤー、カイラースをはじめ個々の聖地に関する論文は着実に増えつつあることを確認した。今後、ヒンドゥー聖地の研究がますます発展することを願いつつ発表を終えた。