平成17年7月9日 東洋大学白山校舎教室
平成17年7月9日 東洋大学白山校舎教室
近代作家の死生観
― 芥川、川端//鴎外、漱石、安吾 ―
山崎 甲一 研究員
〔発表要旨〕近代作家の死生観の一端を、芥川と川端を中心に、鴎外、漱石、安吾にも言及しながら、生と死を含み込んだその境界の具体相を眺める。
「羅生門」(大4)末尾の「下人の行方は誰も知らない」の解釈を巡り諸説あるが、白髪を「倒にして」門の下を覗き込む老婆の姿がその直前に置かれていることから、下人の走り出して行った方向が、作者の望む方向とは逆立ちした世界であったことを示唆していること。又、「杜子春」(大9)は末尾で、鉄冠子から「桃の花」が一面に咲く、秦山の麓の「一軒家」を「畑ごと」与えられている。桃と畑付きの一軒家が指示するのは、他力によって幸せを得ようとした杜子春の心の邪気を払う含意である。下人も老婆の論法を借りて窮地を凌ごうとした。杜子春における鉄冠子と同様である。死に直面しながら脆弱な精神を抱える双方の主人公に問われているのは、問題を安直に回避せず、自力で向き合う「人間らしい」姿勢であろう。そこに芥川の生き方、死生観の基本形が認められる。
「骨拾い」(昭24)には、唯一の肉親であった祖父を喪った悲しみから鼻血を出し「仰向けに寝た」私が、「すうっと空に吸い上げられるよう」な感覚に見舞われ、「雪国」(昭23)末尾部分にも、島村が「天の河を振り仰いだとたんに天の河のなかへ体がふうと浮き上がってゆくよう」な感覚に襲われている。共に、地上からの昇天、死の誘惑といった気配がある。その誘惑から守るものが前者では、ぼたりと落ちて私の「足下へころがって来た」「桃の実」=邪念を払ってくれる祖父の霊、不如意な現実に生きた証としてのその存在の重さであり、後者では、「必死に踏んばって」生きようとする女性の姿と、やはり「踏みこたへて」生きようとする「島村のなかへ流れ落ちるよう」な天の河=人間の命を生かす自然の力である。虚無感に襲われがちな川端が「まだ生きている」(骨拾い)ことが可能であったのは、これら祖父の存在と女性美、そして自然の力を背後に控えての「長いトンネルを抜け」(雪国)ようとする持続的な意志と考えることも出来よう。その川端の死生観の根本にあったものは、「雪国」冒頭の一文によく表現されている。
以下、「阿部一族」(大2)のとり分け内藤長十郎の「心静かに支度をして」殉死に望む姿、――吊忍の風鈴や一疋のやんまの描かれ方に、死の緊張と絶えず向き合うようにして個の尊厳を持して生きた鴎外の死生観の一端を見た。「文鳥」(明41)の描かれ方から、漱石の死生観の根抵に故子現の存在が控えていること。「不良少年とキリスト」(昭23)で説かれている安吾独特の生き方――「絶体絶命の場は実在してはおらぬ」こと。「生きているだけが、人間で、あとは、ただ白骨、否、無である。」と看破する健全な死生観に言及した。
夏目漱石と心学
―『門』に登場する『菜根譚』を手がかりに―
吉田 公平 研究員
〔発表要旨〕夏目漱石の小説の中でも、『門』は華やかに論評される作品ではない。しかし、この作品には、夏目漱石の人生観が如実に顕われている作品ではある。旧来、近代の作家達の近代文芸という視点から解析されることが一般的であった。しかし、夏目漱石の世代は精神の形成期には儒教が基礎的な教養として学ばれたのであり、夏目漱石も例外ではなかった。それが典型的に顕われているのが『こころ(心)』である。この場合の「こころ」とは中国の朱子学や陽明学が言うところの「心」であり、それは人間を人格的統一的主体として表現するときの鍵概念である。つまりは『こころ(心)』とは、人間とはそもそも何なのかを読者に問いかけた作品であった。それに対して『門』は様相を少しく異にする。それは、明治時代後期に誕生してきた小市民が儒教的貞節観念に懊悩しながらも、それが巻き起こす生活レベルにおけるトラブルに起因する精神上の困惑から、自己を解放するために禅宗に救いを求める所に、この『門』という小説が提起する問題を解く鍵がある。主人公は参禅しながらも結局は自らが抱える問題から解放されなかった。それは作者である夏目漱石自身が参禅したことと、深く関係することであるが、禅宗は自力で自らを解放するしかないことを説く自力救済の宗教思想であるから、禅宗の世界に手がさしのべられないことを、如実に表白したのが、この『門』という作品である。この『門』には『菜根譚』が小道具として使われているが、それは自力救済の宗教思想を語るものとして、登場させられたのである。
それでは、夏目漱石が読んだ『菜根譚』の正体はいかなるものか。作品の執筆年次と作品の中で『菜根譚』に言及する文言を考察すると、それは東敬治が刊行した『標注菜根譚』であることは明白である。そこで日本における『菜根譚』の出版史・読書史の上から、漱石の『菜根譚』読書の契機を考えると、今北洪川・釈宗演・朝比奈宗源の系譜が考えられる。『菜根譚』は禅学の書物という形で、読まれたのである。もと三教一致心学の典型とも言われる『菜根譚』が禅宗典籍として読まれることはなにも不思議ではない。近代的読者が誕生したこの時期の読書傾向を示す、1特徴を示すものである。
夏目漱石は西欧近代思想・文芸との関係で読み解かれることが多いが、中国思想という視点を設けることによって明晰に見えてくることがある。この講筵はその1例であった。