平成14年6月1日
平成14年6月1日
近世宮門跡の文事
―知恩院宮良純法親王を例として―
大内 瑞恵 研究員
近年、江戸時代の皇室における文学的営為の研究が進展するにともない、天皇および親王たちの文事も見直される必要が生じてきている。本発表は江戸時代文学の研究の一端として、歴史・文学史上、特異な人生を歩んだ知恩院宮の事跡を報告するものである。
慶長8(1603)年、知恩院は徳川家康の帰依により復興されるのみならず拡張された。さらにその後、親王の入室により、門跡寺院としての寺格を得ることになった。この初代門跡が後陽成天皇の八官であり、後水尾天皇の弟にあたる直輔親王である。以後、知恩院宮良純法親王と呼ばれる。良純法親王の生涯については、『知恩院史』『御湯殿上日記』『徳川実紀』などさまざまな記録に断片的に記述が残されている。それらには生誕の記録を初めとして、知恩院宮として、宮・公卿らと邸宅を訪問し合い、碁を楽しみ、多くの書を残す生活などが記されている。一方、当時の多くの宮門跡・公卿らとともに関東下向を重ね、日光社参などを行う姿も見受けられる。しかしながら、この良純法親王の記録は寛永20(1643)年を境に途切れてしまう。同年11月に甲州へ配流されてしまったのである。この後、法親王のことが幕府や朝廷周辺で語られることは稀となり、万治2(1659)年勅許により帰京し、還俗したという。その墓所も知恩院の代々の門跡と並ぶことなく、月輪御陵の一角に現在も残されている。
この良純法親王は、歌人というより書家としての側面が強い。興味深いのはこの法親王についての伝説が生じることである。『甲斐国志』や『羇旅漫録』平4石などでは、良純法親王の配流の原因を「放蕩による」としており、数名の遊女の名を挙げている。また、良純法親王が詠んだ歌「なけばきくきけば都の恋しきに此里すぎよ山ほととぎす」によって甲州ではほととぎすが鳴かないという伝承が残ると記されている。しかし、この歌は良純法親王の歌ではない。佐渡の伝承歌が「配流の貴人による帰京を願う歌」ということで、良純法親王の歌に転化してしまったものである。
このように、古典文学を学び書写する身であったものが、自ら古典文学の伝承の当事者になってしまうところに、良純法親王の、大きくは江戸時代の文学および文学伝承のおもしろさがあるといえよう。
修験道文献『修験道修要秘決』の研究
中山 清田 研究員
仏衣である袈裟は修験道では「結袈裟」である。結袈裟の1種で当山派修験で用いられる「磨紫金袈裟」もあるが、九条袈裟を修行に便利なように簡略し不動袈裟ともいわれている。
結袈裟を修験道の教義を取り入れて出版されている『修験道修要秘決』は口伝印信切紙を50通を集め1書と成したもので、即伝(1509―1558)とされている。元禄4年(1691)不慧が校訂した時に書かれた「修験道切紙発題」序文によって知ることが出来る。『修験道修要秘決』には「衣体分十二通」「浅略分七通」「深秘分七通」「極秘分七通」「私用分七通」「添書分七通」が収められ、『彦山修験秘訣印信口決集』に収められている「修験道四重阿字大事」「修験道阿字八箇証義」「三有六大事」の3つが不慧により意識的に除かれたと想定されている。
『修験道修要秘決』巻上 衣体分十二通の内「第四結袈裟事」に結袈裟は「十界本具ノ内證。即身不動ノ外用ナリ。故二結袈裟トハ行者ノ一身本卜従り十界一如三身園満ノ妙理ヲ具足スル事ヲ表ス」とあり九条袈裟を結袈裟としているので九条を九界とし、行者を仏界としてこれを着することにより十界を具足するという。
「結袈裟ハ其ノ形ヲ顯ス山ノ字ヲ結(口伝)三鈷頭トハ三身。獨鈷形トハ即一ナリ。三身一深義コレヲ思フ可シ」として三即一の思額想で山の形に結袈裟はなっている。「不動袈裟卜號スハ。不動明王ハ十法界總體。凡聖不ニノ極位ナリ。十界中一賓ナルカ故二生佛ノ隔無シ。迷悟一體ナルカ故二」とし凡聖不二の存在が不動明王であるとしている。
「次二威儀線トハニ尺五寸ナリ。前一尺。後一尺五寸也。二十五有上下二轉階道ヲ表ス。白房ノ袈裟ハ逆二之ヲ紋。下化衆生義也。黒房ノ袈裟ハ順二之ヲ紋。上求菩提義也。」とし衆生の流転する25の生死の世界の25有を示して、菩薩の修行を表す42位と対をなし、父と母の血脈の二筋が2つの威儀線となり父母両部不二を表すとしている。
「十界一如」「凡聖不二」「迷悟一体」「三即一」「菩提乗」と修験道思想には、多くの仏教思想が取り入れられている事が理解できる。その思想を修験道の法具に象徴としている。
修験道では山中を歩いて修行する抖擻と言うが、その時に必要な道具があり、その後仏教思想により修験道思想が作られ、その思想により道具が形を変えられたと考えられる。
修験道法具より修験道思想が理解する事が出来る。修験道思想の多くは仏教思想によっている。むろん、修験道であるから、道教、神道等の思想が入っているのは言うまでもない。