平成13年9月29日
平成13年9月29日
西洋哲学と東洋哲学の比較考察
ヴェルナー・ガブリエル 客員研究員
通訳 橘 柃 研究員
ヨーロッパでは古くからギリシアのソクラテス以前の哲学者たちが哲学や科学に着手したと見なされてきている。ヨーロッパ哲学の端緒に関していえば、哲学が他の世界像すなわち神々や英雄が織りなすギリシア世界、神々や英雄がお互いに争いあいまた人間とも争うようなギリシア世界に対して、意識的にたてられたことが重要なのである。こうしてみると、ソクラテス以前の哲学者たちが言おうとしていたことは、世界や人間の存在が意味のない混乱した姿を呈している、ということである。では、人々に明白な秩序や有意義な生の形成を提示するような仕方で世界を記述することができるのだろうか。そのような認識を獲得しうるためにはどのようなものが前提となるのだろうか。
世界のもう一方の端、すなわち中国にも似たような問いかけがなされている。ここでもまた人間の努力に対し、一見したところ克服しがたい、再三人間を悲惨な目に遭わせる運命を嘆き悲しんでいる。しかしここでは、こうした不幸が人間より優る神々に帰せられるのではなく、帰せられるとしてもごく一部である。そうではなくて、人々に住み心地のよい快適な住まいを提供するためにはどのように統治したらよいかを知らない、王の姿をした人間に不幸が帰せられるのである。
通例の解釈に従えば、ヨーロッパの自然理解は、根元的質料(元素)を問うことに始まる。性質が明らかに普遍的であるようないくつかの素材は、それらの素材から導出されるか、もしくは根元的質料の変形である、他のあらゆる素材の源泉として挙げられる。
中国の伝統においては別の方向に目が向けられている。ここでは人間が自然に従い、したがって自然に従順であるといってもいいような態度に骨折ることで、自然との調和に到達することが最初から試みられている。
別な仕方で表現すれば、中国の伝統においては自然が信頼のできないものであると受け入れられている、といえる。こうした信頼のできないところを受け入れることにより、自然の道に正確に、事細かに従うよう強要される。自然が信頼できない、ということは、自然が永続性を提供するのではなく常に人がまさに予期したのとは違ったようになること、まさしくそのことの内にある。すなわち変化であり変転である。自然の安定性はまさに不安定性に存する。予期することは常に予期されざることとなる。しかしながらこうした構造において進むべき方向を定める印がある。人間は常に予期されざることを考慮に入れなければならない。人間がなし得る唯1つの誤りは、強固な予期に縛りつけられ自らを動かなくしてしまうことである。変転という問題は中国哲学の大きなテーマであり続け、古代においては実に様々な側面から考察されているのである。
ョーロッパでは自然が法則や人間の領域として、自由の場として現れているが、道教においてはまさに逆である。そこで、両者の伝統の間でのきわめて大きな乖離点を指摘することができる。
中国哲学の論理は別の重大な帰結が生じている。すなわち、感覚が認識にとって重要な役割を果たしているのである。ョーロッパの伝統では感覚は不確実な認識の源泉である。儒教においては感覚が認識の出発点である。なぜなら、人間は感覚において世界に開かれており、世界に触れるからである。
この現象への直接の通路は科学についての中国的な解釈の性質を定める。ョーロッパにおける近代科学の構想は、現象は数学に従わなければならず、数学の疑いようのない法則において現象を叙述する理想言語というものがある、ということにより特徴づけられている。中国科学において世界の普遍的な構造は、世界を開かれた感覚を用いて観察し、こうした仕方できわめて繊細な識別を可能にする範型の内に示される。(大鹿勝之 原文はガプリエル客員研究所員の論文の〝Zum Problem der Tugend in der chinesischen Philosophie”末尾に付した。)
萩原朔太郎の宗教思想と文学
野呂 芳信 研究員
本発表は、主に初期の萩原朔太郎とキリスト教・聖書との関連について筆者が研究してきたことを踏まえ、さらに後の時期に範囲を広げて探究したものである。発表の前半に朔太郎の宗教思想をまとめ、後半でその思想が朔太郎の詩に具体的にどのように現れているのかを確認する、という方法をとった。
前半においてはまず朔太郎が学生時代に読んだ『失楽園物語(通俗世界文学第一編)』(繁野天来編、明36・3)が彼の若き日の思想形成に大きな影響を与えていることを具体的な資料をもとに指摘した。その思想においては、神は我々の内部に醜悪な本能や性癖を植えつけておきながら、しかもその発現を禁じてくる、矛盾した道徳的存在であった。
ところが大正5年の、神から罪が許されたという見神事件を契機として、朔太郎の思想には変化が起こる。それは、神の実体が愛であること、そして神は決して自らが人間に与えた醜悪な本能、罪の誘惑などを禁じはしない、ということの確信である。ただしこの見神事件は数日にして錯覚であったと自覚するにいたり、醜い罪人として再び絶望に陥りかけた朔太郎だったが、しかしこの度は錯覚であっても、いったんは救われた感覚を得たため、将来本当に救われるであろう希望を持つことは出来る、と考えた。
このため、醜い本能や性癖のままの救われがたい自己、という「現状」と、やがては真の救いに到達し、清められて心からの聖人になれる「未来」というように、彼の思考の軸が成立した。なお醜い「現状」から救われて「未来」へと到達する方法は、「現状」の自己の醜さ(それは神が与えたものである)を否定したりごまかしたりせずに直視することであった。
以上に簡単に示した新しい思想が、朔太郎の詩にどのように反映しているのであろうか。時期的に大正6年頃にことに熱心にこのようなことを考察していたため、詩集『青猫』前半期の作品がことに注目される。そこで発表では『青猫』前半から「その手は菓子である」「春がくる」「ひろびろとした野原で夢を見る」(以上、すべて初出題)その他を取り上げ、一見反宗教的とさえ見られる作品でも、実は彼の宗教思想と密接な関連があることを指摘した。
その後の『青猫』後半の作品も取り上げ、宗教性が喪失されること、しかし前期にも共通する自己内部の本能への凝視の姿勢があること、やがては詩集『氷島』へもつながってゆくことを指摘してまとめとした。