明治期における近代化と〈東洋的なもの〉
明治期における近代化と〈東洋的なもの〉
本研究は、東洋大学学術振興資金による所内プロジェクト研究であって、本研究の研究目的は以下の通りである。
(1)思想・宗教・文学・歴史・経済の各領域に即して、明治期日本に西洋文化の導入によって新しく現われたものを研究し、〈東洋的なもの〉の特徴を取り出す。
(2)このようにして取り出された特徴を踏まえて、〈東洋的なもの〉の可能性を考察する。以上の研究を研究目的とする。この研究組織は次の通りである。
研究分担者 役割分担
末次 弘 研究員 研究総括・倫理思想領域の研究
竹内 清己 研究員 文学領域の研究
吉田 公平 研究員 儒教領域の研究
竹村 牧男 研究員 仏教領域の研究
白川部 達夫 研究員 歴史領域の研究
穐本 洋哉 研究員 経済領域の研究
田崎 國彦 客員研究員 明治期における仏教と倫理思想との関係性
前原 有美子 客員研究員 明治期女性論における西欧近代思想と〈東洋的なもの〉
渡邊 郁子 客員研究員 井上円了と全体性の哲学
本研究は、目的達成のため、各研究員の個人としての研究を進めると同時に、研究会・公開講演会をとおして、研究成果を発表し、討論をするなかで、異なる課題の理解を深めていった。
研究会については次の通り、本研究プロジェクトのメンバーが集まり行われた。
第1回研究会 5月19日 東洋大学白山校舎大学院セミナー室1
研究報告テーマ「ヘーゲル・吉本隆明にみる〈アジア的なもの〉について」報告者 末次 弘
第2回研究会 6月9日 東洋大学白山校舎大学院セミナー室1
研究報告テーマ「朱子学の「物理」学と日本近代の「倫理」学」報告者 吉田 公平
また、11月24日には竹内清己研究員の講演と共に、学外から田尻祐一郎・東海大学教授を講演者に招いて公開講演会を行い、参会した学内外の研究者との質疑応答のもと、研究交流がなされた。詳細は以下の通りである。
公開講演会
平成16年11月24日東洋大学白山校舎第2会議室
〈恋〉から〈恋愛〉へ―国学と近代文学を結ぶ試金石―
竹内 清己 研究員
私は別に締め切りを過ぎた「日本語文学と〈愛〉」なる原稿をかかえている。これに対して末次教授を世話人・代表者とする「明治期における日本の近代化と〈東洋的なもの〉」というプロジェクトで「近代日本文学と明治」の一翼を担っている。そこでこの講演において表記の題目をたてて仕事の両立をはかつたが、結果は芳しくない。以下報告する。
明治近代の国民作家夏目漱石は、〈恋〉と〈愛〉のひいては〈恋愛〉の有力な発話者だった。
又況んや同情に乏しい吾輩の主人の如きは、相互を残りなく解するといふが愛の第1義であるといふことすら分からない男なのだから
仕方がない。―「吾輩は猫である」二
其の頃でも恋はあつた。自分は死ぬ前に一目思ふ女に遭ひたいと云つた。―夢『十夜』第5夜
漱石は〈愛〉の西欧的近代をくぐった認識者であって、古代日本からの〈恋〉の伝承者であったといえる。そこに矛盾はなかったか。私的体験として私に、少年期、有島武郎の『惜しみなく愛は奪ふ』の文庫本を五輪堂という小さな本屋から購った思い出がある。それは〈愛〉は惜しみなく与えるものという思いに反し、〈愛〉は惜しみなく奪うものだという、1種の暴力性が、少年の性の目覚めに響いたからに違いない。かく〈愛〉は矛盾するのではないか。水守亀之助編『類語・文例辞典』(柏書房大13・10)に
類語 いつくしみ なさけ
類句 愛は一切の矛盾を蔵める
文例 他人のために自己の生命を放擲すること、これを措いて他に愛はない。
愛はそれが自己犠牲である時にのみ愛である。―トルストイー
見よ、愛は如何に奪ふかを。愛は個性の飽満と自由とを成就することにのみ全力を尽くしてゐるのだ。愛は嘗て義務を知らな
い。犠牲を知らない。献身を知らない。奪はれるものが奪はれることをゆるしつヽあらうとあるまいと、惜しみなく愛は奪ふ
。―有島武郎―
と、一切の矛盾をおさめるものとして、有島の奪う〈愛〉が、トルストイの他人のための生命の放榔、自己犠牲に並べて掲げられている。横光利一の『日輪』の、我は爾を愛す―我は爾を欲す―我は爾を奪ふの愛―欲―奪は、古代の卑弥呼の物語に書かれている。他方、芥川龍之介の「越し人」の、惜しむは君が名のみとよ、の他者の人格の惜しみも〈愛〉である。
