平成15年10月15日
平成15年10月15日
『バガヴァッドギーター註』におけるシャンカラの行為観
高木 健翁 奨励研究員
シャンカラの『バガヴァッドギーター註』において、行為とは、まず祭祀を想定している。彼の同時代まで、解脱には祭祀とアートマンの知識との両方が必要であると考えられていた。これに対し、シャンカラは知識のみが解脱の原因であり、祭祀をはじめとする行為は無知を前提としているから、解脱の原因とはならないと言う。
彼が行為で問題としているのは、行為主体は何かということである。これは、祭祀に限らず、行為一般に敷衍して考えることができるものである。
さて、人が行為するとき、「私は行為者である。これは私の行為である。私はこの行為の果報を享受するであろう」と考える。そして、この「私」を自己そのものであるアートマンと同一に見ている。ところが、シャンカラによれば、アートマンは変化せず、行為主体でも果報を享受するものでもない。輪廻を止めるのは、このアートマンの知識であるが、これは、「私は行為者である」などの行為の前提となる観念、すなわち無知とは両立しない。したがって、行為とアートマンの知識は両立せず、知識は行為の放棄を前提としている。
このように、行為は解脱の原因とはならないが、シャンカラは、行為が知識を生じる手段になりえるとも言う。人が行為するとき、「私はこの行為の果報を享受するであろう」との期待にもとづき、果報に執着する。しかし、その果報を主宰神に捧げ、執着を捨てて行為するとき、心が浄化される。このような行為自体は、アートマンの知識を生み出すものではないが、その行為者の心が浄化されたとき、聖典や師の教示から知ったアートマンの知識を獲得するのに相応しい状態になるのである。
こうして、果報への執着を捨てた行為から心が浄化され、アートマンの知識を獲得し、あらゆる行為を放棄して知識の立場に至るとシャンカラは言う。
しかし、知識を獲得した人は、あらゆる行為を放棄すると言うが、彼もまた、普通の人々と同じように行為しているかのように見える。だが、彼にはすでに「私は行為者である」という観念も、果報への執着もない。そのような行為は、その人を輪廻に導くことはなく、もはや行為ではないとシャンカラは考えている。これがすなわち、あらゆる行為の放棄である。
『御堂関白記』にみられる仏事について
榎本 榮一 奨励研究員
藤原道長の日記『御堂関白記』の中から、法会や修法など仏教に関連する記事を抽出・整理することを通し、平安時代中期社会における仏教の1側面を見ることにする。なお、『御堂関白記』は長徳4年(996)から治安元年(1027)の間のものが現存するが、今回は長徳4年から寛弘8年(1011)までを対象とした中間報告である。
『御堂関白記』中の法会・修法を整理すると、年中行事的なものと、その時々の必要に即して行われる臨時のものとに分けることができる。また、それらは、国家として行う公的なものと、道長個人あるいはその親族のための私的なものとに分けることができる。
年中行事化した公的なものでは、正月の御斎会と内論義、2月の円融院御国忌および御八講、3月の薬師寺最勝会、最勝講、春季の季御読経と仁王会、4月の御灌仏、中宮季御読経、6月の法興院御八講、7月の内裏御盆、8月の秋季仁王会、9月の御灯、秋季の季御読経、醍醐天皇国忌、10月の興福寺維摩会、12月の天智天皇国忌、慈徳寺御八講、仏名会、中宮仏名会、光仁天皇国忌等が見られる。
私的なものとしては、正月の道長生母の斎会、2月の法性寺修二月会、3月の道長第春季読経、5月の法華三十講、6月の感神院百講、7月の盆供、10月の法興院万灯会、12月の道長第秋季読経、慈徳寺斎会などが見られる。
私的な年中行事の中で注目すべきものは、道長第における春秋二季の季読経であろう。この季読経は道長の曾祖父忠平の日記『貞信公記』および祖父師輔の『九暦』にはみられなかったものであり、これは律令国家が主催する代表的仏教行事の1つである春秋二季の季御読経(大般若経転読)に対応したものであろう。左大臣とはいえ私邸で行うこの季読経の意図するところは、どこまで季御読経と重なるものであろうか。
臨時のものとしては、公的なものでは、追善のための御読経、修善、諷誦、御斎会、祈雨・止雨のための仁王会、御読経、不動壇、天変のための仁王会等々がある。私的なものでは、追善のための読経、諷誦、斎食、病気平癒のための修善、読経、賀のための巻数等々が見られる。これらの内、仁王会は祓えの機能を持っているようである。
この他に、長徳4年から寛弘8年までの間で特記すべきものとしては、寛弘元年の木幡浄妙寺三味堂供養と寛弘4年の金峯山参詣および埋経を挙げることができる。
今後、今回整理し残した長和年間以降のものを整理し、全体の把握に努めることにする。