平成11年11月20日
平成11年11月20日
日本と韓国の仏教研究の相違点
―華厳学を中心として―
佐藤 厚 研究員
私の専攻は韓国(鮮半島)の華厳学である。研究上、華厳学に関する韓国の研究者の論文を読み、また実際に交流する機会も多い。そうした中、私は、同じ分野であり、かつ文献学という同じ方法論を用いながらも日本と韓国の研究者の視点に大きな違いを感じている。今後、ワールドカップ共同開催に伴い日韓の交流が盛んになると、仏教研究でも関係が密になっていくであろうが、その前に両国の研究視点の違いを認識する必要を強く感じている。
現在の日本の華厳学研究の主流は個別性重視の研究である。伝統的な華厳学では5祖説が立てられ、中でも第3祖の法蔵が大成者とされてきた。これは法蔵の教学が華厳学の規範であることを意味する。しかし、現在ではその見解は斥けられ、法蔵の教学は法蔵自身の教学なのであり、前後の人物とは異なる面が明らかにされている。このように法蔵を規範とする華厳学は解体に向かい、人物単位での個別性、更に同じ人物でも著作単位での個別性を解明する方向が主流となっている。
こうした日本の研究情況を念頭に置いて、私が韓国の研究者で違和感を感じるタイプを大別すると次の2つがある。
1つには、伝統的な見方を継承し共通性を発見していこうとする研究である。そこでは「性起」などの特定の概念で新たに華厳学すべてを統合しようとする意欲を持つ。これに対しては、私は個別性との関係を問いたくなる。
2つには、華厳思想を政治思想に解消しようとする意欲を待つ、主として歴史学者の研究である。例えば、華厳学の代名詞とされる「一即一切」の思想は、王権を中心として支配権を確立するためのイデオロギーとする見解に象徴される。これは仏教学と歴史学という学問自体の目的の違いかもしれないが、私は違和感を感じる。思想が時代を反映することは間違いないと思うが、仏教思想がそんなに単純なものだろうかと問いたい。また、この見方での華厳学研究が華厳学自体の解析に貢献するとも思えない。
さて、これらは韓国の研究者でも私が違和感を感じるタイプであり、すべての研究者がどちらかに属しているわけではない。だが、こうしたタイプの研究者が多いのも事実である。ただ、私はこれらの研究者の視点が間違っているとはいえない。なぜなら目的が異なっているからである。逆に私の視点についても、これら2つのタイプの研究者は違和感を感じるであろう。
こうした基本的な研究視点が異なる中で、個別の問題に関する研究交流・共同研究が行われたとしてもあまり建設的な成果は期待できないであろう。それよりも、こうした基本的な研究姿勢の違い自体を認識することから始めなければならないと思う。
『バガヴァッドギーター』と非暴カ
高木 健翁 研究員
この発表では、『バガヴァッドギーター』という聖典を通して、インド人が伝統的に考えてきている非暴力というのはどういうものなのか、ということを取りあげた。
まずここで「非暴力」と訳したahiṃsāという語について見ておきたい。一般には「不殺生」と理解されているように思われるが、語義からすればhiṃsという動詞からつくられた動作名詞hiṃsā(傷つけること)に否定辞 aを付けて、傷つけないこと、相手を傷つけないこと害さないことで、より適切にいえば「非暴力」、つまり殺さないというよりは相手に暴力をふるわないことである、と理解できる。
つづいて、ガンディーが『バガヴァッドギーター』においてこのahiṃsāをどう捉えていたのかを見て、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』『マヌ法典』といった文献でのこの語の扱われ方、そして、『バガヴァッドギーター』およびそれについてのシャンカラの註釈のなかでahiṃsāがどのように理解されているのかを検討した。さらに、再びガンディーの解釈を取りあげてみた。
そこで、伝統的な解釈の中では、ahiṃsāという語が単に人間に対するものだけではなくて、すべての生物にまで及ぶものであり、かつ、非暴力というものが単純に傷つけないという禁止の徳日ではなくて、あらゆる生物の快適を考えることというような、ある程度積極的な意味も含んでいたものであるといえる。
それからahiṃsāの根底にあるのは、「バガヴァッドギーター』VI-32および当該箇所のシャンカラの註釈に見られるように、自己との類推、つまり自分が傷つけられるのが嫌なのと同じようにすべての生物も傷つけられるのを好まない、だから傷つけてはいけない、という考えである。
しかし、ガンディーの理解を見ると、ahiṃsāをいわば文字どおりに「暴力をふるわないこと」と考えているように見受けられる。そこでは『バガヴァッドギーター』の中から何か新たな文章を生みだそうと解釈していたわけではなくて、まったく字義通りにahiṃsāはahiṃsāである、と解釈していたようである。