敗戦直後、新国学者というべき学匠詩人折口信夫は、「やまと恋」に、
をみなごよ。すこし装はね―。
をみなごよ―。恋を思はね。
倭恋
日の本の恋
妨ぐる誰あらましや―。
と詠った。江戸国学の宗主本居宣長は、「源氏物語玉の小櫛」に
人の情の感ずること、恋にまさるはなし。此の恋のすぢならでは、人の情の、さまざまとこまかなる有さま、
物のあはれのすぐれて深きところの味は、あらはしがたき故、
と記して、俊成ノ三位の恋「せずは人は心もなからまし、物のあはれもこれよりぞじる」を引いている。
以下、万葉古事記以来の〈恋〉と仏教語の〈愛〉をあげつつ、〈恋愛〉の成立を、北村透谷の「厭世詩家と女性」の「恋愛は人世の秘鈴なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽き去りたらむには人世何の色味かあらん」までたどり、太宰治の『斜陽』の「人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」の和子の言葉などの事例をしめした。上野千鶴子の『発情装置』、ジャック・ソレの『性愛の社会史―近代西欧における愛』などを紐解きつつ。
公開講演会
平成16年11月24日東洋大学白山校舎第2会議室
「国民」という思想―津田左右吉をめぐって―
田尻 祐一郎・東海大学教授
津田左右吉(1873〜1961)は、岐阜県に帰農士族の子として生まれ、東京専門学校を卒業し、白鳥庫吉(1865〜1942)の庇護のもと、満鉄東京支社の満鮮歴史地理調査部の研究員となって、本格的な研究生活に入った。その後、早稲田大学の講師、2年後に教授となって、日本古代史(神代史)・日本思想史・中国思想史などの分野で傑出した業績をあげた。代表的な著作としては、「文学に現はれたる我が国民思想の研究』『神代史の新しい研究』などがある。今回は、津田が「国民」と言う時、そこにどのような意味をこめたのか、それが今日の時点でどのような問題を持ちていたのかを考えたい。
まず津田は、「民族」と「国民」を区別した。「民族」は、自然科学的に規定されるものであり、「国民」は、共同の国家生活を営む人間集団を指す歴史的・政治的概念である。その上で日本の場合、1つの「民族」の中から国家が、つまり「国民」が生れた点に特徴があるとされる。異民族の征服や、1民族による他民族の抑圧の中から国家が作られたのではないということである。ここで言われる「国民」は、実体としては氏族の範囲であり、その意味での「国民」の思想の結晶として、『古事記』『日本書紀』がある。そういう「国民」形成の特徴は、天皇の意味付けに決定的な刻印を与える。巫祝王(アキツミカミ)としての天皇が、「国民」の「宗家」としての天皇(スメラミコト)というように「国民」の側から考えられるようになったのである。
津田は、「国民」を「公共」の担い手と考える。「公共」は、伝統的な尊皇感情や忠誠のモラルではない。この観点からの伝統思想に対する批判は、当時として実に鋭いものであって、今日でも学ぶべき多くの内容がある。隣人愛の精神を基盤とした人々の連帯が「公共」であり、そういう「公共」が成立する可能性が、(「シナ」とは違って)日本にはあるとされる。その「国民的精神の生ける象徴」として天皇が位置付けられる。ただし、それは軍国主義・官僚政治・資本家の跛眉によつて分断されようとしていて、そこに津田の危機感がある。
今日、「国家」を相対視した「公共」を共有することが大切であり、それが実は「国家」を健康なものにしていく契機にもなる。ここから津田の「国民」という思想を考えるなら、そこに異質な「他者」がいないことに大きな問題を感じざるをえない。「隣人愛」とは他「者」への愛ではないだろうか。自己の延長にある人への愛は、津田のあれほど批判した儒教の愛と同じであろう。津田はここを曖味にして、「公共」の内容を平板化してしまった。津田から学び、津田を越えるとは、ここを突破することである。