平成18年11月18日 東洋大学自山校舎3205教室
平成18年11月18日 東洋大学自山校舎3205教室
ヴェーダーンタ学派の付託観
佐竹 正行 奨励研究員
〔発表要旨〕ヴェーダーンタ学派は、ブラフマンとアートマンの同一性を主張し、それ以外の実在性を認めていない。アートマンと同一視される身体や自我意識等との差異を証明するために、付託の観念が使用された。本発表では、不二一元論学派における付託観について、シャンカラとサルヴァジュニャートマンの二人の見解を通して、不二一元論学派の付託観とその展開を見ていった。
付託は、インド哲学学は全般に見られる考え方で、一般的には誤った認識に関して使用されている。学派による考え方の差異はあるものの、「あるものに別何かをかぶせる(重ねあわせる)」ことによる誤った認識と定義されている。「どのようにかぶせられるのか?」に関する差異は存在するが、「かぶせること」自体はどの学派でも認められている。シャンカラ以前のヴェーダーンタ学派においても同様であり、付託は「アートマンに別のもの(非アートマン)をかぶせる」ことによる誤った認識と定義されている。
シャンカラは、付託を無明と同一視し、世界や個我の存在する原因として、単なる誤った認識以上のものと定義した。更に、「アートマンに別のもの(非アートマン)をかぶせること」だけでなく「非アートマンにアートマンをかぶせること」という双方向の付託を想定し、付託を「アートマンと非アートマンとの間の相互付託」として新たに定義した。しかし、この相互付託については「非実在に付託することが出来るのか?」等の問題が生じた。シャンカラは、これに対し積極的には答えようとはせず、心理的・認識的な気づきで解決させようとしている。
サルヴァジュニャートマンは不二一元論学派の中で、唯一このシャンカラの相互付託の見解に取り組み、新たに展開した。サルヴァジュニャートマンは、シャンカラの「無明=付託」の考えを否定し、無明を「付託の原因」と定義し直した。更に、「アートマンと非アートマンとの間の相互付託」というシャンカラの付託観に対し、その両者とは別の概念を取り入れることで、難問を解決しようとした。それは、真珠母貝を銀と見誤り、「これは銀である」という誤った認識が生じる際、真珠母貝と″これ„と銀の3要素に分けられ、銀と″これ″との間に相互付託がおこり、誤った認識が生ずるとした。その際、真珠母員を adhiṣṭhāna 、″これ„をという adhara 新たな概念を導入して説明し、相互付託とは「adharaと非アートマンとの間の相互付託」と定義し直した。このサルヴァジュニャートマンの付託観は以後の不二一元論学派にそのまま受け継がれた。更に、″これ″に表されるような実在とも非実在とも異なるより劣る実在の概念を提出することで、世界や個我で主張されるような映像的実在を不二一元論学派に導入したと考えられる。
インド実在論学派の「物質」観
―ヴァイシェーシカ学派の色と形の概念について―
三浦 宏文 奨励研究員
〔発表要旨〕実在を考えていく際に、問題点の1つとしてあげられるのが、存在物としての「もの」、いわゆる「物質」という概念であろう。ところが、古代インドにおいて、いわゆる〈重さや広さを持つもの〉という常識的な「物質(matter)」という概念にぴったり対応する言葉は見当たらない。しかし、インド的な存在論的思考において、全く物質的概念が考慮されていなかったわけではない。そこで、本発表では、インド思想史上実在論学派とされている、ヴァイシェーシカ学派の色(rūpa )と有形性(mūrtatva )という概念を中心に、同学派の物質概念を検討したい。まず、色という語は、一般的には形・姿・外見などという色と形を包括する意味を持ち、例えば原始仏教などでもこの語をほぼ常識的な物質という概念で使用している。しかし、ヴァイシェーシカ学派では、この色という概念は、実体・属性・運動・普遍・特殊・内属という世界を構成する6つのカテゴリーの中で、属性に分類され、色彩(color)という意味を表す概念である。また、色は、形を持つ実体のうち3元素の地・水・火に内属し、日による認識を助けるものである。同学派の学説では、この色という言葉に「形」という意味はなく、「形」という意味を表すのは有形性という概念である。この有形性という概念は、属性ではなく、運動する実体の共通点(すなわち下位の普遍)とされる。
すなわち、ヴァイシェーシカ学派では、一般的には色と形を包括するような概念である色を、目に見える実体である地・水・火に内属し、その目による認識を助けるものとして、実質的に色彩という意味合いに限定してしまったのである。この場合、色彩と目による知覚との親和性が念頭にあったと思われる。
一方、形という意味を持つ有形性という概念は、運動をする実体である地・水・火・風の4元素と、意識に共通の下位の普遍としてとらえられている。すなわち、形は運動と関連させて考えられているのである。
以上のことから、ヴァイシェーシカ学派の物質概念には、目によって認識できるという側面に加えて、運動するものという側面が大きな影響を及ぼしていると考えられる。これは、インドの他学派にはない、詳細な運動論を持つ同学派の大きな特徴の1つであるといえる。